Coolier - 新生・東方創想話

系外付喪神

2026/06/06 22:48:27
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 この星最後の生存者は筆記用具を落とした。
 「彼」は机の上に頭をうつ伏せに乗せた。最近は起きているときの大半視界が揺れている。おそらくは重度の栄養失調によるものだろう。自分の目のせいで酔いが引き起こされるから、目眩が起こると回復するまではこうして耐えなければいけない。
 残り僅かだろう寿命の浪費に「彼」は焦っていた。なぜ焦ることがある? 自分がどんなに怠惰に生きようともそれを咎める者はいない。どんなに怠惰なまま死のうとも非難する者はいない。
 危機ではなく後ろめたさから来る焦りとは、体面に由来するものなのだろう。そう分析することで「彼」は自身の焦りにむしろ納得がいった。雪球人は最後の一人に至るまで孤独ではなかった。まだ見ぬ、そして見ることはないだろう「緑の星」とその衛星の民に恨まれまいとすべく焦っている。
 視界がある程度は回復したから「彼」は這って部屋から出た。
「私が使命感に満ちあふれた雪球人でよかったな、『緑の星』人よ……」
 実際には使命感に満ちあふれているのではなく、使命感と全てを投げ出したい絶望感の間で、辛うじて前者が優勢故に動いているのだった。ただ、極限の飢餓と滅亡の中でも未だ使命感により行動を起こしたこと、そして後世の人間が歴史として称揚するのはまさしくこの行動の側のみであること、この二点を鑑みるに、「彼」が雪球人最後の英雄であったのは間違いないことだった。
 ただし、この英雄は成功する星の元には生まれていず、失敗する星の上で死ぬ運命であった。「彼」は星の運動を止めたかったが、止めるための手段を知らなかった。機械を壊せば止まるか? 雪球人と地球人、それぞれの文明で共通する原則、機械は殴打すれば壊れる。「彼」は地球で言うところのバールのようなものを装備していた。
「登りか……」
 彼は内心で不平不満をこぼした。かつて専門の技師が作業していたという管制室に向うためには階層を登る必要がある。この手段が梯子や階段ではなく坂なのは先人の配慮……ではなく車両を通す可能性を鑑みてのことだが(この星にも車輪はあった。むしろ時系列としては地球で再発明された道具である)、ともあれ「彼」は先人の設計の恩恵に浸かってはいた。問題は、坂を登る動作ですら今の「彼」には深山に挑むが如き苦行だったということだった。
 「彼」は登りの途中で再び目眩を起こして倒れた。そして這いながらも更に僅かに進んだがそれで前進を停止する。
 回復を待ちながらも「彼」は悟った。これは片道の旅だ。もし目的地に辿り着いたとしても居住地、現時点で唯一食料補給設備(時折僅かに残滓が排出される)が生きている地に帰還することはできない。
 もしも手に持っている鈍器を食えたのならば、と「彼」は考えた。こういうときに考えるもしもは全て飢えを凌ぐ手段だ。孤独を凌ぐ手段ではない。食欲の方が優先される本能ということなのだろうか。ただ、それは孤独が恐れるに足らないということではない。「彼」は孤独を恐れていて、だから他の星の誰かが孤独になるかもしれないという、子供の時に博士から聞いたことを恐れていた。「彼」は歩みを再開した。
 食欲は孤独よりも優先される。だから餌になる同族を籤引きしてでも雪球人は今日まで生き延びてきて、その結果として「彼」がいた。星を止めるという利他のために人生を投げ売っているのは「緑の星」への弁明でもあると同時に自分が糧にしてきた同族への贖罪でもある。
「ああ……」
 「彼」は幼少期、博士の話を聞いていたときに自分の隣に座っていた同級生のことを思い出していた。昔もっと人口がいた頃はなるべく他人の肉が配給されるようになっていたらしいが、「彼」が生きたのは知り合いを食べなければならない時代であり、故に極力思い出というのを作らず想起もしない、そういう防衛機制を編み出していた。それが今「彼」は自身の栄養に消えた人の顔を思い出してしまっている。酷くなる目眩に加えていよいよ限界が近い。
