「我々は神になった」
雪球人の老体の一人が震えた声でそう呟いた。彼は惑星に備え付けられたイオンエンジンを見上げていた。
この惑星の最高峰の山は標高八千メートル程だが、イオンエンジンはそれを優に超え、標高一万メートルに達しようかというほどだった。この惑星で建設された最大の人工物である。だからこの雪球人もイオンエンジンを見上げた、とは言っても全貌を見ることはできず、「麓」の銀白色の基礎部分だけを見ていた。この基礎は上部を斜めに切り落とした円錐形で、この構造に更に別の上部を切落とした円錐、すなわちエンジンの噴出口が伸びる超巨大な臼砲のような形状になっている。
「間もなく試運転を開始するそうです。危険ですので地下に退避を、とのこと」
老個体よりは少し若い個体が地面に設置されているハッチから出てきた。
「試運転といっても今回は最低出力で点火がされるかどうかを確認する程度ではなかったかな。初めて動く瞬間を見たいという技術屋の欲を上回る妥当さがあるとは思えんね……。君はここの職員ではないね?」
「よく分かりましたね」
「墨を腕に入れていないからな」
雪球人には服という文化はない。ただ体を装飾する文化はあって、原始的にはボディーペイントだったが科学技術が発展するとタトゥーに近い仕組みになった。地球人の文化とは逆に、雪球人のタトゥーはしばしば公的な所属を示すための制服のような役割を果たしている。
「それに、君の顔は見たことがある。宇宙生物学の」
「ご存知でしたか。光栄です」
若い方の雪球人が腕を一本差し出し、老個体の方もそれに応じた。握手である。
「学者君がどうして伝令の真似事を」
「貴方がいないことに職員より先に気が付いたのが半分」
「もう半分は」
「貴方がまだ戻っていないということはもしかしたら地上で見れるのではと」
「流石の知的好奇心だな、学者君」
老個体は喜んでいた。
「まあ、安全を考えたら確かに褒められたものではありませんよ」
「老いぼれが一人死んだとて大した影響もあるまい。君はまだ先があろうから戻るべきだが」
「何を言っておられるのですか技術長官殿」
老個体は惑星宇宙船計画において政治的に重要な役職を担っていた。ただ、政治畑の出身ではなくあくまで技術者としてその任に就いているということで広く尊敬を集めていた。政治家肌にも技術者肌にも長所短所はあるだろうが、いずれにせよ地位を得て利権を貪らんとする者が消え去ったことだけは先の紛争がもたらした唯一の恩恵と言えた。
「単に年長だから就いた役職だよ。後進に伝えるべきことは伝えたさ。生き延びた先かあるいは旅路の途上にでも、あの子らはもっと優れた技術を生みだすだろう」
「伝えるべき相手がまだ残っていますよ」
「誰かね?」
「ここに。早速なのですが、方向転換時の姿勢制御はどのようにしているのです?」
「なるほど。君か」
老個体は自分の知識を伝えるべき相手がまだいると言われて顔を少し硬直させていたが、すぐに緊張を解いた。
「エンジンの方向は固定だ。この大きさのものを動かせるようにすると強度が足りなくなるからな。同じ物が星の各地に備えられているから、方向転換が必要になればそれぞれの点火と消火を切り替えて推進のバランスを変える」
「となると小惑星を緊急回避する、というようなのは難しいですかね」
「無理だな。とはいえエンジン周辺に関しては放射で隕石も原子レベルまで分解されるだろうから不要と言える。問題なのがエンジン地帯以外への落下で、迎撃のためのレーザー照射機が配備されている」
「何をするにもエネルギーが必要そうですね。それを得るのはどのようにして……」
学者の方は持ち前の知的好奇心で老技術者を質問攻めにした。老技術者は正直疲れたが、一方で今この場で疲れるために自分は生まれてきた、そう錯覚するくらいに充実感を覚えてもいた。
日が傾いたことで伸びた「山」の影が二人を覆った。その二人の元に、今度は本物の職員が声をかけに来た。
「あと数分だけというわけにはいかんかね」
「なりません。気象条件や時間帯をある程度厳密に定める必要がありますから」
「別に儂らが地下にいなくとも稼働はできるじゃろ」
「この大きさの人工物を動かすというのは史上例のないことです。最低出力で稼働させるとはいえ予想外に地表温度が上がってお二方が焼け死ぬ、そういう可能性だってあるのですよ」
「ううむ。そこをなんとか」
老技術者は地上に残ることを駄々っ子のように要求したが、ついに根負けして地下に戻ることにした。
地上のハッチからは短い梯子が降りているが、今回の視察、あるいは今後の雪球人の居住空間は地面のもっと深い場所であり、地下の浅いところからその深度までの移動はエレベーターを用いる。
エレベーターに入るときまでは全員無言だった。老技術者以外は彼がへそを曲げた(雪球人にへそはないが、慣用表現として)ものと思い容易に声をかけるのが憚られたから黙っていたのだが、エレベーターに入るとその老技術者が学者に話しかけた。
「……儂からも質問いいかね」
「なんでしょうか」
「この星の行き先はどこかね」
「およそ十二光年(地球換算。この星でも「母星が公転軌道を一周するまでの時間で光が進む距離」を天文学的長さの単位として用いているが、公転周期の差から単位あたりの長さは地球の光年とは異なる)先にあるタヘルナ星の第四惑星です」
「第四? 第三惑星『青緑の星』ではなく?」
「確かに青緑の星およびその衛星には生命の存在が確認されています。ただそれらの星は我々が適地とするには温暖すぎるのです。主星から受けるエネルギー量という観点からはむしろ第四惑星の方が近い。それに」
