【空】ーーッ!!?
ガバ、と起き上がる。
心臓が早鐘のように脈打っている。
嫌な汗をじっとりと掻いていて。
うまく呼吸ができない。
肺の奥に鉛でも飲み込んだみたいに。
声。声は、もう聞こえない。
穏やかで、優しげで、
なのに、私を奈落に引き込むような。
怖かった。
どこまでも堕ちていくような気分が
私の身体の奥に蟠っている。
囁きかけてくるあの声を、
戯言だと振り切ることができなくてーー
【空】……煙草。
無意識にポケットを探りながら、気付く。
ここ、私たちの家だ。
いつものベッドの上だ。
いつの間に?
というより、私、
どうなったんだっけ。
何も思い出せない。
寝起きで頭がボケてる。
とりあえず、煙草に火をつける。
ライターのフリントを擦った途端、
ベッド脇で何かがガバッと動く。
【燐】ーーお空!!
血相を変えたお燐が、
私の顔をマジマジと見つめてくる。
かと思うと、ヘナヘナと椅子に崩れ落ちて、
【燐】良かったよ……このまま、
起きないんじゃないかと……。
【空】おはよ。お燐。久しぶりだね。
…………。
……んにゅ? 久しぶり?
【燐】呑気言ってんじゃないよ!!
馬鹿! この、お馬鹿!
どれほど心配したと……!
わなわなと震えたお燐が、
ほとんど食ってかかるような勢いで
私の目の前で指を3本立てて、
【燐】3日! 3日も起きなかったんだよ!
お前さんは!
【燐】代償だか何だか知らないけどさ!
だから、あたいは止めたんだ!
碌なことにならないと思ったからさ!!
【燐】なのにお前さんはヒトの気も知らず、
天使に戻るだなんて馬鹿なことをーー!
天使。
その言葉を聞いた途端、
私は何もかもを思い出す。
大樹の天使。リグルちゃん。
さとりに頼んで、
私が天使の力を使ったこと。
天使を打ち砕いた後で、
落ちていったことーー。
ーー落ちていく。
ーー堕ちていく。
ーー上から、下へ。
【空】リグルちゃんは!?
どうして、私は、ここに……!?
さとりは!? こいしは!?
【空】なんで私は無事なの!?
天使になって、それで、
天使を打ち砕いて、落ちてーー!
【燐】うるさい、お馬鹿!!
頭にチョップを喰らう。
痛い。いつもよりかなり痛い。
私は頭を抑えながら、
【空】痛ったぁ……い!
い、今の本気だったでしょ!
【燐】当ったり前だろ!
矢継ぎ早に質問を投げるな!
どうせ処理しきれないくせに!
お燐が全身の毛を逆立てる。
目も釣り上がってるし、
猫の方の耳もイカ耳になってる。
ヤバい。本気で怒ってる。
こういうときのお燐に
逆らわないほうがいい。
私は聞きたい気持ちを堪えて、
両手を挙げる。降参のポーズ。
それでもお燐の怒りは収まらない。
【燐】お前さんが馬鹿なことなんて
知ってたつもりだったけどさ!!
ここまでとは思わなかったよ!!
【燐】死んでもいいと思ってたんだろ!!?
遺言めいたことまで言ってさぁ!!
【燐】あたいが何を思おうが、
何を言おうが、お前さんには
どうだっていいってわけかい!!
【空】そ、そういうわけじゃ……。
【燐】うるさい馬鹿!
言い訳すんな、馬鹿!!
棚の上の雑多な小物を、お燐が
手当たり次第に投げてくる。
ーーマッチ、ランプ、紙の束。
ーーお皿、時計、虫眼鏡。
【空】い、痛い、痛い……。
【燐】どっか行け!!
顔も見たくない!
あたいのベッドを占領すんな!!
怒鳴られて、堪らずベッドから逃げる。
でも、お燐の追撃が止まらない。
背中に次々と物がぶつけられて。
【燐】もう終わりだよ! 終わり!!