 「彼」は今までにこの星に生きた者全てを背負い道を歩んだ。それは雪球人最後の王に用意された花道ではなく、最後の罪人に設定された懲役だった。「彼」が道を歩み、何かをする、あるいは何もできないという結果を遺すことで雪球人の罪は赦される、少なくとも雪球人の歴史の中では。
 「彼」は縋るように管制室の扉に体をかけてそれを開けた。倒れながら部屋に入るとまた酷い目眩に襲われて「彼」は床に頭をつけた。


***


 蜂の巣だ、と五人中五人が最初に思った。地球で蜂の巣構造が効率的なのと全く同じ理由で宇宙の他の場所においてもハニカム構造は一つの完成形だった。この宇宙船のメインコンピューターは銀色の六角形の区画を基準として基板や放熱用の空間を配置している見た目だった。
 蜂の巣はやや平たいドームの形で、大量の触手がその外周から放射状に出ていた。ディスプレイの付喪神が他のディスプレイに「憑依」して移動する性質を持っていたのに対して、この付喪神は物理的手足を持っているタイプのようだった。ディスプレイが船内各所にあるのに対して中枢は一個しかないという違いによるものだろう。
 ただ、部屋の中央に定位置に収まっていることや移動痕のない床の状態からするに、実際に移動したことはほぼなさそうだった。
「誰だ……緑の星の住民か」
 それは流暢な日本語を話した。ディスプレイの付喪神曰く「彼ハ頭ガイイ」。ただ、知能が高いだけではなく発音能力もかなりのものなようだ。
「ええ、私達は地球じ……人ではないけれど地球から来た者です」
 メインコンピューターの付喪神とディスプレイの付喪神が現地語で会話を交わした。自分の要求拒絶を伝えなかったのかというメインコンピューターの問いに対する、伝えたが直接改めて交渉するとの返事だったというディスプレイ側の弁明である。
「つまり説得により懐柔されうると私は思われているわけだ。しかし、残念ながらそうはならんよ。ということをこやつは長い付き合いだから言わずとも感じ取っているが」
 メインコンピューターの触手がディスプレイの周りを囲った。
「初対面の君達にそれを求めるのは酷というものだろう。だからはっきりと言う。私は最早全てがどうでもいいのだ。君達の星の命運もだがそれ以上にこの星が、だ」
「それは、この星に生きていた人達が死に絶えてしまったから……」
「そいつらこそどうでもいい」
 言葉と同時に触手が一本勢いよく部屋を横切ったため五人は攻撃の可能性を警戒して防御の姿勢をとった。が、それは攻撃ではなく「指差し」だった。出入り口のある面を除き、この部屋の各壁はディスプレイやボタンで埋まっていたが、触手はディスプレイの付喪神が今いる面と反対側の壁のうち床に近い一点を指していた。
「ここに擦ったような傷があるだろう? かつてこの部屋で一人の・*+、君達の言語で直訳するならば『雪球人』だろうかが息絶えた。最後の雪球人だ。問題は傷の原因で、その雪球人は壁の機械を壊そうとしていた。手に持った硬い道具で殴ったのだ」
「それは、どうして?」
「閉じ込められて脱出しようとした?」
「逆だ。逆というのはそいつは外からこの部屋に入り、出ようと思えば出れるのにも関わらず破壊活動を試みて、そしておそらくは餓死により息絶えた、ということだ。文明が崩壊してたのだから飢え死にしたことの方は不思議ではない。ここで考えるべきはそいつはどうして命を賭してまで破壊活動に勤しんだのか、ということだ。そいつはもう死んだから正答を聞くことは叶わないが、小声で言っていたことから推測できることがある。それは、本来の標的は私だったということだ」
 冷淡というものは地球だけでなくこの星にもある、ということを五人は感じ取った。この付喪神の声は惑星の地表に吹く風よりも冷たく部屋を走り去っていった。
「その先、なぜそいつは私を壊そうとしたか、なぜそいつの試みが失敗して私が生き延びたのか、そんなことはどうでもいい。結局はたまたまだ。たまたまの結果我々は付喪神として目覚めて、雪球人の使命を受け継ぐことになった。私を殺そうとした種族の使命をな。叶えてやる義理などあるまい」
「雪球人に貴方が恨みを持っているとして、その恨みのために状況を変えなければ貴方達も苦難の道を歩むことになる」
「我々の科学力を甘く見るな。その気になればこの星に被害を及ぼすことなく『第四惑星』を軌道から弾き出すことなど容易に調整できる。もっとも調整をするつもりがない、という意味なら確かに君の言う通りではあるが。これもまた『たまたま』だ。本来我々はとうの昔に死んでいるべき存在なのだ。言っただろう? この星の命運なんぞ君達『緑の星』以上にどうでもいい」
