第七節:魔理沙の洞察力
鈴仙からの要請による治療を終えた優葉は、
帳場で片付けをしていた女将さんにそっと声をかけた。
「女将さん、裁縫道具をお借りできますか?」
優葉の声はいつも通り穏やかで、
けれどどこか“必要な理由がある”と自然に伝わる響きを持っていた。
女将さんは顔を上げると、
まるで娘に頼まれたかのように柔らかく微笑んだ。
「もちろんですよ、優葉さん」
理由を尋ねることもなく、
棚から針山、糸切り鋏、糸巻き、指ぬきまで
必要なものを一式そろえて手渡してくれる。
「はい、どうぞ。
優葉さんが使うってことは……きっと大事なことなんでしょうね」
その言葉には、
“あなたが必要と言うなら、それで十分”
という揺るぎない信頼が込められていた。
優葉は深く頭を下げる。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
女将さんは「ふふ」と笑い、
まるで家族を送り出すように優葉を見送った。
優葉は裁縫道具を胸に抱え、
静かにココアの部屋へと向かっていく。
その背中には、
人里の人々から寄せられる温かな信頼が
そっと寄り添っていた。
裁縫道具を受け取った優葉とココアは、
宿の廊下を並んで歩きながらココアの部屋へ向かった。
そのすぐ後ろで――
まるで当然のように魔理沙がついてくる。
足音も、歩幅も、
まるで“最初から三人で行くつもりだった”かのように自然だ。
ココアは途中でふと振り返り、
首をかしげながら言った。
「魔理沙さんも来るんですか?」
魔理沙は腕を組み、
どこか得意げに鼻を鳴らす。
「当たり前だろ。
優葉の能力、もっと見ておきたいしな」
その言い方は、
好奇心と探究心が半分ずつ混ざった“魔理沙らしい”響き。
ココアは「そっかぁ……」と納得したように頷き、
再び前を向いて歩き出す。
優葉はそんな二人を見て、
ふっと苦笑した。
「魔理沙さんは本当に……好奇心が旺盛ですね」
魔理沙は肩をすくめる。
「まぁな。
氣になるもんは氣になるんだよ」
その軽い言葉の裏に、
優葉への信頼と興味が確かに宿っていた。
三人の歩く廊下には、
どこか温かく、柔らかな空氣が流れていた。
――――――――――――――――――――
◆ 妹紅のために生まれた布
ココアの部屋に入ると、
畳の香りと、窓から差し込む柔らかな光が迎えてくれた。
優葉は部屋の中央にそっと膝をつき、
両手を胸の前で合わせる。
静かな呼吸。
指先に宿る、淡い緑の氣。
次の瞬間――
ふわり、と空氣が揺れた。
優葉の掌から広がった光が、
床の上に柔らかな影を落としながら形を成していく。
やがてそこには、
植物の繊維を編んだ布が何枚も重なっていた。
布はどれも淡い色合いで、
触れれば溶けてしまいそうなほど柔らかい。
けれど――
その質感は確かに“強さ”を秘めていた。
・柔らかい
・軽い
・通氣性が良い
・燃えにくい
まるで妹紅のために生まれたような布。
優葉は続けて、
細い糸を指先から紡ぎ出す。
糸は植物の繊維を束ねたものだが、
優葉の氣が通っているため、
細いのに驚くほど丈夫だった。
ココアは目を輝かせ、
布にそっと触れる。
「わぁ……綺麗……!」
その声は、
まるで宝物を見つけた子どものように純粋だった。
魔理沙はというと、
すでに布を手に取り、
光に透かして観察していた。
布の繊維の流れ、
氣の残り香、
植物の生命力の揺らぎ――
魔理沙の目はそれらを逃さない。
「……これ、ただの布じゃないな。
すげぇ……」
その呟きは、
驚きと興奮が混ざった“研究者の声”だった。
優葉はそんな魔理沙を見て、
静かに微笑む。
(……魔理沙さんは、本当に鋭い方ですね)
部屋には、
布の柔らかな香りと、
三人の温かな氣配が満ちていった。
ココアの部屋に、
優葉が生み出した布と糸が静かに並べられる。
優葉は裁縫道具を手に取り、
布を丁寧に広げると、
柔らかな指先で裁ちばさみを入れ始めた。
しゃり……しゃり……
植物由来の布は、切るたびに小さく光を反射し、
まるで生きているようにしなやかに揺れる。
ココアは隣で糸を針に通しながら、
真剣な表情で優葉の手元を見つめていた。
「優葉さん、糸……通りました!」
「ありがとうございます、ココアちゃん。助かります」
魔理沙はというと、
腕を組んで見ているだけかと思いきや――
氣づけば布を押さえたり、
針を渡したり、
意外と細かいところを手伝っている。
「針、これでいいか?」
魔理沙が差し出す針は、
ほんの少し曲がっているが、
それでも丁寧に扱った跡があった。
優葉は受け取りながら微笑む。
「はい。ありがとうございます。とても助かります」
