Coolier - 新生・東方創想話

愛銀時間

2024/08/27 19:23:06
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森の中で火を熾す。
自分が離れてしまえば火も止まると考えれば、これはなかなかサバイバル・ライフに適している状況ではないだろうかなどと阿呆なことを考える。

「いやいや火はちゃんと消しておかなきゃ駄目でしょう」

もしも時が動き出したら山火事のおそれもあるのだから。
……そのときがいつ来るのかはもう解らないが。
紅魔館を出て時間にして一月。
咲夜は妖怪の山の麓に拡がる魔法の森でサバイバル・ワークを楽しんでいた。

「いつか暇を見て遊ぼうと思っていたし、丁度良い機会だったわ」

野兎の焼けていくじゅうじゅうと鳴る音と拡がる匂いが空腹を刺激する。
ロック・クライミングしたりポタリングしたり、ブッシュ・ワークで簡素なログハウスもどきを作ってみたり……大変充実した時間を過ごせた。
但し、狩りの方は実につまらない。
“止まっている獲物”に触れると同時に急所を斬り裂くだけの作業だからだ。
生物にもこれは通じるのか疑問だったが、割とあっさり上手く行ってしまった。
人や妖怪にも通じるのかしら、と考え苦笑する。
やめよう。あまりに無粋だ。
できるできないが問題ではない、やるべきではないことだ――美しさの欠片もない。

「アチチ……ふう、館から調味料だけは持ってくるべきだったかな」

幸いというかおあつらえ向きというか、妖怪の山の麓、岩塩の鉱床を咲夜は識っていた。
そこからひとかけら掘り出し塩を蒸留して当座の調味料にしている。
ふうふう息を掛けながら、齧り付く。
脂をふんだんに含んだ甘い肉汁が口一杯に拡がり、野性味溢れる臭いが咲夜の鼻孔を擽った。

【――美味いか?】
【はい、お嬢様】
【それは良かった……自分で獲ったものを自分で食う。狩りの美学だ】
【そういうものですか】
【そういうものだよ】
【では、人間も食すべきですか?】
【あー?】
【咲夜はお嬢様の命令で人を狩るので】
【……あはははは!】
【? ……咲夜はおかしいことを聞きましたか?】
【いいや、間違っちゃいないよ……間違ってないけど、まちがっているよ】
【?】
【お前は良い子だねえ……だけど、もっともっと、自分でものを考えなければいけないよ】
【……咲夜は、ただお嬢様の言いつけを守りたいのです】
【なら、そうしな。私はお前が自分で立って、自分で行動する姿が見たいのだよ】
【それは……】
【生きるとは、そういうことだろう?】
【……その言い回しは、狡いですわ】
【当然だろう? 悪魔とは、狡いものだよ……ほら、肉汁がこぼれちゃう、勿体ないからさっさとお食べ】

「……お嬢様……」

此処にいる限り、心配などする必要はない。
だって、外の世界のお嬢様には一寸の変化もないのだから。
だけど……一月かけて、ようやくこの心の空隙が解ってきた。
そうだ“私”が、寂しいのだ。
ぱきり、と焚き火から若木の爆ぜる音。
――このまま朽ちるのは仕方ない。覚悟は済んでいる。
だが、このこころの動きだけはどうしようもない。
遠く離れて好きなように生きようかと考えていたが、どうやらそれはできそうにない。

「そうね……一月を目処に、お嬢様に御挨拶しよう。いつか動けなくなるその時まで」

ルーティンワークに組み込むことで、その経過を識ることも出来よう。
そして、繰り返す規則を作るのは、己の行動に意味を持たせることだ。もしか、発狂するほどに精神が摩耗したとき、それが最後の縋りとなるやもしれぬ。
こうして、咲夜の新たな生活が始まった。