 メインコンピューターの付喪神はトロッコのレール上にいる五人、否、無数の地球人と恐らくは月の民、そして自分達自身をも分岐を切り替えることなく見殺しにする判断をした。思考実験であるならばそれもまた一つの倫理観の発露ではあるが、この場合、分岐を切り替えた先にあるのは「全員助かる」という道なのだ。
 純粋な損得勘定でいえば最悪の選択肢であり、だからこそ、宇宙全体でも最高級の頭脳を有しながらその判断に至った傷の深さに地球からの使者達は畏怖した。
 しかし、畏怖しながらも交渉は進められなければならない。特にこの付喪神の独白に怒りを覚えた者が噛みついた。運命の寵児、レミリア・スカーレットである。
「運命はカードを混ぜた。でも、くばられた手札で勝負するのは我々の側なの。お前がやっているのは勝てるかどうかの検討もせずフォールドするという愚策よ」
「君達の星の遊びか何かの話かね」
「分からなくても結構。どうせお前が降りるというならこっちは勝手にコールするかあるいはレイズするかだから。いや、そこの板の付喪神」
「……私カ?」
 ディスプレイの付喪神は若干の間を空けて応答した。
「そこの蜂の巣みたいな付喪神に何か言うことはないか?」
 また少しの沈黙の間があった。ディスプレイの付喪神はやや動揺したのだ。そういう素振りを一切見せないこの使者が自分の心を読んだように思えたから。
「気ニナッテイタコトガアッタ」
「私にか。私と君の会話なら『緑の星語』を使う必要はないと思うが」
「コノ人達ニモ聞イテ貰ウ必要ガアル。最後ノ、アー、雪球人、ノコトダ。彼ハ確カニココデ死ンダガ、死体ガナカッタ。聞カナカッタカラ謎ノママダッタガ、君ガ片付ケタノダロウ?」
「そうだ。それがどうしたというのかね」
「少シ前ニ死体ヲ見ツケタンダ。|^〒|、緑ノ星ノコトバデハ」
「死体置き場、かな」
「ソウ、死体置キ場デ。新シサカラシテ最後ノ死体ダッタ。本当ハ、アノ死体ハドウトデモデキタ。エンジンニ放リ込ンデ燃ヤスコトダッテデキタシ、工場ニ放リ込ンデ食ベ物ニスルコトモデキタ。デモ君ハ死体ヲ死体ノママニシタ。アンナニ恨ンデイタトイウノニ」
「……」
「君ハ、ソノ頭デスグニ判断シテ諦メタカノヨウニ振ル舞ッテイルガ、本当ハ必死ニ悩ンダ結果ナノダロウ? ダカラ……」
「だから何だという? 私自身にすら分からないのだ。君にも、この緑の星の使者達にも分かるわけなかろう?」
「アア、ソウダナ。説得ニハナラナイネコレハ。デモ君ノ気持チヲコノ人達ニ伝エルコトハデキタ、ナラ話シテヨカッタヨ。強イテ言エバ、分カラナイモノヲ分カラナイママデ終ワラセル、君ニハソウイウ者デアッテ欲シクハナカッタガ。……コノ緑ノ星ノ付喪神カラ『自由』トイウ物ヲ聞イタ。私ニハ使イ道ガマダ分カラナイガ君ナラ使エルダロウニ」
 二人の付喪神は黙った。時折触手が揺れる音のみが微かに聞こえる。
「伝えるべきは伝えたか」
「アア。スマナイナ、説得デキナカッタ」
「謝るべきはこちらの方だ。認識を改めねばなるまい。お前は勝てるかどうか考えなかったのではなく配られた手札を見てなお降りることを選んだのだな。ま、だからといってこちらが譲歩するということもないがね。出番だ」
 レミリアは雷鼓を小突いた。
「は? 言いたい放題言って大事なところは丸投げ?」
「そりゃそうでしょ。交渉人はお前なんだから」
「じゃあ最初だけ仕切ろうとするのやめなさいよ」
 雷鼓はため息をついた。
「仕方ないでしょ、あの立ち回りはお前達にはできない。で、コールするのかしらドロップするのかしら」
「それ、ポーカーか何か? 地球人だからといって全員が全員知ってるわけじゃない」
「じゃあ花札で。なんだっけ鮒だか鯉だか」
「??? あー、こいこい?」
「多分それ……。何青ざめてるの。変わったところにトラウマがあるのね……。うん、前に負けたことがあるなら次は勝つでしょ」
「少し前にも同じことを言われた記憶があるわね」
「で、どうするの、こいこいかふなふなか」
「こいこいの逆は鮒じゃないわよ、あがり。まあ」
 雷鼓は自分の背嚢に手を入れた。
勝負継続(こいこい)
