××× Epilogue and Prologue? ×××
夜が開け、紅魔館にまた忙しない日常が戻ってくる。
メイド達は朝から昨晩の宴会の片付けに勤しみ、それが済み次第、速やかに通常業務へと移行していく。門番達は二日酔いに呻きながら、館の外掃除へとふらふら向かって行く。
霊夢は部屋へと戻って軽くシャワーを浴び、着替えを済ませると、鏡に映った自分に見た。
「……よしっ」
二日酔いは無し。顔色良し。紅白の巫女服も良し。歯磨き良し。
いつも通り健康で元気な姿の自分を認め、少しの満足感。しかし余韻なんてものはなく、そして浸ることもなく、霊夢は没収されていた道具やら着替えやら歯磨きセットやらとバッグへ手早く詰めた。
この一週間、栄養はたらふく摂ったし、睡眠もバッチリ。あまり運動をしていないので皮下脂肪とか筋肉の衰えとかが少々不安だが、問題無い程度という事に、
「……だ、大丈夫よね?」
しておきたかったが、ちょっぴり気になって自分の脇腹をちょこっと摘んだ。
「……い、いや、大丈夫だってば。全然太ってない、太ってない……」
誰かに言い聞かせるように呟きながら、霊夢はバッグを肩に掛け、扉のノブに手を掛けた。
結界はもう解かれているので、もう自由に出られる。でもその前に、一度だけ部屋を振り返った。
ベッドの上には畳まれたマットとシーツと布団。テーブルの上には暇潰しの遊具が整理整頓して詰まれて、それからもう何も活けられていない花瓶が一つ。
うん。片付けも大丈夫。
霊夢は少しだけ笑って、部屋を出た。
廊下ですれ違うメイド達がいちいち「お疲れ様です」と霊夢へと頭を下げて笑顔で挨拶していく。霊夢はそれに「ん」とか「あんたもお疲れ」とか返して、エントランスへと向かった。
エントランスでは吸血鬼姉妹に、メイド長、魔女に使い魔、それから紅い髪の門番妖怪が揃って待っていた。レミリアは霊夢へ歩み寄ると、此度の件を竹林のヤブ医者に問題ないと伝えておいた、と一言言い、それにフランドールと小悪魔が「良かったですね」とニコニコと笑った。
「そっ。面倒掛けたわね」
「まったくよ。来年はこーならないことを祈るよ」
「はんっ。悪魔が誰に祈るってのよ」
皮肉って、でも互いに笑う。
またいつでも遊びにおいでと付け足されて、少しくすったい思いになっていると、パチュリーが静かに近寄ってきて、頼んでいた物を渡してきた。
「上手くやりなさいよ」
「下手こくかっての。あんがと」
それを懐へ隠すようにしまってから、咲夜に目配せをする。
咲夜は微笑みを湛えながらコクリと一つ頷くと、
「パチュリー様まで協力されるなんてね。ほんと、あなたには敵わないわ」
「まーた言ってるし」
苦笑する咲夜に、霊夢は呆れた表情を作る。だが咲夜の言葉にその場にいた一同がうんうんと深く頷いて同意を示したので、霊夢は何処となく辟易とした。
「ははっ。では、これも。ジャスミン茶の茶葉です」
「どーも」
美鈴から包みを受け取ると、思ったよりちょっと重くて首を傾げる。
すると美鈴は「茶器も一緒に入れておきました」と穏やかに笑って、そこに小悪魔が「咲夜さんと私で作ったドーナツも入ってます」と付け足してきた。
霊夢は、悪魔の館なのに親切な奴が多いなぁ~なんて内心で苦笑を漏らしながら「あんがと」と一言言って包みを大事に抱えた。
「お土産も持ったし。んじゃ、帰るわ」
一歩踏み出して、メイド達が開けてくれる大扉へ。
皆が皆が「紫によろしく」なんて言うもんだがら、霊夢はちょっと不機嫌そうな顔を作って振り返った。
「お節介だっつーの!」
怒った声で言ったのに、聞こえてきたのは愉快そうな笑い声。
なので霊夢はもう振り返ることはせずに、手をひらひらと振った。
「じゃね! お世話になりましたコノヤローっ!」
扉から出てタンッと地面を蹴って飛ぶ。
笑い声に混ざる「またね」と、手を振って見送ってくる温かな気配を感じながら、空へと翔ける。
飛び方を忘れていなかった事に少しだけ安心して、調子乗って高く飛び上がる。