「それに?」
「既にある生命を押しのけて我々が入る、そんなのはいくらなんでもあんまりでしょう」
「それは、君個人の考えかね」
「宇宙生物学を専攻する者なら当然持っているべき倫理観です」
「なるほど。宇宙生物学者というのは優しいのだな。もしもこの星の人類が皆宇宙生物学者だったら……」
「文明が築かれることなく滅亡していたでしょうね。宇宙生物学というのは基本的に社会に対しては無能な学問なのです。なのでせめてこういうときくらいは」
学者は腕二本で頭の側面を掻いた。地球人における「肩をすくめた」に近い。
「それは、君特有の卑屈かね」
「どうでしょうか? 私から言えるのはもっと俗世から離れた奥底に引きこもっているような同業者も大勢いるということですね。私はこの分野の人としてはまだ社交的な方なんでしょう」
エレベーターが目的の階層に到達した。二人は歩きながら会話を続けた。
「技術は、まあこれは常に社会の役に立つ。我々技術者は常にそれを求められてきたと言ってもよい。ただ、いささか奇妙なことに倫理観は技術者によってバラバラだ。儂はおそらくだが、かなり他者の命には同情的なのだろう。この点だけは宇宙生物学者向けといってもいい。一度は目指しすらしたものだがね。他の適性がなかったからその道は諦めて宇宙工学の方を選んだ」
「そうだったのですか!?」
学者は驚きの声を上げた。
「同業者は必ずしも儂と同じ考えではなかった。人の命には全く無頓着な奴もいれば、むしろ命への関心が強かったからこそ救われるべき命を選ぼうとした者もいた。……これは、生物畑の人と工学の人間が共通して考えることと思うのだが、もしも人に技術という能力がなく投石と殴打によってのみ戦う存在だったら先の戦争でもここまでの死者は出なかったのではあるまいか」
「これも共通して考えることと思うのですが、そもそも技術がなかったら繁栄もまたない。両者は表裏一体なのです」
「そうだな。儂も戦火の惨禍を見てなお反文明論者に堕ちることはなかった。生き残りは大体儂らみたいな『文明に畏れを抱きつつもそのゆりかごの中で生きることをよしとする』日和見主義者だ。そうでない者達が先の戦争で戦死するか処刑されるかして淘汰された結果が今の世界と言える」
管制室では大画面にエンジンの様子が映し出されていた。既にカウントダウンが始まっていて点火も秒読みだ。
「二、一、ゼロ」
点火がされたようだが、この巨体が外にイオンを放出するのには点火から少し時間が必要だった。
「あの山は、死体の山でもあるのだ。屍の上に生き残った我々の子孫は、今後どういう歴史を辿るのかのう」
老技術者が物思いに耽る中、室内ではイオンの放出を確認した関係者が歓声を上げていた。
***
偽天棚の賭場にアルファベットのIのように背筋を伸ばして入場した集団は一刻後にはギリシャ文字のλのような姿勢ですごすごと退場した。付喪神五人衆である。そして、この付喪神達が出てくる瞬間を幻想郷の賢者達は待ち構えていた。
「ようこそ幸運な皆さん」
「は? 当てつけ? こちとらそこのカジノでケツの毛まで毟り取られたばっかなんですけどー?」
八橋などはあまりの敗北のショックにミュージシャンにあるまじき言葉遣いになっていた。
「あまり大きな声では言えませんがあそこの胴元はサマをしています。運ではなく知恵と謀略を競う場なのですよね。だから賭場でいくら負けようが運の良し悪しにはノーカン。幸運を証明する出来事が他にあったはずです」
「他の出来事?」
「とりあえず、現在進行形で不審者に目をつけられているね」
「そりゃ不幸な出来事だ」
「確かに」
λにうなだれた五人は紫と隠岐奈を無視して下山ルートに入ろうとした。
「今よりも賭場に入るよりも前の出来事で。例えば昨日とか、何かあったんじゃないですか?」
紫が下山ルートの下側にスキマを、隠岐奈が上側にスキマと接続した扉を設置した。
「答えないと出られない山?」
「いかにも」
付喪神達は舌打ちをしたり中指を立てたりしたが、それで帰らせてくれる賢者ではなかった。
「はあ。あったと言えばあったわよ。行き倒れの、外来人かね、の死体が家の前に転がってた。ポケットの中身とか飾りとか、それなりの金にはなりそうだった。妖怪のテリトリーで死んでたんだから私達は悪いことはしてない、でしょ?」
弁々が気だるげに釈明した。
「知ってます。見てましたから」
「えっ……。キモ……」
弁々は隠岐奈の告白に対し、吐き気を帯びた声でそう呟いた。これは五人の総意でもある。
「うん、確かに監視してたのはキモい」
否、五人ではなく六人の総意だ。こればかりは紫も挟撃を止めて隠岐奈の真横に移動してでも付喪神達に同意する。
「いや貴方は私の肩を持ってよ、必要悪なんだから……。あー、ゴホン。つまり、私は幻想郷を裏から監視して調整を行うフィクサーなのですが、貴方達の運勢が極端に上がっていることに気が付いたのです。より正確には貴方達、もとい付喪神を強い立場にしようとする世界の意志のようなものが生まれている。そして記録からいつからそうなったのかを確認したところ、明確にきっかけとなった出来事がありました。大天狗が巨大天体の接近を発見したときとほぼ一致するのです」
「ちょい待ち」
雷鼓が隠岐奈の説明に口を挟んだ。
「なんでしょう?」
「今話が飛ばなかった?」
「飛んでませんよ?」
「いや飛んでるって。要約していくと、あんたは幻想郷を監視してるストーカー賢者で」
「ストーカーだけ余計です。それ以外は合ってますけど」
