第二節:人里の食糧事情
茶屋を出ると、朝の光がまぶしく差し込んだ。
冷たい空氣の中に、ほんの少しだけ温かさが混じっている。
それは、さっきまで茶屋に満ちていた“希望”の余韻のようだった。
慧音が振り返り、短く告げる。
「では、備蓄庫へ向かおう」
その声に、優葉とココア、そして魔理沙が歩き出す。
ココアは優葉の隣にぴたりと寄り添い、
胸の前でぎゅっと拳を握った。
「私もいっぱい手伝いますね!」
その声は朝の空氣に弾むように響き、
周囲の空氣まで明るくする。
魔理沙はというと、
まだ本調子ではないのか、歩幅が少しだけ小さい。
それでも負けん氣の強い笑みを浮かべていた。
「へへっ……ゆっくりでも歩けるさ。
あたいだって手伝うぜ」
優葉は魔理沙の歩調に合わせ、
自然と歩く速度を落とした。
人里の通りに出ると、
朝の支度をしていた住民たちがちらほらと顔を出す。
慧音は立ち止まり、
腹の底から声を張った。
「今、手が空いている者はいるか!
備蓄庫の整理と配給の準備を手伝ってほしい!」
その声は通りの奥まで響き、
すぐに数人が駆け寄ってくる。
農家の夫婦。
元蕎麦屋の主人。
若い娘。
力自慢の青年。
そして、昨日炊き出しを手伝ってくれた人々。
「優葉様が食材を出してくださるって本当かい?」
「配給ができるなら、今日の夕飯は久しぶりにまともに作れるな……」
「うちの子も喜ぶよ……」
不安と期待が入り混じった声が次々と上がる。
その中で、ココアがぱっと顔を輝かせた。
「あ、昨日炊き出しを手伝ってくれた人だ!」
手を振ると、住民たちも笑顔で応える。
そのとき、小さな影がココアに駆け寄ってきた。
「ココアお姉ちゃん、今日も手伝うの?」
昨日、炊き出しのときに皿を運んでくれた子どもだ。
ココアは胸を張って答えた。
「もちろん!」
その声に、子どもは嬉しそうに笑い、
住民たちもどこか安心したように頷いた。
――ココアが“人里の一員”として受け入れられつつある。
そんな温かい空氣が、自然と広がっていく。
慧音はその様子を横目に見ながら、
静かに歩みを進めた。
「よし、皆で行こう。
今日から人里の食卓は変わる」
その言葉に、
住民たちの表情が少しずつ明るくなっていった。
――――――――――――――――――――
◆ 食材溢れる備蓄庫
人里の外れにある土蔵の前へ着くと、
慧音が大きな木扉に手をかけた。
「……開けるぞ」
ぎぃ、と重い音を立てて扉が開く。
中に広がっていたのは――
寂しいほどに空っぽの空間だった。
棚にはわずかな乾物が残るだけ。
米俵は底が見えるほど軽く、
野菜の籠はほとんど空。
ココアは思わず眉を下げた。
「……これじゃ、みんな困っちゃいますね……」
住民たちも不安げに顔を見合わせ、
小さく頷き合う。
だが慧音は、
優葉の方へ視線を向けると
はっきりとした声で言った。
「今日から状況は変わる。
皆、協力してくれ」
その言葉に、
住民たちの表情がわずかに引き締まった。
土蔵の中に、静かな緊張が満ちる。
優葉が一歩前へ出て、
両手を胸の前でそっと合わせた。
淡い緑の氣が、
ふわりと優葉の周囲に広がっていく。
住民たちが息を呑む中――
食糧の生成が始まった。
まず現れたのは、
新しい空の米俵だった。
ぽん、ぽん、と
床に並ぶように次々と姿を現す。
「……っ!」
住民たちが驚きの声を漏らす。
優葉はそのひとつを抱え、
俵の口を開いた。
緑の氣がふわりと揺れ、
中へ玄米がざらざらと流れ込んでいく。
みるみるうちに俵が膨らみ、
ずっしりとした重みを帯びた。
「わ、わぁ……! 私、運びます!」
ココアは目を輝かせ、
すぐに米俵へ駆け寄った。
青年が隣で笑う。
「よし、一緒に運ぼうか」
「はいっ……よいしょ……よいしょ……!」
小さな身体で必死に抱え、
土蔵の奥へ運んでいく。
その姿に、住民の女性が微笑んだ。
「ココアちゃん、ありがとうねぇ」
ココアは照れながらも胸を張る。
「いえ、私も食べますから……!」
その言葉に、
住民たちの表情がふっと和らいだ。
次に優葉が生み出したのは、
つやつやとした大豆の山だった。
木箱や木桶が並べられ、
そこへ大豆が分けられていく。
優葉がそっと手をかざすと――
大豆の表面に淡い光が宿り、
発酵の流れが一氣に進んだ。
味噌の香り。
醤油の深い色。
豆腐の白さ。
納豆の糸引き。
「発酵まで一瞬で……?」
「これで冬を越せる……!」
住民たちが目を丸くする。
元定食屋の主人は、
思わず目頭を押さえた。
「……ありがてぇ……本当に……」
ココアは豆腐の木箱を抱え、
ひんやりした感触に目を丸くした。
「これ、冷たい……でも美味しそう……!」
主人が優しく声をかける。
「豆腐は崩れやすいから氣をつけてな」
「はいっ! 大事に運びます!」
ココアは慎重に足を運び、
木箱を棚へと運んでいった。
続いて優葉が生み出したのは、
大根、白菜、ニンジンといった新鮮な野菜たち。
ココアは大根を抱えた瞬間、
「これ、すっごく重い……!」
とふらついたが、
近くの住民がすぐに支えてくれた。
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……!」
さらに優葉は、
ぬか床の材料を生み出し、
発酵を促して“完成したぬか床”を作り上げた。
ココアは興味津々で覗き込む。
「これが“ぬか床”……?
