Coolier - 新生・東方創想話

Wriggle's BAR 魔法使いの愛馬

2020/09/13 22:10:20
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それは、道行く人もいなくなり、いつもならすっかり月もまぶしくなるほどの時間。
でも、あいにくお天気は雨。月の姿も見ることはできず、だからなのか、お店の中にはひとりのお客さまの姿もありません。
そんな時のこと。



ぴくり、と店主の触角が揺れました。
雨の音に混じり、強い風が空気を切る音が、確かに聞こえました。よく聞き覚えのある音です。
店主は落ち着いた動きでカウンターの奥に向かうと、大きめのタオルを取り出し、それを手にそのままドアへと向かいました。
狙いすましたように、店主がドアの前に立ったのと同時に、そのドアが外から開けられました。ドアの上に取りつけられたベルが、涼やかな音を奏でます。
「いらっしゃいませ、お客さま」
乱暴な風をまとって降り立つも、ドアを叩き開けるような真似はせず。そもそも、バーのドアはそのようにして開けるものではありません。
それを、しっかり心得ている。そういうところに、意外な礼儀正しさが見え隠れします。
黒い帽子をかぶり、今まで自分が乗ってきた箒を片手に持った少女に、店主は両手に広げたタオルを差し出しながら、声をかけました。
「こちらをどうぞ。この雨の中は、冷たかったでしょう……?」
「あー、まあ……な」
まるで自分がくることを知っていたかのような応対に、面食らったような顔をしながら、少女は答えました。
答えながら、片手に持った箒から、ぱっと手を離した瞬間。
ポンッという音を立てて箒は煙につつまれ星屑を散らし、その煙の中に消えました。お見事。
「……ありがとう」
フリーになった両手で、少女は差し出されたタオルを受け取りました。その、両手で差し出されたものは両手で受け取るという所作も、実にさまになっています。
そして店主も、差し出した両手をそのままに、もうひとつ言葉を続けました。
「お帽子を、お預かりしましょうか?」
「……すまない」
少女は答え、タオルを持ったままの両手を帽子に伸ばし、
「…………」
なにか逡巡するような顔で、タオルを片手に持ち替え、空いたもう片方の手で帽子を取ろうとして、
「……取ってもらっていいか?」
ばつの悪そうな顔になって、言いました。
これには店主も『失敗した』とばかりに苦笑い。この帽子は、片手で持つには大きすぎます。
しかも。雨のほとんどを引き受けてくれたのでしょう、少女の肩まで覆いそうなその帽子は、少女のまとう衣服より明らかに水を吸って重くなっているようです。これではますます、片手で持てるはずもありません。
「失礼しますね」
苦笑しながら両手を伸ばして言う店主に、少女は帽子を差し出すように、少し前かがみになります。
そして、大きな帽子は店主の両手に収まり、少女の顔は、両手で持ったタオルの奥に隠れました。
タオルの向こうから、声がします。
「……さすがに、このまま入って行くのは、はばかられるから、さ」
「はい」
「タオルは、ここで使わせてくれ」
その言葉に、店主は両手の帽子を胸に抱き寄せて――
「かしこまりました」
そうとだけ答えて、きびすを返しました。ゆっくりと、少女から遠ざかって行くことがわかる程度の、ちいさな足音を立てて。
ドアの前には、タオルで顔を覆った少女の姿だけが残りました。
店主がカウンターに戻り、軽く水気をふき取った帽子をカウンターに置いている間も。その向こうでお茶が準備されている間も。
少女はタオルで顔をごしごしとこすり続けるまま、そこから動くことはありませんでした。





白と黒の衣装を身にまとった、人間の魔法使い。
今宵、蛍のバーは、この少女をお客さまにお迎えします。

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