第六節:月兎と魔法使いの静かな眠り
「次は……魔理沙さんの部屋です」
鈴仙さんの声は、
霊夢さんの奇跡を目の当たりにした直後とは思えないほど落ち着いていた。
けれど、その歩幅はほんの少しだけ速い。
彼女もまた、魔理沙さんの状態を氣にしているのだと分かった。
隣の部屋の前に立ち、
鈴仙さんが静かに扉を開ける。
中は薄暗く、
薬草と血の匂いがわずかに混じっていた。
布団の上で、魔理沙さんが眠っていた。
霊夢さんほどではないが、
深い傷と疲労が身体を蝕んでいるのが一目で分かる。
腕には擦過傷、胸には打撲の跡、
そして何より――
魔力の枯渇による“魂の疲れ”が、
彼女の顔色に影を落としていた。
私はそっと魔理沙さんのそばに膝をつき、
その手を握った。
霊夢さんの時とは違う。
けれど、確かに“知っている氣”がそこにあった。
「……魔理沙さん……」
呼びかけるように、
私は癒しの氣を流し込んだ。
優しい光が指先から広がり、
魔理沙さんの身体へ染み込んでいく。
その瞬間――
「……なんか……懐かしい……」
魔理沙さんが寝言のように呟いた。
胸が熱くなる。
霊夢さんの時のような“魂の一致”ではない。
けれど、魔理沙さんの魂は確かに私を“知っている”と感じていた。
御神木として、
霊夢さんと魔理沙さんが笑い合う姿を何度も見てきた。
魔理沙さんが霊夢さんの隣で、
時に支え、時に振り回し、
でもいつも一緒にいた。
その記憶の残滓が、
魔理沙さんの魂に触れたのかもしれない。
鈴仙さんはその様子を見て、
静かに言った。
「……霊夢さんの時とは……違うのね。
でも……確かに癒えていく……」
彼女の声は、
医療者としての冷静さと、
仲間を想う優しさが混ざっていた。
私は魔理沙さんの手を握ったまま、
ゆっくりと氣を送り続けた。
魔理沙さんの呼吸が少しずつ深くなり、
頬にわずかな血色が戻っていく。
「……大丈夫……魔理沙さん……」
その言葉は、
私自身を落ち着かせるためのものでもあった。
鈴仙さんが小さく頷く。
「あなたの氣……本当に不思議ね。
霊夢さんの時は“奇跡”だったけれど……
魔理沙さんには“寄り添う光”みたい」
私はその言葉に、
胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。
霊夢さんとは違う。
でも、確かに繋がっている。
それが嬉しかった。
「次の方をお願いします」
私がそう言うと、
鈴仙さんは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた。
けれどすぐに、静かに頷いてくれた。
「……分かったわ。ついてきて」
廊下に出ると、
薬草の匂いがまた鼻をくすぐる。
さっきまで胸を締め付けていた重苦しさは、
霊夢さんの呼吸が安定したことで少しだけ和らいでいた。
鈴仙さんは次の部屋の扉を開ける。
中には、
腕に深い裂傷を負った男性が横たわっていた。
呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。
私はそっと膝をつき、
その手を握った。
「大丈夫……すぐ楽になりますから」
指先から、
優しい氣を流し込む。
光がじんわりと広がり、
男性の表情が少しずつ緩んでいく。
呼吸が落ち着き、
痛みに強張っていた肩がゆっくりと沈んだ。
「……すごい……」
鈴仙さんが小さく呟いた。
私は微笑み、
次の部屋へ向かう。
次の部屋には、
胸を押さえて苦しそうに眠る女性がいた。
肋骨にひびが入っているのだろう。
私はそっと手を添え、
氣を流す。
女性の眉間の皺がほどけ、
呼吸が深くなる。
「……痛みが……引いていく……」
鈴仙さんが、
まるで自分の痛みが和らいだかのように胸に手を当てた。
三人目、四人目――
私は一人ずつ、丁寧に治療していった。
光は霊夢さんの時ほど強くはない。
奇跡のような即時回復は起きない。
けれど、
確実に、確かに癒えていく。
痛みが和らぎ、
呼吸が落ち着き、
皆が深い眠りに落ちていく。
そのたびに、
鈴仙さんはそっと息を吐き、
優しく微笑んだ。
「……ありがとう。
あなたが来てくれて、本当に助かるわ」
その声は、
医療者としての安堵と、
仲間としての感謝が混ざった温かい響きだった。
私は小さく頷き、
胸の奥に灯った光を抱きしめるようにして、
次の部屋へ向かった。
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◆ 清拭
霊夢さん、魔理沙さん、重傷者たちの治療を終えたあと、
私はしばらくその場に座り込んでしまった。
胸の奥に残る光の余韻が、まだ静かに脈打っている。
けれど――
ここで立ち止まってはいけない。
「……次は、包帯を外して身体を拭いてあげないと」
私がそう呟くと、
鈴仙さんが小さく頷いた。
「タオルとお湯は、廊下の突き当たりにあるわ。
手伝うから、一緒に行きましょう」
二人で桶とタオルを抱え、
静かな廊下を歩く。
薬草の匂いが漂い、
遠くから聞こえる寝息や微かな呻き声が、
この場所が“戦いの後”であることを改めて思い出させた。
私は自然と、霊夢さんの部屋へ向かっていた。
鈴仙さんは何も言わず、
ただ静かに後ろからついてきてくれる。
扉を開けると、
霊夢さんは先ほどと同じ姿勢で眠っていた。
けれど、呼吸は深く、穏やかで――
その変化が胸にじんと染みた。
「……霊夢さん」
私はそっと布団をめくり、
包帯を外していく。
血の跡はもうない。
傷も塞がっている。
それでも、
私は丁寧に、ゆっくりと、
霊夢さんの身体を拭いていった。
腕を、肩を、首筋を。
冷えた肌が少しずつ温かさを取り戻していく。
髪も整え、
布団を優しく掛け直す。
霊夢さんは眠ったまま、
微かに息を吐いた。
その穏やかな寝顔を見ていると、
胸の奥がまた熱くなる。
「……よかった……本当に……」
涙が落ちそうになり、
私はそっと頬に触れた。
その温もりが、
確かに“生きている”と教えてくれる。
「次の方へ行きましょう」
鈴仙さんの声に、私は小さく頷いた。
二人で桶を持ち、
次の部屋へ向かう。
腕に包帯を巻かれた男性、
胸を押さえて眠る女性、
額に汗を浮かべる若い自警団員――
私は一人ずつ、
丁寧に包帯を外し、
身体を拭き、
布団を整えていった。
霊夢さんのような奇跡は起きない。
でも、
皆の表情が少しずつ柔らかくなり、
呼吸が落ち着いていく。
その変化が、
私の胸に静かな灯りをともした。
鈴仙さんは私の横で、
ずっと優しく微笑んでいた。
「……あなた、本当にすごいわ。
治すだけじゃなくて……
心まで、落ち着かせてくれる」
私は照れくさくなって、
小さく笑った。
「そんな……私はただ、できることをしているだけです」
「それが、どれだけ大切か……あなたはまだ分かってないのね」
鈴仙さんの言葉は、
どこか誇らしげで、温かかった。
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