Coolier - 新生・東方創想話

駆狼

2021/09/23 20:44:26
最終更新
サイズ
186.32KB
ページ数
9
閲覧数
6380
評価数
9/13
POINT
1090
Rate
15.93

分類タグ



2. 追憶―disgusting―




 あぁ、恐ろしや。こんなことでは戦えぬ。
 あぁ、恐ろしや。こんなことでは守りきれぬ。
 あぁ、恐ろしや。こんなことでは敵を殺せぬ。
 深き深き水底で、そのような声にしかと耳を傾ける者がいた。音の波紋はそれの耳ではなく口に運ばれ、吸い込み、咀嚼する。仄暗く濁った想いは口内で弾ける刺激を伴って、非常に美味である。
 声の主等は、その存在を有り難がり、手を合わせ、名前をつけた。まるで乳母のように、優しき者を幻視しながら。
 《姆髄(モズイ)》、と。

◇◇◇

 例大祭一週間と二日前。

 伝書鴉の一撃で目を覚ましたのはいつ以来だろうか。額の上を陣取り我が物顔で欠伸をかます生意気な重石を起き上がる勢いで退かすと、布団の上でのたうつそれの頭を掴み、脚に括られた書を奪ってから窓の外に放り投げる。
 朝からなんだと言うのだ。昨夜は遅くまで執筆をしていて、昼ぐらいまで惰眠を貪る算段だったというのに。
 泡食って飛び去る鴉を見送り、手に残った伝書を筒から出す。書面の封を見てまず目を引いたのは、飯綱丸の印だった。銘の入った伝書ということは、鼻高を通さず直接届けられたということ。鴉のあの不遜っぷりも納得がいくというものだ。
 肝心の内容だが、詳細は直接話すというもの。そして――

「帯刀した上で来るように、ね」

 長らく押し入れの最奥に仕舞われていた刀。"ある事件"を切っ掛けに引っ張り出されていた。二度と手にすることは無いだろう、だからいっそ忘れてしまえ。そうして何とか記憶から消していた一振り。が、存外記憶とは強固であり、探せばことのほかあっさりと取り出せてしまう。
 役目を終えた今、再び片付けるのも手間であるし、結局のところ忘れることなど叶わなかったのだから、諦め半分に棚に立て掛けていた。その棚の上には、不自然に距離を空けた二人の天狗の写真が飾られている。
 嫌になる。こいつはすぐに、厄介事を呼び込むのだから。
 まるで気は進まなかったが、大天狗直々の命であるならば、反故になど出来る筈もない。鴉天狗、射命丸文は少し伸びてきた黒髪をかきむしり、大きく溜め息を吐くと、あまり袖を通したくない正装はどこにやったかなと、箪笥を探す。
 衣装を探しつつも、頭の中はまるで別の事を考えていた。
 かつての後悔。そして新たな後悔。永く生きていれば多くの災難に出会ってしまうものだが、大半はくだらないと一蹴しすぐに忘れてしまう。この身が定命ならば死して失うのみ。しかし死せる日がいつになるかわからないのならば、持ち物は少ない方がいい。人間みたく持ち物を増やせば増やすほどに、足は前へ進むのを拒んでしまうから。
 理解していた。分かりきっていた。だというのに何故、今になって持ち物を増やしてしまったのか。
 摩多羅隠岐奈の言葉遊びは当を得ている。射命丸文はやはり、多くの意味で天愚であるのだった。


 大天狗、飯綱丸龍の部屋への入室を許可された文は、柄にもなく緊張していた。外面を取り繕うのは得意だが、どうにも腰の物が重く感じてしまい、集中力を欠く。他の大天狗より眼が利く相手である故に、より気が進まない。
 龍の部屋の入り口は襖ではなく、『紅魔館』や『地霊殿』なんかで見られる西洋装飾を模したドアである。文は呼び鈴変わりの輪に小さな錫杖をぶら下げた装飾を右手で軽く触れ、鳴らす。そして声を掛けた。