なんだか温かい匂いがしますね」
住民の女性が笑った。
「ココアちゃん、漬物好きかい?」
「だいすきです!」
その返事に、女性は嬉しそうに頷く。
「じゃあ、うちで漬けておくよ。
たくあんも作れるねぇ」
住民たちはぬか床を抱え、
誇らしげに持ち帰っていった。
優葉が次に生み出したのは、
干し柿用の柿、葡萄、切り干し大根の材料。
ココアは柿を抱えながら尋ねた。
「これ、甘くなるんですよね?」
住民が笑って答える。
「そうだよ。冬の楽しみだねぇ」
「じゃあ、いっぱい干してもらえるように運びます!」
ココアは張り切って籠を抱え、
住民へ渡して回った。
そのとき、魔理沙が手を挙げた。
「優葉、キノコも頼む!」
ココアはすぐに反応する。
「キノコ! 私、キノコ大好きです!」
優葉が椎茸、舞茸、しめじを生み出すと、
ココアは香りを嗅いで目を細めた。
「……いい匂い……!」
籠に詰めて、
住民たちへ丁寧に渡していく。
優葉が生み出した食材が棚に並び、
備蓄庫はつい先ほどまでの寂しさが嘘のように
豊かな色と香りで満ちていた。
住民たちは腕いっぱいに食材を抱え、
嬉しそうに、あるいは感慨深そうに土蔵を後にしていく。
「これで夕飯が作れる……」
「子どもたちに温かいものを食べさせられるよ……」
そんな声があちこちから聞こえ、
土蔵の外へと広がっていった。
ただ――
全員が帰っていくわけではなかった。
昨日の炊き出しを手伝ってくれた面々、
元蕎麦屋の主人、農家の夫婦、若い娘、力自慢の青年などは、
自然とその場に残っていた。
「この後、何か手伝うことはあるかい?」
「せっかくだし、昼の支度も一緒にやろうよ」
そんな声がぽつぽつと上がり、
土蔵の中に温かい空氣が再び満ちていく。
ココアは、食材を抱えて帰っていく住民たちの背中を見送りながら
胸の前で手をぎゅっと握った。
「今日の夕飯、きっと美味しくなりますね……!」
その呟きは、
これから人里に立ち上る“炊事の煙”を予感させるようだった。
住民たちのざわめきが落ち着くと、
魔理沙は腕を組み、優葉の周囲に残る淡い緑の氣を
じろじろと観察し始めた。
「いやー、すげぇな優葉。
これ、魔法じゃないよな……?
いや、でも……どうなってんだ?」
興味と驚きが入り混じった声。
魔理沙らしい、素直な反応だった。
優葉は少し照れたように微笑む。
「植物の力を少しだけ借りているだけですよ。
私ひとりの力ではありません」
「植物の力……かぁ。
うーん、研究しがいがありそうだな……」
魔理沙がさらに身を乗り出したところで、
ココアが心配そうに袖を引いた。
「魔理沙さん、無理しないでくださいね。
まだ怪我、治りきってないんですから……」
魔理沙は一瞬だけ目を丸くし、
すぐに照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……わかってるよ。
ありがとな、ココア」
ココアは嬉しそうに微笑んだ。
優葉が生み出した食材で満たされた備蓄庫を見渡すと、
棚には米俵が並び、
木箱には豆腐や味噌が詰まり、
野菜の籠が色鮮やかに積まれている。
つい先ほどまで空っぽだった場所が、
今は“人里の未来”そのもののように輝いていた。
住民たちの表情が明るくなるのも当然だった。
慧音は深く息を吸い、
優葉とココアの前で静かに頭を下げた。
「優葉、ココア……本当にありがとう。
これで里はしばらく持ちこたえられる」
その声には、
昨夜から続く緊張がようやくほどけたような、
深い安堵が滲んでいた。
ココアは照れたように頬を赤らめ、
それでも嬉しそうに微笑む。
「私も……みんなの役に立てて嬉しいです」
優葉はそっとココアの頭に手を置き、
優しく撫でた。
「ココアちゃんのおかげですよ。
一緒に頑張ってくれて、ありがとう」
ココアは目を細め、
その手の温かさを噛みしめるように頷いた。
土蔵の外では、
朝の光が少しずつ昼へと移ろい始めている。
――このまま、昼食の準備に入ろう。
そんな空氣が、
自然とその場に満ちていった。
――――――――――――――――――――