【宿屋:玄関口】
「むっ」
浴衣を着て髪を拭きつつ二階へ上がろうと、玄関口を通った時だった
「よっ」
女将さんと何か話していた人がこっちに手を挙げた
金色の長髪に両腕の手枷、額には一角を有した鬼(さっきのとは別人)である
「さっきは災難だったね」
笑いながら漆塗りの杯に酒を注ぎ、豪快に煽った
…あの杯
「さっきの…」
「あぁ、私の横槍だよ」
女将さんは黙ってお茶を飲んでいた
「余所の喧嘩なんて私はどうでもよかったんだけど、キスメが止めさせたいって言うからさ、ちょいと手助けした」
…杯一つでか
紅魔館の名前を出してもなんら反応が無かった事を思い出すと何とも居心地が悪い
(「地下の様子を見て来い」ってそう言う事なのかなぁ)
確かに、名前さえも知られてないと言うのは不味いのだろう
あのお嬢様としては
「…この宿への地図を渡したのは?」
「知り合いの宿屋さ、人間でも何でも金さえ払えば客として泊めてくれる貴重な宿だよ」
女将さんを見ると「晩飯の時間か」と言って奥に行ってしまった
「あんたも呑む?」
「いえ、まだ揚がったばかりですし」
「あっそ…じゃ、冷めたらゆっくり呑みな」
「?」
「女将さんから貰ったんだろ? 受け取って無いのかい?」
「いえ、頂きました」
あの時の酒壺がそうだろう
「でもどうして私達に…」
「どうしてだと思う?」
んー… 酒を送る…
喧嘩を止められた後で…
「…何かの勧誘ならお断りですよ?」
拳法家の私とは違った、荒っぽい殴り方で出来る拳のタコを盗み見ながら苦い顔で断る
「っはっは、そんなヤクザ者じゃないんだから」
杯一つで余所者を助けた鬼が心底可笑しそうに笑った
「まぁ…興味はあるけどね」
「はい?」
「相方のお人形さんだよ」
相方のお人形…あぁ、咲夜さんか
服装的にも、雰囲気的にも
「上品な育ちのつまんなそうな女だと思ったんだけどさぁ…」
酒の表面を揺らして眺める
「結構場慣れしてそうな雰囲気だったからさ、少し気になった」
「……」
「心当たりがありそうだね?」
「…こっちに来てから、普段と違う気はしてました」
場慣れしてる それは感じた
だが、昔紅魔館に来た時点で彼女は(流石に妖怪には及ばないが)人間らしからぬ戦闘力を既に有していた
何かしら荒っぽい事をやり慣れていたのは感じた
でもそこじゃない
私が気になったのは…
「おっと、私に聞くなよ?」
鬼が立ち上がり杯と酒瓶を担ぐ
「今日初めて会った余所者の事なんて知らないし詮索もするつもりはない」
それでも何やら楽しそうに笑っている
「ま、酒でも呑ませて吐かせちまうこったね」
そう言うと奥の女将さんにも一声掛け、鬼は下駄をカランコロンと鳴らして暖簾を潜った
(…酒で酔わせて、かぁ)
それこそ咲夜さんには通用しなさそうだなぁ と、ワインの一、二杯なら行儀作法の一つとして涼しい顔で呑む瀟洒な従者を思い出す
そして、それ以降酔うまで呑むなんて事はないだろう
(…そう言えば)
酒壺の事、咲夜さんに教えてなかったな
まぁ咲夜さんは見知らぬ物に口は付けないし、大丈夫だろう
…見知ら飲み物を勝手に受け取った事は咎められそうだ
湯に火照る体を階段に向ける