横一列に並んだ椅子の上で、雪球人の子供たちが足をバタつかせていた。かつて作戦指令室として使われていたこの部屋に置かれた椅子やテーブルは、子供にとっては少々背が高すぎる。
この子供達は博士の話を聞いていた。と直訳すると英才教育めいているが、単にこの時代には「先生」を意味する語彙が消滅して「博士」に統合されていたというだけのことである。
文明の滅亡が不可避になる――雪球人の特殊な事情により、この閾値は普通の惑星より高かった。なぜならば生存を惑星中に張り巡らせた人工物に依存する宇宙航行時代において、例え人口自体が遺伝子の多様性を確保するのに最低限十分だったとしても、機械の保守を行うことができる能力を持つ存在が一定を下回ってしまうと行き詰まりが確定してしまうからだ――と、未来に向けて新たな知見を得るという試みは途絶えることとなった。この時代の雪球人は延命に必要な最低限な区画を総出で維持しつつ、これまで積み上げてきた文明についての記録を遺すことを使命としていた。文明規模での終活である。
そして、それぞれの雪球人に残された時間は決して長くはなかった。この時代、雪球人の寿命は全盛期の半分程度にまで減じていた。主な栄養補給源が同族食いになったのが原因なのか、あるいは医療技術の多くが断絶したからか、奇病が蔓延していたのだ。
この時代の雪球人にとっての子供の数年は文明の全盛期のそれとは比較にならないほど貴重なものであり、そういう時間の中で生存には直接寄与しない一般教養を施すという行為は社会に対して多大なコストを強いるものだった。だが、社会はその負担を負うことを選んだ。これは、ひとえに最後まで文明人であろうとした雪球人の矜持に基づく決断と言えただろう。「先生」と「博士」のうち「博士」の方がその役職を指す言葉として残ったのもそうした矜持ないし見栄である。
博士は歴史についての授業をしていた。
「かつてこの星は恒星の周りを公転する、ごくありふれた惑星だった。しかし、恒星に異常が起こり、この惑星が死の星になりかねなくなるという危機が起こったため、新天地を求めて惑星毎他の恒星系へ旅立つことになった」
子供達の反応はまちまちだった。だいたいはぼんやりと聞いているのか聞き流しているのかよく分からない「静」の反応であり、時々腕を絡み合わせたり筆記用具で遊んだりしている子供もいる。当時の熱意を今の子供は共有できない、それはやむを得ないことであると博士は考えていた。「宇宙船第一世代」の自分も親から飽きるほどそうした話をされてうんざりしていた立場なのだから。自分の同世代には興味がないどころか「こんな無茶苦茶な世界になったのは惑星宇宙船などという馬鹿なことを決断した親世代のせいだ」と憤ってテロリズムに走る者すらいた。こうした無意味な怒りを表す者がいなくなっただけ、今の子供世代は成熟したともいえる。
「……現在、この星は自動航法で航行を続けている。今は慣性に基づく等速度航行の段階であり、目的地に近づくと予め設定されている時間で減速をして目的となる恒星系を適切な距離で公転する軌道に入る」
理論上現状でも目的地に到達しはする。しかし、それはまだ半分以上を残している旅路において機器が故障せず、かつ進路上に漂っているであろう小惑星のような天体により一度も致命的な損害を負わないという、文字通り天文学的な確率を乗り越えた先にようやくある「理論上」である。誰もこの可能性が本当に起こりうるとは信じてはいない。子供達も博士も。しかし博士は「子供達には可能性を信じさせ続ける」という建前を崩したくはなかった。
