6
……現れたのは、紅魔館の廊下であった。
「此処は……咲夜の私室前か」
「の、ようですね」
「へえ、咲夜って私室あったんだ」
三者三様の呟きと同時、閉められたドアの前に立つ。
霊夢がドアを見て……二人が歩を進むのを制した。
「どうやら此処が分水嶺のようね。ホント、今回のアイツは親切だわ」
「これ以上いけないと?」
「多分ね。扉に手を掛けちゃ駄目よ。そこで空間が歪んでいる……たぶん、時間停止の状態なのでしょう」
「じゃあ此処から声かけですか……でも、時間が止まっているのに声は届くのでしょうか?」
「うーん、その辺夢だから、曖昧なのかもねえ……夢の世界の法則の方が勝っているのではないかしら」
「成程……咲夜さーん! いますかー!?」
こういうとき躊躇のない美鈴はたいしたものだ。
いや、自らが先達を担うという役割を解っているというべきだろうか。
レミリアが美鈴を評していると、扉が音も無く開いていく。
「咲夜さ――」
「だから、行っちゃ駄目だってば」
歩を進めようとする美鈴の首根っこを捕まえる霊夢。
扉は開ききって、小さな咲夜の私室の中が覗けるようになる。
その部屋の中、彼女の背丈にしては少し小さめな可愛らしいベッドの中で、十六夜咲夜が身体を丸めて眠っていた。
「咲夜……」
「咲夜さん!」
「…………」
レミリアにとっては愛らしい娘が、
美鈴にとっては秘めたる想いを持つ娘が、
霊夢には……なんか妙に子供っぽいなあという感想が、
眠る咲夜に視線として注がれた。
「さて……声をかけてみなさいな。私は今回見届けるだけになりそうよ」
「咲夜さーん! 起きてください!」
再びの美鈴の呼びかけ。
ベッドの咲夜はむにゃむにゃと眉根を寄せてみせる。
「反応してくれていますね」
「咲夜……起きなさい」
続くレミリアの声に、びくっと身体を震わせる。
おっ、と三人が思ったら、眠りメイドはシーツに顔を隠してしまった。
「…………あ、あれ……?」
「……あら……」
「あらら」
レミリアにしてみれば、酷く傷付く事態。
「え、えぇ……嫌がられたぁ?」
「い、いやお嬢様……そういうわけでは……」
「あんたら何やってんのよ……声しかかけられないんだから、ガンガン五月蠅くしなさいよ。喧しくしたら起きるかもでしょうに」
「でも、夢から追い出されるかも?」
「あー……それは、そうかもねえ……ちょっとレミリア、いじけてないで声をかけなさい」
「うー……私と解ったら隠れるなんて……」
「ほんっと、豆腐メンタルなんだからあんたは……門番、続けて」
「あ、はい……咲夜さーん? お嬢様がいじけてますよー? お顔を見せてくださーい」
「ちょっと! 誰がいじけてるのよ!」
「あんただ、あんた」
三人が姦しく騒いでいると、シーツに篭もった亀がおずおずと眼だけ覗かせてくる……その青い眼。確かに咲夜が此方を向いていた。
「咲夜さん……ええと、おはようございます? 先程は……ええと……」
「美鈴、うるさい」
「ええ……」
理不尽に怒られるが、美鈴の口元には笑みすら浮かんでいた。
一時は大事になって咲夜の姿を二度と見られないのかと焦りに焦ったのだ。
だが、今確かに受け答えしているのは十六夜咲夜、その人だ。逢えたのなら、声が届くのならば、もう大丈夫。不確かなのに、確信できる。
「咲夜、早く起きなさいよ。私達も、此処には長居できないんだから」
「お姉ちゃん、誰……?」
「……? ああ、そういうことか」
声をかけた霊夢に対する咲夜の反応。
これで解った。
実際にあの咲夜は幼いのだ。
きっと、霊夢と出会う前の記憶で構成された咲夜なのだろう。
そして……咲夜の求めるものも、解った。
「レミリア、あんたが行きなさい」
「え、時間が止まっているんじゃないの?」
「さっきも言ったでしょ? 夢の世界の法則が勝っている……多分大丈夫。それに、此処で私は待っているから、仮に止まっても助けられるわ」
「そっか……解った」
握り締めている巫女の手をそっと離し「行くね」とだけ告げる。
そして……美鈴が止められた世界の端をおっかなびっくり、歩を進めていく……歩みは、止まらない。
「……やっぱり、お嬢様なんですねえ」
「あら、今ならあんただっていけるでしょうよ。咲夜が見てるなら止まらないと思うわ」