二月目。
人里に出る。
止まった人間の往来を見るのは気持ちが悪い。
早々に立ち去る。
その足で幻想郷の出口に向かってみようかと考えたが、止める。
もしか外まで出たら、時間の流れが生まれ出もするかと都合の良い期待をしたのだが、外に出られるわけでもないし、仮に出られたとしても戻ってこられる保証がない。
刻が動いたところで主の傍に駆けつけられぬでは本末転倒もいいところだ。
香霖堂に行き、普段は店主に怒られる店の奥をそぞろ眺めて満足する。
それから鈴奈庵に立ちより、以前霊夢から勧められた吸血鬼の本を探す。
……本を見付けられたのは僥倖だった。
椅子に載って本棚の上をハタキで叩いたままに止まっている小鈴の危なっかしい姿を苦笑しつつ、椅子をしっかり本棚に設置させ固定できるようにしてから本を開く。
それからは、じっくりと本を嘗め回すように味わう。ときに笑い、ときに涙ぐみ、本の中に吸い込まれるように読書に耽った。
……霊夢はこの本を喜劇と評した。
自分には啓蒙書に見える……等といったら叱られるだろうか。
もしもまた霊夢と話すことができたら感想を交わし合ってみようと決める。
そして、鈴奈庵は思った以上に楽しい本が多い。
これも咲夜には幸運だった。しばし時間を忘れることが出来たのだった。

三月目。
本を読む、というのが思いのほか快感であることを識った以上、当然ヴワル大図書館を無視は出来ない。
もしや死ぬまで此処で過ごせるのではと思いながら、図書館に訪れ本を手にした。
……この図書館の主たる魔女は、持ち出しは厳しく禁じているが、貸し出しは許すし閲覧も好き勝手させている……のを識った上での読書だ。その規則に則れば自室に持っていくのも良かったのだが本を読む雰囲気というものでこの図書館の方が向いている。
各地に設えられたソファ・ベンチに座って読んでは戻し、読んでは戻しと繰り返す。

結果、二月程度しか此処で過ごすことはできなかった。

魔術の本や神秘学の本など咲夜にはちんぷんかんぷんだったし、興味も無い。
勿論物語もあるが、どうにも高尚な内容が多く、歴史書とか資料の価値はありそうだが大衆娯楽というものからは外れている、そんな本が多かった。
先に鈴奈庵を知ってしまったのが失敗だったと後から気付く。此処の蔵書は人間が読むにはやや不向きなのだろう。
数百、数千冊をあれはちがう、これはイマイチと選別し、ようやくそれなりに読める本一冊と出会える……小悪魔、あの司書の悪魔はもしや恐るべき才能を秘めているのではないだろうか?
この夥しい数の蔵書に対してインデックス作成、管理しているのだから。
とにかく本を読むことよりも、選別作業に手間が掛かりすぎる。
もしも刻が動いたならば、小悪魔に蔵書の選び方のコツを聞いてみよう。
そう決めて地下大図書館を後にした。

六月目。
厨房で新しいレシピを研究することに没頭する。
多少レパートリーが増えたのでそれなりに充実している……と、自分を誤魔化し始める。
しかし途中で意味のある行動なのかと自問し始め、何故か味を感じなくなってきた。
ひとまず中断。

七月目。
三週間程度、持て余した身体を贅に肉に無頓着に好きなだけ愉しんでみた……が、快楽はともかくちっとも楽しくないので、やめる。
残りの時間は自己嫌悪して過ごした。
肉に溺れるのは人間らしいと思ったのだが……。

「やはり相手あってのものね」

そう結論付けた。

八月目。
気分転換に外へ。
色褪せた風景を見ることに嫌気が指し、数日も待たず自室へと戻る。
あとは寝て過ごした。

…………九月目。
シーツから身体を出すことが億劫になってきた。
自分でも驚いていた。
まだたった参百日程度。一年にすら満たない。
それなのに、こんなにも、こんなにも精神が摩耗している。
このまま朽ち果てるまで己の時間をたのしもう、そんな風に思っていた頃を酷く昔に感じる。
結局、自分を持たないものが自分を保てるわけがない。自分だけの時間を愉しめるわけなどないのだと気付かされただけだった。

「お嬢様は正しかったのね」

……咲夜は自分でものを考えることができない。
主の益になることなら素早く判断し、直ちに決定し、身体もそれに従って動く。
サバイバルも、読書も、友達を増やすことも、みんなみんな、お嬢様が安心してくださるからこなしていただけに過ぎなかったのだ。

――本当に?
「五月蠅い!」

枕を虚空に投げつける。
銀髪を掻き毟った。
――私は大丈夫、大丈夫の筈だ。
どんなことがあっても己の本分を全うする努力を止めない。
それがお嬢様に誓ったこと。
だけど……もうお嬢様に会えないのでは、誓いだって意味が無い。
――私の意味が無い?
そんなことはない、ないはずだ。

――本当に?

