Coolier - 新生・東方創想話

緋焔のアルタエゴ_第三章_上

2025/03/27 22:55:44
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ーー無限雑踏街中央区。

この街が、無限雑踏街と呼ばれる所以。
朝も昼もなく、夕も夜もない眠らない街。
商売に勤しむ人いきれが、絶え間なく。

ここでは何もかもが売買される。
商会の掟さえ守るなら、
日用品から命まで店頭に並ぶ。

地下世界の経済は苛烈だ。
太陽のないこの世界では、
何もかも簡単に停滞する。

停滞を良しとしない妖怪たちが、
なりふり構わず価値を循環させて。
そうして、世界の停滞を食い止めてる。

中央区はまさに、その象徴。
象徴にして、中枢。
世界を回すための心臓たる機関。

商会は、ここからすべてを始めた。
旧都の残置物を片端から売りに出して、
有用な人材を片端から買い漁った。

付加価値の提供を繰り返した。
焼け焦げた利息の回収を続けた。
彼岸に見捨てられた旧都を立て直した。

やがてこの街は、目を見張るほどの
熱量をもって、経済と生活を創出した。

陽の光も届かないこの地で、
地底の太陽のように。

【空】(太陽、か……)

慌ただしく方々へ駆け回る妖怪たちの中、
過密な雑踏の隙間を縫うように歩きつつ、
私は煙草に火をつけながら右手を見る。

生きるためにはエネルギーがいる。
それは、妖怪である私たちも変わらない。

食事はもちろんそうだし、
誰かと会話して情報や感情を
行き来させることも、エネルギー。

生きること。考えること。
それも突き詰めれば、単純な相互作用だ。
熱を与えること。熱を奪うこと。

ほとんどの妖怪や神は、
何のエネルギーもない場所からじゃ
発生することはできない。

地上において、その源泉は太陽で、
地底において、その源泉は中央区。
そうしてこの世界は脈動している。

【空】(地獄烏の源泉は中央区じゃなくて、
きっと地下深くの地熱からだろうけど……)

【空】(大勢の妖怪が流入して、
それでもこの世界が活気に溢れてるのは、
中央区の経済活動のおかげ、なのかな)

『ーーそう。生物も妖怪も同じ。
その源泉は、大規模な熱量』

『ーーだから、判る? お空。
アナタの能力は単なる焔じゃない。
新しい世界を作る律にすらなれるんだよ』

【空】っっ!!?

耳元を抑えて、反射的に振り向く。
左手をコートの中の銃に伸べて。

でも、その先に声の主は存在しない。

虚空を名乗った少女。
かつての私に瓜二つな少女。

私の中に宿る強欲の化身。

【空】(ーー声)

夢、じゃない。
聞き間違いでもない。

これまでとは比較にならないほど、
今の声は、はっきりと聞こえた。

彼方から囁きかけるのではなく、
傍らに立って話しかけるように。
生々しい存在感を持って。

脳が揺さぶられたような嫌悪感。
フラフラと雑踏を離れ、路地裏へと。
壁に身体を預けて、呼吸をする。

【リグル】『そいつは時計閻魔の権能の欠片だ。
何もかも見透かしたようなことを囁くが、
断じてお前の味方なんかじゃない』

【リグル】『単に、お前を使って暴れたいだけだ。
善も悪もない。シンプルな力の塊でしかない』

リグルさんの言葉を想起する。
彼は、日頃から聞いていたのだろうか。
今の私のように、力を賛美するような囁きを。

【リグル】『飲まれるなよ』

あの時の私には、
いまいちピンと来てなかった。
でも今は、その言葉が重くのしかかる。

頭がどうにかなってしまったみたい。
いや、もう既に、どうにかなってるのか。
私じゃない私が、私の中から囁いてくる。

呼吸を繰り返す。
取り乱した頭に、新鮮な酸素を。

たったの一言で私、こんなにも。
気が滅入りそうだった。
これが、ずっと続くと思ったら、余計に。

【空】(これが、代償?)

私は、力に縋った。
それが危険と知りながら。

その力を行使した。
自分の命さえ投げ打って。

そして私は生き残った。
死を覚悟したのに、死ぬこともなく。

結果、彼女の存在は色濃くなった。
名前を得た。カタチを得た。
呼びかける声も、ずっと近くに。

恐ろしくなる。
次に、私が力に縋れば、どうなるのか。
また、あの力に頼らざるを得なくなればーー

【???】おい、そこ。
なにをボケっと突っ立ってる?

不意に声がした。
その声が少女のものだったので、
咄嗟に銃を抜いてしまうところだった。

でも、彼女の声とは違う。
虚空と名乗った彼女とは、全然違った。
聞き覚えのない声。少し離れたところから。

声のした方へ目をやる。
路地の奥に、腰に手を当てた少女の姿。
黒髪の少女は私を睨みつけてきて。

【???】お前、誰に許可を取って、
この路地裏で呑気に休憩してやがる?
のんびり物見遊山の田舎者か?

【???】ここいらの路地裏は、
泣く子ももっと泣く
強欲同盟のシマだぞ!

【???】休みたいなら金払え!
休憩なら銀貨1枚、
宿泊なら銀貨2枚だ。安くしとくぜ。

【空】…………。

強欲同盟。聞いたこともない。
私が聞いたことないなら、
そんな組織は公には存在しないんだろう。

というか、
よく私にカツアゲしようと思ったな、
なんて少し感心してしまう。

子供とはいえ無限雑踏街のゴロツキで、
私のことを知らない奴なんて居ないのに。

【空】えっと……何の冗談かな?

【???】冗談じゃないぞ! 
商売だ商売!

【???】あれだ、その……。
えっと、なんて言ったっけ……?

【???】思い出した! 不動産投資だぞ!