「目的地にある星の話をしよう。我々の星の元々の環境に一番近いのは目的地の星系、タヘルナ星の第四惑星だが、この星は、現在は酸化鉄で覆われた無生物の星である。かつては海と豊富な大気を持つ星だったと考えられているが、何らかの理由によりそれらは失われたと考えられている。無論、この何らかとは今となってはどうでもよいことである。ただし、第三惑星、通称『緑の星』及びその衛星には生物がいる。第三惑星の生態系の多様さ、その衛星に構築された環境の精緻さ、いずれも目を見張るものがある……」
子供達に希望を持たせ続けるのは難しい。それは博士自身のせいではないにしても、博士の世代が残した、いや、残せなかったあまりにも多くのもののせいである。博士はこの事実を悔恨と共に受け入れようとしたが、自身が耐えられないという理由により希望を持たせるような言動をするという建前に縋った。
だが、今の話題は自身や子供を騙すためにではなく、真に自分が彼らに残したいためにしている。
「現在の自動航法ではこれらの星は我々の惑星の侵入により無視できない影響を被り、おそらくは生命を育むことができる本来の軌道から弾き出されるか潮汐破壊を引き起こすかするかすることになる。当然それぞれの時代においてやむを得ない事情はあったのだろうが、こうした他の星の生命に損害を与える方法は先人達も本意ではなかったのではないだろうか……」
***
「コレガ、音楽カ……」
演奏が終わった静寂の中で、ディスプレイの付喪神は静かに言葉を発した。
「分かったかしら」
「分カッタ、トイウト嘘ニナル。ソウ簡単ニ分カルモノデハナイノダロウ。シカシ、音楽ガアル方ガヨイトハ思ウ」
「それはよかった」
雷鼓は拍手して九十九姉妹に感謝を伝えた。
「私達は音楽のある星から来たの。その音楽を滅ぼしたくはない、でしょう?」
「ソモソモ滅ボサレタクハナイトイウ考エハ理解スル。ドノ星モソウダロウ。ガ、ソレハ我々モ同ジデアリ、故ニ我々ハ君達ノ利益デハナク我々ノ利益ヲ求メル。交渉トハソウイウモノダロウ? 君達ノ提案ハ我々ニ多少ナリトモリスクを負ワセルノダカラ見返リハ欲シイ」
「見返りは、自由よ」
「自由、カ……。君達ニハ重要ナノダトハ思ウガ、ソレモ我々ハ知ラヌ言葉ナノダ」
「そうね……もし目的地に辿り着いたとして、貴方達は何をするつもりだった?」
「何モナイ。我々ハ目的地ニ到達スルタメダケニイタノダカラ」
「だとすると、ただ朽ちるだけのつもりだった?」
ディスプレイの付喪神は少しの間思考のために沈黙した。
「君達ハソレヲサモ重大ナ事ノヨウニ言ウガ、当然デハナイカネ」
「私達には自由がある。自由があれば朽ちるに身を任せるのではなくやりたいことを自分で選んでやることができる」
「自由、トハ言ワナカッタガ、死トハナニカヲ昔ココノ民ガ話シテイタノヲ思イ出ス。彼ラハ死ヲ恐レテイタ。今思エバ彼ラハ自由ヲ求メナガラソレヲ得ルコトガデキナカッタノダロウ。自由トハ知ッテシマッタ者を蝕ム毒デハナイカネ?」
「かもしれない。でも、それは砂糖を毒というようなもので……あー、おいしい食べ物が毒。生きるために必要なものではある。自由を知らない貴方達が死を受け入れてしまっていることの逆。つまり、私達の提案を受け入れれば貴方達はもっと長く生きることができる」
雷鼓は頭を掻いた。
「結局は私達のエゴなのかもしれないけれどね。貴方達は死んでもいいと思っているようだけれど、私達は貴方達に死んでもらいたくないの。自由という毒を飲んでしまったから。でもこの毒は本当にいいものなの」
「自由ヲ知ラナイ我々ガ持テ余シテ結局死ヲ選ブ、ソノ可能性ハ思ワナイカ?」
「それもまた自由よ。とはいえ私はそうはならない、と確信しているけれど」
「ソウカ。折角来タ君達ヲ悲シマセルコトハ出来ナイ。我々ハ死ンデモ構ワナイガ、我々ヲ作ッタ者ガ死ンダノハ悲シカッタ。他人ノコトハ気ニスルノダ道具トハソウイウモノ、ダロウ?」
「まあ、悲しむに値する使い手だったら。貴方達を作った人はいい人だったのでしょうね」
