Coolier - 新生・東方創想話

愛銀時間

2024/08/27 19:23:06
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「……ん……」

眼を覚ます。
どれくらい眠っていたろうか?
刻の停まった世界では自分の活動時間を勘か、懐中時計に頼らざるを得ないのがちょっとだけ面倒だ。
ゆるりと身を確かめ、ベッドから降り、身なりを整えていく。
懐中時計は五時間を刻んでいる。長く寝過ぎたことに苛立ちを憶えつつも下着を手に取った。
ふと、姿見に映る己が目に飛び込む。

……無駄に成長した身体。

美しいと誰しもに評価されているそれ。
だが、美なんかよりも、より便利な機能が欲しい。
妖怪のように力強く、不滅で、衰えを知らぬからだが羨ましい。

ないものねだり。

クロゼットから取り出したメイド服を着直して、床に脱ぎ捨てた方を手に纏める。
さて、気力も体力も戻せたことだし、メイド妖精達が遊んでいるだろう洗濯場にいって自分も参加しよう。脱ぎ捨てた側のメイド服から銀色の懐中時計を取りだし、リューズを押し込む。
時刻合わせとネジ巻きの二つの機能を一つのボタンでこなす銀色懐中時計は咲夜の気に入りであり、己の能力のオンとオフを切り換えるプリショット・ルーティーンだ。
ゴルフを嗜んでいるわけではないが、弾幕ごっこで主に使うのだ、「ショット」でも充分意味は通じるだろう。

そして世界が動き出す――筈なのに、いつもの感覚がやってこない。

空気が動き出す感触、
鼻孔を擽る臭いが蘇る感覚、
耳に飛び込んでくる音、
そして解除された能力そのものの、手応え。

「あら……?」

もう一度、懐中時計を操作するが、変わらない。
咲夜の手中にある時計が刻を止めることはなかった。
……おかしい。
今度は道具に頼らず、集中する。
己のなかにあるきっかけのようなものを探すが……まるで呼吸する方法のように咲夜に寄り添っていたはずのそれが、思い出せない。

「…………」

まだ結んでいなかったリボンを手早くまとめ、部屋を飛び出す。
咲夜が“触れる”ことを認識したドアだけが動き、認識から外れた途端に刻の停まった稼働不可状態へと戻り、音も消え去る。
おかしい。
刻が制御できない。
つまり、刻の停まったこの世界、
「咲夜の世界」から、抜け出せなくなったということか……?
何処まで走っても、澱んだ、いいや、停まった空気は咲夜の動いた場所だけが本来の状態に戻り、駆け抜けた後は固着する。
廊下を駆け抜ける。
メイド妖精達が楽しそうに飛び回ったまま凍り付いたように動かないのを見届けながら、走る。
そして――

「お嬢様!」

愛しき紅魔館の主、紅の王の下へと参ずれば……
彼女は可愛らしい寝間着姿でカーテンの閉じた書斎にひとり、座っていた。
棺桶に入ってから、きっと気紛れで夜更かししようと起き出したのだろう。
なにか、本を読んでいらっしゃるのだろうか。机に目を落としたまま、凍っていた。

「…………お嬢様」

近寄り、そして……触れようとして、手を引っ込めた。
この世界の、唯一絶対のルール。
ここは、咲夜だけが在ることを許された世界であった。

「つまり、私は閉じ込められたってコトね」

それだけ呟き、咲夜は伏せ目の主にスカートを摘まんで一礼した。

「取り乱して申し訳ございません、お嬢様。すぐにオーダーを承りますので」

そして、踵を返す。
……主の部屋を出て、ゆっくりと歩く。
然程慌てる状況ではない。
だって、此処は咲夜だけの世界。
他の者達には瞬きにも満たぬ出来事。
――たとえ、抜け出せなかったとしても、お嬢様にはなんの害も及ぶことはない。
其処はまず安心し、それから、取り乱し、思わず停まったままのあるじに助けを請うたことを恥じた。
これだから半人前扱いされるのだ。
あの方の前では完全でなければいけないのに。

――本当に?

小さく首を振り、
「ひとまず、雑務をこなしてしまおうか」
独り言を刻み、言葉の通りに身体を動かす。
機械のように寸分違わぬ正確さで、刻の停まった世界で家事をこなしていった。
身体を動かすに任せながら状況を推理する。
……まず助けはない。
自身で解決せねばならぬ事である。
この世界には、咲夜しかいないのだから。
この世界の外でこの状況に気付けるものはいないのだから。
異変……なのかは解らぬが、咲夜にしか事態を把握できない事象なのだけは確かだ。
この世界のそと……外? は、刻が流れていないのだから。
……咲夜はこの能力を一種のシェルターのようなものだと認識している。
自分だけに許されたプライベート空間で思うが儘にしたいことをできる。
それは足りない時間の補填であり、家事雑務の延長であり、ワンマン・メイドをパーフェクトにこなすためには必要な技能だ。
正しく咲夜が望んで止まぬ希望の再現であり、それ以上でも以下でもない。
他者からどう思われているかはともかく、自分にとってそれは便利な道具に過ぎない。ナイフとおなじ。等価値である。