ね。『頭』の付喪神さん」
「なんだ」
「私達の星には交渉や対談に際して贈り物を送る習慣があります。本当は最初にするべきなのですがタイミングを逸してしまっていたのでここで改めて贈らさせて頂きます」
「おそらく、物を贈り合うというのはどの文明にも共通してある風習であろう。こんな状況であるからにして、我々からは贈れる物はないが……。交流として有り難く受け取らせて貰おう。だが贈り甲斐がないとは思わないかね。こんな全てをどうでもいいと言い放つ者よりこやつにでも与えた方がよかろう」
 メインコンピューターの付喪神はディスプレイの付喪神を触手で指し示した。
「いえ、貴方個人にもきっと意義があろうというものです。物を贈るという文化と同じくこれもまた宇宙共通でしょうから」
「宇宙共通の事物……? 周りを覆っている薄いものは包装だな?」
「そうです」
「内側の、先ほどのよりは厚みが多少あるがそれでも薄いものは……。剥けないということはこれが贈り物か」
 付喪神は雷鼓から渡された贈り物、希望の面を蜂の巣ドームの天頂上に掲げて「観察」した。
「何らかの実用物とは思えない。装飾品かな?」
「ええ。『本来』の用途としては能楽という踊りに使われる面です」
「確かにそちらの住民とこちらに元いた住民では体のつくりも全く別物であるから、下手に便利な道具などを渡されるよりはこうした物の方が贈り物としては優れているだろう。が、文化というものこそ宇宙共通どころか同じ星の中ですら違うものではないのかね」
「『文化がある』ということに関してはどの文明でも同じです。地球内の文化の話になってしまいますが、私は元々和太鼓という楽器の付喪神でした。しかし訳あって元の体を捨ててドラムという別の楽器の付喪神として生まれ変わりました。『物を叩いて音を鳴らす』という最もプリミティブな音楽のあり方がどの文化にもあるからこそできたことです」
「死体をどう扱うか、というのも文化ではあるが、この星では最終的に死体は食料になった。ここに来る前に聞いたかもしれないし聞かなかったかもしれないが、こやつが私との話で言っていた『工場に放り込んで食べ物にする』というのがそれだ。非常に奇妙な文化、文化と言えるのかすら怪しい風習だ。こう断言できるのは我々を作りし者の文明ですら本来はなかったはずの習慣だからなのだが。要は文化というのは特に暮らしにも事欠く有様だと極端に変わる壊される決して普遍的なものではないということだが……。君が間違っているということではない。羨ましく思うのだ。我々が失って二度と取り戻せない豊かさを持っていることが」
「失ったのかどうか、それはそちらの歴史を知らない私達が審判できることではありません、が、取り戻せはするし既に一部では実現しているのではと思います。貴方は星の文化に従い最後の雪球人の遺体を埋葬しているのですから」
「歴史書の最後の一ページだけ体裁を整えた、というだけのことだがね。取り返しのつかないことというのはある」
「少なくとも貴方達が文化の担い手としています。それに、埋葬という文化があるならばこれもそちらの星に存在すると確信するのですが、死後の世界はどうでしょうか?」
「実用的機械の付喪神に聞くことではないな……」
 と言いつつこの付喪神は考え込んだ。雷鼓が贈った面の「本来」ではない用途、つまりそれが感情そのものの結晶であるという作用がこの付喪神の精神性を変え始めたのだ。
「ようやく君達の要求が分かってきた。つまりは互いが文化溢れる場所であり続ける、『緑の星』にとっては存続であり我々にとっては再生、このためにはこの星自体を無理矢理侵入させるよりは『第四惑星』に我々が最低限の設備で入植した方が好ましいと」
「そう考えて頂いて結構です。そしてそのためにそちらに魔力の交換をして頂きますが、安全は保証します。そもそも私達が魔力交換による生き残りを経験した付喪神ですので」
「確かにそれは信じるに値するのだが……。現状の条件では飲めない」
「それは……どうしてですか?」
 雷鼓は落胆の色を隠せなかった。この付喪神に希望を与えることには成功したはずなのだ。だから提案を理解してもらえて「信ずるに値する」とまで言葉を引き出している。なのに肝心の結論がイエスではない。