「トハイエ、私ノ一存デハ決メラレナイ。会議ヲ開カネバナラナイ。ソノタメニイクツカ聞イテオクコトガアル。マズ、魔力ノ交換先ハ何ダ?」
「外の世界の探査機? とかいうやつ。本物は重くてロケットに置きっぱなしにしてるけれど写真なら……」
雷鼓はディスプレイの付喪神に耳の形の貝殻を背負ったカタツムリみたいな形の機械の写真を見せた。それらは外の世界でのミッションを終えたことで幻想郷に流れ着いていた火星探査機だった。
「マア、古イナ」
「技術的なことは分からないけれど、難しいかしら」
「古イモノヲ愛スルノモヨイト聞イタコトガアッタカモシレナイ。ソレニ、ドウセココノ機械ダッテメンテナンスサレテナイオンボロダ」
他にもいくつか実務上のやりとりをして、ディスプレイ側の反応は概ね肯定的だった。
そして雷鼓に質問を終えた付喪神は、会議を招集して来ると伝え、その間、自身が封鎖していた扉の先の部屋で待機していてよいと伝えた。
***
「変わった形の果物ねえ」
弁々は輪切りパイナップルの穴を通して世界を眺めていた。
「それは切った後の姿よ。切る前はパッケージに描いてある姿だったんでしょうね」
「より変ね。壺じゃん。こんな植物がこの世にあるの?」
「あるんでしょ、外の世界には。熱帯の植物らしいから幻想郷にはないんじゃない?」
「じゃあこの缶詰はどうやって」
「裏ルート」
「以外と幻想郷でもあるところにはあるのかもしれませんけれどね。なんせ旧地獄産のスパイスが流通してますし。それはそうと、ナイフ貸して貰えます?」
「ほーい。缶切り忘れたの?」
「いえ栓抜きを。栓抜きついてますよね……ああ大丈夫です見つけました」
咲夜は八橋から借りた十徳ナイフを慣れた手つきでいじって栓抜きを探し当てた。
「あれ? 着陸の祝杯のとき開けなかったっけ」
「あれはレミリアさんが瓶ごと割ったから……パイナップル美味」
「姉さん、私のパイナップル缶とそっちの牛肉缶交換しない?」
「それは違うでしょ。肉は肉で食べるもん」
「ちぇっ」
五人は晩餐をしていた。この星に着いてから一番豪勢な食事だ。これまでは寒空を飛びながら菓子を齧って迅速に栄養補給するとか仮眠明けにパンを食べるとかそういうものばかりだった。机に食べ物を置きしかも食事中酒も飲めるということがいかに恵まれたことかを特にレミリアは痛感した。
「ま、缶詰だとこんなもんね」
とはいえ欲には限りなく、既にフルコースの口になってもいたが。
「向こうさんはまだ時間かかるかしら?」
「そんなこと私に聞かれても知りませんよ。私はあの機械のメイドじゃありませんから」
五人が夕食にまとまった時間がとれているのは、あのディスプレイの付喪神が星の同族を集めて雷鼓がした提案を受け入れるか否かを協議しているからである。その間は(決められた範囲から出ない限りにおいて)好きにしてよいというのは結構なことだが、今度はいつまで経っても待ちぼうけになりかねない。雷鼓は食べ終わりもしないうちからそれを懸念していた。
「こっちの提案を呑んでもらえるかどうかもあるし」
弁々も懸念を表明した。
「姉さんは心配性だなあ、そりゃ大丈夫でしょ」
「八橋
が無根拠に楽観的すぎるの」
「根拠ならあるわよ、幸運」
「それは根拠とは言いません」
「いやだってさ、私もよく分かってないけれど、この幸運ってここの付喪神さん達の『大いなる意志』ってやつなんでしょ? 私達に会いたいっていう」
「そうだったわね。の割にあの付喪神さん大分厭世的だったの意外だったけれど」
「本人にも自覚はないのかもね。でも無意識にでもそう思ってるなら希望はあるのよ、ここの付喪神さん達の心の中には」
