「静粛に!!」
議長は叫んだ。彼は吸盤のついた触手八本を、楕円球体の本体の下につけた姿形をしている。つまりは地球人ではなくタコ型の「宇宙人」である。彼らは自身を「雪球人」と呼んでいた。
雪球人の母星は雪球の名の通り寒冷な気候で、文明発展による大規模な温暖化を経てなお平均気温は摂氏四度程度に収まっていた。会議が開かれているこの日も大雪だった。
「何が静粛にだ!! こんな会議ボイコットだボイコット!!」
「黙れ!! 民主主義の原則も守れない野蛮人がいるぞ!! おい議長、こいつらをつまみ出せ!!」
しかし、参加者は誰も雪には言及せず論敵へのヒステリックな攻撃に終始していた。それだけ会議が紛糾していたというのもあるし、そもそもこの議場は地下にあるのだ。
元を正せば主星のせいと言えた。主星が老いてその活動が極めて不安定になった。しばしば致命的に大規模な放射を放つ。今はまだなんとか誤魔化しが効くが(この場合の誤魔化しとして、例えば権力者は安全な地下に籠り、社会の低層が地上で行わなければならない活動に従事して恒星フレアの害を引き受けるというものがある)、じきにコストが払えなくなるのは明白だった。そこでこの恒星系から脱出するという話になり、手法を巡って激論が交わされている、というのが今の状況である。
かように地球とは異なる星だが、一方で共通点も多くある。
幾何学は惑星が異なっても成立する。雪球人の世界でも円とは「ある点から距離が等しい点の集合」である。だから円とはこの星でも平等の象徴であり、議場は円形であった。
物理学も共通である。細かい基準の差はこの際問題にはならない。いかにこの星の重力加速度が地球より小さかろうと、物は上から下に落ちるのだ。だから上とは権威の象徴であり、議長席のある床は他より高くなっていた。
そして、高い議長席から見下ろした眼下で繰り広げられる万物の霊長に似つかわしくない獣じみた乱闘もまた、地球とこの星とが共通して持つものだった。とうとう二人が取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「星そのものを宇宙船にするなどという、おとぎ話のフィクションでしかないものに我々の命運を委ねるというのか!!」
「小型宇宙船に選別した人員のみを載せて、バラバラな方角に打ち上げて運よく代替の星にたどり着く一隻があることを祈る? 君達は何人を犠牲にするつもりなのか!! この独裁者が!!」
二人の主張こそがこの星を今支配している二大派閥である。片方は単に宇宙船を大量に作るという手法を、もう片方は惑星に巨大なエンジンのような機械を建造して惑星自体を巨大な一つの宇宙船として運用するという手法を主張していた。
それぞれがいかに支持されているのかといえば、この時点で既に行われていた投票の結果――議長席の背後のディスプレイに映し出されている二つの数字――の違いが僅か一だけ、ということが示していた。
故に他の個体も騒ぎを止めるのではなくむしろ殴り合いに参加することを選んだ。鞭のようにしなった腕がピシャリピシャリと音を立て、時々椅子やら小物やらを持った腕が振り上げられて、青色の血が灰色の机や床を染めていった。
「どうしてこうなってしまったのだろうか」
議長は腕の二本を頭の裏に回した。地球人にとっての「ため息をついた」に近い感情表現である。
リモートで会議を招集するべきだったのだろうか? そうすれば少なくとも神聖であるべきこの場所が闘技場へと堕ちることは避けられただろう。議長の権限とはこの星の世界政府の立法府の長という意味でもあり、その程度の権限は余裕で合法と認められるものだった。だが、仮にリモートの会議で議決したとして、今度はその決議の正当性を巡って血で血を洗う議論となっただろう。この星の住民は重要な決定については対面で行うことを強く求める。結局内戦は避けられないのだった。
「どうしてこうなってしまったのだろうか」
そもそもこのような凶暴な種族が星の支配者になったのが間違いだったのではなかろうか。が、結局万物の霊長とは生存競争への最終的勝者ということであり、この座に至るためには他を蹴落とす闘争心が必要条件だったのだろう。議長は虚ろな目(地球人と同じく目玉は二つだ。ただしその瞳孔はヤギあるいはそれこそタコのように横長である)で黒色かつ複雑な形状の葉を持った観葉植物を眺めていた。植物が地上を支配していたらきっと世界は平和だっただろうが、闘争心の面においてそれは決して起こり得ない結末だった。仮に何かの間違いでそうなっていたとして、暴走する主星の前に黙って葉を枯らして滅亡していただろうが。