【???】土地の権利を買って、
そこを使おうとする奴から
金を回収するんだ!

【???】時代は不労所得だ!
権利を買って、金に働いてもらうんだ!
税金対策にもなってお得だぞ!

【???】ーーやれやれです。
早鬼。馬鹿ですかお前は?
無知蒙昧。開いた口が塞がりません。

【空】うわ、なんか増えた。

【???】増えました。你好。
私は強欲同盟の八千慧です。
以降、お見知り置きを。

【八千慧】こっちは早鬼。馬鹿です。
お見知り置かなくて結構です。

【早鬼】馬鹿って言うな!
私は馬鹿じゃない!
馬鹿って言うな!

早鬼と呼ばれた黒髪の少女が、
八千慧と名乗った金髪の少女を睨む。

どちらの少女も、
お世辞にも清潔とは言えない服を着て。

どうやらタチの悪い
ストリートチルドレンらしい。
互いにメンチを切り合う少女たちを見て察する。

早鬼を睨みつけてた八千慧が、
不意に咳払いをして私に向き直ると、

【八千慧】すみませんねぇ。
馬鹿が妙な因縁をつけて。

【早鬼】おい! 
だから馬鹿って言うなって!

【八千慧】うるさい! 
良いから黙ってなさい!
沈黙是金!

【八千慧】こほん、失礼。
ですが、早鬼の言うことも一理あるのです。
この路地の権利は、我々強欲同盟にあります。

【八千慧】子供の戯言だと思いますか?
侮らない方が良いです。

【八千慧】なぜなら我々の首魁は、
あの饕餮さまなのですから。

【八千慧】あの方を敵に回すことを考えれば、
銀貨の1枚や2枚、
安い買い物ではありませんか?

【早鬼】そうだそうだ! 
饕餮さまに喧嘩売るってのかコラー!

【空】うーん……。

カツアゲの常套手段だな、って思う。

そりゃ、饕餮さんを敵に回すのは怖い。
銀貨1枚というのも、
落とし所としては悪くない。

ハッタリかどうかを測るのも面倒だから、
払っちゃおうという気持ちになるヒトも
もしかしたら、いるかもしれない。

でも、相手が悪い。
私は饕餮さんと面識があるし、
あいにく、手持ちのお金もない。

【早鬼】おうおう!
ビビってるんなら、さっさと
払った方がお気楽だぞお前!

【八千慧】すみませんねぇ。
ですが、私も荒事は苦手です。

【八千慧】一刻千金。
あなたも時間を無駄にするのは
嫌でしょう?

少し考えて、
私は一番手っ取り早い方法を
実行することにした。

コートに手を突っ込む。銃を構える。
ニヤニヤ笑う2人の少女の間に、
問答無用で弾丸をブチ込む。

ーー!

【【早鬼&八千慧】】ひゃあ!

発砲音に怯えた2人が
ほとんど反射的に抱き合う。

彼女たちは地面に空いた穴を見て、
硝煙の立ち上がる銃口を見て、
それからようやく顔色を青くする。

【空】ゴメンね。
お金、持ってないや。
これで勘弁してくれる?

【空】休憩で、銀貨1枚だっけ?
なら鉛玉2発分だね。
いま払ってあげる。

【空】早鬼ちゃんの頭に1発。
八千慧ちゃんの頭に1発。

【空】綺麗な穴が開くよ。
それで良いね?

私が笑顔で聞くと、
ピッタリと抱き合った2人は、
泣きそうな顔で震えながら、

【早鬼】わ、わ、判った! もう判った!
いい! 要らない!
お代は要らない!

【八千慧】こ、こ、このお姉さん、
拳銃使いの空じゃないですかっ!

【八千慧】さ、早鬼の馬鹿っ!!
よりによって、なんてヒトに!!

【早鬼】お、お前だって!
お前だって気付かなかったくせに!!

【空】5、
4、
3……。

【八千慧】す、す、す、
すみませんでした!!
救命阿! 助けてください!

【早鬼】おい八千慧! 逃げるぞ!
し、失礼しましたーっ!

【八千慧】おい馬鹿! ふざけんな!
わ、私を置いていくんじゃありませんっ!!

驚くほどの速度で走り去る早鬼ちゃんを、
半べそをかいた八千慧ちゃんが
トテトテ追いかけていく。

そうして何やら騒がしい2人は、
私の視界から消えていった。

【空】(大人げなかったかな?)

【空】(まぁ、いっか。
たまには痛い目に合うのも、
経験だもん)

銃をしまって、息をつく。
やっぱり、路地裏は危険だ。
煙草に火をつけて、大通りに出る。

私の姿を見た通行人たちが、
いっせいに目を伏せる。

銃声。聞こえてたみたい。
だからと言って、特に気にはしない。
紫煙を吐きながら、堂々と歩いてく。

声は聞こえない。
賑やかな喧騒が耳に響くばかり。

このままずっと聞こえなければいい。
でもきっと、そうはならない。
そのうちまた、彼女は語りかけてくる。

だからと言って、どうにもならない。
お医者さんでも治せやしないだろう。

どうにもならないことを
悩み続けられるほど、
私は利口じゃない。忘れるに限る。

理不尽な目に合ったときの対処法。
考えないこと。感じないこと。
理不尽から目を背けること。

頭の中を巡る自問自答に蓋をして、
騒ぎ立てる感覚に麻酔をして、
馬鹿になること。馬鹿であること。

そうでなければ、壊れてしまう。
理不尽に立ち向かっちゃいけない。
ただただ、やり過ごすのを待つ。

少なくとも私はそうしてきた。
今回もそうする。
それだけの話。

きっと平気。
不意に声が聞こえてくるくらい、
なんてことはない。昔に比べれば。

吸い終えた煙草を靴で踏み消す。
顔を上げると、
そこはもう商会本部の入り口だった。

無限雑踏街にひしめく
積み上げ長屋の中でも
ひときわ巨大な建物。

他の積み上げ長屋は
後先考えない増改築で歪だけど、
この建物だけ、ちぐはぐなところがない。

無限雑踏街の心臓部。
この地下世界の中心。

コートのポケットに手を突っ込んで、
正面入り口前に立つ警備員に会釈して。

【空】(ひとりで来るの、久しぶりかも)