スカベンジャーもこれ限りだ!!
【燐】出ていけ、馬鹿たれぇ!!!
追い立てられるがまま部屋から逃げ出す。
後ろ手にドアを閉めてもまだ、
投げられた物がぶつかる音がする。
家のもの全部粉々になるまで、
止まらない気がした。
【空】(何も聞けなかった……)
【空】(何も判らないのに……)
天使がどうなったのか。
どうして私が無事なのか。
さとりやこいしはどこにいるのか。
リグルちゃんはどうしてるのか。
饕餮さんや美鈴さんは。
起きたばかりの私には判らない。
気になるし、確かめなきゃいけない。
だけど、それよりはるかに、
お燐の怒りから離れる方が優先だった。
猫だからか火車だからか
知らないけど、怒ったお燐は
それはそれは烈火のように怒る。
そういうとき、近くに居ちゃいけない。
冷静になるまで放っておくしかない。
じゃないと、延々と燃料を投下してるのと同じ。
階段を降りながら、煙草に火をつける。
【空】はぁ……。
面倒くさ。
ぽつりと零した途端、
背後で棚を丸ごとブチ撒けたような轟音。
触らぬ神に祟りなし。
私は足早に無限雑踏街の一角に紛れ込む。
いつもと何も変わらない景色だ。
そして、いつもと何も変わらない喧騒。
戻ってきた。
ラルバさんの言葉が脳裏を過ぎる。
そういうこと、なんだろう。
この胸の内に感じた、奇妙な安心感。
まさかこの街の雑踏で落ち着く時が来るなんて。
【空】(全部、夢だったみたい)
雑踏の中、そんなことを思う。
この街の変わらない光景のさなかにあって。
私が天使になったことも。
こいしやさとりと出会ったことも。
蟲群街に行ったことも。
リグルさんたちに会ったことも。
私が天使を打ち砕いたことも。
喉元を過ぎれば、実感は遠く薄れて。
何もかも泡沫の夢だったみたいに感じる。
戻ってくるまでの記憶がないのだから尚更。
でも、お燐には聞けない。
落ち着くまで半日は掛かる。
それまで待てない。いま知りたい。
【空】(商会に行ってみる?)
アポなしで饕餮さんや美鈴さんに
会える保証はないけど、
このままブラブラしてるよりはマシなはず。
ダメでも時間潰しにはなる。
なんせ私、着の身着のままで出ちゃった。
煙草と銃以外の持ち合わせがない。
よし。決めた。
商会の方に行ってみよう。
そう決めて、踵を返そうとした途端、
不意に右腕に違和感。
柔らかくて温かな感触。華やかな香り。
【パルスィ】こんばんは、殺し屋さん。
ちょっと付き合ってよ。
【パルスィ】お店が暇なの。
私、話し相手が欲しい気分。
グラスを磨くのも飽きちゃって。
【空】……どうも。
えっと……?
【パルスィ】パルスィよ。
名前、忘れちゃった?
【パルスィ】いいわよ。それくらい。
何度でも聞いて。
覚えてもらえるよう努力するわ。
にっこりとパルスィが笑う。
今日は上機嫌そうだ。
私はあんまり気が進まないけど。
前回会った時のことは、
あまり良い思い出じゃない。
それに、用事もある。
断ろうと思う内にも、
グイグイと彼女に引っ張られて、
あれよあれよという間に無限雑踏街の外れへと。
【パルスィ】どうだった? 殺し屋さん。
天使には会えたかしら?
【パルスィ】アナタの罪は裁かれた?
元気そうだし、そんなことない?
