「おはよう霊夢」
そういって人形使いの少女は巫女の隣へ腰を下ろす。今日は久しぶりに太陽が出ていない。涼しくて過ごしやすい日になりそうである。
「もうだいぶ良くなったみたいね。すごい回復じゃない」
衰弱していた巫女は少女の献身的な介護によってどうにか回復しつつあった。情緒不安定なところを除けば以前と変わらないように見えた。栄養価が高いものを食べているせいか前よりもむしろ血色がよく肌に張りがある。蝉の鳴き声もしない境内は不思議な静寂に包まれていた。
「まだ・・・」
「えっ?」
巫女の消え入るような声に思わず聞き返す。そしてすぐ、しまった。と思った。案の定、もう巫女は目に涙をためていた。ダメなのだ。彼女に強く聞き返してはいけない。強く聞き返したり、決断を求めたり、命令したり、突き放したりすることは、彼女にとっては攻撃と同義であるようなのだ。
それを子供のようだとは思わない。むしろたまらなく哀しく、愛おしく思えた。彼女は生まれた時から博麗の巫女たることを望まれ、その期待に応えるように生きていくことを強制されたのである。彼女はほかの誰よりも早く[大人]にならねばならなかった。いや違う。彼女が[大人]になるのではなく、周りが彼女を[大人]として扱ったのである。結果、幼いころから命令され、決断し、突き放され、自分で考えることを余儀なくされた。子供の時代など、[子供]でいていい時間などなかった。だから。
少女は巫女の手を握り、片手で彼女の髪をなでた。優しい声音で問いかける。
「どうしたの?」
巫女は少し安心した表情になって黙り込む。少女も気長に答えを待つことにした。どれほど時間がたったかも忘れそうになるころ巫女がやっと口を開く
「まだ・・・ここにいて。まだ・・・」
少女は抱き付いてくる巫女を受け止めて背中に手を回す。優しくあやすようにさすりながらささやく。
「大丈夫。ずっとここにいるわ」
巫女の涙が少女の服を濡らす。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「私は好きでこうしてるのよ」
さらに強く巫女は顔を少女に押し付ける。涙声が嗚咽に変わる。
「でもっ、私、不安で」
少女は何も言わず背中をさする。母親が子をあやすように。
「一人になるのが怖くて、何もできないのが怖くて」
巫女の手が少女を掴む。離れぬように。
「こうやってあなたに迷惑かけてる自分が一番嫌いで」
巫女を抱く手に力を込める。二度と一人にはしないと約束するように。
「ほら、霊夢。顔を上げて、大丈夫だから。いつでも私がここにいるから」
顔を上げると少女の顔が目の前にあった。自分から抱き付いたのだから当然なのだが、少し恥ずかしく思う。なぜか目をそらすことはできなかった。少女の瞳に自分の姿が、泣き顔が映っている。瞳の中の自分がだんだんと大きくなって、瞳の中の自分の瞳の中に少女の顔が捉えられそうになったそのとき、唇が重なった。
何もかも忘れるような甘美な感覚。自分の中にある不安。魔女への未練。少女への申し訳なさ。すべてが白へ回帰していくような感覚。
どこかでパタリという音が聞こえるとともに雨が降り出した。
一言も残さず魔女は去る。巫女は彼女の存在に気づいてなどいない。無理矢理笑顔を作り、雨だというのに上を向いて石段を下りる。降りやむことのない冷たい雨。降りやむことのない冷たい雨!降りやむことのない!!冷たい雨!!!
石段に雫が落ちる。魔女が下るたび石段に雫が落ちる。冷たい雨の中、石段に雫が落ちる。
「どうしてだろうなぁ~、なぁ、どうして・・・」
誰も彼女の声を聴くものはなく、答えるものもまたなく、ただただ、ほほを雫が伝うだけ。
石段を下りた先に、刀を差した娘が傘をさして待っていた。
end