開け放たれていた本部の扉を通りつつ、
そんなことを妙に感慨深く思う。

二匹一組の殺し屋、スカベンジャー。
私は実働担当。お燐が事務連絡担当。

本部と直接やりとりするのは、
基本的にお燐が担当してる。

だから私は、あまり本部に用事はない。
呼び出されたり、依頼を問い合わせたりで、
お燐は結構来る機会があるらしいけど。

でも、今日は事情が違う。

私はDeSの情報を持っている。
伝えるなら早いに越したことはない。

お燐はへそを曲げている。
まともに会話ができるかも怪しい。

ひょっとしたら、お燐はもっと
不機嫌になるかもしれない。
私がDeSについて報告することで。

構うもんか。
私だってちょっと怒ってる。
何も説明せず、追い出してきたこと。

【空】(心配させたのは、
悪いと思ってるけど……)

【空】(けど私、何も判らないのに。
まともに話もしないなんてーー)

【饕餮】ーーあらぁ?
あらあらあらら?
お空さんじゃないですかぁ。

ほんわかと間延びした饕餮さんの声。
振り返ると、相変わらず美鈴さんを伴って、
どこかから帰ってきたらしい彼女の姿。

彼女はどこかからハンカチを出すと、
ぜんぜん涙の気配もない
両目を拭いながら、

【饕餮】うわぁ〜ん! よかったですー!
空さん、無事に目が覚めたみたいでぇ〜!

【饕餮】身体は大丈夫ですか〜?
どこか痛いところとか、
ありませんかぁ〜?

【饕餮】さとりさんが天使を倒したとき、
気を失っちゃったから〜、
心配してたんですよぉ?

【空】え、あの、えっと……?

【美鈴】…………。

饕餮さんの言葉に口を挟みそうになったとき、
美鈴さんが目線だけでそれを咎めてくる。
迂闊な私でも、その真意はすぐに判った。

天使を倒したのは、さとり。
商会はそれを公式の見解にしている。

それは事実とは少し違う。
でも、外部の妖怪も居るこの場で、
それを大っぴらにするわけにはいかない。

【饕餮】…………。

饕餮さんが私の反応を探るみたく、
ジッとこちらを見てくる。
私は慌てて、

【空】あぁ、えっと……。
えっとぉ……。

【空】そ、その節はお世話になりました……。
私、圧倒されちゃって……。

【饕餮】ですよねぇ〜。判りますぅ。
さとりさんの力、
凄かったですもんねぇ〜。

しどろもどろの返事ながら、
どうやら合格ラインだったらしく、
饕餮さんが微笑みながら言う。

ホッとする。
私、こういうの向いてない。

こういう腹の探り合いみたいなの、
私じゃいつ失敗するか判らない。
やっぱりお燐じゃなきゃ無理だ。

【饕餮】それで〜?
お空さんは、何か用ですかぁ?

【饕餮】それって、
お燐さんと喧嘩したことと、
何か関係あったりします〜?

【饕餮】それとも、変な子たちが
私の名前を出したことを
教えにきてくれたとかですか〜?

【饕餮】子供たちのことでしたら〜、
ちゃんと『お喋り』しておくのでぇ、
気にしなくていいですよぉ?

やっぱり色々と把握されてる。
饕餮さんは怖い。
あの子たちも、ご愁傷様、だ。

でも、そのことじゃない。
私は周囲を見渡して、誰かに
聞かれてないことを確認してから、

【空】タレコミがあったの。
その、DeSの出所について。
詳細は聞けなかったけど……。

【空】白蓮教徒の街だって。

【饕餮】ふぅん、そうですかぁ。
なるほど、なるほど〜。

【饕餮】お空さんはどう思いました〜?
調べてみた方が良さそうでしたぁ?

【空】(あれ? 思ったより、あっさり?)

なんだか思いっきり空振りしたみたいな
肩透かし感を感じながらも、

【空】うん、嘘も吐いてなさそうだったし、
確証がある風な言い方だったから……。

【饕餮】そうですかぁ。
それじゃ、そうしましょっかぁ。

【饕餮】美鈴さ〜ん、会長さんの許可、
取ってきてくださーい!
ガサ入れやります、って〜。

【饕餮】責任は私が取るんで〜、
大至急で行っちゃいますかぁ。
今から〜。

【空】へ?

軽々しい口調で饕餮さんが言った
台詞の意味が、うまく噛み砕けない。

ーー会長の許可。
ーー他の街へのガサ入れ。
ーー責任は取る。

詳しいことは判らないけど、
饕餮さんの立場で言ったら
大変なことになりそうな言葉が、ぽんぽんと。

【美鈴】…………。

美鈴さんが無言で頷いて、
どこかへと小走りで向かっていく。
饕餮さんがぽわぽわな表情で私を見て、

【饕餮】お空さんは、こっち来てくださ〜い。
ガサ入れ、手伝ってもらいますので〜。

【饕餮】スカベンジャーのお二人に、
正式に依頼させていただきます〜。

【饕餮】情報の真偽を確認して、
DeSの出所を潰してくださいね〜。
プチっと、ね〜。

【饕餮】えっとえっとぉ、
成功報酬は、金貨500でどうですか〜?

【空】ご、ごひゃっ……!?