「でストーカーのあんたから見ても私達は最近運がいい。それがいつからかを調べたところ、星がどうこう」
「その通りですよ。私の身の潔白さ以外についてはちゃんと理解されているようで何よりです」
「いや理解してないって。幸運と星の話との間にせめてもう何段階かあるでしょ」
「幸運、というのに引っ張られてますかね。本質は世界の意志という方なのです。そして、これは少し専門的な話なのですが、こういう意志あるいは力は無から出てくることはないので与えている何かがいるはず、ということになる。そしてその力の所在が件の天体なのだろうと」
「うん、ちょっと近づいた気がするけどまだ話に大穴が空いてる。私達は謎のお星様から力を得てると?」
「天から力を感じていたのでしょう?」
「あー」
五人は一昨日鍋を囲んでいたときのことを思い出した。
「まあそういうことだ。もっと踏み込んだ予想をするならば、私達は件の星は超巨大な付喪神なのではないかと睨んでいる」
「ふーん。……は?」
雷鼓は困惑の色を浮かべた。それまでの話を理解してたのかしてないのかよく分からないような他の人も頭上にクエスチョンマークを浮かべている。こころなどは顎が外れた人の面というこういうときくらいにしか使わないニッチな仮面をつけていた。
「何をそんな驚くことを。一番直球な仮説でしょう?」
「剛速球のデッドボールを当てられた気分だよ」
小傘はあまりの話の大きさにうめいた。
「貴方達、付喪神が何かを知ってるの? 付喪神であるならば元となる道具がなければならない。もし星の大きさの付喪神があるというのなら、星の大きさの道具があるということになるけれどそんなの」
「ええ、見たことも聞いたこともない。同じことを言われたわ。月の使者に」
紫が口を開いた。彼女はここで付喪神達を待ち構える前に月の使者に再接触して、この、確かに常識的には荒唐無稽な説をとりあえずでも納得させるのに腐心していた。
「まず、この巨大な星は地球に迫ってきていて、正体が何なのかより前に衝突でもされたらとんでもないことになるから月の人達と協力してスピードとかを調べていたの。ところがこの星、どうもスピードや細かい進行方向が一定してない。大まかには地球か太陽かに近づいてはいるんだけれど、時々ブレーキをかけながら一瞬右に進路を向けてすぐに揺り戻してアクセルを吹かす、そんなことを繰り返しているらしいの」
「……乗り物?」
雷鼓は片手を額に当てつつ見解をひねり出した。
「そう、普通はそう思うよねえ。それかせめて星自体が生きているとかさ。それを月の人達は『そんなの測定誤差だ』とか『さもなければなんか重力場とかがあってそうなっている』とかばっかりでさあ。困っちゃうよね」
月の民より付喪神の方が余程馬鹿だから緻密なデータで理詰めで納得させる、ということはできないが、月の民よりはこの五人組の方が余程頭が柔軟である。紫にとって、常識に凝り固まった月を納得させる苦労を思えば今のやり取りは非常に容易い息抜きですらあった。
「……待って、その星があるのってどの場所? 話しぶりからして月が作った何かで近くにある、とかじゃないんでしょ?」
「今のところものすごく遠く。木星や土星よりもずっと先。まあ、人類や月の民が作ったものじゃないよね。宇宙人の産物。だから月の奴らは納得しないんでしょうね。自分達に匹敵する、下手すると上回るくらいの叡智の持ち主の存在を認めてしまえば上位存在としての立場が危うくなるから。でも私にはそんなプライドはないので」
「宇宙人がいると信じる?」
「宇宙人もだし、もしその宇宙人産の何かが貴方達に力を与えているのなら、件の物体は宇宙人が生み出した付喪神なのだろうと、私はそこまで信じてる」
全員黙った。紫と隠岐奈は反応を待っている。付喪神五人のうち四人は既に話から振り落とされている。
そして付喪神の残る一人、雷鼓は。
「生まれて始めてあんたのことを馬鹿だと思ったかもしれない。付喪神ってのは良くも悪くも人間の念ありきの存在なのよ。もし宇宙人の付喪神というのがあるのなら、その宇宙人は人間と全く同じように思考して全く同じように道具を、丁寧にも雑にも使う、ということになる」
「だからそう言ってるの。収斂進化、というのがあって。例えば……コウモリと鳥って見た目は似てるでしょ? でもコウモリは哺乳類で鳥は鳥。空を飛ぶという目的のために別々に似たような進化をした。精神も収斂進化するんじゃないかしら。地球と似た星で、地球人のような文明を築くために同じ精神性を発揮させ、思いが結界を超え幻想郷に繋がった」
紫は太陽を見て思い出したかのように日傘を開いた。
「馬鹿みたいな話でしょ? 貴方が思っていることは正しいわよ。この世界の管理人は愚者でないと、いや、『愚者のように思考できる人』でないと務まらないの。それで、私より賢い貴方方に助けを求めたくてね」
「……なんでしょう?」
雷鼓は紫を警戒していた。姿勢低く頼んでいるが、同時に断ったら只では済まさないぞという威圧あるいは強制力のようなものも感じる。言い過ぎたかもしれないと少し後悔もした。
「あれが付喪神でここに飛んでくる使命を背負っていると仮定して、この場合別の道具と魔力を交換して無力化することはできるかどうか、見解をお聞きしたいわ」
「聞きたいことが二つあるわね。一つ目、交換先の道具はあるの? 流石に分かっていると思いたいけれど、例えば茶碗の付喪神の魔力をハサミのものと交換する、みたいなことはできないわよ? せめて私がやったみたいに和太鼓とドラムくらいには似てないといけない」
「候補はあるわよ。外の世界の道具だけれど。貴方も外の世界の魔力と交換してるのだからそれは無問題でしょ?」