北風が冷たくて、頬を刺すように撫でてくる。空の真ん中で眼下を見渡せば、秋色の幻想郷。
見上げれば棚引く雲と眩しい太陽。大地は秋の色合いなのに、空の彼方からは微かに冬の気配を感じた。
すんっと匂いを嗅ぐ。
紅葉の匂い。
雪の気配は、まだ先にある気がする。
まだ大丈夫。間に合う。
よしよしと秋を撫でるように飛んで我が家を目指す。
そんなに急いたつもりは無かった筈なのに、あっという間に神社が見えてきた。
鳥居も飛び越えて、またタンッと地面を蹴るようして着地する。
降り立った先から見える母屋の外回廊。
神社へ面した縁側に、一匹の妖怪が座っていた。
「おかえりなさい」
優しい顔でお出迎え。ちゃんと待ってた事に嬉しくなって。
霊夢は思わず、まだ飛んでいるかのような勢いで、短い距離を駆けた。
「ん。ただいまっ」
跳ねて飛び付くように駆けた先。
自分でも思った以上の勢いが出てしまったけれど、殺す余裕はなくて、そのまま抱き付く。
けれど、ちゃんと両腕を広げて受け止めてくれるその妖怪。
柔らかな金色の髪がふわりと舞って、頬にさわさわと当たった。
くすぐったいと思って「ふふっ」と笑ったら、そこで気付いた。
(……あ。久しぶり、なんだ……)
脳みそよりもカラダの方が淋しがっていたらしい。
だからか酷く久しく感じる、肌の柔らかさ、髪の感触、声。
その事実に気付いて、少し恥ずかしくなって。でも嬉しさの方が大きかった。
(たかが一週間くらいなのに……うん。でも、テンション上がるわ……)
霊夢は荷物を邪魔そうにぽんぽん置いて、両膝を縁側の床へと乗っけた。
行儀良く揃えられた膝へ跨るようにして、軽くなった体でもう一度。
ぎゅぅっとすると、くすくすと小さな笑い声が一つ、二つ聞こえた。
「家で待ってろっていうお達しだったけれど……お家っていうのはここで合ってたかしら?」
鎖骨辺りにすりすりと頬を押し当てていると、紫の指先が髪をさらさらと梳いてくれる。
その心地の良いくすぐったさに、霊夢は瞼を半分閉じて紫の問いに答える。
「ここ以外にどこがあんの?」
「私のお家とか」
「そっちはその内『実家』って名前になる方」
「あら、随分大胆な発言ね?」
からかうような軽やかな声に、霊夢は「おーちょーくーるーなぁー」と紫の両頬を両手で掴んでむにむにと捏ね繰り回す。
ぷにぷにふにふにとした弾力、でもきめ細かな肌の質感はさらさらしっとり。
ずっと触っていたくなるようなこのほっぺの感触もお久しぶり。
霊夢は口許を緩めて紫のほっぺたを挟んで押したり引っ張ったり抓ったりを繰り返した。
「んにゃ、ぅひゃっ」
「にひひっ。うりうりぃ~」
「ちょっ、わぷっ、んにゃんにゃ」
紫は暫くはされるがままになっていたが、その内「もうやめて」と苦笑いをして、霊夢の両手首を掴んだ。
「もーちょっと」
「イヤ」
「ケチケチすんなっての」
ほっぺをまた両手で包んで、引き寄せる。ごちっと額同士を合わせて、紫の頤辺りを猫にするみたいに指先でくすぐる。
紫はくすくすと笑って「くすぐったい」と身動ぎをして。そこで霊夢はふと、極ささやかな違和感を感じた。
それは本当にほんの少しだけ感じた何かで、違和感なのかも怪しいくらいのささやかな感触で。
霊夢は内心で小首を傾げながら紫の頬を撫で上げた。
「うん?」
霊夢の密かな機微を感じ取って、小首を傾げる紫。霊夢は「なんか……」と呟いて違和感の正体を探る。
上手く掴み取れなくて、また紫をぎゅっとしてみる。
してみて、これかな? と微かな手応え。
確証のない曖昧な違和感の正体をなんとなく突き止める。
「もしかして……ちょっと痩せた?」
「霊夢は少しぷっくりしたみたいね?」
「うっさいっ!」
余計な事を言う口を閉じさせる為、その顎に下からアッパー……を食らわしたかったが、流石にそれは泣かせてしまうと思って、指でピンと弾くだけに留めた。でも充分効果は有ったらしい。
紫は「いたひ」と呟いて、ヒリヒリする顎を撫でて口を閉ざした。
