「う、ううん…」
ゆっくりと目を開ける。頭がずきずきする。確か、慧ノ子の宝玉を見て、それで…。
「なっ!」
視界がクリアになると、目の前に大量のテン霊・トビ霊・コヨーテ霊が私を取り囲んでいる様子が現れた。そして、それぞれ背中に背負っているものがある。黒く輝くそれは、まごうこと無き銃だった。慌てて戦闘態勢を取ろうとする。
「くっ!?」
しかし、手が動かない。そもそも、手が私の視界に映っていない。後ろを見やると、両手が縄できつく縛られていた。そして、足も同様に固く縛られており、立つことが出来ない。
「…まんまと嵌められたって訳ね」
隣から藍さんの声。見ると、藍さんも同じように手を後ろ手に縛られている。
更に周囲を確認する。今私たちがいるのは、殺風景な部屋の中だった。むき出しのコンクリートの柱に、空っぽでボロボロの収納棚。窓がいくつかついており、そこからそびえ立つビルの一部分を見ることができる。どうやら、ここはビル群の中の廃ビルの一室のようだ。
「まさか、地上から直接畜生界に来ることになるなんてね」
藍さんがぼそりと呟く。ここが畜生界なのか。思っていたより、近代的だ。
「グフフフ、目が覚めたようだな」
大量の動物霊たちの奥から、野太い声が響く。その声の主は、動物霊たちの間を割って、私たちの目の前に現れた。2mはあろうかという巨体に、毛深くて太い足と腕。手には大きな棍棒が握られている。だがその顔は人間ではなく、凶悪な目つきをした猪の頭だった。
「テン霊・トビ霊・コヨーテ霊の親玉が猪とは。随分とごちゃごちゃした連中ね」
「フン、同じ理念の元にあれば、種族の違いなど些細なものよ。だが、まだ自分の立場が分かっていないようだ」
猪がくいと相図をすると、一発の銃弾が藍さんの足を貫いた。
「ぐっ…!」
「藍さん!」
「改めて、ワシら『畜生回帰連盟』のアジトへようこそ、八雲藍。会長の封豨だ。歓迎しよう」
「『畜生回帰連盟』?まるで聞いたことのない組織だわ。どうせしょうもない組織なんでしょうけど。一体私たちを畜生界に連れてきて、何をする気なの…ぎっ!」
再びの銃声。
「しょうもない組織とは、ずいぶんな言い草だな。だが、裏切り者の貴様に、我らの理念を理解してもらおうとは思わんがな」
「理念…?」
「そう、ワシらの理念は一つ。獣の本分を忘れないことだ。弱肉強食。強い者が勝ち、弱い者は全てを奪われる。永劫回帰の闘争こそが、畜生界に住まう我らの宿命なのだ。なればこそ、今の畜生界に思う所はある。ビル群ではなく、かつての饐えた荒野こそ我らの本当の居場所なのだ」
「…本気で言っているのだとしたら、頭が痛くなる話ね。あまりにも馬鹿らし過ぎて」
「ほざけ裏切り者。一番問題なのは、貴様だということがまだ分かっていないようだな」
「さっきから、裏切り者、裏切り者って。一体藍さんがあなたたちに何をしたと言うんですか!」
畜生界の動物霊と藍さんに、いったいどのような関係があるのだろうか。まして命を狙われるなんて。そう考えると、思わず叫んでしまった。
「なんだ、知らぬのか。この女は、元々畜生界にいたのだ。だがある時脱界し、地上に去っていった!そして今では幻想郷の権力者に尻尾を振る、闘争を忘れた愚かなる存在になり下がった。――許し難し。畜生界を捨てた者に、報いを!」
封豨の言葉に、周りの動物霊たちが唸り声を上げる。
「――貴様を粛正するために、ワシらは残無様と結んだ。地上に手を出さない代わりに、八雲藍をここに引きずり込むようにとな。博麗神社に攻撃したのも全て貴様をおびき出すためよ」
そして封豨は藍さんの前に歩み出て、棍棒をどすんと地面に叩き付けた。
「貴様が眠っている時に殺しても構わなかったのだが。それでは罰にならん。恐怖と苦痛にもだえ苦しみながら、畜生界を捨てたことを後悔するがいい」
「…くくく」
「何がおかしい」
「フェムトファイバーならともかく、こんな縄で本当に私を拘束できていると思ったの?大人しくしていたのは、あなた達から情報を引き出すため。頼みもしないのにべらべらと全てを話してくれたのは滑稽だったわ。でももう、大人しくする価値も無い。――お前たちごときに、後れを取る私ではない!」