「ええ。じゃあ二つ目。星にコンタクトを取ってそういう話になってる?」
「……つまり?」
紫は少し間をおいて聞き返した。
「つまりって……その星の付喪神さんに聞いて平和に終わらせましょうって話になってるんじゃないの?」
「これについては常識的に考えて? できるわけないでしょう?」
紫は呆れの感情を全面に出してそう言い放った。雷鼓は紫の態度に神経を逆なでされた気分になった。
「『できるわけないでしょう?』じゃなくてそれはしないといけない努力。同意なしで魔力交換をしようって?」
「それは、同意を伴わなければ不可能、ということかしら。例えば不意打ちで一方的に行うというのは」
「可能かどうかじゃなくて付喪神
として許されない行為」
「出来はするのね? じゃあやりなさい」
「断る!!」
雷鼓は髪を逆立てて和太鼓ロケットを射出した。
「誰に楯突いていると思っていて?」
攻撃自体はスキマで無害化できる。元々五人を逃さないようにするという方向に警戒はしていたから不意を突かれて被弾するということはなかった。ただ、「弱い」付喪神が、その強弱関係を理解できぬほど愚かではあるまいにどうして自分を攻撃してきたのか。、ここの部分で紫は首をひねった。
「お前が誰かなど最早どうでもいいわ!!」
攻撃はいささか直線的だが、その分苛烈である。勝てる勝てないでは紫はやはり勝てるが、こうも苛烈な理由を理解できるできないではやはり理解に苦しむ。
「貴方達も傍観してないで制止しなさいよ」
「貴方を倒して?」
紫は他の付喪神達に仲裁を求めたがこの返事も求めているものからはズレていた。特に九十九姉妹の二人は明確に雷鼓に加勢した。
「どうしてそういう方向になるのです? 貴方達は戦闘狂というわけではないでしょう?」
「状況はよく分かんないし、雷鼓姉さんがキレるのもいつものことっちゃいつものことだけどさ、なんとなく今回に関しては姉さんじゃなくあんたが悪いように思う」
「そんなふんわりした理由で攻撃された挙句交渉をぐちゃぐちゃにされてはたまったものではないわね。もう一度説明し直しましょうか」
紫は残り四人全員に、というより九十九姉妹の二人に相手を絞って話しかけた。
「まずとても大きな星がここに向かって飛んできています。星と言いましたが、どうやら星サイズの付喪神らしい。馬鹿みたいな話だけれど、今はこの説が正しいという前提で話を進めてるから一旦飲み込んでね?」
「はい? はい」
「全体の意味は理解してないが一個一個の単語の意味はどうにか分かる」という理解の仕方を姉妹は示した。
「で、巨大な付喪神が地球に近づいているという世界滅亡の危機をなんとかしないといけないからどうにかして無力化しないといけない。さっき言ってなかったけれどぶっ壊すっていうのは駄目ね。正攻法だと無理で、特殊な手段は最終手段としてギリギリまで取っておきたい。で、壊す以外の無力化の方法として魔力の交換でなんとかならないかと。星の付喪神には交渉できてないけどそこは不意打ちで」
「……」
姉妹は紫の話を頭の中でゆっくりと咀嚼し、そして同時に口を開いた。
「そりゃ姉さんも怒るよ」
「どうして?」
「魔力の交換を行うか行なわないか決める権利が道具にはある」
「綺麗事を言っている場合ではないのだけれど」
紫はため息をついたが、視界の後ろの端で隠岐奈が興味深そうにして自分に目配せをしているのに気がついた。
「何かしら?」
紫は小声で隠岐奈に話しかけた。
「彼女らの本音を聞いてみてもよかろう。無論我々の本音もぶつけた上でな」
「喧嘩別れになる未来しか見えないけれど?」
「私が上手く収めるさ。何、失敗したとて我々には隠し球
がある」
「使いたくない魔球だけれどねえ……」
紫は九十九姉妹の方に顔を向け直して咳払いした。
「話し合いはまとまった?」
「ええ、おかげさまで。しかし、やはり綺麗事を言っている場合ではないの。如何に強大だろうが付喪神一人の権利のためにこの世界を滅ぼすわけにはいかない。特に賢者の立場としては」
「そんな世界、滅んじゃえばいいよ」
「はい?」
八橋の返しに紫は眉を上げた。
「そうそう、滅んじゃえばいいのよ、そんな道具を人の都合で勝手に捨てる世界なんて」
紫は付喪神達の思考のパンクさに口を空けて驚愕するしかなかった。九十九姉妹の二人がたまたま過激思想というのではなく、雷鼓が「よくぞ言ったわ!!」と叫び機嫌を持ち直したのを見るに、ある程度付喪神に膾炙した価値観らしいのだ。
そして驚愕する紫の後ろで、隠岐奈は背もたれに思い切り寄りかかり体を反って爆笑していた。
「素晴らしい!! 何ものにも束縛されず強制されず自由であろうとするその反骨精神!! それこそが幻想郷に生きる者の精神として相応しい!! しかしだね、君達が付喪神としての我を通したがるように我々にも賢者として通さねばならぬ我というものがある。最悪を避けるためには強硬策を取るつもりだしそうなれば交渉は決裂、我ら幻想郷の賢者と月の連合は君達付喪神と全面戦争となろう。ただ、今はまだ最善の方を選ぶ余裕がある。つまり君達に交渉してもらい穏便に魔力交換で去ってもらうという試みだ」
「話し合いが無理だから強硬策に打って出ようとしたのではなくて?」
「正確には乗り越えるべき障害が多すぎるから、だな。無理を通せる可能性があるならどうにかして通す、それも我々の役割であり我だ。まあ、交渉の席に互いをつかせるまでの道筋はなんとなく見えている。ただ、最後交渉が纏まるかどうかは君達の努力次第になるな」
「努力ねえ。そもそも言葉が通じなくない?」