「射命丸です」

 一枚壁を隔てているくぐもった声で、「開いている。入ってくれて構わないよ」と許可が降りた。ドアを開け、中に入ると、視線を机上の書類に向けたままの龍と、室内はまるで洋喫茶と言った雰囲気だ。たまに無意味そうな横文字を使っているのを見るに、少々かぶれているのかもしれない。

「すまないな、呼び出したのは私なのに。急ぎの仕事が存外手間でね」

 その声色は、微塵も面倒と感じていないよう。タイミングを合わせての呼び出しだったのかもしれない。自分も大概だが、龍もまた食えないひとだと、文は思った。

「いえ……。しかし態々あのような書面にて呼び出しとはどういう用向きで?」

「君も聞いているだろう、守矢の例大祭の話。先日それに関してあそこの軍神と直接話をして来たんだが、厄介なことになってしまってね」

 守矢が関わるのだ。厄介にならない方が不思議である。文は宣伝という形で手伝わされており、既に巻き込まれている以上、ある程度の乱気流は覚悟していた。

「実は刀での天覧試合をしたいと提案してきた。試合をするのは我々なんだそうだ。あそこの巫女はやはり考え方がぶっ飛んでいるね」

 予想外の竜巻である。だが、妙に得心がいく部分もあった。以前から東風谷早苗は文や椛に刀を振って見せてくれとしつこかったからだ。

「そこで、だ。射命丸と犬走、二人に〈鐘突〉による試合を準備させると約束してきた」

「……はい?」

 我が耳を疑った。眼前で署名を書き終えペンを置いた龍は文にはじめて視線を合わす。どうやら嘘であったり冗談という感じではないらしい。
 龍が言った〈鐘突〉とは、防衛の任を受ける天狗であれば一度はやらされる試合形式の訓練のこと。
 一対一、ないし複数対複数のチームに分かれ、お互いに自由に獲物を選ぶ。まず決められた戦場の中心には〈戒剣〉と呼ばれる剣が設置され、それをまず奪い合う。それを手にした天狗は戦場最奥に設置された敵陣の鐘を〈戒剣〉で鳴らす。先に鳴らしたチームの勝利、という内容だ。攻撃と防衛を考えつつ立ち回る、基本を押さえられる競技である。
 言ってしまえば、幼い天狗のお遊戯種目。それに昨今はあまり訓練に組み込まれないと聞いている。そんなものを人前で、しかも何故椛と一対一でやらねばならないのか。なるべくそんな不満と不愉快さは顔に出さぬように気をつけつつ、確認する。

「何故そのような話に?」

「八坂神奈子としては、巫女の願いを聞き届けたい。しかしハレの日に血を流すのは本意ではない。私はせっかくならば利益になればいい。ただあまりに本気の内容では人間達がヒいてしまう。そんな考えからの折衷案が〈鐘突〉なのです」

「意図はわかりました。しかし私と犬走である理由がわかりかねます。犬走はともかく、私は一介の新聞記者ですよ?」

 そう、本題はそこだ。何故この二人をぶつけるのかまるで理解できない。
 と、背後に嫌な気配を感じると、腰に挿さっていた刀を奪われた。まるで力の無い、しかして邪な思想を隠そうとすらしない下賎の人妖。菅牧典は腹立たしいまでの笑顔を顔面に貼り付けながら、文から奪った刀を龍に渡す。
 受け取った龍は鞘から抜き放ち、刀身に自らの瞳を写しながら言う。

「……やはり。何かを斬ったな射命丸」

 喉が詰まる。

「まぁ君はそういうやつでしたね。かつてをひた隠すために他人に所業を擦り付けながら、鍛練は怠らず、そのくせ人間には手加減をしておいて――」

 龍は鞘を机に置いた左手で、別の物を掴み見せてきた。それは文の作った〈文々。新聞〉である。その見出しを見て、目がひくつく。
 それは、ある姉弟との与太話。

「――人間を助けたいがために全霊を尽くす。まるで一貫性の無い、ただ衝動に任せた行動原理。でも私は好きです」

 これはなんだ。何故龍がこのような嘘八百な記事を"真実である"という前提で話しているのだ。
 あの出来事を覚えていなくとも、あれを真実として受け取っている。そこにあるのは信頼ではなく、強いて言うなら好奇心か。始末に悪い。