【空】会えた、っていうか……。
どうしよう。説明が面倒くさい。
色々と込み入ってるし、
ペラペラ話してしまうのも、
どうかと思う。
……というか、私は商会に行きたいのに。
きっぱり断るなり、
手を振り解くなりするべき。
だけど流されるがまま、ズルズルと。
【空】(私、意志弱いんだな……)
前回もこんな風に流されて、
彼女に付き合わされた気がする。
私が強く出られるのは、
引き金を引いても良いときくらいかも。
……とはいえ、そろそろ動くべき。
商会に行って、ことの顛末を聞かないと。
流されてる場合じゃないのだから。
【空】ねぇ、パルスィ。
私、商会に用事があるんだけど。
【パルスィ】あら、そうなの?
【パルスィ】商会も忙しそうだものね。
新しい幹部のヒトが入ったのでしょう?
【パルスィ】古明地さとり、とかいう。
【空】え?
思わず足が止まる。
バランスを崩したパルスィが
つんのめって私の腕をグイと引く。
【パルスィ】……もう、急に止まらないでよ。
そんなに驚くこと?
私よりアナタの方が詳しいんじゃなくて?
【空】知らない……。
なんでそんなことに?
さとりが商会の幹部?
いつの間に?
というか、どうして?
だって、さとりは饕餮さんに拉致されて。
でも、蟲群街には来てくれた?
ということは、監禁されてるわけじゃない?
混乱する。混乱してる。
パルスィが私の顔をジッと見る。
そして、何を思い付いたのか
ニヤリと笑って、
【パルスィ】情報収集といえば酒場、でしょ?
とっても耳寄りな情報があるのだけど。
【パルスィ】興味ない?
閻魔代行、古明地さとりの秘密。
パルスィが不必要に身体を密着させて、
囁くように言ってくる。
【空】(苦手だなぁ……)
あんまりベタベタされるの、好きじゃない。
ここはヒトが少ないとはいえ、往来で、
こんな恋人みたいに。
というか、私の何を、
パルスィは気に入ったんだろう。
そんなに嬉しくない。よく判らなくて。
でもーー。
【空】(気になる……)
情報があると匂わされて、
それを無視するほど
彼女が嫌いなわけでもなくて。
【空】ちょっとだけね。
【パルスィ】はい、素直でよろしい。
誘いがいがあるわ。
ニコニコ顔でパルスィが
バー・フレキャダンの扉を開ける。
彼女の手で木製の小さな看板が
くるりとひっくり返される。
Closedの文字が店に入る私を見送って。
【パルスィ】何か飲む?
【パルスィ】どうせ、お金ないんでしょ?
奢るから、値段は気にしないでいいわ。
【パルスィ】付き合ってくれたお礼ってことで。
カウンターの向こうに入った彼女が、
上機嫌にグラスへ手を延べながら言う。
私は丸椅子にお尻を乗せながら、
【空】そう? ありがとう。
前飲んだやつ、美味しかった。
【パルスィ】カルーアミルクね。
少し待ってて。
彼女が銀色のシェーカーを手にして、
モノクルをつけてる方の目で
ウィンクしてくる。
私は煙草に火をつける。
カラカラと軽やかなシェイク音に、
煙草の燃えるジリジリという音が混じる。
【パルスィ】ねぇ、どうして旧都に
閻魔代行が派遣されたのかしら?
煙の向こう側で、
カクテルを作るパルスィが
意味深に笑う。
【空】さぁ?
【パルスィ】旧都は見捨てられた地獄の残骸。
是非曲直庁のお役人にとっては、
自分たちの過ちを象徴する負の遺産。
【パルスィ】地上に居場所のない
嫌われ者たちが流れ込んできたのは、
誰かの先導じゃなく、単なる偶然。
【パルスィ】結果的に、いまは
こんなに大きな街になったけどね。
5つに分割された世界の寄せ集め。
【パルスィ】でも、本来は無人でも、
おかしくなかった。というか、
是非曲直庁はそう認識してたはず。
そこで、シェイクが止まる。
氷の入ったグラスを引き寄せたパルスィが、
お酒をゆっくり注ぎながら、
【パルスィ】でも、閻魔代行は来た。
裁くべき者のいないはずの、
この地下世界に。
【パルスィ】どうして?
