三
リグルと正邪の関係はそれからも続いた。その日も、正邪はいつも通りにリグルに会いに来て、軽く世間話をした。そして、急に真面目な顔になって、リグルに話を切り出した。
「リグル、実は手伝ってほしいことがあるの」
「何、どうかしたの?やぶから棒に」
「私が弱者の救済のための活動をしているっていう話、したよね」
「ええ、そうね」
「それで、ある重大なものを発見したんだけど、私一人では手におえなかったのよ。それで、リグルの手を借りたいんだけども」
「私にできることだったら力になるわ。一体何を見つけたの」
正邪は顔をリグルの顔に近づけた。そして、声を潜めて語りだした。
「リグル、かつて、蟲が幻想郷で力をもっていたことは知っているよね。それじゃあ、蟲の勢力が弱まった理由を知っている?」
リグルは顔を曇らせた。そして、少し黙ってから答えた。
「私がここに来たときには、既に蟲妖の力は弱まっていたわ」
「リグルが知らなくても無理はないわ。実は、幻想郷には隠された蟲の歴史があるのよ」
「どういうこと?」
「昔、幻想郷には蟲を率いるリーダーがいたの。その妖怪は数々の蟲妖を率いる強さとカリスマをもっていた。蟲妖がかつて恐れられていたのは、この妖怪の存在があったからと言ってもいいくらいにね」
「その妖怪って一体誰なの?」
「それが、ある理由により、名前などが分かっていないの。分かっていることというのは、少女の姿をしていたことと、蟲妖を率いていたこと、そしてどこかに封印されているということだけ。そもそも、この妖怪の存在を知っている者もあまりいないの。その数少ない者たちからは『女王様』と呼ばれているわ」
「封印?その『女王様』っていう妖怪や蟲妖たちに一体何があったの」
「女王はあまたの蟲を引き連れて大暴れしたことがあったらしいわ。それで人間たちが蟲と戦い、女王は敗北してしまったの。ただ、女王はあまりに力が強かったので殺されはしなかったのだけど、特殊な封印を施されてしまったらしいわ。その後、蟲妖の生き残りは地底に追いやられたそうよ。しかも、女王の跡目争いが起きたらしく、その影響で蟲は没落してしまったらしいわ」
「それで、女王の名前が分かっていない理由ってなんなのよ。もしかして、その特殊な封印っていうのが関わっているの」
「流石、リグル。そのとおりよ。人間たちは女王を殺せなかった。だから、封印することにしたのだけど、それだけでなく、封印に二つの仕掛けをしたのよ。一つは、女王が封印を破れないように、徐々に女王を弱体化させる術。もう一つは、誰かが女王の封印を解かないように、女王の存在を忘れさせる術よ」
「なるほどね。でも、それじゃ、誰もその女王のことを覚えていないんじゃないの?」
「ごく一部だけど、女王の存在を覚えている妖怪がいたのよ。女王の力が強すぎたから、封印の効果が完全ではなかったみたいでね。私はその妖怪たちから話を聞くことで、女王の存在を知ることができたわ。私たちが女王の封印を解けば、きっと女王は私たちの強力な味方になってくれるはずよ」
「でも、封印の場所が分からないんじゃないの?」
「それも既に調べがついているわ」
「すごいわ、正邪。でも、そんなに調査をするなんて大変だったでしょう。私の能力を使えば、もうちょっと調査が楽になったと思うわ。私の配下は難しいことはできないけど、簡単な情報収集くらいはできるもの」
「いえいえ、リグルの手を患わせるほどのことではないわ」
「そんなに謙遜しなくても。今度、調べ事があったら、私に声をかけてね。蟲を動員するわ」
正邪は
「そうね。今度、何かあったらお願いするわ」
と微笑みながら言った。そして、「今度があったらね」と小声でつぶやいた。
「え、何か言った」
「ううん、何でもない」
「そういえば、私に頼みって?」