「実際、あなたの行動で我々は人間から信頼を得た。これは大きな功績です。そこに天狗の興業が上手くいけば、より地盤は固まるでしょう。そこには大きな利がある。それに――」

 新聞を置き、刀を鞘に収める。

「――私が二人の試合を見てみたい。理由なんてそんなものですよ」

 典は文に刀を返しに来る。それを半ば乱暴に奪うと、文は表情を作ることをやめ、踵を返す。ドアノブを掴んだところで、跡を濁してやろうと言葉を紡ぐ。

「管狐の甘言に耳を傾けるようなひとが上にいるようでは、傾国も近いですね」

 その物言いを愉快そうに笑い飛ばすと、飯綱丸龍は淀むことなく軽口で返す。

「私が狐如きの傀儡に落ちるようでは、二癖も三癖もある部下など持てるものか。射命丸、覚えておけ。利用しようと近付く手合いを御せぬようでは、神を遣う遊びなど思いつけぬのだよ」

 背を向けながらも、首だけで振り向くと、指で狐を作りながら龍は人懐こそうな笑顔を向けていた。
 不遜。しかして事実。
 前を向き、下唇を噛みながら、文はドアノブを回し飯綱丸の部屋を後にする。
 何故か、首筋がチリチリした。

◇◇◇

 文が部屋を出ると、龍は息を吐く。なんていう眼をするのだ。仮にも上司、大天狗だぞ。そんな独白を内心に留めながら、改めて新聞を手に取る。このようなメディアには嘘や誤魔化し、下駄をはかせるなんてものは茶飯事であるのだが、見れば見るほどに不可思議としか言えない。それほどまでに、記事全体が放つ"真実味"が強いのだ。
 内容自体は荒唐無稽であると言わざるを得ない。しかし姫海棠はたての〈花果子念報〉の記事、そして摩多羅隠岐奈の一件の余波による異常気象に端を発した〈願い石〉にまつわる妖怪騒動。実際に『天狗の里』が動いた事例や、巫女やその他解決に走った者等の整合性が取れ過ぎている。だと言うのに、唯一異彩を放つ"人間の姉弟"というノイズが、この記事を陳腐なものに貶めていた。
 射命丸というしたたかな天狗がそんなミスをするだろうか。少なくとも、龍が知る限りではあり得ぬ話と断言出来る。
 極め付きはあの刀。そも射命丸が"刀を振るったという事実"がまず事件なのだが、加えて"人間でも妖怪でもない者を斬った邪気"の痕跡は、正直変な声を出してしまうところであった。これではかつての所業の肩代わりをした鞍馬も肩を落とすことだろう。
 傍ら、新聞を見ながら難しい顔をする宿主を見て不思議な顔をする菅牧典に向き直ると、龍は言う。

「ん? あぁ、器用なようで、本当は不器用なのかもと思ってしまってね。あいつは」

 記事には姉弟を守るために渋々奔走したとだけ記述されている。しかしその裏で、どれだけのことがあったのかは計り知れない。報告書以上のことを話す気も無いのだろう。
 昔から、そういうやつだった。
 新聞を閉じ、机の引き出しから二枚の写真を取り出す。一枚は射命丸文のもの。もう一枚は――

