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「――いただきます」
やはり、この少女は礼儀正しい。こういう時に、姿勢と言葉を崩したりは、決してしません。
なにより、そのカクテルのことを語るのは、興されたそれを口にしてから。作ってもらったものを口にする側の礼儀を、きちんと心得ています。
少女はグラスを手に取り、どこか優雅ささえ感じさせる動きで、それを口に運びました。
グラスの中の氷が、かすかに音を立てて――
ゆっくりと、グラスから口を離して。
ひとくち分だけ、中身が少なくなったグラスを、手にしたまま。少女はそれを、じっと見つめています。
その顔に浮かぶのは…… 静かな感動に満たされた、落ち着いたほほ笑み。カクテルそのものの口当たりと後味、傾けたカクテルの余韻。それを今、確かに感じてくれています。
バーテンダーにとって、この瞬間に勝る喜びはありません。
少女はグラスを置き、それをじっと見ながら……
言葉をはやらせず、穏やかに言いました。
「――ホーセズ・ネック……。 馬の首、って意味だね」
「ん」
店主はほほ笑んで、うなずきます。
少女はグラスを手に取ると、そのふちにかけられたレモンの皮に人差し指を当てるようにしながら、
「もしかして、馬の首っていうは……これか」
「ご明察」
店主は言いました。お店の中を照らす灯りが、嬉しそうに揺れています。
そうしてまた、無言の時間。
しばらくの間、お店の中にはピアノの音色と、少女が時折グラスを傾ける時に鳴る、氷の音だけが流れました。
☆ ☆ ☆
何度目か、グラスがコースターの上に戻された時。
本当に少しずつ、口当たりと後味を楽しむようにグラスを傾けているため、まだ中身は半分も減っていません。
そのグラス越しに、少女は店主の名を呼びました。
「……リグル?」
バーのカウンターで、お客さまが店主を呼ぶ時は。
注文をする時か、お店を出ようとする時か、あるいは…… 店主と話をしたい時か。
「はい」
そして店主は、普段の調子ではなく、お店の中での口調で答えました。
ここから始まるお話は、少女の友人たる蛍としてではなく、バーのカウンターに立つバーテンダーとして話してこそ、ふさわしい。
店主には、それがわかっているのでしょう。そしておそらくは、少女にも。
果たして、少女が店主に続けた言葉は。
「……聞かせてくれないか。
どうして、ギムレットの代わりに、このカクテルなのか」
その顔は、今もなお、穏やかで……
しかし、ほんのかすかに、不安そうでもあり。
店主がなぜ、このカクテルを作ったのか、その謎解きを求めている。そんな顔でした。
だから、店主も穏やかにほほ笑んで、答えます。
「かしこまりました」
その言葉とともに、お店の中を照らす光が、ほんの少し、暗くなって。
そして、バーテンダーは語り部となります。カクテルに込められた物語を、お客さまにお伝えするために。
「お客さまは、ご存じですね。すべてのカクテルには、花言葉のような『カクテル言葉』があることを」
「もちろんだ」
「このカクテル、ホーセズ・ネックにも、もちろんカクテル言葉はあります」
「ホーセズ・ネック。
このカクテルの、カクテル言葉は――」
「――『運命』です」