「君達、あとはこやつと話していて一つ要求ができた。最後の雪球人の遺体を『第四惑星』に埋葬したい。君達が用意した魔力交換先の探査機は見せてもらっているが、人や荷を積む機能は見たところないな? それが用意できれば、だが」
「一度戻れば……」
 ここで、どういうわけか今の今まで軽視されていた問題、乗ってきたロケットは着陸時壊れたので現状帰る手段がないという問題が持ち上がった。そもそも、元々「遠くに行くための手段がない」という理由で一度ロケットを他の星に転送するという回りくどい移動方法を採用しているのだから仮に戻れたとして要求通りのロケットは用意できまい。
「ここまで合意できてるというのにあと一歩のところで!?!?!?」
 雷鼓は感情をむき出しにして頭を掻きむしった。とてつもなく悔しい。これが無謀な要求というのなら一蹴するが、遺体の埋葬が必要である、というのは非常に筋が通った要求だ。確かにそれをしなければ付喪神が去って航海士を失ったこの星で雪球人は永遠の宇宙漂流を続ける羽目になってしまうのだから。
「結局、我々の間の距離はあまりにも遠かった、ということか……」
 メインコンピューターの付喪神の言葉にも悔しさが滲み出ていた。元々の諦念のみだったころからこの感情を得たという点において意義があったとは言えなくもないが、この状況においてそれは慰めではなく残酷さを加速させるものでしかなかった。
 重々しい空気の中、予定調和に星は火星軌道への突入を続けた。
「お嬢様……」
 そんな中、咲夜がレミリアに小声で話しかけた。
「何かしら」
「お嬢様ならどうします?」
「この状況で何か策があるならもう喋ってるわよ」
「いえ、問いの前半が抜けてましたね。他の星に侵略をしかけて目当ての星の近くにまで着きましたということで」
「私のことを宇宙海賊か何かだと思ってる?」
征服者(コンキスタドール)
と。それより問いの続きですが、そういう状況下で最初から本隊突入、とするのかな、と」
「流水を越えられないのだから新大陸なんて行かず慎ましく過ごすわよ……。ああ、質問に関しては確かに咲夜が引っかかってる通りなのかもね。まずは先遣隊を……。あ」
 レミリアはメインコンピューターの付喪神めがけて突進した。
「どうした!?」
「この星の設備について質問があるわ!! 例えば目的地の事前調査が必要になったとか、道中別の文明の宇宙船と遭遇したとか、そういう事態に備えて星そのものを飛ばすよりは取り回しのいいロケットが配備されてるんじゃないの!?」
「そんな記録はない……。いや」
 論理的に考えればレミリアの考え方の方が自然だ。確かに記録はないが、旅路の中で文明が崩壊し縮小していく中で完全に記録が残っているわけがむしろないし、それこそ「あったほうがいい」とか「必要になるかもしれない」などという最低限の外側にあるものなどかなり早い段階で忘却されていただろう。
「〆+々:〒+:÷+…÷・<〜:々++・〒:<×÷+(いつぶりだよ、畜生)」
 果たして惑星中を連絡のつく付喪神で捜索した結果、残骸と氷で塞がれた格納庫の中に、忘れ傘も驚きのあまりひっくり返る程の長期間にわたり忘却された小型宇宙船の付喪神が、やさぐれて入っていた。


***


 五人が星に降り立ち交渉をしている間も、月の監視網は情報を注視していた。この冷たい衛星に住まう民は信用という二文字を知らない。不信により築かれ、発展し、維持されてきた文明である。
 だから、監視対象の雪球人の星から飛翔体が放たれるのが観測されたとき、監視部隊の隊長である月人が最初に危惧し、豊姫に上奏したのはそれが月ないし地球に何らかの害をもたらす兵器であるという可能性だった。
「交渉が全て上手く行った場合、かの付喪神の魔力は外の世界で放棄された惑星観測用の人工衛星のものと交換される手筈となっています。交換の結果、人工衛星の体を得た当該付喪神が観測対象となる惑星、今回の場合火星に飛翔して惑星を周回する軌道に入る、そういう予測が立てられています。今観測されているのはそれではないのですか?」
「それなのですが……現時点で飛翔体は二つ観測されています」
「二つ?」
 豊姫は口を扇で覆った。二つのうち、片方、月から見て後ろ側にある方が話題になっている人工衛星のものというのは判明しているらしい。では、先に飛来してきているものは何なのか?