「ええ、実は、封印のありかは分かったのだけど、その封印を解くのに、どうやらリグルの力が必要みたいなの」
「私の力?『蟲を操る程度の能力』のこと?でも、それが封印に必要ってどういうこと?」
「いや、リグルの能力、というよりも、リグルの役目が重要って感じかな。リグルの蟲を統べる立場が重要なの」
「なんだかよく分からないわ」
「封印されている妖怪がかつての蟲の統率者だったからね。まあ、来てみれば分かると思うよ」
「ふうん。そういうものなのかな。まあ、その場で分かるならそれでいいわね。それじゃ、早速出発するの」
「もう遅いから明日にした方がいいわ。おそらく、封印を解除するのには結構時間がかかるしね。だから、待ち合わせをして、そこから封印がある場所に行くことにしましょう」
「待ち合わせ場所はどうする?」
「そうね、私は特に考えてないけど。リグルはどこがいいかな」
「それじゃ、あの池にする?あの、二人で蛍を見に行った池」
「ああ、いいね。そこは都合がいいわ。そこにしましょう」
「決まりね。そういえば、何か必要なものとかはあるの」
「いいえ、私は色々と準備しておくけど、リグルは身一つで来れば問題ないわ」
「分かったわ。何だか最近平和で暇だったから、ちょっと楽しみ」
その後、二人は待ち合わせの時刻を確認して、それから別れの挨拶を交わした。
次の日の夜は新月だった。リグルが待ち合わせの場所に現れたときには、既に正邪は池の近くにいた。池には蛍はいないため、正邪がもっている提灯の明かりがなければ、辺りは真っ暗だっただろう。
「ごめん、待った?」
「大丈夫。リグルが待ち合わせに少し遅れても問題ないように、早めに設定してあるからね」
「えー、ひどーい」
「ごめんごめん。ところで、その荷物は?」
リグルは手提げ鞄をもってきていた。
「何も持ってこなくていいって言われていたけど、蟲たちに果物を集めさせておいたの。果物っていっても大したものじゃないけどね。それよりも、正邪の荷物、一体どうしたのよ、それ」
正邪はリュックサックを背負っていた。リュックサックは正邪の小さな体には不釣合いに大きい。
「封印の解除には色々と道具が必要なのよ」
「重そうね。ちょっと持とうか」
「そうね、それじゃあ」
そう言うと、正邪はリュックサックを下ろした。そして、中から細長いものをいくらか取り出して、リグルの前に置いた。
「これって蝋燭?もしかして、頭に付けて、木に藁人形でも打ち付けるの?」
「身にはつけないけど、儀式に必要なの。あ、あとこれもお願いね」
正邪は一巻の縄も取り出して、リグルの前に置いた。
「ふうん。全部は持てないけど、これくらいでいい?」
リグルは縄を腕に通して肩にかけ、蝋燭をいくつか両手で抱えた。
「ありがとうね。落とさないように気をつけて」
正邪は残った蝋燭をリュックサックに戻して、再び背負った。
「それじゃ、行きますか。正邪、案内して」
「ついてきて」
正邪は飛び上がった。リグルもそれに続く。眼下には木々の影がうっすら見えていた。
「そういえば、行き先を聞いていなかったわ。どこに行くの」
「無名の丘よ。そこに封印があるわ」
「無名の丘って鈴蘭がいっぱい生えているあれのこと?確かにこの近くにあるけど」
「そうよ」
「地底とかに封印があるのかと思っていたわ」
「地底には蟲妖がいるからね。あえて辺鄙な場所に封印をしたらしいのよ」
「へえ。でも、あそこに何かを隠せそうな場所なんてあったかしら」
「隠し場所は術で分かりにくくなっていたの。だから、探すのに苦労したわ」
「そういえば、あそこに確か付喪神が住んでいたはずだわ。見つかると面倒よ」
「大丈夫。この日は毎月、用事があるらしくて留守にしているのよ」
「正邪ってすごいのね。何もかも調べ尽くしている」