そう叫ぶと、藍さんは手足の縄を引きちぎり、取り囲んでいる封豨と動物霊に大量の護符を放った。吹き飛ばされる封豨と動物霊。その隙に、藍さんが私の縄をほどいてくれた。
「さあ、行くわよかさね!超人『飛翔役小角』!」
幸いにして刀は取り上げられていない。藍さんの後に続いて剣を振るう。
「星剣『ホライズンスウィング』!」
星型の弾幕が、動物霊たちに衝突する。そのまま、敵の親玉、封豨に向かって突進する。刀を振り上げ、思い切り力を込めて振り下ろそうとする。…ズドン!ズドン!ズドン!封豨に刀を振り下ろそうとする刹那、間に銃弾が割って入った。慌てて身をねじり、回避する。
「文字通りの弾幕って訳ね!人間霊にでも作らせたのかしら!?」
藍さんの方も動物霊に囲まれて、思うように戦えていない。
「――ウォォォオオオオ!」
その時、雄たけびが聞こえた。封豨だ。封豨は大きな棍棒を二回振り下ろし、衝撃波をこちらに放った。
「――味方ごと!?」
私に迫りくる衝撃波は、封豨の部下である動物霊たちを巻き込みながら私に迫りくる。
「くっ…夢剣『封魔陣剣』!」
剣を突き立てて、防壁を貼る。青い光と衝撃波がぶつかり合う。
「ぐ、ぐぐぐぐぐ!」
踏ん張っていても、ずるずると後ろに下げられる。部屋の壁際まで追いつめられる。後ろには窓。このままでは落下する!
「ぐっ…はあああああ!」
一層の力を込め、衝撃波を弾き返す。
「はぁっ…はぁっ…」
がくりとその場に膝をつく。その隙を動物霊は見逃さない。コヨーテ霊が喉笛をかみ切ろうと飛び掛かり、テン霊は銃を放ち、トビ霊は爪を突き立てようとする。
「くっ!」
残っている力を振り絞り、刀で払う。コヨーテ霊を切り払い、テン霊に銃弾を跳ね返し、飛ぶ斬撃でトビ霊を撃ち落とす。そしてそのまま、その背後に控えていた動物霊たちに斬りかかる。
「――待ってくれ!降参だ!俺たちは封豨に無理やり!」
「え!?」
動物霊たちに呼びかけられて、ピタリと刀を止めた。人の言葉を話せたのか。確かにさっき、封豨の攻撃に巻き込まれていたし、もしかしてこの動物霊たちも被害者――
「…なんてな」
一斉の銃撃。
「馬鹿ッ!」
金縛りにあったかのように動けない私に銃弾の雨が迫る。しかし、それは私の体を貫くことは無かった。
「――ら、藍さん!」
藍さんが身を挺して私を銃弾から守ってくれたのだ。
「…畜生界の戦いは騙し討ちもなんでもありよ。気を抜かないで。私が間に合ってよかったわね」
どくどくと流れ落ちる血。しかし、その傷が一瞬にして塞がっていく。
「フン、かさねならともかく、この私にただの銃弾が効くとは思わない事ね。今度はこっちから行くわよ。超人『飛しょ』――」
高らかにスペルカードを宣言しようとした藍さんの動きがぴたと止まる。
「な…何これ…足が…動かない…!?」
藍さんの足は地面に縛り付けられたようにピクリとも動かない。
「グフフ、慢心したな、八雲藍」
封豨の嘲り。
「貴様ならそこの小娘をかばうと思ったぞ。お前が喰らった銃弾は特別製でな。九尾たる貴様の内からある伝承を呼び出す力がある。――すなわち殺生石!」
「殺生石…だと…!」
ぱきぱきという音が聞こえる。見ると、藍さんの足元から腰にかけて、その服は元の色を失い、灰色一色に染められている。
「そう、かつて平安の世に現れたという九尾、玉藻の前。その最期は、石への変化だったという。つまり、先ほどの銃弾は貴様を石化させるための物だったのよ。さあ、恐怖と苦痛に悶えるがいい」
「くっ…体が、石に…!」
灰色がどんどんせり上がってくる。藍さんは顔をゆがめ、こひゅっと苦しそうに息をする。石化が肺や心臓にまで進行したのだ。
「ゆ…か…り…さ…ま…」
藍さんが主の名を呼びながら、空中に手を伸ばす。しかし、進行する石化から逃れることは出来ず、とうとう顔の辺りまで完全に石化してしまった。
「う、うわあああああ!」
叫び声を上げる。私のせいだ。私が動物霊に騙されたから、藍さんが。
「水剣『ポロロッカスウィング』!」
激情のままに刀を振るう。しかし、動物霊たち、そして封豨には一切弾幕が当たらない。
「なっ!?」
「グフフフフ、始めから避けられるように意図してある攻撃なぞ、ワシらには効かぬわ。さあ、貴様もついでに死ぬがいい」