「何よ? もしかして、あたしのことが心配で食べ物が喉を通らなかったとか?」
心配性なんだから。と、付け足して冗談めかしに笑ってやろうと思ったら、紫から罰の悪そうな顔。
そこにちょっぴり自嘲的な笑みが微かに交じって零れて来る。
だから笑ってやろうなんてことは出来なくなって、霊夢はただ紫をぎゅっと抱き締めた。
「心配し過ぎだってば……」
「……そうね」
ぐっと抱き寄せて、紫の鼻先が首筋辺りに来る。霊夢の顔も紫の首筋辺り。
肌に紫の呼吸を感じて、自分の鼻先からは紫の匂い。
すごく落ち着く。
いっぱい吸い込んで肺の中の空気を全部紫の匂いに交換させると、胸の奥から甘ったるい液体が染み出すように感じた。
「……逢いたかった?」
こんなことを聞くのはずるいかな。と頭の隅で思う。
だって、答えは知ってる。
それでも紫は小さく頷いて答えてくれた。
「えぇ。秋の内に、霊夢をたくさん感じたかったの」
「ん……」
同じ気持ち。嬉しくて背中を何度か撫でてやる。
重なっているほっぺ同士を擦り合わせると、お互いの髪がお互いの肌を掠めた。
あったかくてくすぐったい気持ちになっていると、今度は紫から問われる。
「逢いたかった?」
少し距離開けて、顔を向き合わせて聞かれる。
答えなんて知ってるクセにって思うけれど、さっき自分も同じ事をしたから。
「ん。そりゃあね」
素直に認めてやって。でもやっぱりちょっと照れ臭くて、誤魔化しにくしゃくしゃと頭を撫でてやる。
まるで犬猫にするみたいに、思いっきり。
猫っ毛で、ちょっとクセがあって、でも柔らかくて、相変わらず指通りの良さ。
ふわふわってしてるのに、さらさらって滑らかなに指の隙間を通って行く。
一週間ぶりの撫で撫で。
だから調子に乗って、くしゃくしゃわしゃわしゃと存分にしまくる。帽子が落ちたけれど気にせずに。
「ちょっ、霊夢っ」
「よしよ~し。紫ぃ、良い子にしてた~?」
「犬じゃな、もぉ、こらっいたた」
「あはは」
霊夢は声を立てて笑って、でもやめない。
髪の毛が絡まるとか痛いとか言うクセに全然抵抗しないのが悪いって事にして、暫くの間続ける。
そうしたら髪の毛がボサボサになった、涙目の紫と対面する事になった。
「ははっ。何も泣く事ないじゃない」
それなりに痛かったらしい。ゴメンと謝るが、笑いながらじゃ誠実さなんて伝わってくれない。誠実さなんて込めてなかったから良いけれども。
そんな悪びれない霊夢に、紫は「もぉ~」と頬をちょっぴり膨らます。そうしながら手櫛で自分の髪を簡単に直した。
「せっかく朝から綺麗にして来たのに……」
「悪かったってば」
別にんなコトしなくても、いつも綺麗ですよ。なんて言葉を霊夢の口から出る筈も無く。だから代わりに、そんな不器用な唇は寄せるだけにしておいた。
筋の通った綺麗な鼻梁を通って、鼻の頭に唇で食むように柔らかくちゅっとする。
紫は一瞬きょとんとして、どうしたの? っていう意味合いを含んだ眼差しを投げてきた。
「……ここ、外だけれど?」
「いいじゃん別に。あたしとあんたの関係なんて、もう幻想郷中が知ってるんだし」
「それは貴女が、んっ」
なんか余計な事を言われそうだったので、言葉の途中で口付けして止める。
紫の言葉をちゅって音で掻き消したら「こぉーら」と緩く怒られた。まぁ、そんなの怒らた内に入るわけもなくて、そして紫がこんな程度の悪戯を気にするほど心の狭い奴じゃないって事も知っているわけで。
だから霊夢はただ子供みたいに「へへ」と笑う。それから、紫の首根っこに腕を絡めて目を細めた。
子供じゃなくて、博麗じゃなくて、「れいむ」って名前の女の子の視線を、紫色に注ぐ。透き通っているのに、深すぎて底まで見えない紫紺色の瞳を、何の躊躇いも無く覗き込む。
女の子の視線は紫色に染まって恋しいって名前に変わって。そんな眼差しを紫へ向けると、喉の奥で笑う音が一つ。
口許は笑みの形なのに、そこから紡がれる言葉はちょっぴり意地悪な問いだった。
「言葉? 唇? 指? 眼差し? 心?」
「……わかってるくせに」