さすがの私でも、
その金額の途方もなさに驚きを隠せない。

仕事に応じた対価の相場感は、
直接、商会と交渉したことのない
私には判らないけれど。

きっと酸欠の地獄金魚みたく
口をぱくぱくさせてる私に、
饕餮さんは人差し指を立てて、

【饕餮】あくまで、成功報酬ですよ〜?
空振りでも、商会はお二人の
徒労を保証しませ〜ん。

【饕餮】それでも良ければ、ですけど〜?

【空】えっと、えっと……、
たぶん、大丈夫だと思うけど……。

【空】その、お燐に相談してからーー

【饕餮】ダメで〜す。
今、決めてくださ〜い。

【饕餮】お仕事は今から始まるんですよ〜?
相談する暇、ないと思いませんかぁ?

ニコニコな笑顔のまま、
饕餮さんが人差し指でバッテンを作る。

でも、彼女の言う通り、
仕事が今から始まるなら、
お燐の機嫌が直るまでは待てない。

どうしよう。
どうすればいいかな。
勝手に判断して大丈夫かな。

私は少し迷った挙句、
でも金貨500の仕事を受けない
理由はないと思って、

【空】ーーわ、判りました!
やります!

【饕餮】わぁ〜、流石お空さん!
判断すべきときに素早く判断できるの、
とーっても、偉いですよぉ?

パチパチ、饕餮さんの拍手を受けて、
お褒めの言葉をもらえた私は、
素直に照れつつ恐縮。

ひとしきり私に拍手した彼女は、
やがて柔らかな笑みのまま、
両手でグッとガッツポーズをして、

【饕餮】頑張ってくださいね〜!
責任、重大ですよぉ?

【空】うん、饕餮さん。
私、頑張るよ。

【饕餮】うんうん、けっこうけっこう。
こけこっこ〜。

【饕餮】それでは〜、私はこれで〜。
いい結果、期待してますよぉ。

ヒラヒラと上品に手を振った饕餮さんが、
どこかへと去っていく。

彼女の背中を見送った私は、
さて、と前へ向き直って。

【空】(金貨500の仕事、受けちゃった)

これでお燐の気も晴れるだろう。
きっと両目を金貨にして、はしゃぐはず。

タレコミをくれたパルスィに感謝しなきゃ。
豪勢にいっぱい飲み食いして
お店の売り上げに貢献してあげてもいい。

【空】(でもーー)

【空】(ーー結局、聞けなかったな。
どうして、2人はさとりと一緒に
蟲群街に来たのか)

そう。そこがどうにも噛み合わない。

リグルさんと会長さんの約束。
それは、おそらく果たされてる。
天使狩りという新たな商会のシノギ。

結果的に、それは本格的に始まった。
蟲群街の天使を、さとりが狩った、
という建前上の成果を元にして。

でもそれは、時系列が合わない。
たぶん、無理やり合わせたんだと思う。
因果関係をあべこべにして。

さとりが天使を打ち砕いたから、
天使狩りを始めたわけじゃない。

天使狩りを始める前に天使が現れたから、
それをさとりの成果にしてしまうことにした。

きっとそうだ。
でもそうなると、やっぱり、
蟲群街にさとりがくる理由がなくなる。

思えば、タイミングもおかしい。
無限雑踏街から蟲群街まで数時間掛かる。
天使の出現がきっかけじゃないのは確か。

たぶん、別の目的があった。
別の目的で偶然居合わせたんだ。
そうじゃなきゃ説明できない。

でもそれが何なのか。私には判らない。
聞こうと思ったけど、
聞くことはできなかった。

【空】(……リグルさんとの約束を、
反故にする目的じゃないとは思うけど……)

【空】(それも断言できない。
何かを裏付ける証拠もない。
聞いても教えてくれないだろうな)

【空】(ーーでも)

あの2人には聞けない。
饕餮さんは誤魔化すだろうし、
美鈴さんはそもそも何も喋らない。

……でも、さとりは?

教えてくれるかどうかは判らない。
仮にも商会幹部のポジション。
饕餮さんや美鈴さんと同じ。

けれど聞いてみる価値はある。
さとりがどういうスタンスなのか、
まだ判らないけれど。

時間は無限じゃない。
もう饕餮さんから依頼を受けてる。
なら、さっさと動くべき。

意を決した私は受付に向かって、
さとりへの取り次ぎを頼む。

受付のお姉さんが笑顔で
エアシュートに面会の報せを送る。
ポン、と軽快な音がして。

返事はすぐに戻ってきた。
問題はなかったみたい。
促された私は6番執務室へ。

なだらかな螺旋階段を降りて、
延々と続く回廊に至る。

立ち並ぶステンドグラスを横目に、
案内表示で6番執務室を探す。

【空】(4、5、6……)

【空】(あった。6番執務室)

ドアには急拵えのネームプレートで、
古明地さとり、の文字。
その下に、こいし、と張り紙があった。

無理やり糊で貼り付けたみたいな、
すごくペラペラな紙。
そこにクレヨンで、雑なサイン。

【空】(こいしも居るんだ)

そりゃ、そうか。
お兄さんと再会できたんだから、
お燐や私に保護される理由がない。

あるべきところに収まった、
ってことなんだろう。たぶん。
まぁ、寂しくないと言えば嘘になるけど。

なんて、センチメンタルを抱きつつ、
ドアをノックする。
どうぞ、と声がして。

【空】失礼しまーす。

ドアを開けて身体を滑り込ませると、
合計で6つの瞳に見つめられる。
さとりのもの、こいしのもの。

執務室は、想像より豪勢だった。
赤いベルベットの絨毯。
暖炉にベッド。ソファとテーブル。

ベッドの上に居たこいしが、
私の方に小走りでやってきて、

【こいし】久しぶり。

【空】うん。久しぶり。

【こいし】……………………。

しばし、こいしに見つめられる。
頭からつま先まで、舐めるように。

なんだかむず痒い気分。
でも、こいしの気が済むまで
付き合ってもいいや、とは思った。

ややあって品定めが終わったのか、
こいしは小さく息を吐いて、

【こいし】やらしい女狐の臭い。
趣味、悪いね。

眉根を顰めて、ポツリと言う。
いかにも、厭そうな感じ。

【空】(パルスィのことかな)

