第七節:宿の台所での大仕事
重傷者たちの治療を終えた頃には、
外の空はすっかり夕暮れに染まっていた。
宿の廊下に戻ると、
張り詰めていた空氣が少しだけ緩んでいるのが分かった。
治療を受けた人たちの呼吸が落ち着き、
呻き声が減り、
静けさの中に“安堵”が混ざっていた。
私は深く息を吸い込んだ。
「……みんな、お腹空いてるよね……」
その呟きは、
自分でも驚くほど自然に口からこぼれた。
鈴仙さんが目を瞬かせる。
「えっ……この状況で、料理を……?」
「うん。
治療が終わったら、次は……お腹を満たしてあげたいから」
鈴仙さんは一瞬だけ言葉を失い、
それからふっと微笑んだ。
「……あなたって、本当に優しいのね。
手伝わせて。台所はこっちよ」
宿の台所は、
夕方の薄明かりに照らされて静かだった。
棚にはわずかな乾物と調味料。
鍋は使い込まれ、
まな板には包丁の跡が深く刻まれている。
鈴仙さんが申し訳なさそうに言った。
「食材は……ほとんど残っていないの。
避難民が増えて、備蓄も限界で……」
「大丈夫。
植物さんたちに、少しだけ力を借りるから」
私は手を胸の前で組み、
そっと目を閉じた。
その瞬間、
胸の奥に、草木がそよぐような“ささやき”がふっと触れた。
風に揺れる葉の音が、そのまま言葉になって届くような感覚。
「――プラントリンク」
静かな光が指先に集まり、
空氣の中に淡い緑の粒が舞い始める。
その粒が集まり、
形を成し、
やがて――
野菜が、果実が、香草が、
まるで“自然が息を吹き返すように”現れた。
鈴仙さんは息を呑む。
「……これが、あなたの力……?」
「うん。
植物さんたちが“食べてほしい”って言ってくれるから」
私は微笑み、
野菜を抱えてまな板の上に置いた。
鍋に火をつけ、
野菜を刻み、
香草をちぎり、
果実を煮込む。
包丁の音が、
静かな台所に心地よく響く。
ココアちゃんが駆け込んできた。
「優葉さん! 私も手伝います!」
「ありがとう、ココアちゃん。
じゃあ、この野菜を洗ってくれる?」
「はいっ!」
ココアちゃんは袖をまくり、
一生懸命に野菜を洗い始めた。
その姿を見て、
胸が温かくなる。
鈴仙さんは鍋をかき混ぜながら言った。
「……あなたたち、本当にいいコンビね」
「えへへ……そうかも」
料理の匂いが廊下に広がり始めると、
宿の人たちが驚いたように顔を出した。
「こんなに……いい匂い、久しぶりだ……」
「食材、もうほとんどなかったはずなのに……?」
「まさか……あの子が……?」
自警団の人たちも、
避難民の人たちも、
重傷者の家族も、
次々と台所の前に集まってくる。
私は鍋をかき混ぜながら、
少し照れくさくなった。
「もうすぐできるから、待っててね」
その言葉に、
皆がほっとしたように微笑んだ。
鈴仙さんが小さく呟く。
「……優葉さん。
あなた、本当に……人里の救いね」
その言葉が、
胸の奥に静かに染み込んだ。
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◆ 宿の人たち、自警団、住民たちとの食事
料理が完成する頃には、
宿の廊下に漂う香りが、
まるで人々の心をそっと撫でるように広がっていた。
香草スープの湯氣がふわりと立ち上り、
野菜粥の優しい香りが空氣を満たす。
その匂いに誘われるように、
疲れ切った人々がぽつり、ぽつりと台所の前に集まってきた。
「……いい匂いだ……」
「こんなの、いつ以来だろう……」
「お腹……空いた……」
避難民の女性が涙ぐみながら呟き、
子どもたちは目を輝かせて鍋を覗き込む。
「ねぇ、これ食べていいの……?」
「もちろん。たくさんあるからね」
私が微笑むと、
子どもたちはぱっと顔を明るくした。
自警団の人たちも、
驚いたように椀を手に取る。
「本当に……これ全部、あなたが……?」
「うん。植物さんたちが力を貸してくれたの」
そう答えると、
彼らは信じられないというように目を見開いた。
その時、
人混みをかき分けるようにして慧音さんが現れた。
彼女は鍋の中を覗き込み、
深く、長い息をついた。
「……助かる。
食材の備蓄は限界に近い。
優葉さんの力がなければ、
今日の食事は成立しなかっただろう」
その言葉は、
静かに、しかし確かに人々の胸へ届いた。
周囲の視線が一斉に私へ向く。
驚き、
感謝、
安堵、
そして――
希望。
そのすべてが混ざったような眼差しだった。
胸が少しだけ熱くなる。
「身体が温まる……」
「なんだか元氣が出てきたよ」
「この子が作ったのか?」
「神様みたいだ……」
椀を口に運んだ人が、ふっと目を細めて呟いた。
「……優しい甘みが広がる……こんな味、久しぶりだ……」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
私は照れくさくなって、
頬を赤らめながらも微笑んだ。
「そんな……私はただ、できることをしただけです」
「それが……どれだけありがたいか」
慧音さんが静かに言った。
「あなたは、里を救ってくれたんだよ」
その言葉に、
胸の奥がじんと震えた。
ココアちゃんは、
少し離れた場所から私の横顔を見つめていた。
人々に囲まれ、
感謝され、
笑顔を向けられる私を見て――
ココアちゃんの胸の奥に、
静かに、しかし確かな決意が芽生えた。
(……優葉さんについていこう。
この人と一緒なら……きっと、どんな未来でも怖くない)
ココアちゃんはそっと拳を握りしめ、
私の隣へ歩み寄った。
「優葉さん……おかわり、持ってきますね!」
「うん、ありがとう。助かるよ」
二人で笑い合うと、
周囲の空氣がさらに温かくなった。
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