* * * * *
「王手っ!」
高らかな宣言と共に、将棋の駒がパチりと盤上で音を立てる。
魔女の『王』を、巫女の駒が追い込んでいた。
「はわわっ」
パチュリーの傍で固唾を呑んで勝負の行く末を見守っていた小悪魔が、戸惑ったような声を上げた。
二人の傍らには、小悪魔が持ってきた差し入れが置いてあった。
パチュリーの方はティーカップで、中にはコーヒー。霊夢の方は湯呑みで、中身は緑茶。
パチュリーは書物から目を離して、ティーカップに口を付けながら盤上へと視線を巡らせる。
コーヒーを少量口に含んで飲み下す。
口内に広がる苦味と少しの酸味を味わう、という時間の後、パチュリーは「ふぅー」と溜息を吐き、書物を閉じた。
「参りました」
苦笑交じりの言葉に霊夢は得意げな笑みを浮かべ、「どうよ?」と踏ん反り返りながら湯呑みを口に運ぶ。
温くなりつつあった緑茶を一息で飲み干して、「もう一戦する?」と奪った魔女の駒を軽く放り投げてじゃらじゃらと鳴らした。
「いいえ。きっと何度やっても勝てないだろうから」
パチュリーは肩を軽く竦めて、コーヒーをまた一口。
盤上の清掃は小悪魔が引き受けてくれるらしく、小悪魔がせっせっと駒を片付ける音をBGMにパチュリーはコーヒーを味わい、霊夢は茶菓子のクッキーをバリバリと頬張った。
「霊夢さんは将棋もお強いんですねぇ! まさかパチュリー様を負かしてしまうなんて!」
いそいそと片付けをしながら、小悪魔が嬉々として霊夢に言う。
主の負けを喜ぶなんて使い魔としてどうかと思う態度だが、それは主がこの勝負を楽しんだという証だったりするので、細かいことは気にしてはいけない。
霊夢は調子に乗って「ふふんっ♪」と上機嫌に鼻を鳴らしていた。
「そうね。意外だったわ」
「まぁね」
紅魔館の頭脳を担当する魔女に勝った巫女は、「にししっ」という風に得意げに笑う。
パチュリーは「そんな子供っぽい表情もするのね」と、内心で思いながら少しだけ口の端を上げた。
「頭を使うゲームは苦手だと思ったのだけど?」
皮肉とも嫌味とも取れない、しかし純粋な質問をパチュリーは投げる。
霊夢は「大きなお世話よ」また一枚クッキーを食んだ。
「でも、将棋だけはね……まぁ、ちょっと得意なのよ」
「どうしてか、聞いても?」
「察しは付いてるでしょ?」
「魔理沙とか? あの魔法使いも将棋はそれなりに強かった気がするけれど」
「はずれ。あいつに負けたことないもん」
「でしょうね。私も無い。あの子は狡猾さが足りない」
「えー。でも魔理沙さんもお強いですよ?」と小首を傾げる小悪魔に、パチュリーは「あなたは狡賢さが足りない」と答えた。
霊夢は内心でパチュリーの魔理沙に対する評価に同意しながら、もう何も無くなった盤上を眺める。
「もう一戦しますか?」と小悪魔に問われたが、霊夢が答える前にパチュリーが「いいえ」と首を振った。
「……紫とね、たまに指すのよ」
口の端から言葉を零すかのように、静かに言う。
その口許が優しく歪んでいる事に、パチュリーは気付かないフリをしておいた。
「勝敗は五分五分ってところ。イカサマしてね」
「あなたがイカサマ?」
「まっさか。イカサマしてるのはあいつだっての。手加減してくれって頼んじゃいないのに……いっつもあたしのレベルに合わせてくれてんのよ。ったく……」
盤上を区切る線を、何処か不貞腐れたているように様子で指でなぞる霊夢。
パチュリーは何故だか一人納得して「あぁ」と深く頷いていた。
「一局の平均指し手数がだいたい八十くらいだとすると、一局の平均手数は……まぁ、百十五手ほど? つまり八十の百十五乗……ということは十の二百二十乗ほど……実際はもう少し多いかもしれないけれど……こう考えるとアボカドロ定数より大きく……でも、その程度の可能性、あの妖怪なら計算できてしまう、と……」
「じゅうのにぎゃく……ん? あぼかど……?」
なんの呪文を唱えてんだ?
