次の日。私たちはまたまたまた人間の里にいた。
「どうするんですか、魔理沙さん。妖魔本のある貸本屋に、御阿礼の子。これ以外に稀覯本を手に入れる算段がまだこの里にあるんですか」
「この前の天狗倒し事件――彭侯のことを聞いて思い出したんだ。まだ稀覯本を持っている可能性のあるやつが、里にいる」
そうして私と魔理沙さんが訪れたのは、里の寺子屋だった。中から子供たちの元気な声が聞こえてくる。どうやら今は休憩時間中らしい。魔理沙さんがずかずかと敷地内に入っていく。
「おい慧音!いるんだろう!話がある」
魔理沙さんの声に反応して、まず子供たちが魔理沙さんを出迎えた。「魔理沙おねえちゃん!」「あそんであそんで」「一緒に勉強しようよ」「この問題解いてくれ」などと大人気だ。一方、私の方にも子供たちがわらわらとよってきた。「おにーさん、だれ?」「その刀見せて見せて」「背、たかーい」着物のあちこちを引っ張られたり、腰に下げた刀をがちゃがちゃされたり。たじたじになる。あとそこのボク、私は女です。
「…何かと思えばお前か、魔理沙。もう少しで授業が始まるのだが。お前が来ると、授業にならん」
子供たちに遅れて、一人大人の女性が姿を見せた。青がかった銀髪に、不思議な帽子。胸元の空いた上下一体の服。
「まあまあちょっとだけだからさ。いいだろ、慧音」
慧音と呼ばれた女性ははぁとため息をついて、子供たちに次の授業は自習にすると伝える。子供たちは歓喜の渦に包まれた。「ラッキー」「魔理沙おねえちゃんのおかげだね」「慧音先生の授業つまらないからよかった」などと口々に言う。最後のは少し慧音さんが可哀想だ。心なしか、慧音さんの背中が震えている。それから私たちは慧音さん用の控室、いわば職員室に移動した。
「それで、用向きはなんだ?」
「その、なんだ。お前、ワーハクタクだろ。『白澤図』ってもってないかなって。あったら譲ってくれないかなって」
「『白澤図』?」
「瑞獣である白澤が中国の黄帝に書き記したとされる書物だな。病魔や天災、怪物についての対処法が書かれていたらしい。この前の彭侯に関する記述も『白澤図』にはあったらしい。散逸しちまったがな」
なるほど。それなら確かに稀覯本と言えそうだ。さて、慧音さんは『白澤図』を持っているのか。そして譲ってくれるのか。ちらりと慧音さんの様子を伺う。…駄目そう。すごい白けた顔で魔理沙さんを見ている。
「お前な。黄帝の時代なんて何千年前だと思ってるんだ。大体私は後天的にワーハクタクになったんだぞ。『白澤図』なんて持っているわけがないだろう」
「似たような本でもいいからさ」
「白沢がみんな書物を書いてると思うなよ。私が書いているのはせいぜい幻想郷の歴史と日記くらいだ」
「じゃあ日記でもいいからさ」
「いいわけあるか!…大体、なんでそんな本を欲しがるんだ」
私は、慧音さんにレミリアさんとのゲームの話を伝えた。
「なるほど。今日中にレミリアを満足させる稀覯本を、ね」
慧音さんが腕を組んで考えこむ。
「…稀覯本、とは言えないが。最近里で奇妙な「絵図」が流布している」
「絵図?」
「ああ。占い師を自称する女性が里の家々に配り歩いていてな。それを飾れば、家内安全間違いなしだということだ」
「怪しいな…」
「お前が言えた義理か?ただまあ、怪しいと思って私も件の占い師を問い詰めたのだが。煙に巻かれて絵図を押し付けられた」
「何だと!」
「ちょっと待っていろ。確かこの辺にしまったはず…」
そう言って慧音さんは机の引き出しをごそごそと漁り、一枚の紙を取り出した。
「これは…」
そこに描かれていたのは、顔は人間の女性、身体は大きな牛の姿の怪物だった。そして、その上には「大豊作」「家内安全」「無病息災」などおめでたい言葉が書き連ねられている。そして文末には「仍って書き記すこと件の如し」と記されていた。