「いえいえ、それほどでも。あ、着いたわ。ここらで降りましょう」
二人は無名の丘の近くに着地した。月が出ていない闇夜のはずなのに、リグルには丘に生えた鈴蘭が薄く光っているように感じられた。
「封印があるのはこっちよ」
正邪が指をさした方向は無名の丘の近くでも一際寂しいところだった。リグルは正邪に従ってついていく。少し歩くと、正邪が立ち止まった。
「この穴よ。この下に地下室があって、そこに封印があるのよ」
リグルが見ると、確かに竪穴があった。穴はそれほど大きくなかったが、荷物を抱えていても入るのに支障はないようだった。穴からはほんのりと明かりが漏れている。
「何だか不気味ね。何か光っているし」
「中には封印があるだけよ。その封印しているものが光を発しているの。ただ、ちょっと深いので、気をつけて降りましょう」
「分かったわ」
まずは正邪が穴の中に入り、それにリグルが続いた。穴の内壁は土ではなく、何か硬いものに覆われていた。穴の中は少し明るかったが、二人の出す音以外には何の音もしなかった。二人は穴の中を垂直に降下していく。
「確かに深いね。もしかして、さっきの穴は何かの口で、下は怪物の胃袋に繋がっている、なんてことはないわよね」
「まさか。もしかして、リグル、怖いの」
「こ、怖くないわよ。妖怪が怖がってどうすんのよ」
「そうよね。ごめんごめん。リグルが怖がりなわけないよね」
「そりゃそうよ。当たり前でしょ。そうじゃなきゃ、吸血鬼になんかけんかを売らないわ」
「吸血鬼?」
「前に吸血鬼と弾幕勝負をしたことがあるのよ」
「すごいわね。それで、結果はどうだったの」
「まあ、余裕で負けたけど」
「それは……まあ、うん。残念だったわね」
「あの吸血鬼ずるいのよ。従者をつれていたのよ。実質二対一だったわ。しかも、その吸血鬼、見た目が幼かったからつい油断しちゃったし、もうあれは恙虫を使ってもよかったくらい……」
「あ、リグル、地下室に着いたわ」
二人は着いた場所は、なかなかの広さのある部屋だった。部屋は穴の内壁を覆っていたのと同様の素材で覆われていて、二人の入ってきた穴以外に出入り口はない。部屋の形は長方形で、リグルたちが入ってきた穴は壁面にあった。
そして、その穴のその反対側の壁には石碑があった。石碑のある辺りは一段高くなっていた。石碑には光る文様が刻まれていて、リグルには何が書いてあるのか理解できなかった。リグルは石碑の前に立ち、足元に荷物を置いた。石碑はリグルの背よりも遥かに大きかった。リグルは石碑を見上げながら言った。
「あの石碑に女王が封印されているのね」
「そうよ」
「それで、私、何をしたらいいの。何か、すごく難しそうだけど、本当に私、役に立つの」
正邪はリグルの後ろの方で何やら音を立てていた。リュックサックから何かを取り出しているようだった。
「大丈夫よ。とりあえず、今は準備が終わるまで石碑を見ておいて」
「見ておいてって……、これ何が書いてあるの」
「今では読める者の少ない古い文字よ。既に解読はしてあるわ」
「ふうん。それじゃあ私が見ても意味がない気がするわ」
「あ、今、準備が済んだわ」
「早いわね。それで何をしたらいいの」
リグルがそう言った直後、リグルは突然に自身の背後に何者かの気配を感じた。リグルには、それが前触れもなくそこに姿を現したように感じた。そして、その何者かはリグルの耳元で言葉を発した。
「簡単なことよ。ちょっとばかし眠っていればいいのよ」
「え」
リグルが振り向くと目の前には正邪がいた。正邪の見開かれて爛々とした目と、振り上げられた手がリグルの目に写った。掲げた手にもっていたのは装飾の施された小槌だった。
「正邪、あなた、一体何を」
正邪はリグルの頭に小槌を振り下ろした。