「さて、めんどくさいことこの上ないやつだが、君はどう対処するのかねぇ。今から楽しみだよ」

 ――文に髪をぐしゃぐしゃにされ、不愉快げな犬走椛のものだった。

◇◇◇

 雨。
 一面を埋め尽くすのは人の亡骸と、そこから立ち昇るむせかえるような瘴気であった。平時であれば見晴らしがよく、蒼穹の美しいこの丘も、今はさながら地獄の様相である。
 いや、地獄の方が幾分かマシかもしれない。
 濡れて頬に張り付く髪を人差し指でかき退けながら、樹上より天狗は見ている。微動だにしなくなった敵を足蹴にし、勝鬨をあげる様を無感情な瞳はしかと捉えていた。
 天狗からすれば少し前、人間からすれば十数年一昔。それからすっかりと変わってしまったものだ。童子の時分は怖いものを知らず、青年の時分は世間を知り、そして今は――人を捨てているように見えた。かつて悪鬼羅刹をも切り捨てられると豪語した口は切れ味の快楽に汚ならしく歪み、愚かにも自ら囚われているようである。それが天上からではなく、奈落への誘いの糸だとも知らず。
 鼻筋を伝う雨粒が落ち、勝利に沸く人間等に背を向け、枝をひと蹴り空を舞い、戦場を後にした。
 去り際、双翼が風を起こす。歓喜する人々は、我々を押す追い風のようであり、天狗が見ていた人間――天狗の剣術を操る者を祝う天狗風であると、どこまでも己に都合よく歪曲させていく。
 決別、哀れみ、そして怖れのそれであったなど、わかるはずもないのだった。

◇◇◇

 視界が捉えたのは真っ白の原稿と放り投げられたペン。次の記事の内容を考えていたはずなのに、気が付けば意識はそぞろ。代わりに何故か妙に古いことばかり思い出す。
 飯綱丸龍との会話に疲れていたのか、はたまた椛との試合を考え憂鬱になっていたのかは定かでない。こんな気持ちは久方ぶりだ。胸のうちで何かが燻るこの感覚。
 文は手早く動きやすい袴に着替えて、棚に立て掛けていた刀を手に取った。その際倒れてしまった写真立てを起こしつつ、嘆息する。
 向かう先は修練場。今の時間なら誰もいないであろうから、存分に振り回せるというもの。何だかんだで、棒振りは滅入った気分を振り払うには向いているのだ。
 頭の隅、ヘドロにも似た黒い感情は、早めに処理してしまうに限る。
 狙い通り、修練場は静まり返っていて、日頃は白狼達の訓練の場――たまり場、サボり場とも――となっているここも、こうも静寂が充ちていればそれなりに趣がある。
 納刀された状態で縦に持ち、鞘から刃を半身程引き抜いた後、再び鞘に収める。すると刃は鐘のように鳴り、一人で使うには少々広い修練場に木霊した。
 音色はある仕掛けを起動させる。木製で至るところに傷が刻まれた年季を感じさせる建物。一瞬にして壁は消え去り、石をならした床と、剣を携えた木人が二体。そして抽象的な、ある種芸術性すら感じさせる球体が三体浮いていた。
 天狗とは、出自によって扱える力が大きく異なる、妖怪の中でも異端の存在だ。例えば鬼。各々が個性ある力を持っているが、強靭な肉体を持ち、有角、そして炒り豆が弱点である部分は共通している。一方天狗は、認識されている特徴の多くが種族というより、社会に紐付いたもの。実際は似ている箇所なぞ数える程度。そもそも根っこはまるで別の種。中にはかつて修験者の人間だった天狗も。故に、符術による結界を操る天狗もまた存在しているということだ。修練場におけるこの訓練結界も、その一つ。
 顔に当たる部位、まるで傀儡の屍人のような札を貼られた木人が構え、向かってくる。
 頭をかち割らんと振りかぶられた刃を、右脚を軸に身体を回転させることで回避。空を切った剣を鞘に納まったままの刀で横っ腹を叩く。木人の剣は腕に固定されており、放すことが出来ない。受けた衝撃のまま右腕から体勢を崩した。体重を込めた背中への踏みつけを見舞い、間髪入れずに抜刀。振り下ろし、頭を切り飛ばす。
 背後、球体より追り出した器門より閃光。弾丸を模した弾幕が吐き出される。刃を返し、逆袈裟に振るい弾幕を斬り消す。残った木人、そして他二体の球体が追撃を仕掛けるより早く、刀を木人の左に浮遊する球体へ投擲。即座に地を蹴り跳ぶ。球体を貫いた刀を掴み、着地と同時に振り返り様、水平に振るう。突き刺さっていた球体が遠心力を得て刃から放たれ、木人に命中。姿勢が崩れたところ、肩を踏みつけてその先に浮遊していた球体を一閃。指先からふわりと足を地につけ、残心。それを好機と飛び掛かってきた木人の胴体を一突き。引き抜き、刃を鞘に納めた。
 それを合図に結界とそれにより形作られていた仮想敵は消滅。再び誰もいない修練場に――