お酒を注ぎ終えた彼女が
小首を傾げる。
私は首を横に振って、
【空】私に聞かれても……。
【パルスィ】閻魔は強大な力を持つわ。
世界の理さえ塗り替えるほどのね。
そしてその行使を、さとりは許されてる。
【パルスィ】旧地獄の管理をするだけなら、
閻魔の権能は要らない。
【パルスィ】まして、さとりは代行。
不必要な権限なんて剥奪して然るべき。
でも、そうはなってない。
【パルスィ】みんな噂してるわ。
罪深き者を裁きに来る天使の顕現は、
あの閻魔代行の仕業かもって。
【空】それは……。
違う。ということを私は知ってる。
いまこの地下世界には、
ふたりの閻魔がいる。
時計閻魔。
古明地さとり。
天使が顕現する裁きを下す閻魔と、
顕現した天使を再審する閻魔代行。
でも、時計閻魔の存在は
市井の妖怪たちには知られてない。
だからこそ蔓延る誤解、なんだろう。
私は少し迷って、
けれどパルスィの言葉を
否定しないことにした。
みんなが知らない時計閻魔について
私が詳細を知ってるのは変だから。
それに、誤解を解く理由もない。
余計なことも理由のないことも
必要のないことは話さない方がいい。
おしゃべりに殺し屋は務まらない。
それは意識してることじゃなくて、
単に私の気性に合ってただけ、だけど。
【パルスィ】あら? 反応、薄いわね?
けっこう驚きな説だと思ったのだけど。
【空】そうかな。
【パルスィ】何か知ってる?
【空】いや、別に?
【パルスィ】そう?
【パルスィ】……まぁ、マッチポンプだものね。
商会が天使狩りの開始を公言したのに、
幹部のさとりが天使を遣わせてるなんて。
【空】……天使狩り?
商会が?
【パルスィ】え? 知らないの?
アナタ、商会傘下の殺し屋でしょ?
【パルスィ】昨日、騒ぎになったじゃない。
噂が正しくて、天使が本当にいるなんて、
狐につままれたのかと思ったけど。
【空】昨日……。
私はまだ眠ってた。
でも、何があったのかはピンと来た。
【会長】『そう言うな。アタシは忙しいんだ。
それに、表沙汰にするんだからね。
それ相応の準備ってやつがいる』
【会長】『ともかく、2日後だ。
お互いのカードを、
仲良く場に出そうじゃないか』
あの日から2日。
それが昨日のこと。
商会の会長は、言葉通り表沙汰にしたんだ。
リグルさんとの共同戦線は、
叶わなかった筈だけど。
【パルスィ】ーー蟲群街に天使が顕現した。
その天使を、古明地さとりが打ち砕いた。
……本当のところは判らないけどね。
【パルスィ】蟲群街への往来は途絶えてる。
鬼寄街と同じように。
ヒトもモノも、情報も行き来できてない。
【パルスィ】でも、そういうことになってる。
商会の発表を疑う材料はないわ。
今のところ、ね。
【空】行けないの?
その、蟲群街には。
【パルスィ】無理ね。
蒸気路面車が通行止めだもの。
【パルスィ】知ってるでしょ?
