第三節:人里の静けさと胸のざわめき
私とココアちゃんは、慧音さんに促されて門をくぐった。
「私はここで見張りを続けます。慧音、案内をお願い」
華扇さんは静かにそう言い、門の前に残った。
朝の光を背に立つその姿は、まるで里を守る結界そのもののようで、
思わず胸が熱くなる。
「こちらです。ついてきてください」
慧音さんが歩き出し、私とココアちゃんはその後ろに続いた。
人里の道は、驚くほど静かだった。
普段なら子どもたちの笑い声や、商人たちの呼び声が響いているはずなのに、
今は人影がまばらで、家々の戸も固く閉ざされている。
風が吹き抜けるたび、
紙灯籠がかすかに揺れ、寂しげな音を立てた。
――みんな、不安なんだ。
胸が少し痛んだ。
私が感じているざわめきは、森の氣だけじゃない。
人々の心の揺らぎが、空氣に滲んでいる。
ココアちゃんがそっと私の袖をつまんだ。
その小さな手の震えが、静けさの中でやけに鮮明だった。
「ここが自警団の休憩所として使っている茶屋です。中へどうぞ」
暖簾をくぐると、
薄い薬草の香りがふわりと鼻をくすぐった。
店内には数人の自警団員が休んでいて、
その中に見覚えのある二人の姿があった。
「アリスさん……橙ちゃん」
アリスさんは読んでいた本を閉じ、こちらを見た。
その瞳は静かで、けれどどこか安心したような色を帯びていた。
「あなたが優葉さんね。植物たちがあなたの名前を囁いていたわ」
その言葉に、私は一瞬だけ目を瞬かせた。
アリスさんは続ける。
「森の魔力の流れが騒いでいたの。
“新しい神霊が現れた”って。
名前まで伝わってきたのは珍しいけれど……あなたなら納得ね」
――植物たち、そんなところまで話してたんだ。
胸が少しだけくすぐったくなる。
橙ちゃんはぱっと笑顔になり、元氣よく手を振った。
「森の動物たちも言ってたよ。
“優しい葉っぱの神霊が来た”って。
だから優葉さんって名前、すぐ覚えちゃった」
そして、橙ちゃんは少し得意げに胸を張った。
「それにね、慧音さんにも伝えておいたよ。
“優葉さんと、ココアさんって子が森から来るよ”って。
森の子たちが心配してたから、急いで知らせたの」
――ああ、だから慧音さんは二人の名前を知っていたんだ。
すべてが自然に繋がり、胸の奥が温かくなる。
「はい。優葉といいます。よろしくお願いします」
「こ、ココアです……よろしくお願いします」
ココアちゃんは緊張しながらも、しっかりと頭を下げた。
その姿に、アリスさんが柔らかく微笑む。
「大丈夫よ。ここは安全だから」
その言葉に、ココアちゃんの肩がほんの少しだけ緩んだ。
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◆ 慧音との情報共有
席に着くと、慧音さんは湯呑みに手を添え、
真剣な表情で口を開いた。
「まずは……人里の現状からお話しします」
その声は落ち着いていたけれど、
その奥にある疲労と緊張は隠しきれていなかった。
「最近、聖魔の襲撃が急激に増えています。
結界はアリスと華扇が補強していますが……万全とは言えません」
「そんなに……」
思わず息が漏れた。
森のざわつきは感じていたけれど、
ここまで深刻だとは思っていなかった。
慧音さんは続ける。
「避難民も増えています。
重傷者は宿に集めて治療していますが……鈴仙一人では手が足りません。
永遠亭から応援を呼びたいところですが、
向こうも状況が逼迫しているようで」
私は胸がぎゅっと締め付けられた。
「自警団の皆さんは……?」
「橙は情報収集。
森の動物たちや妖怪たちから、聖魔の動きを探っています。
アリスは結界の補助と、魔力の流れの監視。
里乃と舞は巡回に出ています。
それと……森の方で、里を守ってくれている者もいます」
そこで慧音さんは言葉を濁した。
名前は出さない。
でも、誰のことかはすぐにわかった。
――妹紅さん。
彼女らしい距離感だ。