思わず袖のニオイを嗅いでしまう。
特に変なニオイはしなかった。

……しない、と思う。たぶん。

【さとり】ーーこら、こいし。
あまり失礼なことを言わない。

ため息混じりにさとりが言う。
けれどこいしはそれを無視。
興味を無くしたみたく、ベッドに戻る。

【空】(猫みたい)

特に気分を害したりもしない私は、
寝転ぶこいしの背を見て思う。

お燐よりもよっぽど、それっぽい。
あの通りお燐は社交的なので、
実はあんまり猫要素は強くないのだ。

【さとり】お久しぶりです。お空さん。
無事だったようで何よりです。
これまで、どうしていたんですか?

【空】あ、えっと……。

【さとり】なるほど。
さっき起きたばかり、と。
それは大変でしたね。

【さとり】もう起きて大丈夫なんですか?
すみません、見れば判りますね。
大丈夫そうで、安心しました。

【空】あー、その……。

【さとり】そうですか。
私たちが蟲群街にいた理由ですね。
判りました。お話しします。

【さとり】そちらのソファにどうぞ。

【空】はぁ……。

相変わらず気持ち悪い会話のテンポ。
絶対に主導権を譲りたくない、
みたいな、そんな意思が見え隠れする。

生暖かい視線に促されるまま、
ソファへ歩み寄ってお尻を落ち着ける。
さとりが紅茶のカップを手に、

【さとり】さて、
どこからお話しすべきでしょう……。
私も正直、あのときは混乱してて。

【空】なんで「私」?
「僕」って言ってなかった?

怪訝に思った私が問うと、
さとりが出鼻を挫かれた犬みたいな
何とも言えず痛ましい顔をして、

【さとり】はは……。
まぁ、色々ありまして……。

【空】一人称揺らぐお年頃?

【さとり】違います。

【空】アイデンティティ・クライシス?

【さとり】だから、違います。
というか、少しは吟味して
質問を投げた方がーー

【空】で、何で蟲群街にいたの?
リグルさんは会長さんと、
2日後に会おうって言ってたのに。

【さとり】……あちこちに興味が飛ぶヒトですね。
思考を先回りしようとしても、
口がそれに追いつきません。

【空】それ、気持ち悪いから
やめたほうがいいよ?
友達とかいなくなるよ?

【さとり】余計なお世話です。
それこそアイデンティティです。
さとり妖怪の沽券に関わります。

【さとり】……いま、変なの、と思いましたね?

【空】自覚あるんだね。よかった。
それなら、治す余地もあるよ。

【空】頑張って。

【さとり】……悪意なし、ですか。
読心が信じられなくなりそう……。

さとりがため息を吐く。
私は何だかよく判らないので、
とりあえず曖昧に笑っておいた。

そしたら睨まれた。なぜ。
首を傾げていると、
さとりは紅茶を傾けて、

【さとり】約束、というのは、
機関式通信機越しのものですよね?
私もその時の会話は耳にしています。

【さとり】ちょうどその通話の最中、
私も会長の前に居ましたから。

【空】会ったの? 会長さんに?

【さとり】えぇ。会っています。

【さとり】あの日拉致された私は、
取り調べを受けた後、
商会会長の前に引き出されました。

【さとり】彼女は最初こそ、
時計閻魔の力に興味を持っていました。
閻魔のオーパーツと呼ばれる道具にも。

【さとり】ですが、私が説き伏せたのです。
かの閻魔の力は危険だと。
この地下世界を灰燼に帰しかねないと。

【さとり】彼女は判ってくれました。
そして、私たちは協力関係を
結ぶことになったのです。

【さとり】それが私が商会幹部の席に
座ることになった理由です。
そして天使狩りを始めた理由でもある。

【さとり】目下、天使の目撃情報を
募っている最中なので、
いまは待機しているところですが。

【さとり】幹部のポジションを用意された私には、
ある程度の行動の自由が与えられました。

【さとり】あの二人の監視付きではありましたけどね。
ともあれあの時は、リグル氏の様子を
こっそり見にきていたのです。

【さとり】閻魔のオーパーツ、
”永遠供給源”の持ち主である彼の。
……結果的に、私は役に立ちませんでしたが。

【空】……そうなんだ。
なるほどね。

【さとり】ちなみに、落ちてきたアナタは
美鈴さんが受け止めていました。
お礼を言っておくといいですよ。

【空】そっか。

ついさっき会ったばかりだけど、
そんな事情知らなかったから
お礼は言いそびれちゃった。

今度、会ったら伝えよう。
もちろん、タイミングや
周囲の様子に気を払いながら。

ともあれ、スッキリした。
欠けていたピースが揃って。
判らなかったこと、理解して。

過去のことをほじくり返すのは終わり。
これからのことを考えよう。
そう思った。

なんせ、饕餮さんから直に受けた
金貨500の仕事だ。大仕事になる。
色々と準備もしなくちゃいけない。

【さとり】……!

【さとり】…………。

本当はすぐにお燐に報告したいけど、
まだきっと機嫌は治ってないだろう。
もうちょっと時間をあける必要がある。

【さとり】…………。
…………。

でも、きっとお燐は飛び上がる。
守銭奴のお燐のことだ。
たちまち機嫌を治す可能性もゼロじゃーー

【さとり】あー、その、ちょっと……。
いいですか? お空さん。

こほん、とワザとらしく咳払いした
さとりが、私の思考の合間に
割って入ってくる。

【空】あ、邪魔だった?