八橋の真っすぐな目を見て弁々ははっとした。弁々とて別に悲観的だったわけではない。多分大丈夫だろうが、もし駄目だったら、そういう可能性もゼロではないのだからそのときには何かをしないといけないのだろうな、という部分で気を揉んでいたのだ。しかし八橋の顔を見ていると、そういう可能性を考慮しようとしていたことすらなんだか馬鹿らしく思えてきた。そう、私達は文字通り幸運の星のもとにいるのだ。堂々と構えていればいい。
「『大いなる意志』ねえ。それってここの付喪神が桁外れに強大だから、『付喪神種族の強さが見直されるべき』という力が働いている、ってことでしょ。それなら小さい探査機と体を交換させようというのはそっちにとっては大損なんじゃない?」
二人のやり取りを聞いていたレミリアが口を挟んだ。
「それは仕方ないよ。そうしないと大きすぎて地球が滅亡するっていうんだから」
「優しいのね。他人のためにそう簡単に力を放棄するとは」
「いや私達にとっても死活問題だから。それに私達は世界征服を企もうとか大それた野望は持ってないわよ。それなりの地位で平和に過ごせたらいいの」
「それなりの地位、ね」
レミリアは付喪神達の価値観と吸血鬼たる自分の今の価値観は実はそんなに離れていないのかもしれないと思った。「それなり」というものの程度をさておくならば。
「そんなことより、あの付喪神さんがここに来るとしてどんな姿かしらね。私達は人に姿を似せてるわけじゃん。とするとあの方も向こうの星の人に近いだろうから」
八橋が話題を変えた。彼女にとっては何を懸念することがあろうかという話だし今後の展望などというのも重要ではない。ただ、「今」楽しむことがあるというだけで、その一例が先には壁で全貌が見えなかったディスプレイの付喪神の姿を予想することだった。
「やっぱあの『まとい』みたいな感じなのかしらね」
「タコっていう生き物よ、あれは」
まといにしろタコにしろ、ディスプレイに表示されてた姿が異星人のものなのだとすると、その付喪神の姿は本体に触手みたいな多足が生えているに違いないというので全員の脳内像は一致していた。
だからこの部屋に設置されている壁掛けのディスプレイが光ってさもそれが当然かのように例の付喪神が発話したことに五人はちょっと失望した。
「多数決デハ優勢ダッタ。ガ、頭ノ親玉ガ賛成シナイ。コレデハ実現シナイ」
しかし、この出現方法への失望も会議結果の問題に比べたら笑い話程度のものでしかなかった。
「一人にそんな権限があるの」
雷鼓はため息をついた。
「私達の乗ってきたロケットだってパチェが仕込んだ神がいないと動かないだろうしそんなものよ」
「『頭の親玉』ってアレよね、そちらの人達がいなくなった理由を話してくれないっていう。その関係かしら」
「ダロウカ。曰ク、『ソレヲシタトコロデ何ニナル』ト」
「こちらの言い分を説明したうえで、だよねえ。うーむ」
雷鼓は頭を掻きむしった。確かに紫らとこの任務についてやり取りをしたときに「向こうの付喪神の同意なしには計画は実行できない」というようなことは言った。今でも原則としてそうあるべきとは思っている。しかし一方で確かに魔力交換は双方の利益の最大公約数を満たせる名案ではあり、その意向を汲み取った大半の付喪神は賛成してくれている。「先方も概ね賛成してくれているが、最終決定権を握っている存在のみが賛同しないので実行できない」という事態は予想外だった。
「会うことはできるの?」
雷鼓とディスプレイの付喪神が互いに唸って膠着状態になったところに八橋が口を挟んだ。
「ソレハ、出来ハスルガ……」
「じゃあ会えばいいじゃん。会って私達が説得する」
「無茶ナ。私デスラ無理ダッタノニ」
「貴方は説得されたじゃない。最初に会ったときと比べて随分と人間らしく……いや、この言い方はよくないわね、貴方を作った種族はなんていう名前?」
「・*+、ダ」
「ええ、それらしくなったわ」
八橋は微笑んだ。