蒸気路面車以外に
『壁』を越える手段は無い。
【パルスィ】不可能よ。
神様に特別な許可でも貰うか、
『壁』そのものが崩壊でもしないとね。
【空】それは、もちろん知ってるけど……。
リグルちゃんの顔を思い浮かべる。
彼女は大丈夫だろうか。
……いや、大丈夫なわけがない。
目の前でお父さんとお母さんを失って。
本当は駆け付けて、何か力になりたい。
でも、それは叶わない。
パルスィの言う通り、
蒸気路面車なしに蟲群街へは行けないから。
私には、両親を失った悲しみは癒せないから。
【パルスィ】ま、真相はどうあれ、
今の注目の的ね。
古明地さとり。
【パルスィ】私も色々知りたいのだけど、
ぜんぜん情報が出てこないわ。
地上から来たんじゃ、無理もないけど。
パルスィが肩を竦める。
私は煙草を揉み消して、
カクテルを傾けた。
甘くて、トロッとして、美味しい。
ビターな香りが鼻を抜けて。
【空】さとりの秘密、なんて言っちゃって。
大した情報、ないんだね。
【パルスィ】いいでしょ。
あぁ言えば来ると思ったの。
【パルスィ】そして、アナタはここにいる。
私と二人きり。
嬉しい?
【空】別に。
【パルスィ】あら、怒ると思ったのに。
【パルスィ】少しは余裕ができたみたいね?
殺し屋さん。
どんな心境の変化かしら?
【空】蓄音機、使わないの?
私、ジャズ聴きたい。
【パルスィ】嫌よ。アナタ、寝るもの。
私、危ない橋は渡らない主義なの。
【空】あっそ。残念。
カクテルを飲み干して、
私は立ち上がる。
思った以上に色々と聞けた。
これ以上の情報はないのなら、
ここに長居する理由もない。
やっぱり商会に行こう。
パルスィにお礼を言おうと顔を上げると、
彼女は両目を細くして、
【パルスィ】満足した?
【空】うん、まぁね。
【パルスィ】嘘。
見切りをつけただけね。
大した情報が出ないって。
【パルスィ】心外だわ。
耳は早い方だと自負してたのに、
まさか満足させられないだなんて。
【空】いや、そんなことない
と思うけど……。
ムスッとするパルスィに、
弁明みたいな言葉をかける。
実際、彼女はかなり情報通だと思う。
さとりのことも、蟲群街のことも、
彼女のおかげでだいたい把握できた。
ただ、完全に正確な情報ではなかった。
間違ってたところもあった。
当事者の私からすれば。
でも仕方がないことだと思う。
当事者である私が知ってる情報は、
商会が出さないと決めた情報だ。
それが表に漏れることは絶対にない。
お喋りも早耳も、私はたくさん殺してきた。
パルスィは、かなり情報通だ。
商会が形作る情報基盤の中において。
商会に害をなさない範囲において。
もちろん、私はそのことを指摘しない。
私もまた、商会のプラットフォームに
所属している、単なる殺し屋に過ぎないから。
けれど彼女は、
【パルスィ】本当は、話す気もなかったけど、
カウンターにしなだれかかるように
肘を置いたかと思うと、
【パルスィ】アナタが退屈そうなのが
とっても不満だから、
気怠そうに息を吐いてから、
【パルスィ】華でも持たせるつもりで言うわ。
白蓮教徒の街についての情報よ。
【空】白蓮教徒の街……?
訝しむ。唐突だし脈絡もない。
私には何の関係もない、
『壁』の向こうの別の街。
ある意味、蟲群街よりも閉じた世界。
地の底の底で、仏陀の教えに従って
ひっそりと生きる信徒たちの作る街。
信徒たちは清貧で争いごとを避ける。
それに、無限雑踏街に来ることも少ない。
私も、仕事で関わったことは一度もない。
関わる理由も興味もない。
そんな無味無臭の感想しかない。
なのにどうして急に、
白蓮教徒の街の名前が出るんだろう?
【パルスィ】どうして? って、
顔に書いてあるわよ。殺し屋さん。
これは手応えあり、かしらね。
【空】何のことだか、さっぱりだよ。
私、馬鹿だけど、私じゃなくても
判らないんじゃないかな、って思う。
【パルスィ】まあ、聞きなさいな。
白蓮教徒の街は確かにアナタや、
アナタの雇い主に何の関係もないわ。
【パルスィ】信徒の準ずるブッディズムは
欲望や争いを加速させるこの街の有様と
根本的に真逆と言ってもいいしね。
【パルスィ】でも、本当にそうかしら?