ハッとした私が慌てて
お暇しようと立ち上がると、
右手でそれを制してきて、

【さとり】違います。
早く帰れ、とは思ってません。
そうではなくて……。

【さとり】……老婆心ですが、
やめておくが吉かと。
あのメス山羊に騙されてますよ。

【空】ふぇ?

苦々しげに吐き捨てたさとりを見て、
思わずキョトンと首を傾げてしまう。

騙されてる?
どういうこと?
饕餮さんが嘘を吐いたってこと?

さとりは苦々しげに首を振ると、
カップをソーサーに置いて、

【さとり】恐らく、嘘ではありません。
下手人が見つかれば、
商会は本当に金貨500枚を払うでしょう。

【さとり】ですがそれは、見つかれば、の話。

【さとり】饕餮は、こう思ってるはずです。
見つかるわけがない、と。
アナタの仕事は徒労に終わるだろう、と。

【さとり】だから、成功報酬であることを
念押ししたのでしょう。

【さとり】下手人が見つかれば良し。
見つからなくても、
金銭的な損はしない。

【さとり】むしろ、見つからなかった方が
好都合だと考えているかもしれません。

【さとり】報酬を払うことなく、
他の街の調査ができるのですから。
一杯食わされましたね。お空さん。

さとりが気の毒そうに嘆息する。
私はいまいちピンとこない。

それは、さとりの評価があまりに
饕餮さんに対する悪意に満ちていたからだ。
彼女はあんなに優しいのにーー

【さとり】優しい!? はぁ!?
じょおおおおだんじゃないですよ!!
あの悪魔!! あのサキュバス!!!

バシン、と机を両手で
ぶっ叩いたさとりが俄かに立ち上がる。

ビックリ。びっくりした。
あともうちょっとで
銃に手が伸びるところだった。

私が身体を竦めていると、
さとりはガシガシ頭を掻きむしりながら、

【さとり】私が! あの女にどこまで
『取り調べ』されたことか!!
あの変態のクソ淫売がああああ!!

【さとり】ヒトの男装に勝手に
興奮しておいて、なーーにが、
責任取ってくださいねぇ、ですかっっ!

【空】しつもん!
はい、しつもーん! 質問!!

【空】男装ってことは、
さとりって、女の子!?
お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃん!?

【さとり】そうですが何か??
アナタも小さな男の子に
ドキドキする手合いですかぁ〜???

【空】違う! 違います!!
私は誓って健全です!
私は誓って健全です!!

【さとり】いつか殺す。絶対に殺す。
ショタコン、滅ぶべし!!
あのアマぁああああああああ!!!

【こいし】うるさっ。

こいしの苦言も効果はなかった。
肩で息をするさとりは、
ほとんど目を血走らせてる。

正直、こわい。
下手なことを言えない雰囲気。
言わなくても悟られるんだろうけど。

叫び散らしていたさとりが、
フッと糸の切れたように黙る。

かと思うと、まるで
何かが乗り移ったみたいな
満面の笑みで、

【さとり】ーー決めました。
アナタの調査の仕事、
私も同行します。

【さとり】私がいれば百人力ですよ。
なんせ、他人の心が読めるんです。
嘘も隠し事も、私には通じません。

【さとり】あの女に吠え面かかせてやるんです!!
金貨500を払うことになって、
泡を食う様が見ものですね!

【さとり】げらげら、げらげらげら!!

【空】……お姉さんさ、
よく変わってるって言われない?

【こいし】言われて直る性格じゃないよ。

【空】そっか。

【さとり】となれば、善は急げです。

どうにも下品な笑いを終えたさとりが
ビシッと私を指で差して、

【さとり】今から向かいましょう。
その、白蓮教徒の街へ。
サッと行ってパッと解決です。

【さとり】同行するのはお空さんだけですか?
お燐さんも呼んだ方が?

【さとり】……なるほど、喧嘩中ですか。
機嫌がいつ直るか判らない?
なら、置いていきましょう。

【さとり】私が行けばすぐ解決するんです。
人手を増やす必要はありません。

【さとり】代わりに、こいしのお守りを頼みます。
この部屋に居てくれればいいので、
大した負担にはならないでしょう。

【さとり】こいしもそれでいいわね?

【こいし】言っても聞かないでしょ。

【さとり】では、それで決まりで。

私が一言も挟まないうちに、
色々と決まったことになっちゃった。

でもたぶん、最速で動くなら
判断は的確だ。そう思った。
頭に血が昇ってるにしては。

裁量権を持ってるヒトに
読心の能力があるのは便利だな、なんて。
背景の説明や心情の配慮が要らないから。

私に特に文句がないのを悟ってか、
さとりがフフン、と胸を張って、

【さとり】判断には自信があります。
これでも、閻魔代行の身なので。

【さとり】疑問や質問は無い? 無いですね。
では、行きましょう。

【さとり】こいし? 
すぐ帰ってくるからね。

【こいし】はいはい。

ぷいっとそっぽを向いたまま、
こいしがヒラヒラと手を振る。
さとりは何故かニヤニヤして、

【さとり】寂しい、って思ったわね?