「えぇ、勿論。でも、その可愛らしい口から聞きたいでしょう?」
「意地が悪いっつぅーの……」
でも、今は答えたげる。全部要るけど、まずはその唇が欲しいって。
そんな回答に、紫はまた小さく笑みを漏らすと、霊夢の額へと唇をそっと押し付けた。
「んっ。そこじゃない~」
「じゃあ、こっち」
今度はほっぺに。仄かに吸われて、灯される熱、ちょっとだけ。
ぷくってフグみたいに頬を膨らませたら、逆の方を柔らかく食まれた。
「食べるなっての」
「ここじゃ食べないわよ」
「う? 別にいいわよ、ここでも」
「……背中痛くなっちゃうわよ?」
「へーきへーき。紫の上に乗るから」
「……私が痛いから嫌」
そう言いながら、鼻の先をちゅぅされる。
「んふっ。ばかっ、そこも違うってば」
「じゃあこっちは?」
瞼に紫の唇がそっとそっと降って来る。
雪が降って来る感触に似てるって、なんとなく思う。
それくらいに優しくて柔らかくて淡い。睫毛を紫の緩い吐息に震わせられて、霊夢は思わず小さく笑った。
「くっ、ふふ……くすぐったい……」
「じゃあもうちょっとする?」
「いいってばっ。もっ、こらぁ」
いいとかヤダとか言うのに、紫は頤とか首に唇を寄せてくる。
そこもくすぐったい。
耳は、ちょっとぞくっとする。
顔中にたくさんされて、でもされて無いトコロ、いっこだけ。
「顔、溶けちゃうってば……」
そこで紡いだ声は、思ったより力が入っていなくて。ちょっと悔しくなる。
でも喉も声ももうあんまり頑張りたくないっていってるから、しょうがなく目で訴える。
いつの間にか若干うるっとしていた視界に映る、紫の顔。甘ったるくて優しくて、綺麗な微笑み。
「可愛い」
囁く声と、吐息。耳に緩く吹き込まれたら、脳みそがとろり。聴覚もとろり。でも背筋にぞくり。
困って溜息を密かに吐けば、少しだけだけど確かに熱くなっている呼気が漏れて、もっと困る。
その吐息の軌跡を逆流するように辿って、紫の唇が近くに来る。
甘い笑みを形作る、赤い唇。ふっくらとしていて、柔らかくて、なのにこうやって意地悪で。
でも気持ちぃって知ってる口唇。
ピンク色に染まった頬で困った顔をする。でも紫の唇によって酷く蕩けた顔。
霊夢は紫の後頭部に手を回し、しっかりと掴んで引き寄せた。
仄かに目を瞑って、自分から。
一度だけ、ごく短い時間だけ。
でも、こんな状態で重ね合わせてしまったら、もうダメで。
「ゅ、か……り……」
甘えた、情けない声が自然と出る。
子猫が母猫に甘えるように、赤い舌を出してチロチロと紫の唇を舐め上げる。
けれど、紫から零れてくるのは微笑ばかり。
「むぅ……」
むくれて口を尖らせたら、その途端。ふふって笑いながら唇が押し当てられた。
ちゅって音が耳に、唇にはふにゃりとした柔らか過ぎる感触。
「ずるい……」
どうせっていう警戒と、まだなのっていう不満が交錯してるところ。
その僅かな隙間を縫うように、紫は不意打ちしてくる。
でもそんなんじゃ満足できやしないくらいには膨らまされてるから、これも意地悪に他ならない。
「ぐぬぬ……」
悔しさと不服感に思わず唸る。
紫は相変わらず笑ってばかりで「今更でしょう?」と、また意地悪に囁いて。
でも、その声には艶が一滴だけ垂らしてあった。
「ちゃんと大人しく待ってたんだもの。これくらい意地悪しても良いでしょう?」
「いくない。あたしだってちゃんと大人しくしてたもん。ご褒美くらい貰ってもいいでしょーが」
「ふふっ。そうね……」
紫の声に、また艶が一滴加えられる。
その声で「れいむ」って呼んでくる。
耳の中で緩く反響して、脳みそに届いた瞬間に、じわりと目尻が熱くなった。
(その呼び方、好き……)
すごく、好き。
甘くて柔らかい、紫の声。
紅魔館で食べたシュークリームよりも甘いって思う。餡まんとか目じゃない。
でも、砂糖だけの甘さじゃなくて。クリームとか餡子の甘さとも違う。
なんていったら良いんだろう。
(好き……)
そういったらいい? 伝わる?