「相変わらず見事なものねー」

 ため息の出る客がいた。本体は派手な黄色、レンズの小さなカメラを構えながら感嘆の声を漏らしたのは、姫海棠はたてだ。

「さっき大天狗様から話を聞いたの。だからもしかしてここかなーって。しかし白狼部隊も顔負けよね、文の刀捌き」

「……何か用?」

 別に不機嫌というわけではない。しかし嫌な話に繋がりそうな予感がした文は、自然と素っ気ない対応をする。

「別に。ただ刀使うの見られるかなって」

 私は見世物か。そんな台詞を飲み込む。実際、例大祭では見世物になるのだから、間違いでない。
 はたてはカメラを腰のポーチに片付けると、ブーツを脱ぎ修練場に入る。普段から出入りしているわけではないからか、少しの緊張と浮わつきが入り交じった表情である。

「見てどうするのよ。守矢の巫女と言いあなたと言い、妙な期待を持ち過ぎてやしないかしら」

「巫女の話はともかく、私の場合は期待とかないわよ。強いて言うなら、疑問の再確認……かな?」

 記者という種は多くの場合ある性質を持つ。それは"知りたがり"というものだ。生来、ないし後天的なものに拘わらず、この性質の有無により書く記事の質は大きく左右される。ともすれば、他人の領域に土足で踏み入るようなやり方を許容さえする過剰な知識欲。文はそれを意識下にあった上で放し飼いしている。一方はたては存在を意識せず、しかし無意識的に飼い慣らしている節がある。彼女の新聞や、取材に嫌味が薄い理由の一つであるのだろう。

「確かに鴉天狗は情報蒐集や発信が仕事だけど、文ぐらい強ければ大天狗の護衛に回ったり、"剣術指南"って方向だってあったと思うの。なのに新聞記者になったのは、何か理由があるのかなって」

 本当に純粋。こちらの事情などお構い無しに突き上げてくる。怖いものを無しとも言えるだろうか。
 ふと、思い出してしまった光景が過り、眼を細めた。

「私はこれが嫌いではないけれど、何かの為だとか誰かの為だとかで使うのは真っ平御免なの。打ち合いは打ち合いとして、楽しくあるべきだと考えているからね」

 よくもまぁそれらしいながらにまるで違うことを、事も無げにはなせるものだと我ながら感心する。
 少し、自己嫌悪。
 例えば魂魄妖夢。彼女にとって刀とは、主を護り、時に害成すモノを打ち倒す為にある。本人はどうにも抜けているが、一度刀を持てばその身に湛える雰囲気はまさに主の懐刀に相応しい。
 一方で、文にとって刀とは、否定表現の最大値である。自らを否定し、時に決して許容出来ぬモノを否定するために振るう。そこには妖夢の持っているような精神性は無い。護る刀、倒す刀、どちらに転んでもそこにあるのは自己保身に繋がる行動だ。
 自己保身で振るった剣は、必ず何者かに不利益をこうむらせる。故に二度と真剣を握ることは無いと思っていた。この手で握るべきはカメラとペンぐらいなのだと、己に言い聞かせた。
 そんな心境なぞ知ったことではないといった面持ちで、はたてはさらにずけずけと聞いてくる。