【こいし】うっさい。ばか。
早く行って。

こいしが虫を追いやるみたいに乱暴に、
なんと足でしっしっと追い払う。

さとりの表情は変わらないまま。
デスクから離れて、
私の横を通り過ぎるとドアを抜けて、

【さとり】行きますよ。お空さん。

廊下から手招きしてくる。
寝転んだままのこいしをチラと見やって、
素直にその手招きに応じて部屋の外へ。

【さとり】お燐さんへの連絡は、
手配しておきますのでご安心を。

後ろ手にドアを閉める私を待たず、
さとりは歩き始めながら言う。
慌てて追う私を顧みることもせず、

【さとり】お空さんは道中、
これから向かう白蓮教徒の街について
教えてください。私、新参なので。

【空】教えるって言ってもなぁ……。

よく知らない、というのが正直なところ。

私は無限雑踏街の外に出たことがない。
なかった。蟲群街に行くまでは。

だから『壁』の外のことはあまり知らない。
チラチラと伝え聞く噂話だけでしか。

なんか、宗教を大事にしてるヒトが多いらしい。
それで、清廉潔白な生活をしてるらしい。
そんな程度。

ハァ、とため息を吐いたさとりが、
眉根に皺を寄せながら振り返って、

【さとり】さすがにそれくらいは察せます。
そうではなくて。

【さとり】宗教家の集まりならば、
教祖がいるはずでしょう。
それを補佐する幹部もいるはずです。

【さとり】そうした上層部への
コネクションは?
利害関係や派閥の情報は?

【さとり】……何も知らないんですか?
言っちゃ悪いですけど、
いまのお燐さんじゃなくても怒りますよ。

【さとり】そんな状態で仕事を受けるなんて。
情報収集の段階で躓いちゃってます。
五里霧中って感じです。

【空】……それは私の仕事じゃないし。

ほっぺを膨らませる。
お小言を甘んじて受けるほど、
気を許したわけじゃないつもり。

私より小ちゃいくせに上から目線。
面白くない。

いや、言ってることは正しいけど。
それに、幹部なので立場も上だけど。
でも、それでも。

【さとり】……今のでおおよそ把握しました。
お燐さんが参謀担当。
お空さんが実行担当。

【さとり】いいコンビですね。
スカベンジャー。
互いの欠点を補い合っている。

【空】え、あ、そう?

なぜか唐突に褒められた。
虚を突かれた感じ。

もしくは手のひらの上で弄ばれてる?
いけない、いけない。
少しばかり弛んだ気を引き締める。

これから仕事だというのに、
褒めの不意打ちくらいで。

初めての仕事。
『壁』の外の街での情報調査。

もしかしたら、金貨500に繋がるかもしれない。
もしかしたら、DeSを一掃できるかもしれない。
もしかしたら、何も得るものは無いかもだけど。

でも、ふわふわした気持ちでは臨めない。
冷静に。沈着に。
無い頭を振り絞って。

お燐は来ない。さとりと2人。
果たしてどんな仕事になるか。
見当もつかない。

受付のお姉さんに言伝する
さとりを入り口で待つ間、
深呼吸をして心をフラットにする。

慣れてない仕事に油断は禁物。
過信はしない。慢心もあり得ない。
そういうビギナーから死んでいく。

煙草に火を付ける。
私の心は、それで大分落ち着いた。
いつもの精神の訪れを感じる。

奪うこと。奪われること。
害すこと。害されること。
殺すこと。殺されること。

そうした緊張状態に身体と心を慣らす。
次の瞬間には銃に手を伸ばせるように、
自分の中の獣の部分を色濃くして。

これは闘争。これは狩猟。
生きるために通さなきゃいけない我欲。
他者を踏み躙り、喰らう儀式。

本能を神経の隅まで張り巡らせる。
思考は二の次に。不寛容を装填して。
鈍感と鋭敏の狭間に意識を薄く伸ばして。

【さとり】お待たせしました。

煙草を1本吸い終わったあたりで、
さとりが入り口までやってきた。
私を見るなり彼女は肩を竦めて、

【さとり】当分、お燐さんには
会わない方がいいでしょうね。
彼女、相当に不機嫌でした。

【空】そっか。だろうね。
心を読んだの?

【さとり】通信機越しに
読心の能力は使えません。
でも、必要ありませんでした。

【さとり】私にまで
食ってかからんばかりでしたよ。
ぎりぎり踏みとどまってましたが。

【さとり】そうそう、
伝言を預かってます。

【さとり】『金貨500稼ぐまで帰ってくるな!!
このすっとこどっこい!!』
ーーだ、そうです。

【空】あっ、そう。
大分マシになったかな?
お金があれば許してくれるなんて。

【空】さっきは顔も見たくないって
言ってたからね。

私がヘラヘラ笑うと、
対照的にさとりはため息を吐いて、

【さとり】呑気なものですね。
本当に金貨500も稼げるか
判ったものじゃないのに。

【さとり】そもそもDeSってのは、
いったい何なんですか?
麻薬の一種なのは、判りますが。

【空】うーん、私もよくは知らないけど……。
歩きながら話す?

私は白蓮教徒の街へ向かえる
蒸気路面車の駅がある
大体の方向を指して言う。

さとりが頷いたので、
私は指差した方へと歩き出す。
煙草を咥えながら人混みを進みつつ、

【空】DeSはね、1年位前から
爆発的に広まった新種の麻薬。

【空】依存性が強くて禁断症状もキツい。
だからジャンキーたちは
血眼になってクスリを求めることになる。

【空】でも、DeSのやり過ぎで
死ぬことはないんだって。
妖怪のタフさなのかは知らないけど。

【さとり】DeSに一度ハマると、
死ぬまでDeSを求め続ける?
ずっと、他の要因で死ぬまで?