「どうしてこうなってしまったのだろうか」
「静粛に」という努力とこのぼやきを議長は繰り返していたが、徐々にぼやきの割合が増えていった。そうしているうちに騒乱は議長席にも近づいていた(特に一票差で負けていた小型宇宙船派は、明らかに議長に殺意を抱いていた)。議長は観葉植物から目を離してからはそれをぼんやりと眺めていた。議場の騒ぎ、ひいては星の混乱をどうこうしようという気力はこの惑星の意思決定機構の最高権力からは失われていた。
どうやってか議場に持ち込まれていた大型の刃物が議長の頭を切り裂いた。青色の血を大量に出しながら議長は椅子から崩れ落ちた。
議長の死があってなお乱闘は終わらない。そもそも互いにこの時点での敵の撃滅を企図して警備隊の突入を妨害していたというのも被害の拡大を生んでいて、双方の妨害を突破して警備隊が事態を収集していた時点で二桁に及ぶ(地球人が使う十進法でも雪球人が使う八進法でも二桁)議員が死亡した。そして議場の悲劇は序章でしかなく、このとき事態を沈静化させた警備隊の人々も、地下で中継で混乱を目の当たりにした人々も、中継を見ることなく地上で労働に従事していた人々も、否応なしに星を二分する戦乱に巻き込まれ、終結までに人口を半減させることになる。
***
摩多羅隠岐奈は椅子に座り、旧血の池地獄上空を飛んでいた。沸騰した血から泡が次々と飛び出てきて、それらは隠岐奈より遥か下で爆ぜていくが、熱気だけは椅子の下面を直撃する。
旧地獄の中と外と境界に扉を設置して、旧地獄から熱気が抜けようとしているか外から冷気が入ろうとしているかという瞬間だけ扉を開けて排熱と冷却をすることで再現なく旧地獄を冷やす、そういう機構を隠岐奈は妄想した。妄想でもしてないと正気が保てない灼熱の赤の世界が旧血の池地獄である。
「あっ、偉そうな神」
隠岐奈が旧地獄排熱システムを脳内で構築していると、池の中から紫色の角と尻尾が話しかけてきた。
「偉そうな、ではなく偉い神様だ。神というのは全員偉そうなのだから『偉そうな神』では誰のことか分からんだろ」
「それもそうっすね。それはそうと偉そうな神さん、今日は何の用っすか?」
隠岐奈はため息をついた。この地に住む天火人ちやりという妖怪は自分とは別の方向にある種の尊大さというか傍若無人さというか、そういうのを発揮している。もっとも、旧血の池地獄というお世辞にもよいとは言い難い環境でその精神を保っているのは、ちやりと血の池の相性というのを加味しても少し尊敬に値するものなのかもしれない。
「いつも通りだよ」
「あーはい、ブラッディ・メアリーっすね」
「そうそう、酒は辛口に限る……。じゃないって。いつからここは行きつけのバーになったんだ」
「仕方ないじゃないっすか。うち、これくらいしか出せるものないんで」
ちやりは一度池に潜水した後、およそ一分後には今度は血の池から飛翔して空中の隠岐奈にグラスを渡した。赤色の液体が入っている。そして縁にはちゃんとレモンの輪切りも添えられているのだった。
「逆にそれは出せるんだ……。血じゃん」
グラスを鼻に近づけた隠岐奈は眉間に皺を寄せて舌を出した。
「そりゃそうっすよ。ウィスキーにメアリーさんの血を混ぜてレモンとタバスコと胡椒で味を整えたカクテルでしょ?」
「ここの血ってそんな個人のもの毎に分離できるの……? 怖。というかウィスキーと血の組み合わせの時点でレモンだのタバスコだの入れたところで味の整えようがないだろ」
「そこはまあ、なんとなく」
「お前を台所に立たせるべきではない、というのは分かった。というかそもそも私は酒を飲みに来たんじゃないんだよ。いつも通りってのはお前のボスの方」
「ああそっちっすか。饕餮さんなら多分あれです。今頃八雲の藍と逢引」
「んなわけねえだろ」
池の中から今度は巨大なスプーンを持った羊みたいな妖怪が出てきて、そのスプーンでちやりの後頭部を殴った。剛欲同盟の長、饕餮尤魔である。
「ほらこうすると出てくる」
「嘘の醜聞で人を釣ろうとするんじゃない。で、今日はどんな無理難題を持ってきたんだ」
「お前の部下の天火人の味覚矯正。せめて血の入ってない酒を振る舞ってもらわないと」