「じゃあやるんだ。椛と〈鐘突き〉」

「テキトーに盛り上げて、あとはテキトーに負ければ大天狗様も喜ぶでしょうね」

 龍が用意した舞台。どうせ逃げられないのならば、盛大に道化を演じるのがいいだろう。鴉天狗が下っ端である白狼天狗に負ければ、内外共に騒ぎになることは間違いない。良い意味でも、悪い意味でも。
 修練場の出口へ向かう。横を通る際、はたてが気圧されるように避けてしまう程、文の纏った雰囲気は触れられぬものであった。情けない話だが、気分の悪さが隠せない。普段はどんな抑圧や不愉快さも、笑顔の仮面で隠しおおせて来たというのに。
 嫌なやつだと、内心自嘲する。
 自ら背負ったものの重さを、龍やはたて――そして椛からのものとすり替えている。とんだ八つ当たりだ。
 再び刀を携えて、椛と相対する。ただそれだけのことがこんなにも怖いと感じるだなんて、思いもしなかった。
 ふと、掘り起こしてしまったかつての記憶に想いを馳せる。
 彼らは――彼は如何にして人らしい恐怖をかなぐり捨てることが、見ているこちらが身震いするほどの精神を得てしまうに至ったのか。半ば自棄になりつつ思考した。いくら考えても理解出来るなど思ってはいない。
 仮に理解が出来たのならば、それは潮時として分かりやすいかもしれない。そんなことを内心呟きながら、文は鞘を握る手に力を込めるのだった。
 かつて、弟子がよくしていたように。

◇◇◇

 三日後。

 椛に事実上の宣戦布告をした明くる日。
 当日が差し迫ったこともあり、文は『守矢神社』に足を運んでいた。既に敷地内には河童をはじめとした出店が並んでおり、気の早いことだと呆れるばかりだ。まだ箱だけの出店に左右を挟まれながら歩いていくと、その仰々しいにも程があり、一際異彩を放つ会場が現れる。
 本殿の真正面に設営され、幕で囲われ、さらにその外周は雛壇となっていているそこは、言い表すならば闘技場と言ったところ。本当に見世物なのだと改めて大天狗への不信感を得るに至る。
 が、今日ここを訪れたのは何もそれらネガティブな意味合いだけではない。シャツに黒のリボンタイ、紅葉柄のワンポイントの入ったスカートが翻る、人里以外での取材スタイルは、いわゆるスクープを嗅ぎ付けた際の正装である。だが今回に関しては大して期待はしていない。場所が場所であるし、何より緊急ならばもっと大事になっているはずであるから。

「文さーん! こっちに来てもらえますかー?」

 そこはかとなく緊張感の薄い声が文を呼ぶ。その主は東風谷早苗。『守矢神社』の巫女であり、また祀られる三柱の一柱。彼女はいつも迷惑な話を唐突に吹っ掛けてくる傾向があるのだが、今回に限っては許せる範疇だ。
 呼ばれた方、本殿の裏手へと回り、何やら落ち着きのない早苗の後を着いていく。はいはいと子供に手を引かれる親のような心境で着いていくと、予想外の光景が現れた。
 泉。それも一朝一夕で作れる規模ではない大きさの。
 周囲の地盤や、近隣の湖との関係で山中、『守矢神社』敷地内の掘削には細心の注意が必要である。下手な工事をすれば一帯の地盤滑落に繋がりかねないからだ。

「実は、今朝見たら突然出来てたんですよ。神奈子様と諏訪子様に聞いても心当たり無いって言うし……山のことだし、文さんなら知ってるかなと思ったんですけど」

「あなた自身に心当たりは?」

「あるわけないじゃないですか! あったら呼んでないです!」

 顔を真っ赤にして否定する早苗。まぁ当然かと納得しつつ、文は腰に手を当て、泉を見下ろす。見る限り、やはり突貫工事、突発的な噴泉で出来たものでは無さそうだ。透明度が高く、鏡のように顔が映るほどに綺麗な水。さらに、泉の側面の土。長い年月を経たように硬く、まるで水を汲み上げる器のように変化している。
 これはまさかのスクープかもしれない。文は翼を広げ、泉が全てファインダーに収まる高度まで上昇し、シャッターを数回切る。
 一度シャッターが下りる度、何か、何か、違和感を覚える。
 頭痛がする。再びあの光景が脳裏を埋め始めた。
 悲鳴。
 血飛沫。
 首級。
 雨。
 刀。