引き寄せられて腕の中。ぎゅっと抱き締めて腕の中。
お互いの体が、お互いの腕の中。
二つの体を引き寄せて、いっこの蕾みたいになって。
そこに感じる底知れない安堵は、心地良いまどろみみたいで抗えない。
春の陽だまりの中で、うつらうつらするみたいだって思う。
(……ほら。ここがあたしの特等席……)
嬉しくなって、目を細めて思わずくすりと小さく笑う。
油断したわけじゃないけれど、笑って視界が狭まった瞬間に、紫が僅か過ぎる距離を詰めてきていた。
目の前に、むらさきいろ。
金色の長い睫毛が影を落として、夕闇に差し込む朝陽みたいで綺麗だなって、いつも思う。
(言ってやったことはないけど……)
でも、今度教えてあげようかな。って、そうぼんやりと思いながら吸い込まれる。
夕闇と朝陽が交じる中、赤に至極近い黒が混じる。
夕焼け色を塗(まぶ)したような黒曜石だって、前に紫が言っていたなって思い出して、もう忘れる。
距離が、やっとやっとゼロになったから。
「ん、っ……」
ゆっくりと目を瞑って視覚を閉じる。もうそれ以外だけ。感触だけ。
ふにゃりとして、ぷにってして。
酷く柔和なのに、確かな弾力。
紫の長い睫毛が瞼や頬に当たってくすぐったくて、身動ぎをしてしまう。
「ん、ん……は、ぁ……」
くすぐったい睫毛の感触が、ぞくぞくとしたものに変わり始める。
心地良さが広がって濡れた吐息を吐き出せば、薄く開けた隙間をなぞるように紫の舌先がチロリ。
生暖かくて悪戯な舌を唇で軽く食んで応える。
舌を出して触れ合わせて、繋いで。来てよって伝えるようにちょっとだけ吸う。
ちゅるって水音がして、恥ずかしい。けれどそんなの今更だから、あまり気にしないようにした。
驚かさないようにって、緩慢な動作で這入って来る紫の舌。
唇と唇を密着させて、舌と舌を繋いで。
そこで、やっとやっとちょっぴり満足。
不服感も不満感も消えて、あとは満腹になるまで味わうだけ。
「っ、ぁ……ふ、んん……ぁ……」
口内を優しく弄(まさぐ)られる度に、体が震える。優しく吸われる度に、カラダが跳ね回る。
項辺りがゆったりと痺れて来て、脳みそがとろとろに蕩け始める。
ほろ酔い状態に似た、ポワポワとした熱が腹の底に灯って。腰際にはとぐろを巻く何か。
心地良いのに、体の内側に篭る熱の処理に困る。
困るのに、気持ちよくてどうにかするには勿体無いように思えて。
だから結局はまた困るだけで。
そんな熱を感じ取ったのか、いないのか。
きっと紫には解ってる筈だから、多分前者。
紫の手が宥めるように背中をゆったりと撫でてくれる。
でも、紫が思ってるほど、その手は安らぎだけを運んでくるわけじゃなくて。
(っ、ぁ……んっ、ぁ、ぎゃく、こー、か……はっぁ……だって、ばぁ……)
紫の手は優しい感触がするけれど、それと同時に酷薄な程に気持ち良いって時もあったりして。
今みたいな時とか、すごく気持ち良い。