「まだだ!星剣『ホライズ…』あぐっ!」
スペルカードを宣言しようとした、その一瞬の隙にコヨーテ霊が手首にかみついてきた。崩れ落ちる私。そこにトビ霊とテン霊による銃弾が襲い掛かる。急所は外れた、いやわざと外したのかもしれないが、肩と足に3発、4発喰らってしまった。そして、苦しみながら顔を前に向けると、封豨が思い切り棍棒を振り上げていた。
「―――!!!!」
思い切り殴りつけられる。骨の砕ける音。そのまま私は地面に倒れこんだ。ズドン。ズドン。その瞬間に、銃弾で両手を貫かれた。動物霊たちの嗤い声。私はこのまま、嬲り殺されるのか――
「グフフフ。では、八雲藍にとどめを刺すとしよう」
封豨の声が聞こえる。石化した藍さんを粉々にしようというのだろう。弱肉強食。ルール無用の殺し合い。
どくん。
どくん。
どくん。
どくん。
心臓はまだ動いている。このまま、死ぬわけにはいかない。私はいい。異変を舐めてかかったツケだ。でも藍さんは違う。博麗神社を守るために私に協力してくれて、私の事を何度も助けてくれた。その果てに、私をかばって藍さんは石化した。――藍さんを救わなければ、死んでも死にきれない。全身に力を込め、よろよろと立ちあがる。まだ息があると思わなかったのか、一瞬たじろぐ動物霊たち。しかしすぐにこちらを襲う態勢を取る。しかし、動物霊たちは次の行動に移ることができなかった。何故なら私が斬り捨てたから。予備動作もなく、絶対に避けられないように。そちらがルール無用の戦いをするなら、こちらもそれに応じよう。
『かさね、スペルカードルールはきちんと守りなさいよ。――そうじゃないと、あなた、ロクな目に合わないわよ。…幽々子からの受け売りだけど。私もそんな気がする』
霊夢さんの忠告が脳裏に響く。…ごめん、霊夢さん。今はもう、こうするしかないんです。
「奇剣『弾幕マンティコア』!」
スペルカードを宣言する。しかし、これはただのスペルカードではない。四方八方に斬撃が飛ぶ。そして、斬撃は鋭いレーザーへと姿を変え、動物霊たちの心の贓を貫く。避けさせる気など一切ない、必殺の弾幕。
「貴様…!」
封豨が藍さんへの攻撃を中断し、こちらを見る。
「おおおおおおおお!」
獣のような声を上げ、封豨に斬りかかる。銃弾に術を仕込んだのが封豨なら、奴を倒せばあるいは、藍さんが元に戻るかもしれない。
振り下ろした刀はがちりと棍棒で受け止められた。鍔迫り合い。その時、そばにいた藍さんから、紫色の煙が発せられた。
「ゴホッ!?」
口から血がせり上がってきた。態勢を崩す。まさか、毒――!
「グフフフフ、殺生石といえば毒。隙を見せたなあ、小娘ッ…!」
横ぶりの棍棒が脇腹の辺りに直撃する。ミシという嫌な音。そのまま吹き飛ばされる。地面に倒れこんだ私を追撃するように動物霊たちが襲い掛かってくる。
「うおあああああ!」
最後の力を振り絞って立ちあがる。刀も使わず、思い切り動物霊を殴りつけ、噛みつきがえし、蹴り飛ばす。あまりにも原始的で、みっともない戦い方だった。
「ほう…まだ息があったのか。しぶといのお…」
ゆっくりと封豨が近づいてくる。右手をかざして、弾幕を放つ。決死の弾幕が、封豨の棍棒に襲い掛かる。さほど力を入れていなかったのか、封豨の手から棍棒が弾かれた。
「今更武器を弾き飛ばしたとて、どうにもならぬわ!」
封豨は肩で息をする私の目の前に立つと、ゆっくりと手を伸ばし、私の首に手をかけた。
「あ…ぐ…!」
「このまま縊り殺してやろう。自分の無力さを噛み締めるがいい」
視界がぼやける。気道が狭まり、息も出来ない。だが、これでいい。ここまで近づいてもらえれば十分だ。ゆっくりと右腕を封豨の体に向ける。
「…『ヴァンパイアファング』!」
巨大な牙が、封豨の体を刺し貫いた。――アビリティカード。あの稀覯本探しの後、魔理沙から教えてもらった市場の神の不思議なカード。レミリアさんの能力が込められたこのカードを、ひそかに購入していたのだ。
「ぐおっ…がはっ…」
私の首から封豨の手が離れる。封豨の体の中心には大きな穴が開いている。殺意を込めたヴァンパイアファングを至近距離から喰らえば、無事ではいられない。もはや決着はついた。