「言葉が通じない限りコミュニケーションが一切進まないのだとしたら、この世界はバベルの塔が崩れてから粉々に分かたれたままだっただろうよ。……というのは楽観的すぎるかね? 我々はそういうの込みで君達の幸運に賭けようとしている」
「さっき賭場でコテンパンに負けた人相手に言うこと?」
雷鼓は頭を掻いた。
「一回負けたら次は勝てる気がする、そうは思わないか?」
隠岐奈はにやりと笑った。
***
「今回幻想郷を代表して異星との交渉にあたる方はさぞ高名なお方とお見受けしますが」
豊姫は紫に皮肉をぶつけながら霧が立ち込めた湖畔を歩いていた。「お見受けする」と言いながら実際には会ってすらいない。今豊姫の隣にいる自称賢者から経緯を聞いた時点で「馬鹿じゃないの」である。
「現時点で幻想郷で最高の運の持ち主よ。竹林に昔から住んでた兎をも超えてる」
「貴方達のところでは運だけで代表を決めるの? もしかして貴方も籤引きで……」
「そんなわけないでしょう。運以外の理由もあるわよ。ただ、なんにせよ人員をあの距離に送り届けるとなると相当な準備が必要であり」
「私を直々に指名してきたと」
豊姫が皮肉屋になって文句を並べている理由として最も大きいのは幻想郷から提示された案があまりにも馬鹿げているから、というものだが、地上人の分際で命じてくるんじゃないよ、という理由も正直少しはあった。
「貴方が一番話が分かる相手ですし」
とはいえ、紫が指摘するように豊姫はまだ話が通じる相手であった。並の月人なら「例の星の正体は宇宙人が生み出した巨大な付喪神である」と言われた時点で回線を切ってブロックするだろう。豊姫はここに関しては一旦正しいとする、ということを認めているのだった。
「それに、貴方の能力そのものが計画には必要だから」
二人は赤い門の前で立ち止まった。紫は中華風の門番に話しかけ、しばしのやりとりの後門を開けてもらった。
「アポイントを取っていたのではなくて?」
「とっていたわよ。しかしこの館、許可を取って入る人より無断侵入する人の方が多いとのもっぱらの噂で。実際事前予約したときの対応には慣れていないようねえ」
紫は肩をすくめた。そして玄関を抜けた先にある大ホールで立ち止まった豊姫に、目的地は地下だと指図した。
「だいぶ空気が澱んでるわね」
明らかに換気くらいはするべきである、と豊姫は考えていたが、この館は換気口をつける手間すら怠っているようだった。思えば外見からして窓が異常に少なかったし、そういうコンセプトなのかもしれない。
「高貴な月のお方には毒かもしれませんわね」
「私は浄化機を装備してるから大丈夫よ。ただこうも空気が悪いのは地上の生物にも害なのではなくて?」
豊姫が指摘していたのは屋内の空気と外の空気とで循環がされていないとかそういうことだった。だが、紫檀か何かの木でできた巨大な扉を開けると、今度は黴が混じっているような臭いの空気が扉の向こうから吹いてきた。豊姫の懸念が一つ増えた。
そして部屋の奥から咳の声がしたことで、この心配が正しいということが即座に証明された。
「隔離病棟?」
「この広さの部屋を病室と思うとは、月の都の福祉は随分と手厚いのね。本棚の量で分かるでしょ? 図書館よ図書館」
「月の民に知識量でマウントを取ろうとは随分と舐められたものね。そもそも私達は知識を収納するのにこんな馬鹿みたいな広さの部屋は必要としていないの。前にも見せたでしょ? 本一冊の大きさで足りる」
豊姫は古書型のコンピューターを取り出して紫に見せた。
「ああ、目的地は図書館
だけれど、目的のブツは本ではないわ……。ということでこんばんは」
紫は紫髪の少女、さっきの咳の声の主に挨拶をした。
「今は昼間でしょ」
「そう昼。いつもなら寝てる時間なのよ。だからこんばんは」
「悪かったわね。レミィが寝ている時間のが都合がよかったから」
「では早速、この人に見せてもらいましょう」
「この人って、私?」
豊姫は説明もなしに話が進んでいることに混乱した。
「ああ貴方、ちょっと下がって。危ないから」
「はい?」
豊姫が退くと、パチュリーは呪文を詠唱し始め、それに従って部屋中央の、豊姫がついさっきまで立っていた場所を含む床が円形に回転しながら落ちていった。後には大穴が残されたがなおも詠唱は続き、今度は穴から灰色の筍のような円錐が顔を出し、それは竹が伸びるが如く急速に天井に向かって進んでいった。この物体が、というより物体を載せた床がせり上がっているのであり、床が周りと同じ高さまで上がったところで呪文は完了した。
それはロケットだった。ただ、月の都で運用している綺麗な筒型ではなく、まるで打ち損ねたダルマ落としみたいに三段の背の低い円筒が歪に重なり一番上の円筒の上に円錐が載っている、そういう形だった。最下段にフィンやブースターでなければありえない見た目の構造物がついていなかったら豊姫はこれをロケットとは認識しなかっただろう。
「こんなんが飛ぶって?」
「飛ぶのよ。むしろ貴方達が一番よく知ってるでしょう?」
「うちに侵略しに来た集団のうち、紫
じゃない方が乗ってきた奴? こんな原始人みたいな材料のもので宇宙を飛ぼうなんて正気じゃない」
「おっと、前とは違うわ。前は木製だったけれど、研究を重ねた結果石でも飛ばせるようになった。勇者の初期武器から一世代進歩よ」
「どんぐりの背くらべが過ぎる。せめて金属にしなさい」
「おっと、石、それも大理石であることに意味があるのよ。このギリシャ式ロケットは航行システム『 Ἑκάτη』を搭載しており巫女の祈祷なしでの航行が……」