優しくて安心するから、無防備なカラダは余計に神経を剥き出しにする。
「は、んぁ、んっ……ゅ、は、んぅ……ふぁっ……」
角度を少しずつ変えて、繰り返し繰り返し。
唇の輪郭が朧気になり始めた頃、紫がそっと唇を放した。
もうちょっとこのままで……なんて思っちゃったから、紫の頭を掴んで無理矢理引き寄せる。
まだ放したくなくて、まだ放して欲しくない。
そんな風にやや強引気味に齧り付いたら、苦笑したらしい吐息が口の中に吹き込まれた。
「っ、ぁ……ふ、ぅ……」
(ん、んっ……も、笑わないでよ……)
求める気持ちは、とても切実なのに。
拗ねそうになって、でもただ拗ねるだけじゃ悔しいから、今度はこっちから。
笑って半開きの紫の唇の間へ、攻め入るように舌を突き入れる。
口腔へと無理矢理侵入してきた霊夢の異物(した)。でも紫は驚きもしないで、そのまま柔らかく受け入れる。
侵入者を歯列で甘く食んで、自前の舌で絡めて、吐息を纏わせるように緩く吹き掛けて、それで吸って。
「んんっ、ふぇ、ぅぁ、んぅ」
そうやって、いつの間にか返り討ち。
(くそっ、負けた……)
かっこ悪い。悔しい。だから、意地になってもう一回。でもやっぱりダメで。
紫は最後に、今までよりは少しだけ強く霊夢の唇を吸ってから、コクリと混ぜ合わさったものを嚥下した。
喉が微かに動く気配を感じながら、唇がゆっくりゆっくり離れて行く。
水よりは少し粘着性の高い銀色めいた橋、互いの唇を繋いであっさり切れる。
紫はそれを舐め取って、霊夢の濡れた口許を舌先と唇で拭った。
「はぁ、はぁ……ん、ふ……はぁ、はぁ……」
まだ肩で息をする霊夢の呼吸が落ち着くまで、紫はまた霊夢の顔中に緩やかな雨垂れのような口付けを降らす。
すっかり心地良くなってしまった霊夢はそれを大人しく受け入れて、時折お返しのように紫の頬や顎に唇や鼻の頭を寄せた。
「やらしぃ。ここじゃ食べないって言ったクセに」
「あら、食べてないでしょう?」
「食べる為の準備でしょーが」
「まさか」
口付けただけですわ。と、嫣然と笑う紫。
どうやらこんなのジャブにも入らないと、霊夢は悟って。でもこれまでの色んな経験から、それは正しい見解だと導き出す。
紫が本気を出したら、腰なんか簡単に砕かれて。こんな軽口なんて叩ける余裕なんて容易に奪われてしまうから。しかも口付けなんて手段を使うことなく、声や吐息だけでそれをやってのけるのだから、本当に性質(たち)が悪い。
霊夢はそんな妖艶過ぎる妖怪が本気を出す前に、耳許で「えっち」と軽口を叩いた。
「それは貴女でしょう?」
挑発に敢えて乗ってきた紫が、耳許へ口唇を寄せてくる。
覚悟して身構えたのに、艶めいた声が一言。
「れいむのえっち」
そう短く注がれただけなのに腰に来た。
メッチャ来た。
(くっ……また負けたっ……)
しかもカラダがつい跳ねちゃったから、もう誤魔化せないしっ!