誰にも頼まれなくても、危険な場所に立ち続ける人。
胸が少し熱くなった。
慧音さんは、少しだけ声を落として続けた。
「そして……霊夢と魔理沙のことですが」
私は息を呑んだ。
「二人とも重傷です。
霊夢は昏睡状態。魔理沙も動けません。
鈴仙が看護していますが……正直、限界が近い」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
喉の奥が熱くなり、声が震えそうになる。
「……そう、ですか」
なんとか絞り出した声は、
自分でも驚くほど弱かった。
ココアちゃんがそっと私の袖を握った。
その温もりが、かろうじて私を支えてくれる。
慧音さんは、私の表情を見て、
少しだけ柔らかい声になった。
「優葉さん。
あなたの能力についても……聞かせてもらえますか」
私は深呼吸し、胸に手を当てた。
「はい。私は……植物の声が聞こえます。
森や草花の“記憶”を読み取ることもできます。
癒しの薬効も使えますし……結界の補強も、少しなら」
慧音さんは深く頷いた。
「……あなたが来てくれて、本当に助かります。
自然の氣が乱れている今、
あなたの力は里にとって大きな支えになります」
その言葉が、胸に温かく染みた。
けれど同時に、
胸の奥のざわめきは強くなるばかりだった。
霊夢さんが……苦しんでいる。
魔理沙さんも……。
私は湯呑みに視線を落とし、
震える指先をそっと握りしめた。
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◆ そわそわする優葉
情報共有が終わる頃、
私はどうにも落ち着かなくなっていた。
胸の奥がざわざわして、
椅子に座っているのがつらいほどだった。
――霊夢さん……。
名前を思い浮かべるだけで、
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
ココアちゃんが心配そうに私の袖を引いた。
「優葉さん……?」
その声は小さかったけれど、
私の心の揺れをそっと支えてくれるようだった。
慧音さんが、湯呑みを置きながら静かに尋ねた。
「何か氣がかりでもあるのですか」
私は深呼吸し、
胸のざわめきを押し込めるように手を握りしめた。
勇氣を振り絞って、言葉を紡ぐ。
「霊夢さんに……会わせてほしいです」
その瞬間、
アリスさんがわずかに目を見開き、
橙ちゃんが息を呑んだのがわかった。
慧音さんは少し驚いたように眉を上げたが、
すぐに優しく頷いた。
「……わかりました。案内します。
霊夢さんも……あなたに会いたがっているかもしれません」
その言葉が胸に染みて、
私は小さく頷いた。
茶屋を出ると、
人里の空氣はさらに静かに沈んでいた。
遠くで子どもの泣き声が聞こえ、
すぐに誰かがあやす声が続く。
その一つ一つが、
里の不安を物語っていた。
慧音さんが先を歩き、
私とココアちゃんはその後ろに続いた。
「この先の宿が、今は避難所兼治療所になっています」
宿の前に立つと、
薬草の匂いが風に乗って漂ってきた。
中に入ると、
廊下にはかすかな呻き声と、看病する人の足音が混じり合っていた。
布団の上で横たわる人々の息遣いが、空氣を重くしている。
薬草の匂いと血の氣配が、胸の奥にずしりと響いた。
私は胸を押さえた。
――ここに霊夢さんがいる。
そう思うだけで、
胸が苦しくなるほど締め付けられた。
ココアちゃんがそっと手を握ってくれた。
その温もりが、震える心を支えてくれる。
慧音さんが一つの扉の前で立ち止まった。
「霊夢さんは……この部屋です」
扉は静かに閉ざされていて、
その向こうにある氣配が、
まるで深い水底のように静かだった。
私は小さく頷いた。
――霊夢さん。
扉の向こうにいるあなたに、
ようやく会える。
胸の奥が、
期待と不安でぎゅっと揺れた。
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