「はいはい」
豊姫はおざなりにパチュリーの説明を切った。
「で、これは運用距離としては月ロケット相当と」
「理論上は。貴方月の人なんでしょ? 許可を貰えたら試射できるけど」
「結構……。それにどう考えても足りないじゃない」
豊姫は紫に文句を言った。
「何が」
「距離。必要なのは地球から月とかいう目と鼻の先に移動する手段じゃなくて今のところ土星より遥かに遠い位置に、遥かに遠い時点で到達する手段なのだけれど。こんなの使うくらいならうちで用意した方が百倍マシよ」
「貴方のところ、遠距離探査用のロケットなんて持ってたかしら?」
「ノウハウはあるわよ。わざわざ貴方達みたいに『他所の星を探検する』なんて無駄なことをする必要性を感じなかっただけで」
「かつ有人で」
豊姫はぐうの音も出なかった。月で運用しているロケットは大半が衛星や機材打ち上げ用の無人ロケットで、極稀に作業要員の玉兎を周回軌道上に投入ないし回収するためのロケットが使われる、その程度だった。これもまた必要性がないからして来なかったことだ。地上との往復ならロケットでなくてもいくらでも手段はあり、地球以外の星にはそもそも人を寄越す意味がない。
「でも、月に手段がないことを認めるにしても地上に手段があるわけではないでしょう? 有人で飛ばせる距離が周回軌道か隣の星かなんて、それこそどんぐりの背くらべよ」
「手段ならあるわよ。これを使う」
「だーかーらー」
話の通じなさに流石の豊姫も少し上品さを捨てた。ただ紫には全く効いていない。
「目的地の隣で打ち上げればいいのよ。そのために貴方を呼んだの。まずここは幻想郷という山。海があれば貴方の能力で接続できる。行ったことがなくても知識として知っているかもしれないけれど、木星や土星の衛星には海があるものが複数ある。それらの候補から見繕って、土星なり木星なりの近くに件の星が来た瞬間にロケットを転送、打ち上げて上陸させる」
「力技がすぎる」
「スマートな手段でないのは認めるわ。ただこれがおそらく最善、ないしは唯一の対処法だと思う。『遠い位置にある時点で穏便に解決する』という条件を満たすためには」
「それにしたって、こんな不安定なロケットで、誤差が多分に出るだろう距離での観測に基づいた時間での打ち上げで、到達先の環境が生存に耐えるか不明。ここまでやって成功が確定するんじゃなくてスタートラインに立つだけというのはいくらなんでも」
「貴方のところなら絶対にやらないでしょうね。でもうちはやる。それが『下賤な』地上人の酔狂ってやつなの。そして、だからこそ彼女達は任務の担い手として適切なの。幸運、それも先方の恩寵を受けての幸運に預かってのそれはこの場合大きな意味を持つ。付け加えるなら、彼女達が『付喪神』っていうのも大きいわね。宇宙探査における人間のしぶとさは貴方方もよくご存知でしょうが、道具の底力ってのも馬鹿にできない」
「要約すると、適任がいるからそいつらを生贄にした破れかぶれの作戦をすると。貴方、友達少ないでしょう?」
「玉兎を使い捨てにしてる貴方達が言うことではないわね。まあいいじゃない。この計画では貴方達は何も失わない。計画が失敗して地上の付喪神が何人か亡きものになったきに貴方個人の良心が痛む、そんなことがなければ」
「言われてみれば、ロケットの転送で出張しないといけない以外の出費はないわねえ……」
豊姫は渋々了承することにした。この渋々という部分は十割「地上の賢者の指図を受けて行動せねばならないこと」への不満であり、そういう感情抜きにした合理的判断としては何も問題を感じないというのがなお腹立たしくはある。
「じゃあ来たるべきときにこれを使うのは決定として」
「当然相応の対価は貰うわよ。いくら世界の危機がどうこうとか言われようが他の方法差し置いてうちに出費求めてるんだから」
「はいはい。それよりもロケットが変わったとなると色々確認が必要になるわね。仮に月まで飛ばすとして所要時間は?」
「前と同じ。同じようにすれば月に到達可能というのは判明しているから増えた重さに対して推力を強化したり、色々帳尻は合わせてるわ」
「覚えるべき操作とかそういうのは」
「航行は自動。大体前だって神様任せだったし大したことはしてない。ああでも、打ち上げの魔力増強に赤道魔法陣を使っているから、打ち上げ場所がここじゃないなら赤線を引く手段を持っていく必要はあるわよ。一応言っておくけど他所の星にわざわざ出張とか私は御免だから」
パチュリー、あるいは動かない大図書館、は、現在進行形で他所の星に出張に来ている月からの使者を前にしてふてぶてしくもそう言ってのけた。
「持ち物、赤いペンキ缶ないしは絨毯っと……。何人乗り?」
「五人乗り。固定枠の巫女が不要になったから柔軟性は増えてるわよ」
「前はもうちょっと乗ってなかった?」
「同じよ。妖精は軽いから大体三人で一人分な換算だったの」
「まあ、五人なら丁度だからいいか」
「丁度?」
「元々付喪神を五人派遣する予定でロケットも五人乗りなんだから丁度でしょ?」
「あー。残念だけれど乗れるのは三人よ。こっちから二人乗せないといけないから」
「要員が必要ということ?」
紫は首を傾げた。話を聞く限りわざわざ紅魔館側から人の応援を貰う必要性はないように思えたからだ。
「要員というかねえ……。レミィが行きたいと言って聞かないからレミィと、そのお付きとして咲夜もどうしても必要」
「この状況でそんなわがままを?」
紫は怒りではなくもはや驚愕で息を吐いた。
「親友の頼みとなれば断るわけにもいかない」
「貴方ってそんな情に流されるタイプだった?」