「くすっ。感じたの?」
「くっ……うっさい、このエロ妖怪っ」
「誰の所為でこんな風になってんだっつーの!」と付け足して、紫の片頬を軽く抓る。
意外に結構伸びるので、調子に乗って引っ張ったら「いたひいたひ」と掴んでいる手を甲をペシペシと叩かれた。
「ぼーりょくはんたい」
「じゃあ、こーしてやる」
言葉の端に笑いを引っ掛けたような言い方をして、霊夢はぎゅぅぎゅぅっと紫を強く抱き締める。
紫は「苦しぃ」なんて言うも笑っていて、きゅっと霊夢を抱き締め返した。
子供のじゃれ合いみたいだなとふと思ったら、なんだかおかしくて笑いが込み上げて来る。胸の奥から沸いてきたそれを押し留める理由なんて無かったから、霊夢は声を立てて笑った。
「ぷ、くくっ……あははっ。も、なぁ~にやってんだかね、二人してさ」
回廊に座ったまんまで。まだ靴も履いたまま。
ここは外なのにキスして抱き合って。
紫も同じことを思っていたのか、苦笑を零しながら「そうね」と頷いていた。
「そういえば、そこに何か入ってるの?」
「う?」
さっきからぎゅっとする度に当たって痛い。とか言われながら、指を指されて示される懐。霊夢は「あっ」と呟いて、手の平を軽くグーにしたもう片方の手で叩いた。
「ごめんごめん。こってり忘れてたわ」
そうだったそうだった。と、霊夢は全力で忘れていた品を懐から取り出す。
うっかり下手こくトコロだった霊夢は、パチュリーに「上手くやれ」と言われたことも、それに対して自分がとっても強気な発言をしたなんて事も忘れて……というフリをしつつ、嬉々としながら取り出したものを紫に見せた。
「……首輪と……札?」
「そっ♪」
不審そうに品を見定める紫に、霊夢は妙ににっこりと笑って肯定する。
霊夢が取り出した魔女から賜った品というのは、皮製の首輪と、何やら大層な術式が篭もってそうな札が一枚。
札の方は博麗の凄い御札がベースになっているようだが、その上からは霊夢らしからぬ緻密で繊細で複雑怪奇な魔法陣が描かれていた。
一方首輪の方はといえば、艶々とした黒皮製で、白い糸の縫い目がちょっぴり可愛い……けれども、厳つく大きな留め具がそれと奇妙な調和を果たしていた。所謂ところのゴツカワ系である。
紫の額に、冷たい汗が一雫伝った。
「……犬でも飼うのかしら?」
「ううん」
霊夢は極上の笑みを浮かべつつ首を横に振って紫の言葉を否定する。
「じゃあ猫とか?」
「ううん」
これも同じように否定。
うん。そりゃ見れば分かる。どっからどう見ても、その首輪は猫サイズじゃないのだから。
なんでもいいけれども、笑顔が怖い。めっちゃ怖い。きっと霊夢を知っている者が見たら、背筋に凄まじい悪寒を感じるくらいには恐ろしく見える筈である。
だが、霊夢の事を誰よりも知るのは、この妖怪だったりするわけで。
紫は背筋に流れて行く冷たい汗に耐えながら、しかしそれを悟られぬように柔和な表情を作り続ける。
「えぇっと……じゃあオオカミさんとかかしら? その首輪、結構大きいものね」
「それもハズレ」
またも否定。そしてやっぱり笑顔である。
霊夢なそんな顔のまま、いそいそと首輪の留め具を外して解いたベルト部分を広げた。
どうやら内側部分は柔らかなタオル生地が縫い付けられていて、それは縁全体にも施されていた。
なんとも親切な設計の首輪である。
「んな陳腐なもん飼わないわよ。大体動物の世話って面倒だし」
「そうかしら? 確かに世話は大変かもしれないけれど、それ以上に可愛いものよ?」
家にもそれはもう可愛い化け猫ちゃんがね……と、紫は言葉を続けるが、霊夢もいそいそと準備を進める。
霊夢は「うんうん」とやっぱり笑顔で紫の言葉を頷くようにして左から右へと流しながら、広げたベルトを紫の首にぐるっと回した。
「案外良いものよ。癒されるし、冬は温かいし」
「そっかぁ。でもいらないかなぁ~」
あははうふふ。と、和気藹々にお話をして。
まぁ、勿論そんなのポーズである。そんなポーズを取る意味があるのかも分からないが。
そして会話は、霊夢が首輪の留め具を嵌める『カチッ』という硬質な音を合図に、唐突に途切れた。
「…………」
「…………」
紫はにこっと笑顔。霊夢のニコニコと笑顔。
笑顔のまま無言の時間が少々流れていく。
「えっと……」
「うん」
にこにこ笑顔を浮かべる霊夢。
いつもそうしていれば可愛いのに。なんて今言う事ではないというのは明白だったので、紫も言わない。