「恐れながら直ちに対応するべきであると進言します。かの星の科学力は未知数です。仮にかの星が侵略を目的に飛来していたとして、発射されたものが我々の星を滅亡させるほどの威力があるのだとするならば、その危害半径は非常に大きいと見積もらざるを得ません。『引きつけて対処する』というのはリスクを伴うのです。幸い、『后羿六号』は既に飛翔体に照準しています」
 后羿六号とは、対宇宙的脅威用の大型誘導兵器である。元々純狐という宇宙的脅威に対処するために開発され、結果純狐以外の全ての存在に効力を発揮する。今回の飛翔体も用意に撃墜可能だろう。
「いいえ。様子を見ましょう」
「なぜ!?」
 しかし、豊姫は上奏を却下した。この隊長が失望にも似た驚きを見せたのも当然だろう。それは月の民としてはあまりにも日和見であり「温い」決断だからだ。
「人工衛星も投射されています。素直に考えるならば『交渉は成功した』と見るべきです。交渉が成功しているのにも関わらず、こちらの文明を滅ぼそうとしているのは筋が通らない」
「こうは考えられませんか? 『向こうの付喪神がこちらの交渉人を騙し魔力交換を実施した後侵略行動を再開した』」
「最悪を想定するならばそうでしょうね」
「であるならばなおさら、これは対処可能な最悪であるのに」
「今回判明したこととして、宇宙には我々以外に我々のような精神性を共有する知的生命体が存在する、というものがあります。これ故に『人』の認識により存在していたはずのこの世界に『人以外』の事物が紛れ込んだのです。なるほど、これは我々にとっては重大な脅威かもしれません。なぜかは分かりますね? 当然、『その存在がこちらを滅ぼそうとしているかもしれないから』などという愚か極まりない答えはしまいと信じていますが」
「我々は、穢れに満ちた世界から解脱した選ばれた存在であるはずなのに、『穢れに満ちた地上世界』と『穢れなき天上の都』の上下構造の外側にある存在があっては我々の優位性が揺らいでしまう」
 隊長は苦々しげに答えた。
「御名答。ですが、今改めて考えてみるとこの破局は本来ずっと早く起きてもおかしくなかった。宇宙の広さに対して知的生命体が我々だけというのはあり得ないのですから。では『どうして逆に今まで起こらなかったのか』。これを考えたときに我々には二つの選択肢があります。排除と隠蔽です。貴方が進言したのは排除」
 隊長は頷いた。
「宇宙全体では、あるいはこれが普通なのかもしれない。『発見された文明は発見されるそばから抹消されているから残らない』。ですが、私は他の可能性を推します。単に遭遇確率が低すぎるのです。それこそ『確率的に起こりうることは発生する』浦嶋の件を経た我々の歴史ですら今のところ一度だけであるくらいには。そう考えるとあまり神経質にならず場当たり的に対処するやり方でも問題はない。地上人に対して宇宙人の存在を極力秘匿し続ければ我々の優位は崩れませんしね。事実、今までもそのために手を回していました。あとは、せいぜいその飛翔体が地球ではなく月か他の星を目的とするように適宜誘導する程度でしょうか。月の軌道に接近したら玉兎を飛ばしましょう」
「豊姫様がおっしゃっているのは隠蔽策を取る理由であり、排除を採用しない理由ではないと存じますが。なぜ我々を不必要なリスクに晒す真似を」
 隊長は不満げだった。
「公的には『闇雲に武力に訴えるのは安寧を享受する上位の文明存在がすることではないから』です」
「公的には?」
「ここからはオフレコでお願いしたいのですが……。この宇宙は狩人を恐れ声を上げることもできない暗黒の森林のようなものである。そんなのはあまりにも寂しい、そうは思いませんか?」
 豊姫は天井、その向こうにある大空に目を向けた。
「あと、私は貴方の報告に一つ不満があります」
「なんでしょうか?」
「元々の惑星付喪神がなおこちらに接近する飛翔方向なのか速度や針路を変じているのか、これが今回の議論を判断するにも重要な要素であるにも関わらず欠如しています」
「なるほど!! ……申し訳ございません。そちらは現状観測中でございます」