「じゃあ貴方にも分かるような理由を言うと、レミィは私のパトロンでもあるの。金だけでなく場所も提供して貰っている。そんな中で不興を買ってロケットを処分される、下手すると追い出されてホームレスになるリスクは私は負えないわよ。方や家主、方や居候なんだから家族会議になったら絶対に負けるし」
「家族会議……。仕方ないわね。貴方の都合はともかく暴君一人の癇癪如きでロケットを失うわけにはいかない」
「私の都合はともかくって……。貴方、友達少ないでしょ?」
「友達が必要な役回りでないのだからこれでいいのです。付喪神達に三人選別するように伝えないとね」
***
「ということで五人から三人を選ばないといけないそうなのだけれど」
賢者から具体的な計画について説明を受けたため、付喪神達は緊急で会合を開いた。
「一人は雷鼓だよね」
「私!?」
「うんうん」
「なんでみんなそれが当然みたいな雰囲気出してるの」
「だって内容理解してるの姉さんだけだろうし」
「そうだぞ。しっかりしろ」
「あんたらがだ、あんたらが!!」
会合は民主主義故原則多数決であり一枠が雷鼓というのは極めて迅速に確定した。もっとも雷鼓とて、ここでゴネまくって他四人からの選別になったあげく遭難でもされたらショックで魂も抜けて只の太鼓に戻るというもので、決定に異論はない。
「ごめんな、こいつらが不甲斐なくて」
「なんで『自分は分かってる側です』みたいな顔してるの、こころちゃん」
「おお? ついに私にも表情が」
「いや真顔だったわ。そして真顔でもその感情は丸わかりなのよ」
「それはそうと、四人からあと二人行く人を選ばないといけないのよね」
「『行かない人を選ぶ』、とも言えるわね。まあ私達が無理言って姉さんを推薦したんだし、残りの二人は姉さんが選んじゃっていいと私は思うわよ」
「もし選べないなら籤引きもあるから気負わなくてもいいからね?」
小傘は真っ白な紐二本と、ほぼ白いが片方の端だけ赤く染まった紐二本の計四本を今の時間で用意していた。
「籤引きにするとして、当たりの紐を引いた人が行く? 二本と二本で同じだからここは先に決めておかないといけない」
「普通に考えてそうなんじゃないか?」
「でもぶっちゃけ、行くのが決まってる姉さんの前でこんなの言いたかないんだけれど、本心としてみんな行きたい?」
「あー」
「そう言われると、めっちゃ微妙」
「他の星に行くんだっけ? 面白そうだけれど怖いよねえ」
「外れの白い方が行くってことにする?」
「それはなんか違うじゃん?」
「待たれい」
雷鼓がやいのやいの言っている四人を「舞台上で半分ボケとしてやるなんか歌舞伎っぽい言い回し」で制止した。
「今回の肝って私達の幸運でしょ?」
「そうなの?」
「そうらしいの。と考えると、逆に籤引きで決めるのって怖くない? もしかしたら籤の当たりの方が悪い側で、この中で運が悪い人ワースト二位までを選ぶことになるかもしれない」
「姉さん的にも他のメンバーが籤引きってのは嫌かあ」
「うん。あとキザな言い方すると、運がいいからっていう理由で私達にお鉢が回ってきたからこそ、そんなサイコロを振るみたいな決め方じゃなくて自分の意志でここは選びたいのよ。だから私に任せて」
「雷鼓がそう言うなら異論はないけど」
「決めれるか?」
「決めれる、というか紫さんが話を持ってきた瞬間『とりあえず雷鼓は行くね』みたいな空気になったから、その時点で自分なら他の二人はこうするっていうのを決めたよね。ということで」
雷鼓は息を吸った。
「弁々!! 八橋!! 頼んだわよ!!」
「はい!!」
「留守番ね、任せて!!」
「八橋、ここでボケる?」
「そこはね。ちゃんとボケと分かってくれて嬉しいわ」
「いやあ、今のボケはだいぶリスク高いぞ」
「こころと小傘、選んであげられなくてごめんね。貴方達の分も私達頑張ってくるから」
「まあ、どの道二人は切り捨てないといけないから仕方ないよね」
「そして逆様のときの分だけ九十九の二人のが雷鼓とはちょっとだけ付き合い長いからな。妥当な結果よ」
小傘は納得で、こころは後方彼氏面(というお面)で、腕を組んで頷いた。
「行くのはいいとして、何すればいいの?」
「そこはまあ姉さんに任せて」
「他力本願ー!!」
「少なくとも持ち物は雷鼓に頼らず自分で用意すべきだな」
「そうねえ」
「あ、生活に必要なものは紅魔館さんが出してくれるって」
「流石太っ腹」
「余計な物持ってくんな、という意味にもとれるわね」
「えー、おやつくらいは持っていきたい」
「おやつってどのくらいまで大丈夫?」
「そんなの聞いてないわよ」
「ここは常識で考えよう。おやつの上限なら三百円だろう」
「上限高!! 年収じゃん!!」
幻想郷での一円の価値は、単純比較はできないが外の世界よりは相当高いのだった。逆にその額のおやつを用意できる財力はないので最終的におやつと自分の道具の手入れに要する道具、その他諸々全部合わせ一人背嚢一つ分なら先方も了承するだろうということで決着した。
***
打ち上げ当日、紅魔館に来た雷鼓と弁々、八橋の三人は門の前で小傘とこころに会った。
「見送りに来てくれたの?」
「うん」
「いやあ、心配で昼も眠れなかったぞ。お前達はちゃんと寝れたか?」
こころは目の下にくまを作っていた。
「私達はそこそこ寝れてるから大丈夫よ」
「ハンカチは持った? 知らない人に声をかけられてもついていっちゃ駄目だからね?」
「小傘さ、心配の仕方がお母さんすぎない?」
「それと何かの役に立つと思うからお守り代わりにこれ持っていって」