「ハハハ、そりゃ無理だ。血はこいつの存在意義に関わるんだから」
ちやりは「血、普通に美味くないすか?」と不満げだが、如何せん残りの二人が血を好まない常識的な味覚の秘神とあらゆるものを美味しく頂く味覚なしの貪欲な獣なので、血が特別優れているという彼女の主張は届かなかった。
「まあそれは冗談だ。本当の要求はこの場所のエネルギーが欲しい」
「エネルギー? 石油か?」
「石油もだし怨念なり熱なり、要はなんらかのエネルギーに変換できるものならなんでもいい」
「よっぽどの大事業でもやるつもりなんかね。分かっていると思うが相応の対価は頂くぞ」
「この星の命運、じゃあ駄目かね。まあお前が大義名分などというものでは動かないことは分かっていた。報酬は払うさ。言い値だとしても安い買い物だ」
「私と取引を、それも言い値でするということは、つまりはそういうことだぞ? ちなみにどのくらい欲しい」
「洗いざらい全部だ。ここが虚無の空間になるまで」
「ハハハ」
饕餮は豪快に笑ったが、隠岐奈が眉一つ動かない真顔なのを見て口を閉じ、上げた口角をへの字に曲げた。
「マジで言ってんのか?」
「『本当の要求は』と言ったところから全部本気だ。この惑星の命運のため、少なくともこの場所のエネルギー全てが必要だし、対価はいくらでも払う」
「まず、無理だろ」
「この場所の外縁部に扉を設置してエネルギーを排出する。理論上はロスなく取り出すことができる。ここがあまりにも熱すぎるものだから移動中に思いついた。外の世界で『マクスウェルの悪魔』と呼ばれるものに近い機構だな」
「前言撤回。お前、いや、お前達ならどうにかしてできはするんだろうさ。しかしだ。億歩譲って私がそんな阿呆な条件を飲んだとして、どう考えてもあいつは飲まんだろう」
「あいつ、というのはどっちだ? 名目上の旧地獄の支配者か名目上の新地獄の支配者か」
「その二択なら二人目の方だな。おい、ちやり」
「なんすか」
二人が真面目な話をしだしたのでちやりは蚊帳の外になって池に戻っていたが、饕餮に大声で呼ばれてまた浮上してきた。
「出番だ。残無の奴のところに行く」
***
「お前は何を言っているんじゃ」
新地獄の無間地獄は広漠とした荒地が広がる虚無であり、今はそこに椅子が一脚と大岩が一個あった。椅子とは無論隠岐奈のことだ。そして大岩はこの地の支配者、人鬼の日白残無である。
「そのままの意味です。とりあえずは旧血の池地獄のエネルギーを全て頂きたい」
残無は息を吐いた。強欲な奴への対応というのなら立場上年がら年中している――何故か隠岐奈組の一員みたいなポジションでヤンキー座りをしている饕餮の奴などその最たるものだ――が、賢者の要求というものはそういうのとは文字通り質と桁が違う。
「お前が無知な奴とは思わんが一応教えてやる。地獄というのはどの区画も悪意の塊じゃ。そのまま地上に持ち込めば現世を破滅させるのに十分なほどにな。それを洗いざらい貰おうというのなら、儂は地獄の統率者としてまず目的を聞かねばならん。貴様は魔王にでもなったつもりか?」
「この星を救うために必要なのです。具体的に説明しましょう。今、太陽系の外から巨大な、惑星大の天体が迫っています。当然地球に直撃すれば只では済みませんし、直撃しなくとも接近されるだけでその重力により破壊ないし致命的に公転軌道から弾き出される可能性もある。故にできるだけ遠い距離で破壊する必要があり、破壊には相応のエネルギーが求められるというわけです」
「なるほどなあ」
残無は体を仰け反らせて天を仰ぎ、思案した。
「で、あれば、聞くべきことが増えるなあ。旧血の池地獄だけでは足りんな?」
「エネルギーを取り出してみないことにはなんとも言えませんが多分そうですね」
「他にも貴様は世界の拠出を求めるはずじゃ」
「そうなりますね。我々としても苦渋の決断ではありますが、影響が極力少ない『端っこ』の世界からもういくつかは」
「それで贄にされた世界はここのような虚無と成り果てると。ハッハッハ」
残無は笑い声を上げたがその声は乾燥しきっていたし、目は蛇のようであった。彼女はその表情のまま、髑髏の大針を隠岐奈の喉元に突きつけた。
「貴様も儂の考え、全ては虚無になるという、その考えに辿り着いたか。素晴らしい。素晴らしく、不愉快じゃ。貴様らは儂のようになるべきではなかったのだがなあ? おい、日狭美」
