ぐすんぐすんと、ぐぐもる声。
ひくりひくりと、しゃくりあげる音。
薄暗闇の中で、響く音はそれだけ。
時折「ごめんなさい」という言葉が途切れ途切れに混じる。
その小さな腕には、壊れたクマのぬいぐるみがあった。
所々解(ほつ)れて中の綿が至る所から飛び出し、片腕はもげて、片足は半分しかなく、円らな目も片方失ったクマのぬいぐるみ。
涙がぽたりぽたりと、そのボロボロのぬいぐるみの顔に落ちた。
血のように赤い紅い瞳から、流れる涙。
それは夜空に浮かぶ紅い月が血を零す痛々しい様に、少し似ていた。
ぐすんぐすんと、ぐぐもる声。
ひくりひくりと、しゃくりあげる音。
その音に、ギギッという重い金属が擦れる音が混じる。
扉が開く。光が少しだけ入る。
涙で濡れる紅い瞳が、射した光を眩しそうに見つめた。
「妹様ぁ~、おやつですよ~」
光と共に、間抜けな声が届く。
その声があんまりにも場違いだったから、フランドールの紅い瞳から涙が一瞬止まった。
「め、い……」
重厚な扉をなんなく開いて、軽い足取りで微笑みながら入ってくるその妖怪。
美鈴はいつも通りの大陸風な緑の服を纏い、片手には大きな蒸篭を持っていた。
蒸篭からもわもわと湯気が立ち上がり、美味しそうな匂いがフランドールの元まで届く。
「お腹すいちゃったんで、中華まん作ったんです。いっぱい作っちゃったんで、妹様と食べようかなと思いまして」
気の抜けた笑い方をして、美鈴がフランドールの傍に膝を付く。
えへへ。と、いつも通り笑う。
その笑みを見て、フランドールの顔が歪む。
一瞬止まった涙が、ぼたぼたと溢れ出した。
「ぅえっ、ふ、ひっくっ……め、い……めぃぃ……」
抱き付き、首根っこにしがみ付く。
美鈴は驚いたような声を上げたが、直ぐにフランドールの小さな体を抱き締めた。
そして、そっとぎゅっと、その大きな手で包んで、蜂蜜色の髪を撫で付けた。
「はい、妹様。私はココにいますよ」
「うんっ……ふ、うぅ……うん、うん……ごめん……ごめ……めぃぃ……」
フランドールはこくこくと美鈴の言葉に頷きながら、「ごめんなさい」と繰り返した。
「大丈夫ですよ。全然痛くないですよ」
でも、その度に美鈴はそう繰り返す。
痛くないなんて嘘だ。
大丈夫なんて、嘘だ。
あんなに血が出てた。
咲夜があんなに泣いてた。
「ごめん、メイっ……わた、し……咲夜のコト、ま、で……っっ……」
いつかやってしまうんじゃないかと、そんな恐怖があった。
だから近くにいたくなかった。
咲夜のことを守りたかったから。
美鈴の笑顔を守りたかったから。
だから、近くにいないようにしたのに。
だから、メイの傍じゃないと、咲夜の近くにいないようにしてたのに。
お姉さまと一緒じゃないと、咲夜の近くに行かないようにしてたのに。
なのに。
「大丈夫ですよ。妹様も咲夜さんも、私が守ります」
――――だから、泣かないで下さい。
優しい声と一緒に、瞼に柔らかい感触。
美鈴の唇が、フランドールの涙を拭っていた。
「なん、で……?」
なんで、咲夜のコトを壊しちゃいそうになったのに。
そんな風に笑ってくれるの?
わたしのコト、嫌いにならないの?
怒ってないの?
「怒るなんて、そんな……。妹様も私の大切な人ですもん」
困ったように目尻を下げて、穏やかに笑う。
(あぁ……メイのこの顔、好きだな………)
フランドールはぼんやりと思って、美鈴の顔を見る。
薬品の匂い。包帯の匂い。血の匂い。
そんな匂いが美鈴の体中からして、また泣きたくなる。
大切な人なのに、なんでいつもこうやって傷付けてしまうんだろうか。
美鈴はまた「えへへ~」と間抜けな顔で笑って、フランドールの頭を撫でた。
「さっ。アツアツの内に食べましょ♪」
「……うん」
蒸篭を明けると、むわっと濃い湯気が立ち上がった。
「熱いですから気を付けて下さいね」と、大きな中華まんを渡される。
ふわふわの生地に、肉汁たっぷりの餡。
地下で一人泣いていると、美鈴はいつもこうして中華まんを持ってきてくれる。
優しい言葉と、抱擁と一緒に。
「……ねぇ、メイ」
「ふぁい?」
熱いのでチビチビと中華まんを齧るフランドールに対して、美鈴はパクンパクンと大きな口で中華まんを齧る。
ほっぺいっぱいにアツアツの中華まんを入れて「あふあふ」と言いながら美味しそうな顔をする美鈴。
素敵な女性(ヒト)なのに、こんなトコロはいつも可愛いと思う。
「……メイは、わたしのコト嫌いにならないの?」
「えー。なんでですか?」
「だって……」
「私が嫌われてしまうことがあったとしても、私から嫌いになるなんてことはないですよ」
俯いてしまうフランドールの頭を、また美鈴の大きな手が撫でた。
「そんなコトないよっ。メイを嫌いになるなんて、絶対にないよっ!」
顔を上げて、強い口調で言う。
美鈴は「ありがとうございます」と、苦笑しながら言った。
少し寂しげな、苦笑で。
なんでそんな顔するの?
「メイのこと大好きだもん。だから、嫌いになんかならないもん」
言って、ぱくんと中華まんに噛み付く。
だから、
「……私も、妹様のこと好きですよ」
美鈴がそう、泣きそうな顔で笑ったのを、フランドールは知らない。