【空】そうなるね。
そういうとこ、すごくタチが悪い。
私も、何十人も殺してきた。

【空】でも、商会が潰そうと
躍起になってるのは別の理由。
DeSは製造元が未だに判ってないの。

【空】ある日突然、DeSは誰かの家に届く。
クスリ本体と、メモ書きを添えて。

【空】メモには、DeSの説明が書いてある。
麻薬だということ。売れば金になること。
対価を取ることはない、ということ。

【空】だから売人が、ねずみ算式に増えていく。
勝手に家に届くクスリを売るだけでいいんだから、
そりゃ、そうだよね。

【空】DeSの流通に商会は介入できてない。
それに、これまで築いた市場が破壊されてく。
だからDeSは、目の上のタンコブってわけ。

【空】流通に介入できたなら、
ここまで商会も目の色を変えなかったと
思うんだけどね。

【空】で、蟲群街のリグルさんは、
DeSの流通に閻魔のオーパーツが
関わってるんじゃないかって。

【さとり】なるほど……。
大枠としては判りました。
ありがとうございます。

さとりが難しそうな顔をして腕を組む。
私は吸い終わった煙草を踏み消して、
ぼんやりとさとりの横顔を見る。

DeSについて、誰も何も知らない。
ヤク中も、売人も。
誰が作って、どうして流してるのか。

無限雑踏街の深刻な社会問題。
それを解決できるかもしれない仕事。
だけど今はまだ、何の手応えもない。

さとりの言う通り私は無知で、
何がどんな風に繋がるのか、
何も判りようがないから。

結局、さとりは黙りこくったまま。
私たちは、程なくターミナルに辿り着く。

巨大な転車台が回り、
蒸気路面車の行き先を変更する。

カチコチ、歯車を回しながら。
キリキリ、メモリを調節して。
クルクル、運命も終着点もどこへやら。

機関機械の自動券売機がチン、と
あっかんべぇみたいに出す切符を手に、
区画間サーキット蒸気路面車へ。

適当な座席に座り、
煤煙で汚れた窓の外を見やる。

車内には誰もいない。
私とさとりの2人だけ。
圧縮蒸気の音と共にドアが閉まって。

【さとり】…………。

【空】…………。

列車が線路を噛んで走る音。
ゆっくりと景色が後方に流れていく。

さとりの横顔を盗み見る。
まっすぐ前を見つめたまま、
視線を微動だにしない。

何を考えているんだろう。
私に読心の能力はないので、
彼女の内心を読むことはできない。

すると、さとりの第三の眼が
ジロリとこちらを見て、
次いで2つの目もこっちを向く。

【さとり】失礼。考え事をしてました。
DeSのことと言うより、
クスリをバラ撒く目的のことを。

【さとり】金銭が目的ではない。
しかし、そうする理由はあるはず。
クスリを蔓延させて、どんな得があるのか。

【さとり】憶測で判断はできませんが、
閻魔のオーパーツの話が出て、
少しばかり嫌な予感がありまして。

【空】嫌な予感?

【さとり】えぇ、はい。
何というか、単なる印象なんですが。

【さとり】まるで時計閻魔の手口を
なぞっているかのようだ、と。
そんな風に思ってしまって。

【さとり】仮にDeSをバラ撒いている者が
閻魔のオーパーツを使っていたとして、
それ自体は所有者の欲望に直結しないはず。

【さとり】なぜなら、
流通は第三者に委ねられている。
破滅的な顛末は観測できないはずです。

【さとり】欲望は良くも悪くも直接的なもの。
なのに、この街での黒幕の行動は、
あまりに間接的で迂遠に過ぎる。

【さとり】……ピンと来てませんね?
よろしい。ならばもう少し単純化しましょう。

【さとり】例えばアナタの拳銃が、
自律思考するようになって、
関係のない誰かを無差別に殺すとします。

【さとり】……それで、お空さんは
楽しいですかね?
不安がなくなって嬉しいですか?

【空】うーん……。
それは……。

楽しくもないし、嬉しくもない。
むしろ不安で居ても立っても
居られなくなるに違いない。

私の殺しには、私自身の判断軸がある。
それは暴力の手綱を握る最後のブレーキだ。
たとえ、それが少々軽めであっても。

自分の力の安全装置を無分別に解除する。
そんな判断は私にはできないし、
できたところで嬉しくも何ともない。

それは私自身の殺意に影響しない。
どこかで誰かが私の銃で死んでも、
それが私に喜びをもたらすことはない。

【さとり】ーーでも、DeSをバラ撒く黒幕は違う。
徹底的に自分の痕跡を隠して、
クスリを売る対象も売人に任せてる。

【さとり】つまり、誰でもいいんです。
誰がクスリで破滅しても構わない。
儲けることさえ、どうでもいい。

【さとり】まるでこの街そのものを、
クスリで堕落させることが目的のような。

【さとり】ある種の大局観。
長期的な展望。仄暗い執念。
嘲笑するような、厭らしさ。

【さとり】そんな印象。
時計閻魔のやり方に、
そっくりじゃありませんか?

【空】本人なんじゃないの?
DeSが閻魔のオーパーツでさ。

【空】また自分でバラ撒いた罪を、
自分で裁くつもりかも。

【さとり】うーん……。
単純な麻薬をバラ撒くやり口は、
彼のプロファイルに合致しませんが。

【さとり】しかし、その可能性も
視野に入れるべきなのでしょうか……。
そうなると、今日中には帰れないかも……。

【さとり】どうしましょう……。
こいしに、遅くなるかもしれないなんて、
言ってないのに……。

さとりが明確にソワソワしだす。
まるで天から空でも落ちてきたみたいに。
私は首を傾げて、

【空】(さとりの帰りが遅くなるくらいで、
こいしは怒ったりするのかな?)

【空】(そういうキャラじゃない気がする)

【空】(でも私、家族ってよく判らないからなぁ)

ーーーー。

【空】(ーー暖かいものだとは、思ったけど)

脳裏に一瞬だけよぎった
リグルさん達との団欒のひと時を、
切ない胸の痛みと一緒に噛み締めて。

揺れが心地いい。
うっすら意識がぼやけてくる。
私、3日も寝てたのにな。

ぶつぶつ弁明みたいなことを呟く
さとりを横目に、瞼を閉じる。

訪れるのは暗闇。
なにも存在しない世界の果てみたいに。

その向こう側から。

虚空が静かに笑っているような、
そんな気がしてーー。

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