小傘は三人に十徳ナイフを渡した。柄の木材部分がちゃんとそれぞれのパーソナルカラーに塗装されてる。
「十徳ナイフを我が子に渡すお母さん!?」
「お母さんじゃないってー」
「いやでもこれ凄っ。流石手先器用なだけあるわ。小傘、ありがとう」
「どういたしましてー」
「おっと、私からも渡すものがあるんだった」
こころは懐から大きめの風呂敷包を取り出して雷鼓に渡した。
「お前達、じゃなくて会いに行くっていう凄い付喪神さんにだが」
「お土産?」
「ま、そんな感じだな」
「一度開けてみていい?」
雷鼓は包を外から触った感覚に少し違和感があったので確認を求めた。
「いいぞ」
「じゃあ……」
それは、神霊廟の道士の親玉の顔をなんというか前衛芸術っぽくしたような造形のお面。要は、希望の面である。
「待って、大丈夫?」
「確かに見た目がちょっと独特すぎるかもしれないけど性能は本物だよ」
「いや、見た目じゃなくて、あんたの面な上に結構大事な面じゃん。なくなったら大異変起きるレベルで」
「ああ、それなら問題ないぞ。希望……希望……。ほら」
こころは希望に満ち溢れた感情になった。
「増やせるの!?」
「元々なくなったというかこいしの奴に盗まれた面の代わりに作ってもらったのが今の希望の面だからな。複製など私の手にかかれば……。うん、神子殿の力も借りてな。道教って凄いんだ」
「……複製してもらう代わりに変な対価支払ってない?」
「おっと営業の感情が。まあむやみに面を増やしては混乱の元だからそうそうはしないさ。ただ、なんというか今回は必要になりそうな気がしてな」
「ほう?」
「まあなんとなくだ、なんとなく。この薄さなら邪魔にもならないだろうし一応持っておいてくれ」
「うん、その直感を信じるとするよ」
雷鼓はこころに一礼して、面が傷つかないように慎重に背嚢の空いているところに仕舞った。
「と、そろそろ行かないと。先方の魔女が一分単位で時間を指定してくるのよ。神経質だよねえ」
「そうか。気をつけてな」
小傘とこころは館内に駆けていく三人に手を振った。
「大丈夫かなあ」
「あの三人なら大丈夫だろ。それより」
「それより?」
「『ろけっと』っていう乗り物で行くって言ってたよな。ろけっとって何?」
「さあ? でも多分空を飛ぶ乗り物でしょ? 待ってたら見れるんじゃない?」
「館から飛び出てくる?」
「あの一番高い塔がさ、ビヨーンって」
「そうなのか?」
「あいや、そうだったら楽しいなって」
「私は館が変形して巨大な人型になってっていうのも浪漫あると思うぞ」
「いいねえ」
と、二人はロケットなるもの、というよりどんな形で三人が飛んでいったら一番格好いいのかというので談義していたが、いつまで経ってもロケットが飛ぶこともなければ館もちっとも第二形態にはならなかった。二人は、ロケットが一度他の星に転送されてから打ち上げられるということを知らなかったのだ。
そのうちに館の門番が出てきて、彼女にロケットについて聞いたら「お嬢様達と御三方ならもう行きましたよ?」と言われ、二人は狐につままれたような感覚になったのだった。
***
「貴方、大きいわね」
吸血鬼、レミリア・スカーレットはわざとらしい体育座りで窮屈さを訴えた。文句の先は雷鼓である。付喪神という性質上やむを得ないのは分かるとはいえ、直径二尺程もある巨大なドラムを狭いロケットに持ち込まれては顰蹙の一つや二つ表明したくもなるというものだ。
「椅子持ち込みってことでそこは多目に見てほしいところね。それに、無駄というわけではないでしょ?」
付喪神三人はセッションをしていた。よく言えばプライベートライブだが、そう思っているのはレミリア一人で、残りの乗員は「目的地に着くまでの高々数日の退屈に耐えられない短気な家主をあやすための子守唄」だと思っていた。
「いいえ、無駄ね」
レミリアの返事に驚き、三人は演奏の手を止めた。
「続けて? 無駄とは心の余裕なの」
と、確かに心の余裕はあるかもしれないがそれとは別の忍耐力に難がある幼君は言った。
"あと二十四時間で目的地に着陸するわよ"
壁に備え付けられた古代ギリシャ風神棚(奇妙な表現だが、事実パルテノン神殿みたいな造形で月桂樹やら赤ワインやらが供えられているのだ)から粘度の高い声が発せられた。
「今回の航海士は優秀よね、声以外は」
「ああいう声の人が結局一番強いのですよ」
レミリアの従者、十六夜咲夜が紅茶を給仕した。
「じゃあ私達はそんな強くないってことになるわね」
「相対的には。それに怒らせて虚空の果てに飛ばされる、なんてことになったらとんでもないですからね。発言にはお気をつけを」
「咲夜って無神論者じゃなかった?」
「現に存在しているものは普通に信じますよ?」
「うーん」
レミリアは釈然としない気持ちだった。
「ともあれ二十四時間後着陸となると、まず寝る時間が八時間で」
「五時間あればよくない?」
弁々の計算に雷鼓が反論した。
「姉さんがショートスリーパーすぎるのよ。普通は八時間」
「いえ、九時間必要だわ。寝る子は育つの」
レミリアも雷鼓とは逆の理由で反論した。
「じゃあ九時間、それで育つかどうか非常に怪しいけれどそれは置いときましょう。残り十五時間で」
「どうせ着陸する直前の一、二時間くらいはまともに動いてらんないよ。打ち上げのあれを考えたら」
八橋は打ち上げの瞬間のGが若干トラウマになっていた。
「それも引いて……自由に使えるのはあと十三時間。普通にまだまだあったわ」
「だから言ったじゃない。心の余裕よ」
レミリアにあまり心の余裕がない感じで急かされて、付喪神三人は演奏を再開した。