敬虔な信徒と儚い信仰だけが、
あの街にある全てなのかしら?
【パルスィ】例えば、DeSの出所が
実はあの街だと言ったら、
アナタも商会も考えを改めるんじゃない?
【空】ーーえ?
耳を疑う。
思わず、姿勢が前のめりになる。
戸惑う。彼女の顔を見つめる。
パルスィは満足げに微笑んで、
視線は少しも揺らがない。
【空】嘘、じゃない……?
判らない。でも少なくとも、
嘘や冗談を言ってる風には見えない。
突拍子もない言い分だというのに。
パルスィは挑発的な目を
私に向けたまま、焦らすように
ゆったりと姿勢を変えて、
【パルスィ】信じるかどうかはアナタ次第。
確かな情報ではあるけれど、
出所は明かせないから。
【パルスィ】悪いけど、これ以上は
自分で確認してちょうだい。
無料で話せるのはここまでよ。
【空】どういうことなの……?
い、意味が判らないよ……。
【空】確かにそれが本当なら、
調べる価値はあると思うけど……。
【空】どうして、そんなことを、
パルスィが知ってるの……?
【パルスィ】なーに?
今更、私のことを知りたくなった?
もう遅いわよ。残念でした。
【パルスィ】……なんてね。
私にも、私なりの情報網があるのよ。
もちろん、詳細は秘密だけどね。
【パルスィ】私はテコでも、
これ以上の情報を話さない。
【パルスィ】粘るだけ無駄よ。
動くなら早いに越したことは
ないんじゃなくて?
【パルスィ】それとも、身体に聞いてみる?
【空】…………。
思わず舌打ちが出そうになったのを、
グッと堪える。
情報屋がタレコミの出所を話すわけがない。
それはパルスィに限らず、
どんな情報屋でも同じ。
職業柄、聞き出すことの不毛さは理解してる。
そんな無駄なことをするよりは、
商会に一刻も早くこの情報を持ち帰るべき。
パルスィは私の内心を
見透かしたかのように、
ニッコリと微笑むと、
【パルスィ】判って貰えたみたいで何より。
どうする? もう帰る?
【パルスィ】私としては、もうちょっと
長居してくれたら嬉しいのだけど。
【空】いや、もう帰る。
【パルスィ】でしょうね。
あー、残念。
結局、単なる便利な女扱い。
【パルスィ】嫌だわ。
いつになったら、殺し屋さんの
ハートを射抜くことができるのかしら。
【空】…………。
当て擦りのように言う彼女に
適切な返事を思いつかなくて、
私は無言でバーを後にする。
バー・フレキャダンの外は静かだった。
雑踏もどこか遠く、機関機械の
駆動音も朧げにしか聞こえない。
【空】……白蓮教徒の街から、
DeSが流通してる……。
私は今一度、パルスィから聞いた情報を
言葉にして、その舌触りを確かめる。
考えてみれば、隠れ蓑としては
この上なく適切だ。
街の性質的に薬物と最も縁遠そうだから。
商会が血眼になって探している以上、
流通元が無限雑踏街にある可能性は低い。
となると、外部からの流入の線が濃厚。
これまで商会は、他の街への大々的な
調査をすることができなかった。
それをするだけの大義名分がなかった。
でも、タレコミがあったなら話は別。
信憑性が低くたって構わない。
それを確認すること自体が大義名分だ。
きっと、お燐に言えば飛び上がって喜ぶ。
今はまだ機嫌が悪いだろうから、
伝えることはできそうもないけど。
【空】……直接、報告しよ。
うん、と頷いた私は、
商会のある無限雑踏街中央区へと
足を進めることにする。
永遠に晴れることのない
地底の雲の向こうから、
ゴロゴロと雷の鳴る音を聞きながら。