「あ、いや……そう言う意味じゃないんです」
「違うわ」
「?」
「そういう意味でも言ってるのよ」
「……そう、でしょうか」
「あんたって、ヘタレだったのねえ……私に言われちゃ世話ないわよ?」
「色々複雑なんですよ」
「違うわ」
「?」
「勝手に複雑にしているだけでしょ……アイツもそうだったから、解るのよ」
「ああ……そっか……そうかもしれませんね……でも、いまはお嬢様にお任せします」
「そう……損な性分ねえ」
それきり黙り、二人は吸血鬼の背中を見送った。
レミリアは……ゆっくりと歩を進める。
小さな部屋の、小さなベッドまであと数歩。
「お嬢様……」
そこで、青い眼だけを覗かせる小さな咲夜の声がした。
歩を止め、応える。
「なんだい咲夜」
「咲夜は……悪い子です」
「……どうして?」
「お嬢様を疑ってしまったのです。愛されていないかもしれないと」
「…………」
「これは……罰なのです」
「違うよ、咲夜。お前は成長しているのだ」
「! 近付かないで……」
数歩、一気に歩み寄り、シーツごと身体を抱きしめる。
……幼いからだ。
これは咲夜のこころ、そのままなのだろう。
なんて……幼くて、純粋で、無垢なのだろう。
可愛らしくシーツから覗く、ぼさぼさな銀の髪を優しく撫でる。
「いいよ、疑って構わない。でも、同じくらい愛されていると信じておくれ。私はお前が大事だよ……愛している。喪うときが怖い。とても、とても怖い……だけど、お前の決めたことを大事にする。私も、お前に愛されていないか疑っているよ。どうして私を放って逝ってしまうの? と……でも、同じくらい、愛している」
「お嬢様……」
「戻っておいで。お前と過ごす一秒が愛おしい。お前のいない一秒が寂しい。だから……」
「お嬢様……たすけて……」
視界が歪む。
霊夢は周囲の夢が崩れ始めることを察知した。
「霊夢さん、これは……」
「咲夜が夢から醒める……私達も出ましょう。レミリア……レミリア!」
歪み行く部屋の中、小さなからだを抱く紅魔の王は、此方に横顔だけ向け呟いた「大丈夫」と。
霊夢は頷き、亜空の穴を空ける。
「戻るわよ。レミリアは大丈夫」
「解りました」
7
ひっく、ひっくとしゃくり上げるなきごえの響く部屋。
縋り付く銀髪メイドを優しく抱きしめ、悪魔は囁く。
レミリアの私室。
いまはふたりだけだ。
「怖かったろう。もう大丈夫」
「お嬢様……」
「……私は、お前に一度だって甘えてはいけないとは命令したことはないよ。完璧であれ、とは……言ったかもしれないけれど。あれ、言ったかなあ?」
優しげな声、心から安堵する。
少し冷たい主の幼いからだが確かに感じられる。
これは、夢ではない。たしかにここにあるものだ。
咲夜は微かに笑みを作った。
「咲夜の勝手でしたことです……これからも、そうであり続けます」
レミリアは笑う。
ほんとうに、たのしそうに。
「くく……そんな怖いめにあったというのに? 本当に、強情な子だねえ……いったい誰に似たのだか」
「勿論、お嬢様に、ですわ」
「私は飽きっぽいけどなあ」
「反面教師ですの」
いよいよレミリアは笑い転げ、ぎゅうっとメイドを抱きしめる。
その強さに肺が潰れそうな歓喜を感じ、咲夜もより抱擁を強く、より求めた。
「暇を与えるって言われるのはいや?」
「はい」
「もっと自分を楽しんでほしいのだよ」
「……咲夜は充分に楽しんでいます。あなたにお仕えすること以上の、何を楽しめというのですか?」
「困った子だねえ……何も学習しないのでは、またおんなじ事が起こっちまう」
「それはもう、有り得ませんわ……」
「どうしてそう言える?」
「少しだけ、変わりますから。お嬢様の言い付け通り、自分を楽しみます」
「ほう」
「手始めに、今夜は一緒に寝てくださいませ」
「……ああ、ワガママをね……」
「いけませんか?」
レミリアは首を振る。
「良いよ、給金にしても安すぎるくらいだ」
「魂の銀貨は溢れるほどに貰っています。これから、遣わせて頂きますわ」
「そうすると良い……お前にはそうする価値がある。だけどね、咲夜……」
「はい」
「お互いホドホドにしましょうね? ほら、お互いにさ……」
「ふふ……どうしましょうか……」
咲夜は、愉しそうに笑うのだった。
おわり