一瞬すべてのものが静止したかに思えるほど場が緊張した。男は真っすぐにこちらを見ている。
「被告を冥界行きとする」
緊張はほぐれ男は拘束を解かれる。私はそのまま男に近づく。まだ最後の仕事が残っている。男の目を見据え、ゆっくりと重々しく口を開く。
「来世の順番が回ってきて転生するならば、今から私の言うことだけは覚えていなさい。」
男は私の目を覗き込むようにしている。私は手に持った悔悟の棒で男の肩をたたきつつ言葉を継いだ
「崖など危険な場所ではなく、もっと安全な場所で食材を探しなさい。あなたには妻も娘もいたのでしょう。二人はあなたの帰りを待っているのでしょう。あなたは自分が思っている以上に人から愛されている。そう、あなたは少し自分を大事にしなさすぎる。来世ではそのことを自覚して愛にこたえてあげられるような人間になりなさい」
ふぅ、今日もうまくまとまった… 毎回毎回これが一番緊張するのだ。判決よりもむしろこっちを考えるのに時間がかかる…なんてことはもちろん人には言えないが。茫然としている男を審問部屋に残しさっさと退出する。薄情なものだがもうこの男に興味はない。裁かれるものは次から次へとやってくるのだ。次の裁判は30分後に迫っている。
審問部屋を出て赤い絨毯のひかれた長い廊下を進み、階段を1つ降りると、閻魔の居住階となっている。十王レベルの閻魔になると階が丸ごと閻魔に与えられるのだが、私は地蔵上がりの閻魔なので3LDKの部屋を持つだけである。廊下を歩いているとうずたかく積まれた書類の山が目に入ってきた。どう見ても私の部屋の前である。昨日処理した書類の二倍にもなろうかという書類の山を見て、危うく倒れそうになってしまった。が、とにかくこれは後回しにして早くシャワーを浴びて着替えないと次の裁判に遅れてしまう。裁判ごとに着替えるのは、数ある閻魔の中でもどうやら私だけらしいのだが、皆どうかしていると思う。汗をかいて不快な気持ちで被告人を見たらそれだけで地獄送りにしたくなるではないか。