でも流石に噴き出す冷や汗を隠すことが難しくなってきたらしく、紫の頬へと一筋の汗がつつっ……と流れた。
「どうして私に嵌めるのかしら?」
首許を拘束する皮の感触と、冷たい金属の感触を感じながら、紫は小首を傾げる。
霊夢は「えぇっとね」と言いながら、紫に嵌めた首輪部分に指先でちょこんと触れた。
そこへ若干の霊力を注がれように感じて、紫は自分の首許を見ようとする。しかしそれは物理的に無理だったので、代わりに霊夢の手元を見た。
霊夢の手の中には、霊力で紡がれた太い糸のような物が伸びて首輪に繋がっていた。まるでリードだ。
また紫の頬に、こめかみから伝ってきた冷や汗が一筋。
「今年は監禁ごっこでもしようかなっていうか」
「……はい?」
おっと、何だか不穏な言葉が聞こえたような気がしたなぁ。いや、きっと聞き間違いに違いない。絶対にそうに違いない。
紫はそう思ってもう一度問おうとしたが、その前に霊夢は持っていた札を投げた。
札は窓の隙間から家の中へと侵入し行く。
霊夢の指先がちょこちょこ動いて札を操作し、最後に印を結ぶ。瞬間、家全体を包む磁場のような物が発生した。……ように、紫の肌は感じた。そうして、きんっと冴え渡るような霊力の波動を持って、家を薄い壁のようなもので覆われる感覚。
「えっと、どうして結界を張ったのかしら? しかも、なんだか物凄い凶悪そうな結界なのだけど……」
もういい加減笑顔を取り繕うのも疲れてくる。
そんな紫に霊夢は「えへへ」と可愛らしい笑みを浮かべ。
「よしっ。準備おっけー。さ、始めましょっか♪」
だがしかし、可愛らしいと思ったもの束の間。
次の瞬間には実に獰猛な、神をも恐れぬ霊夢らしいっちゃとても霊夢らしい不敵な笑みがそこに浮かんでいた。
これには紫も笑みを崩さざるを得ない。
「は、始めるって何を!?」
「言ったじゃない。監禁ごっこよ」
「う、嘘でしょう?」
「残念。これがまた本気だったりするのよねぇ~」
そういう霊夢は、本気の一端を見せるように、首輪から伸びる霊力の紐で、紫の両手首を一つに纏めてみせた。
「い、いや、さ、流石にそれはマズイというか嫌というか……」
じりじりと退行する紫。それに合わせて霊夢もじりじりとにじり寄る。
靴は足を振り抜くようにして彼方へとほっぽるようにして脱いでいる辺り、霊夢さんはとても余裕で冷静であった。
紫は引き攣った笑みを浮かべながら後退していたが、後ろは直ぐ壁だったりして、背中が当たってしまった。
冷や汗で濡れた服の感触が気持ち悪いとか思っている場合ではない。
もう逃げ道は横か前しかなくなってしまっている。
そんな逃げ道も、霊夢は両腕を紫の体の両脇へ伸ばし、壁へ手の平をぴったりと合わせて封じた。
「に・げ・ん・な ❤」
にぃっと楽園の巫女、いや、鬼巫女が笑う。
「っっ! む、無理無理! こんなのむっ、ちょっ、ダメっダメダメここおんもだってばぁ!」
たすけてぇ~! という声は、残念ながら結界に阻まれて神社の外には届かなかったのであった。
スキマ妖怪の運命やいかに。
To be Contienued...?
これがゆかれいむの力か!ビクンビクンしちゃいます。
しかし続きは本…ですか。
凄く気になるけどいけそうもないのが辛い。
ので90点で!
続き見たいぜ…
ただセリフと地の書き方に区別がなくで非常に読みづらい。
ショートならともかく比較的長めのSSなら地の文頭一文字空けよう。
続きを手に入れることができるかな?
頑張っては見ますが…
ゆかれいむ!
始めから知っていればそれを覚悟で読むか読まないか選べますが、
ここで読み終ってから続きが本って分かるのは卑怯な気がします。
今後は名前避けさせていただきます。また同じ手口を使われるかもしれないと思うと怖いので。
読んだ人全員が買いに行ける訳じゃないんですよ?
こっちが赤面するくらいの糖度の高さには、もはや潔さを感じる
ss読んで恥ずかしくて穴に入りたい気持ちになったのは初めての経験ですw
続きはローカルでとかなんだよそれ。
ここまでを一つの作品と見れば続きがあっても別に問題ないです
未完SSとか腐るほどあるし
しかし、続きは本でって……
注意書きがほしかった
でも続きが読めないとは・・・委託がないと読めないよ(´;ω;`)
ニヤニヤが止まらない。
しかし続きは...
続きは本ってあまり気にならないなぁ…ちゃんとオチてるから、この話としては終われてるし