「トビ霊の流れを感じたのはこの辺りですが…」
私たちが次に訪れたのは、鈴蘭が咲き誇る草原だった。妖怪の山と正反対の方向にある低い山の中腹だ。
「無名の丘、ね。かつては間引きにも使われていたらしいわよ。今は人間も妖怪も近づかない場所のはずだけど」
しかし、今は違う。私たちの周囲でオオワシ霊とトビ霊が飛びまわっている。獲物を仕留めようと鋭く目を光らせながら、今にも飛び掛かろうとしている。
「あ~、随分やる気だなぁ」
そんな霊たちの様子を見ている少女が一人。頭には大きな角が生えており、ダボっとしたTシャツを着ている。その下からは注射器が数本、ちらりと見えている。そして後ろには太い尻尾。怪獣を思わせるようなシルエットの少女は、けだるげにこちらを見た。
「また会ったっすね。九尾の姉さん。今度は猫じゃなくて嬢ちゃんを連れてきたのかい?」
「お前は、天火人ちやり…。旧血の池地獄から出てきたのね」
「まー、あのお方からの命令なんでね。面倒くさいが、やるしかないのさ」
「妙ね。この前饕餮と会った時はトビ霊と組んだ素振りなんて全く見せていなかったけど」
「まだ感づいていないのか。全く、今まで何を調べていたんだか。饕餮に会ってセンチメンタルになっちまったのか?」
「ふん、余計なお世話だ。あなたも、トビ霊じゃなくてテン霊の方がお似合いよ。あなたの正体、テンなんでしょ?マヌケ面同士、仲良くやっていればよかったのに」
「おいおい、私をテンと一緒にするなんて失礼じゃないか?」
「あれ、ムジナだったかしら、あなたの正体。ま、どっちも大して変わらないわね。それぞれの漢字みたいに」
「自分がムジナ扱いされたら怒るくせに…まあいいさ。ここで決着をつければ、後の仕事が減るからな!」
そう言ってちやりがぱっと片腕を上げると、周囲を取り囲んでいたオオワシ霊とトビ霊が一斉に藍さんの方へ向かっていく。そしてちやり自身は、私の方に向かってきた。
「悪いなあ、嬢ちゃん。ほったらかしにしてて。お詫びに、まず嬢ちゃんから倒してやる」
「望むところです!」
ぐっと刀を握る手に力をこめる。向かってくるちやりは、腕を交差させながら思い切り振る。眼前に迫る大量の注射器。刀を振るって、それらを叩き落す。しかし、ちやりは第二陣、第三陣と注射器を投げつけてくる。一体どこにそんな注射器を隠し持っていたのか。ま、まずい、落としきれない――!
「う…、ぎっ…」
いくつかの注射器が私の体に突き刺さる。誰が扱っているわけでもないのに、刺さった注射器の針は勝手に体内に押し込まれ、私の体から血が抜き取られていく。ぞくり。また、嫌な流れを感じた。
「うん、思ったより悪くないな。ま、よくもないけど。普通の人間の血の味だ」
ちやりは私の血を抜き取った注射器から、血を試験管に移してそれをごくりと飲み干した。
「ちょ、ちょっと!私の血を飲まないで!」
体液を飲まれるというのは、なんかこう、むずむずする。挙句の果てに論評までされてしまったし。あと「普通」と言われてちょっとがっかりした自分にもむかつく。
「そういう妖怪なんだ、諦めな嬢ちゃん。さて、こいつは避けられるかな?」
そういってちやりは私の周りに紫色の炎を漂わせ始めた。動き自体は早くない。私は急いでその場を離れた。しかし。
「う、追ってくる!」
紫色の鬼火は、ゆっくりと私の方に近づいてくる。く、こうなったら一か八かだ!
「夢剣『封魔陣剣』!」
刀を天高く掲げ、そこから青白い光を周囲に展開させる。よし、空中で封魔陣剣を使うのは初めてだったが、うまく出来たみたいだ。光は鬼火を飲み込み、そしてちやりに迫る。ちやりは避けるそぶりを全く見せず、青白い光の中に飲み込まれていった。
「あ、あれ?避けない?」
「…どんなもんかと思ったけど、今のはなかなかよかったな。だが、ここからが勝負――」
「行符『八千万枚護摩』!――残念ながら、もうおしまいよ。」
ちやりに向かって放たれる大量の護符。声を上げる間も無く、ちやりは大量の護符に埋もれていった。
「藍さん!」
「待たせたわね。でもこれで、あのテンカジンは終わりよ」
「…お前たちだけ二人連れで戦うなんて、フェアじゃ無いぞ!」
「あ、生きてたのね」
よろよろとちやりが浮かび上がる。
「やれやれ、降参降参。お前ら、撤退だ!」
そういってちやりは、僅かに残ったオオワシ霊とトビ霊を引き連れて、どこかへ飛び去ってしまった。これでトビ霊も神社を襲う事はない。残すはコヨーテ霊だ。
「今までの流れからすると、最後は勁牙組になるんだろうな。さっさと片付けましょう」
「そうですね。あんまり橙さんを待たせるわけにも行きませんし」
美天、ちやりと戦っているときに感じた嫌な流れ。彼女らに命令している「あのお方」。疑問点もいくつか残っているが、今はコヨーテ霊を倒しに行くことが先決だ。私たちは、無名の丘を離れ、最後の拠点へと向かっていった。