という顔をする霊夢に、パチュリーは「アボカドではなく、アボガドロ定数」と訂正した。
「アボカドロ定数というのは……いいわ。貴女に話してもどうせ理解は出来ないだろうし。インストは面倒よ」
「はぁ?」
首を左右に傾げて、頭の上にハテナマークをたくさん浮かべる霊夢。やっぱり頭を使うのは苦手らしい。
パチュリーはそう認識を改めながら、コーヒーを飲み干した。
「要は、あんなバケモノに盤上遊戯で勝つというのは不可能という話」
つまり、そのバケモノ相手に指している霊夢は相当強いという話。とまでは言わず、パチュリーは空になったカップをソーサーに戻す。
中身の無くなったティーカップと湯呑みを、小悪魔は「下げますね」と言って盆の上に置いた。
「ふぅん?」
ピンと来ない霊夢は、まだ首を傾げて、でもクッキーをポリポリと食む事はやめない。
パチュリーはクスリと笑って、席を立った。
「さっきの言葉は撤回しましょう。それと、賭けの件だけど……貴女は何か望みはある?」
「ん~。保留でもいい? 考えとく」
「えぇ」
霊夢は最後のクッキーを口に放り込む。小悪魔がその皿も下げて盆の上に乗せた。
もうパチュリーとの暇潰しも終わり。
魔女は使い魔を連れ立って扉へと向かうが、そのノブを回す寸前で、パチュリーは立ち止まった。
「これは独り言だけれど」
「ん?」
霊夢の方には振り返らず、ただ言葉だけが静かに届く。
結界で遮られた部屋の中。音は、外へは漏れない。そこで魔女は独り言を呟く。
「私が知りたいと言った事。それについて、同じように『知りたい』と思っている輩は多くは無い。でも、居ない訳ではない。幻想郷を守る者は、このセカイの根幹に関わる妖怪の秘密をも守らなければならない……と、私は考える」
霊夢は静かに苦笑する。
机に頬杖を付いて「お節介」と小さくごちた。
「意地の悪い魔女の独り言よ。お節介とは程遠いね」
「はいはい」
「それじゃあ」と去っていく魔女の背後で、素直じゃない主に小悪魔は苦笑を零していた。
そんな小悪魔も「失礼します」と頭を下げて去っていく。
優しい魔女と気遣い屋な使い魔に、霊夢はひらひらと手を振った。
* * * * *
一方、永遠亭では。
「でな、アリスったらな……」
「あ~、そうなの……」
壊れた永遠亭の傍ら、魔理沙の話は恋愛相談めいたものに移行し、何故だか輝夜はその相談に乗っていた。
全盛期は様々な殿方(下は幼児から、上はお迎えがくる手前のお爺ちゃんまで)から色々な求婚を受けたという、有名な伝承をのモデルというかその人。その手の話においては百戦錬磨に違いない上、それなりの時を生きている故、大人な意見を貰えるというのも相俟ってか、魔理沙は「いつまで経っても一方通行から脱しきれないのは何故だ?」と輝夜に問うていた。
「も~、あんなクーデレに見せかけた天然を相手にするのは嫌なんだぜ」
と、愚痴って切り株のテーブルに突っ伏す魔理沙。
その目にはちょっとだけ涙が浮いていた。
「そう……でも、それでも好きなんでしょ?」
「そうなんだよ。不公平じゃないか、これ?」
「そんな事言われても……惚れた方の負けって言うくらいだし」
「くっそぉ~。なぁ、なんで解って貰えないんだぜ?」
「……ぶっちゃけ、恋愛対象という風に見られてないんでしょうね」
「ぐはっ」
「もしくは、本人が恋愛をする気がない……とか?」
「あー、それはあるかもしれないぜ。絶対あいつ、母親の腹ん中にそういうのを忘れてきたに違いないぜ」
「そういえば、アリスの母は魔界神だったわね。もしかしたら、魔界神がそういうものを備え付けなったっていう可能性は……?」
「はっ! その発想は無かったんだぜ! アリスのかーちゃんときたら、もうすげぇー勢いでアリスを溺愛してるし……嫁になんか出さないって言ってたぜ!」
「あのね、親なら誰だってそう思うものでしょう。まぁ、これはアリスか魔界神様に聞いてみないと分からないけれど……」
「うぅ~む……なぁ、どうしたら良いんだ? これでも色々手を尽くしたんだぜ? なのにアリスの奴、全然ピンと来てないんだ」
「もういっそハッキリと『好き』って言ってみれば?」
「言ったぜ。超言ったぜ!」
「そしたら?」
「『私もそんなに嫌いじゃないわよ』とか、『どうしたの急に?』とか、そんなんばっかだ」
「……強敵ね」
「もう私にはどうしたらいいか分からないんだぜ。なぁ、私に春は来ないのか?」
「……望みは薄いかもしれないわね」
「がはっ!」
魔理沙は血反吐を吐くリアクションをして、更にテーブルに突っ伏した。
そんな魔理沙に輝夜は苦笑を漏らしつつ、
「でも、薄いだけよ。ゼロじゃないわ」
「うっ、うっ……ほんとか?」
「えぇ。だってね………」
そんなこんなで、あーだこーだと言葉を交わす二人。
落ち込んでいた魔理沙だが、色んな愚痴も弱気も全て吐き出し、アドバイスを貰ったりして、帰る頃には妙にスッキリサッパリ勇気リンリン元気百%になったらしい。
これ以降。おしゃべりな白黒魔法使いの「竹林の姫様に相談してみろ。きっとスッキリするぜ☆」という口コミによって、輝夜に相談(主に恋の悩み)をしにくる輩は増え、いつしか『姫様のときめき☆恋愛相談室❤』なるものが始まった。というのは、また別の話。