…………

「貴女は、本当に、大好きな人に必要とされているのですかあ?」
「何を仰っているのやら」

妖怪の山、上空。
飯綱狐を退治する前の会話。
制するのは容易かった。
だが、あの言葉が、棘のように心に刺さり、消せないでいた。
すぐにも主に甘えれば良かったのに、
咲夜は完璧であることを選んだ。
主に少しの面倒もかけたくはない。いつだって主のために尽くしたい。
……主に、忠義を疑うような真似は絶対にしたくない。

たった一言「私はお嬢様に必要でしょうか?」その言葉が、いえない。
私はそればっかりだ。
それでいいと思っていた。

愛して欲しい
そのひとことが、いえない――

ふと、横目に飛び込んできた枕元に置かれる愛用の銀の懐中時計と、ナイフ。
刹那、その煌めきが、自分を救ってくれるのではないかと期待する。

「――馬鹿ね」

ちがう、そんなものただの誘い、逃げ、憐憫だ。
私は死ぬまで人間だ。
誇り高くあれ、
美しくあれ、
完璧であれ、
……自分に課したことなのに、それが枷になっている。
棘は、毒をもっていたのだろう。
自分自身を疑うという恐るべき毒を。

「お嬢様……」

ふらふらと、幽鬼のように立ち上がる。
目眩がした。ただ立っていることがおぼつかない。
そういえば、もうどの位眠っていないのだろうか。
こまかい時間を数えるのが面倒になっていた。
シーツの中で横になっても眼は閉じないまま。
ずうっと、幸せだった時間を夢想しながら。身を丸めていた。
姿見に、自分の姿が映る。

……酷くやつれた姿。
肉と欲と業から逃げられぬ浅ましいからだ。

私は誰だったろうか。
私は……十六夜咲夜。
お嬢様に忠誠を誓うもの。

「お嬢様……」

部屋を出る。
そうだ、どうして私はお嬢様に御挨拶を忘れていたのだろう。
毎月、必ずお嬢様の元を訪れ御挨拶すると決めたはずだ。
行かねば……。
ふらつく足取りで、目眩に苦心しながら褪せた紅い天鵞絨の廊下を進む。
代わり映えしない部屋、
変わらず、机で本を見下ろす愛らしいお姿。
……ここで終わっても良いだろうか?
手にしたナイフを首に充てる。
私が死ねば、此処に骸が遺る。
お嬢様に、紅き血潮をお渡しできる。
それがせめてもの献身だと解って頂けるだろうか?
そうだ、朽ち果てるなんて以ての外、
まだ若く瑞々しい内に、この果実をもぎ取って主に渡すべきではないのか?
レミリアの机の横に立つ。
そして、ナイフを突き立てようと――するその前に、レミリアの目を落としている本の中身が目に飛び込んだ。

……銀の髪を乱した幼い少女を抱きしめている主のお姿。
少し混乱しているような、はにかんだお嬢様のお顔。

「あ――」

……嗚呼、嗚呼、あれは……私だ。
幼い頃の私。
もう記憶にすら残っていない、私。
視線を移す。本に目を落とす悪魔へと。
その、慈母に満ちたる貌。
私は……この方に……。
見つめていると、視界が瞬く間に歪んでいった。

「お嬢様……お嬢様、お嬢様……! お助けください。たすけて、たすけて、お嬢様……怖い、怖い……ひとりはこわい……!」

動かぬ主に跪き、その膝に頭を置く。
堰を切って止めどなく流れる涙は自分でも驚くほどに熱く、命を感じさせられた。

……そんな時だった。
銀の髪を、優しく撫でてくれる手を感じたのは。

「「咲夜の世界」が歪んでいく――

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