ココアがくすっと笑う。
「魔理沙さん、意外と器用ですね」
魔理沙はむっとして眉を寄せる。
「意外とはなんだ、意外とは。
あたいだってやればできるんだよ」
その言い方がどこか子どもっぽくて、
ココアは思わず笑い、
優葉も柔らかく目を細めた。
三人の間に流れる空氣は、
どこまでも穏やかで温かい。
布を縫い合わせる音、
糸を引く音、
魔理沙の小さな文句、
ココアの笑い声――
それらが重なり合い、
部屋の中に柔らかなリズムを作っていく。
やがて、
妹紅の着替えは少しずつ形を成し始めた。
優葉の丁寧な裁ち方、
ココアの真剣な糸通し、
魔理沙の不器用だけど一生懸命な手伝い。
三人の手で作られた布は、
まるで温もりそのもののように優しく輝いていた。
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◆ 確信する魔理沙
三人での裁縫作業がひと段落し、
優葉が次の布を手に取ったその瞬間だった。
優葉の指先に、
淡い緑の氣がふわりと灯る。
布を生み出した時と同じ、
植物の生命力が静かに揺れる氣配。
魔理沙は、その光を横目で捉えた。
針を渡す手を止め、
優葉の動きをじっと見つめる。
氣の流れ。
植物の力の引き出し方。
布に宿る、あの独特の“温もり”。
――全部、知っている。
魔理沙の瞳が細くなる。
(……やっぱりだ。
あの時、私の服を直したのは……優葉だ)
あの日、
破れた服に触れた瞬間に感じた、
あの柔らかい氣の感触。
今、目の前で優葉が布を生み出す時に漂う氣と、
まったく同じだった。
魔理沙は何も言わない。
言葉にする必要も、
問いただす必要もなかった。
ただ静かに、
胸の奥で確信が形を成していく。
(……優葉は、ただの神霊じゃない。
もっと深い……もっと大きな存在だ)
魔理沙はそっと視線を落とし、
針を優葉に渡すふりをしながら、
その確信を胸の奥にしまい込んだ。
部屋の空氣は変わらず穏やかで、
ココアの小さな鼻歌が静かに響いていた。
しかし魔理沙の心だけは、
静かに、確かに動き始めていた。
妹紅の着替えがほぼ完成し、
優葉が糸の端を丁寧に整えていた。
部屋には、針の音も糸の擦れる音もなく、
ただ静かな空氣だけが漂っている。
その静けさを破ったのは――
魔理沙の、あまりにも唐突な声だった。
「なぁ優葉」
優葉が顔を上げるより早く、
魔理沙は続けた。
「……お前って、博麗神社の御神木なんだろ」
空氣が一瞬だけ止まった。
ココアは針を持ったまま固まり、
ぱちぱちと瞬きをする。
「えっ……魔理沙さん、どうして分かったんですか!?」
魔理沙は腕を組み、
まるで「当然だろ」と言わんばかりの表情で優葉を見つめていた。
優葉は逃げなかった。
驚きも、戸惑いも見せず、
ただ静かに魔理沙の瞳を見返す。
そして――
深く、穏やかに頷いた。
「……はい。
私は博麗神社の御神木の化身です。
博麗の神聖樹靈――宮乃樹 優葉と申します」
その名乗りは、
まるで風が木々を揺らすように自然で、
どこまでも静かだった。
ココアは魔理沙の方を向き、
尊敬のこもった目で言う。
「魔理沙さんって……本当にすごいんですね!」
魔理沙は鼻を鳴らし、
少し得意げに笑った。
「優葉の氣の扱い方、植物の力の引き出し方……
普通の神霊じゃねぇよ。
それに、私の服を直した時の氣と同じだった」
その言葉には、
魔理沙なりの“優葉への敬意”がしっかりと込められていた。
魔理沙は腕を組んだまま、
先ほどまでの得意げな表情をすっと引っ込めた。
代わりに浮かんだのは、
真剣で、どこか優しい眼差し。
「でも……霊夢には言わない」
その声は低く、
けれど迷いがなかった。
「こういうのは、霊夢自身が氣づくべきだ。
私が口を挟むことじゃない」
その言葉には、
霊夢への深い信頼と、
優葉への敬意が静かに込められていた。
優葉はその真っ直ぐな思いを受け止め、
そっと微笑む。
「ありがとうございます、魔理沙さん。
霊夢さんには……いつか自分で氣づいてほしいのです」
魔理沙は肩をすくめ、
少し照れたように笑った。
「あいつ、鈍いからな。
でも氣づいた時は……きっと喜ぶぜ」
その言い方は軽いのに、
どこか温かくて、
霊夢への信頼が滲んでいた。
ココアも嬉しそうに頷く。
「霊夢さん、優葉さんのこと大好きですもんね」
その言葉に、
優葉はふっと目を伏せた。
頬がほんのり赤く染まり、
指先がそっと布の端を撫でる。
「……そうだと、嬉しいのですが」
その小さな声は、
まるで春風のように柔らかく揺れていた。
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