「さあ、藍さんの石化を解いてもらいましょうか。お前なら出来るはずだ。そうすれば、見逃してやる」
「貴様ァ!…グオッ!!」
耳を斬る。どうやら封豨はまだ自分の立場が分かっていないようだ。
「わ、分かった…石化を解いてやる…」
そう言って封豨はゆっくりと藍さんの方に手をかざす。藍さんが光に包まれる。そこで、私は刀を振り下ろした。
「うぐぐぐぐ!」
鼻を削ぐ。
「立派な顔が、間抜けな猿みたいになりましたね?藍さんの流れが止まったままだ。ちゃちな幻術で私を騙せると思わないことです」
「くそっ…くそぉおおおお!」
観念したのか、封豨は今度こそ藍さんの石化を解こうとする。藍さんの頭から、次第に元の色を取り戻していく。ばたり、と藍さんが地面に倒れた。
「これで満足か…?」
「はい。では、終わりです」
封豨が次の言葉を発する前に、その首を斬り落とす。許す気などさらさらない。弱肉強食を掲げる者には、ちょうどいい末路だろう。
「…あれ」
そこで、世界がぐるりと回った。冷たい床の感触。ああ、私が倒れたのか。このまま、私もここで朽ち果てるのか。そう思っていると、カラン、カランという音が部屋に響き渡った。
「くっくっ。凄惨じゃなあ。かつての戦国の世を思いだす」
部屋の奥からぬっとあらわれたその人物は、頭に小さな二つの角を生やしていた。ゆったりとした緑色の着物風の服と青色のズボンを身に着けている。その赤色の瞳は、全てを見透かすような輝きを放っている。今頃になってあらわれる者など、一人しかいない。この事件の影に居た、もう一人の黒幕。
「…日白残無!」
「名乗ったつもりはないがのう。中々頭も回るようじゃのう」
「お前も、藍さんを殺しに来たのか!」
必死に倒れた体を起こそうとするが、どうにもならない。もはや私に戦う力は残されていなかった。
「藍を殺す…?はっはっはっ、面白いことを言うのう」
残無が笑う。
「儂の目的は二つある。一つは『畜生回帰連盟』の殲滅じゃ」
「なんだと…」
「あの手の弱肉強食原理主義の奴らは儂の計画には邪魔なんじゃ。あいつらが地上に出て土地でも奪ってみろ、死ぬほど争うにきまっとる。封豨の統率力もあってないようなものじゃ。結局は個人主義。他の三勢力と比べてトップさえ押さえておけばという訳でも無い。」
残無はとうとうと語る。
「『畜生回帰連盟』規模の組織なぞ、藍一人で壊滅させられると思っていたのじゃが。だからこそ奴らをけしかけて決戦の場を用意してやったというのに、あっさりやられおって。まあ、仮に藍が駄目でも自分の部下に手を出されたあのスキマ妖怪が黙ってはおるまい。そう思っていたのだが――」
そして残無は私のことをびしと指さした。
「まさかお前が連中を殲滅するとは思わなんだ。お前は異変の舞台から離れてもらうだけでよかったのだが。それが二つ目の目的よ」
「どういう…こと…」
「お前の『流れを読む程度の能力』は厄介な代物だ。全てが儂の掌の上だということに気が付き、霊夢に伝えかねん。だからこそ、本筋とは関係のないところで戦ってくれていればよかったのだ。かくも残虐になるとは思わんかったがのう」
倒れ伏す動物霊。首と胴が分かたれた封豨。そうだ。これらは全て、私が――
「ふふふ。畜生界から抜け出しても、かつての関係によって縛られる八雲藍。うん百年前の脱界を怨み、今更に藍を殺そうとする畜生ども。そして、戦いになると獣のごとき血走った目で刀を振るう記憶喪失の少女。獣は過去を忘れられぬということか」
「過去…」
「お前のその残虐性こそ、逃れ得ぬ過去の残滓なのだ」
どくんと心臓の跳ねる音。仄暗い影が、私の心を覆っていく。そして残無は私に手をかざす。すると、みるみるうちに私の傷が塞がっていく。
「これは連中を滅ぼした褒美じゃ。よかったのう、無事に地上に帰れるぞ」
それと同時に強烈な眠気。
「地上の騒ぎもじきに終わる。後は畜生共を畜生界に帰し、霊夢に儂が倒されることによって全てが完成する。――お前の目が覚めるころには、すべては終わっておるよ」
私は残無に呼びかけようとしたが、その声を発することは出来ず、そのまま意識を失ってしまった。