「なんでしょう?」
無間地獄の背景空間がねっとりとした声を発した。
「賢者様の一人が狂乱であらせられる。幽閉してしまえ。その方が余程幻想郷のためじゃ」
「御意」
暗黒空間の四方八方から植物、おそらくは山葡萄の一種の蔦が伸びて、隠岐奈の周りを覆った。
「おいおい。言わんこっちゃない」
饕餮がぼやいた。今回ばかりは何もしてないのに拠点の一つを虚無にされるか隠岐奈の巻き添えで幽閉されるかの二択を迫られているのだから文句の一つや二つ言いたくもなる。
「言ったか?」
「あいつは要求を飲まんだろうと言ったはずだ」
「この仕打ちは予想してなかったんじゃないか?」
隠岐奈はとりあえずで後戸から脱出しようとしてみたが、扉に蔦が絡みつき閉まるのを妨害していた。後戸の国に入れはするが、これでは日狭美らの攻撃は後戸まで迫ってくるから逃げ切れはしない。
「どう考えても予想できるだろうが阿呆」
饕餮とちやりは標的にはなっていないが、蔦の籠に封じ込められていて勝負が決着してくれないと出れない。自分達だけで蔦をこじ開けて抜けるという選択肢もあるにはあるが、少なくともちやりは籠の天井を見上げて「おーすげー」と暢気に言ってるだけなのでこの場は役に立ちそうにない。
「試さねば分からぬこともあるさ。特に今回は『先方』が目に見える結果を求めているのでねえ。無理というのが分かっただけでも収穫だよ。しかし、だ」
隠岐奈は後戸から弾幕を出して蔦を切った。切った端から伸びてくるので根本的な解決にはなっていないが安置を作ることには成功している。
「無理です、で終わらせることができないんだよな。『この方法は無理です。代わりにあの方法なら』という対案を出さねば」
隠岐奈は饕餮の方を見た。
「あ? んなこと言われても知らんぞ。そういうのを考えることこそ『賢』者様の領分だろが」
「人の意見を聞くというのも我々の大事な役割だからな。お前ならどうする?」
「あー? 紅魔館の金髪の方の嬢ちゃんに頼んで壊してもらったらどうだ?」
「分かりやすいね。ただ、できるかどうかが問題だな」
「できるだろ。そこを疑問に思う意味は分からん」
饕餮はフランドール・スカーレットという破壊神の吸血鬼には全幅の信頼を置いていた。
「大きさがな……。あいや、引っかかってる理由は可能不可能か、ではないな。もし成功して『惑星も破壊できる』という体験を彼女に与えるのってとんでもないリスクにならないか?」
「その理屈でいうと私は常にリスクを背負っているのだがな。あやつに破壊されたことがあるから。まあ、言わんとすることは分かる」
「プランBだな、これは。他に案があるのならフランに頼るのはしたくない。その他の案、残無殿はどう考えますか?」
「儂か?」
残無は蔦の籠の外側から隠岐奈の喉元に針を突きつけて行動を制限するのに加担する役を続けていたが、呼ばれて少し警戒を解いた。
「ええ」
「ふむ。わざわざ悩むということは、霊夢に解決させるというのはないのじゃな?」
「まあ、それで済むか済まないかでいえば今回ばかりは済まないでしょうし」
「霊夢が不適となると、儂には心当たりはないぞ。地上には詳しくないからな。ただ一般論から言わせてもらうと適した人物を探すべきじゃろうな。事態が桁外れじゃから探した結果、普爛(フラン)とかいうお前が渋ってる奴しかいない、になるのかもしらんが。例えばそうじゃなあ、思い切り幸運な奴に頼んで運よくどうにかなる、とかどうじゃ?」
「幸運? 例えばあの兎か。多重に怪しげだが、そういうのも一旦精査してみるか……。世界を数個破滅させるよりはマシでしょうからね」
「ああ、大マシじゃ」
「それでは私は作業に戻ります。残無殿、ご迷惑をおかけしましたな」
隠岐奈は後戸から桃の香りを出した。桃は最強格の魔除けである。そのフルーティーな香りに地獄の蔦は怯み、その隙をついて隠岐奈は後戸を閉じて逃げていった。
「なんだったんじゃ……」
「よく分かりませんな。とりあえず一旦何もなかったと」
「あやつが忸怩って地球が滅亡するか、あやつが血迷って池の血を全部抜くとかやり始めない限りはな」
「ですなあ」
「あのー、いいすか」
残無と饕餮が呆然と余韻に浸っていると、ちやりが間延びした声で残無に話しかけてきた。
「なんじゃ」
「日狭美さんに拘束を解くよう言って下さい。私達無意味に蔦に閉じ込められたままなんすよ」