「指を切るのと同じようなものね。何処かで使い方をしくじったのだわ」

その結論に達した頃にはその日一日の作業量が終わっていた。
刻の停まった世界には昼も夜も無い。
本来なら光すら止まるのだから闇黒となる筈……と、魔女に教わったがこの世界はほんの少し色が褪せただけで普通に視認できる。
これも咲夜が自分の技能を単純な時間停止と考えていない理由だ。あまりに自分に都合良く出来上がっている世界。つまりそれこそがこの技術の本質なのだろう。
仕組みなどどうでもいいことだが。
自分はナイフを鍛えることに粋を投じる刀鍛冶でも、世界の真理を追い求める魔術師でもない。主に忠節を誓った唯のメイドだ。
その技能が便利ならば、あとはどうでもよかろうなのだ。
それが故に斯様な事態を生んだのかもしれないが。

……時間は止まったまま、咲夜だけの刻が過ぎていく。

「困ったわね」

そう、困った。
時が止まっている世界は変化がない。
つまり掃除の終わった紅魔館は、もはやその美しさを色褪せることなく永劫に在り続けるのだ。
――咲夜の仕事がなくなったのである。
作業時間にして一日程度だろうか。懐中時計を確認すると、どうやら異常事態の発端から十八時間活動しているようだ。

「うーん……しょうがないか……ここからは暇潰しね」

咲夜は既に脱出を考えていない。
何故このようなことになったのかを推理し続けることだけを決めた。
おそらく、ちょっとした度忘れなのだと結論付けた。で、あれば、ふとしたことで思い出すのだろう。躍起になって足掻くのは無駄だと直感があった。
それに……仮にこのまま朽ち果てたとして、紅魔館の皆が困ることはない。
――いや、唐突に自分の死骸が転がっているのを発見するのは驚かれるか。

「そうね、先ずは遺書を認めましょう」

暇潰しに良さそうだ。
自室に戻り、小さな机に座ってペンを取る。
咲夜の手にあるときだけ、ペンに染みこませたインクが液体であることを思いだし、手紙へ黒い筆跡を遺していった。

***
……拝啓

申し訳ないのですが、ちょっとした手違いでこうなってしまいました
メイド長は美鈴に戻すようお願いします
妖精メイド達への教育はつつがなく続けて頂くようお願いします
ホフゴブリンも、最近力仕事だけでなく、細かな家事にも興味を示しています
お手数ですが教育を施してあげてください
ただし、火を扱わせるのは、パチュリー様の許可を得てからにして下さい

美鈴へ
そんなわけだから、よろしく

パチュリー様へ
空間拡張は私が死んだら消えてしまったでしょうか
もしそうであるなら御迷惑をおかけして誠に申し訳ありません
骸を利用してなにか術を行使できるとかなら、遠慮無くお使いくださいませ

妹様へ
「最後の騎士」を途中までしか読み聞かせできず申し訳ありません
お嬢様に続きをお願いしていただればと思います

お嬢様へ
愛して――

***

手が止まる。
そして、手紙をくしゃくしゃにして塵箱に投げ捨てた。

「未練ねえ」

色褪せた天井を見上げ、呟く。
遺書に斯様な無粋など、みっともないことこの上ない。
再び、書き直し――。
……この不毛な執筆は思ったよりも時間を浪費できた。
丸二日、四拾八時間程机の上でああでもなし、こうでもなしと試行錯誤するのは中々に楽しかった。
なんとか書き上げたそれは、最初の手紙と最後の一行以外、まるきり変わらないという、お粗末な結果にはなったのだが。

「さて……そろそろ食事の心配をしなければいけないわね」

ひとまず完成した手紙を机に置き、刻の流れから停滞するのを見届け、認識していた空腹をどうにかしようと決める。
それは、生命維持にはどうしたって必要な事だ。
水については心配ない。既に検証済み。
同じ理屈で考えるならば、体内にとりこんだものは消化、排出のそのときまで自分の一部となってくれるだろう。
だが、食うというのはどうだろうか?
懸念事案は食うことそれそのものではない。
その過程だ。
厨房へ戻る。
止まったままのメイド妖精達、時間にして数日前に用意した創作中華が湯気を立ててダイニング・テーブルの上に置かれた状態で止まっている。
献立は、和製醤油ラーメンに濃いめ味付けの炒飯。栄養バランスなど知ったことかと積み上がる炭水化物の化物……を、量少なめに、たっぷり野菜の中華サラダを添えて召し上がって頂く。
題して「疲れたサラリーマンの夕食定食・気分だけ」……紅魔館に流れ着いた外の世界の漫画の中にあったサラリーマン慕情といった体の漫画を見てインスパイアしてみた料理である。
お嬢様の呆れ顔とコメントを期待して造ったものだ。
自分が食べるわけにはいかないので、手にはしない。
冷蔵庫にしまった端材の金華火腿や刻を止めて保存したはずの米を探す。
それらを手にして改めて一人前のまかない炒飯を手早く炒めた。
咲夜の手にあるものだけは刻の流れを思いだし、元来の役割を果たす。慣れたものだ。
とりあえず出来上がったそれをたいらげる。

「ん……味付け濃いめすぎたかしら。まあ、許容範囲……かな?」

自己評価しつつ、思った以上に空腹だったのかあっさりと皿を空にしてしまった。
けふ、と可愛いげっぷをひとつ。
……どうやら水と同じ理論でいいようだ。排出されるまでは咲夜の一部なのだろう……つくづく都合の良い御業であった。
……さて、当座の空腹は凌いだ。
だが、もう厨房の食材は使えない。
咲夜はメイドであって盗人ではないのだ。
館人の為に用意されたそれらを使うのは信条に反する。それはたかがメイド一人の命よりも大事な事柄である。
で、あればどうするか。
あまり気は進まないが……咲夜はナイフを確かめ、紅魔館外へと足を運ぶのだった。

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