「ではこうしましょう。あと三日以内に惑星の飛翔に変化がなければ先頭の飛翔体を撃墜する、脅威から外れれば隠蔽により事態を収束させる」
「……構いません。改めて悠長だ、と言わせていただきますが」
「そうお思いですか。私も運の良さにはそれなりに自信はあるのですがねえ」
 豊姫は微笑した。
 監視部隊が惑星の停止、続く太陽系からの離脱軌道を報告したのはその二日半後のことだった。


***


 オリンポス山は火星に存在する太陽系の最高峰である。標高二万キロを優に超える偉大な山姿と名前はいかにも由緒ある神が所在していそうだが、実際には神も何もいない、火星の他の場所と同様の不毛の地である。
 いや、「今は何もいない」のであり、過去は生命の息吹が感じられる地だった。そして「これからは、何かがいる地」になるのである。
 五人は協力して着陸した宇宙船から棺を取り出し(星に残されていたスクラップや空き箱を使った地球人式の棺だ)、それを埋葬するための穴を掘った。
 一人、レミリアだけは穴掘りをせず、代わりにずっと隠し持っていた酒瓶を地面に叩きつけた。
「また領有権の主張?」
「そんな無粋なことはしないわよ。この星はこのタコの星」
 「だいたいこんな砂漠要らないわよ」とも付け加えた。
「でも、赤いですよ?」
「咲夜、私のことを『赤かったら何でも満足する主』って思ってない?」
「あら」
 咲夜は一言だけ返して穴掘りを再開した。それに続く言葉が「心外ですわ」なのか「そうではなかったのですか?」なのかは当人以外には知りようがない。
「酒を大地に飲ませたのは追悼よ」
「この人? の種族が酒を飲むのかどうかはもう分かりようがないけれどねえ」
 地球人もそうだが、異星人向けの自己紹介ではどういうわけか趣味嗜好の項目は省かれがちである。
「きっと飲むわ。地球でも妖怪から人、神に至るまでみんな酒を飲むのだから」
 全員、レミリアのこの言に納得したので彼女が穴掘り労働を拒否してまで行ったこの行為は正当化された。
 葬式のやり方を遺さなかった宇宙人がそもそもは悪いのであり、酒を供えたり棺を土葬したりするのもだが、土葬した上に十字架を立てることも地球人式葬式の風習を踏襲した。一応何を置くのがいいのかは少し話し合われたが、八橋だか咲夜だかのどちらかが言った「タコが十字架に磔になっていても絵面としてはそうおかしくはないからいいのではないか」というどう考えても失礼な意見が、この場の流れにおいては受け入れられた。
 ともあれ十字架も立てて黙祷を捧げていると、宇宙船の通信機が音を発した。
「コチラ付喪神。『月ノ民』ナル存在カラコンタクトガアッタ。『回収ヲ行ウノデ山デ待機セヨ』トノコト」
「OK。とりあえず山にはいるわ。今いる山のことでいいのかは分からないけれど。それで、お墓はこんなものでいいのかしら。そもそもそちらから見える?」
 通信機に話しかけている雷鼓以外の四人は空を見上げた。流石に見えないが、話を信ずるならば、宇宙からこちらを見下ろしているらしい。
「見エテイル。ゴ苦労ダッタ。彼モ感謝シテイルヨウダ。アア、ソノ月ノ民トヤラニヒトツ伝エテ欲シイコトガアル」
「何かしら?」
「物ヲコノ星ニ送ッテ欲シイ、ト」
「物、だけだと何か分からない」
「詳シクハ後デ伝エル。彼カラ聞ク」
「彼?」
 雷鼓は首をひねったが、視界の右に動くものが見えて、それで合点がいった。
 それはタコ型の宇宙人だった。ただし、半透明、幽霊だ。幽霊事情、まして宇宙人のそれなど全く明るくはないが、母星に比較的近い環境に埋葬されたことで顕現して出歩くことができるようになった、ということなのだろうか。
 彼は屈伸のように足にしている触手を大きく曲げ頭の位置を下げていた。天上の付喪神の言を信ずるならば、それが彼らにとっての礼を示すポーズなのだろう。
 雷鼓は宇宙人の幽霊に向かって深く頭を下げた。


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