 気付くのが遅かった。

 そうか、これはあの時の鏡と――。

 ――。

――――――――――――――――――――――――――

私は人が嫌いじゃない

天狗なれど、時たま人を羨ましく思う

何故か

人は短い生を尽くして想いを遂げる

妖怪には無理だ、永い生は怠惰を生むから


私は武を好む

強い者が好きだ

打ち合う時に、明確な幸せを感じられる


私は人を導こうと思った

願いを聞き届けたい

気紛れだと誤魔化したけれど、これは私なりのひと付き合いだ

でも駄目だった

人は一度力を持てば、そこに欲が生まれ身を滅ぼす

彼はそうだった

だから私は彼から身を隠した

でも、最期は見届けたかった

後悔した

力を得て、何もかもを手に入れようとした愚か者の末路

そんなもの見たくなかった

もう二度と、見たくなかった

だから私は逃げ出した。


ある日、私を頼る子供が現れた

それは小さな剣士だった

人ではないが、否が応でも思い出す

でも、頼られるのが嬉しかった

私はその子がいとおしかった

ある日その子が、邪な者に襲われた

手が震えた

また私の傍らで、血に染まる者が生まれるのが"怖かった"

私は自己保身のために、小さな剣士から逃げ出し、刀を手放した。


私と剣士の前に守るべき者が現れた

姉弟は人であって人ではない

それでも、生きたいと願った

願いを叶えてあげたい

私は恐怖に打ち克って、姉弟を助けようとした

でも手は届かなかった

心に整理をつけたつもりでも、刀が私を責める気がした

また、不幸にしたんだねって


そして今、また――


 見える。視える。
 それはかつて自らに師事した人間が、一人薄暗い自室で呻く様だった。
 人は言う。
 あぁ、恐ろしや。こんなことでは戦えぬ。
 あぁ、恐ろしや。こんなことでは守りきれぬ。
 あぁ、恐ろしや。こんなことでは敵を殺せぬ。
 人は目が歪む程に顔を両手で、引っ掻くように押さえながら、眼前の剥き出しの鏡に手を伸ばす。
 鏡は、こんな薄暗い部屋でも美しい月を映し出し、まるで水面に波紋がうつように揺らめいた。
 鏡は言う。
 怖いならば、言霊を示せ。辛いなら、汚濁を吐き下せ。さすればその恐怖をもって、其方に万人と渡り合える力を与えよう。
 水面から伸びた女性の白く艶かしい両の手。人の顔を優しくなぜて、顎を引く。そして再度、誘惑するかの如く囁いた。
 あなたは何が怖いの?


 気が付けば虚空より出でた腕に両腕と頭を押さえ付けられ、膝を折られてその場に拘束されていた。地面に安置された鏡を見るようにと、頭を押さえる腕が力を込める。
 まるで泉のように美しい鏡。まだ陽も高いはずなのに、青い月が映されたそこには、不思議な魅力があった。
 泉から現れる白い腕が頬から首、肩から胸を指す。
 頭に声が響く。まるで包み込むかのように温かな、母の声。

――あなたは、何が怖いの?

 口が自然と動き、紡いだその言葉は――

――――――――――――――――――――――――――

 誰かが呼ぶ声。肩に触れた手の感触、揺すられる身体に気が付き、前を見る。そこは『守矢神社』に発生した泉の前。カメラを構えたまま空を飛び、そして――

「文さん、大丈夫ですか!? どこか気分でも……」

 顔を上げれば、そこには先程までとは真逆に顔面を蒼白にした早苗が心配そうに見つめていた。
 頭を振り、いつもの笑顔を張り付ける。

「なんでもありませんよ。どうしました?」

 あっけらかんと言うと、「どうしましたじゃないですよ!」と何やら憤慨している早苗に苦笑しながら、徐々に高度を落としていく。地上について、泉を改めて眺める。本当に綺麗なものだ。まるで見ているこちらの心が洗われるようだと、文は心の底から思っていた。
 永らく背負っていた"何か"を、こそげ落としたように。

コメントは最後のページに表示されます。