「…文字通り「件の」占い師じゃないか!」
魔理沙さんが叫ぶ。
「…やっぱり、そうだよなぁ」
慧音さんもうーんという顔をする。
「クダン?」
「江戸時代後半くらいに各地で目撃された予言獣だな。生まれてから病気や兵乱の予言とその対処法を教えて、三日くらいで死ぬ妖怪とされてるぜ。ある意味では日本版白澤と言えるかもしれないな」
「なるほど…って、大丈夫なんですか?里に妖怪が入ってきて」
「本当はよくないが…妖怪にしては珍しく、件は基本的に人に害を為さない。里で暴れたいわけでもなさそうだし、その場では追求を諦めたんだ」
慧音さんが微妙な顔をしながら言う。
「まあ、妖魔本と言えば妖魔本。珍しいと言えば珍しいか。これでレミリアが満足するかは分からんが。よし、慧音。そいつをこっちに渡しな!」
「お、おい!」
魔理沙さんがひょいと慧音さんから絵図を奪い取る。すると、突如として絵図が燃え上がった。
「あっち!」
慌てて手を離す魔理沙さん。そして、空中で燃え上がる絵図の炎が、人型へと変化していく。
「――霧雨魔理沙。かさね。お前たちがここに来るのは分かっていた。稀覯本を捜しているのだろう?私と取引をしないか?魔法の森で待っているぞ」
燃え上がる人型は、そう声を発した後、他のところに燃え移ること無く無散した。
「な、なんですか今の…」
「びっくりしたぜ」
パンパンと両手を払う魔理沙さん。
「なるほど、あの占い師が「泥棒対策だ」と言っていたのはこういうことだったのか」
「私たちを泥棒扱いか。癪にさわるな」
「それで、魔理沙さん。やっぱり…」
「当然だ。魔法の森に行くぞ、かさね!どんな取引を持ちかけられるか分からんが、もうこれしか当てがないからな!」
そう言って魔理沙さんはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「かさねさん、だったかな。魔理沙といると大変だな」
慧音さんが苦笑する。
「あはは…もう慣れました」
私も同じように苦笑すると、魔理沙さんの後に続いて部屋を出た。
魔法の森。鬱蒼と木々が生い茂り、じめじめした空気が漂っている。あちこちに不気味な形と色をしたキノコが生えていて、胞子を飛ばしている。人間は元より、妖怪もめったに近づかない場所。それも納得だ。とはいっても、私は昨日に引き続いての来訪である。何故なら霧雨魔法店――魔理沙さんの家――がここにあるからだ。私が最初に出会ったのが、魔理沙さんではなく霊夢さんでよかった。もし魔理沙さんと最初に出会っていたら、こんなところで生活しなきゃいけなかったかもしれない。魔理沙さんと二人、警戒しながら森を歩いていく。すると、前方に人影が見えた。
「来たか」
前方の人影は、私よりさらに一回りは背の高い女性だった。黒い外套を身に纏い、その頭の上には短い角が生えている。切れ長の目は、私たちではなく、どこか別のところを見ているかのようだ。
「私たちを呼びつけたのは、お前か?」
魔理沙さんが問いかける。
「いかにも。改めて、件だ」
「それで、取引というのは…?」
「ああ。これからやってくる、恐るべき獣を倒して欲しい。このままでは里に大きな被害が出る。もし倒せたら、私の記した予言書をくれてやろう。特別大サービスだぞ。普段は本当に差し迫った危機のある者にしか予言しないからな」
「まあ、本をくれるってならやるけどよ。お前も妖怪なんだし、自分でやればいいんじゃないか?」
件は首を横に振る。
「あいにく私は戦いが不得手でな。それに、今回の敵は相性が悪い」
「相性…?」
「…そろそろお出ましだな。取引成立ということでいいな。では、私は見守らせてもらおう」
そう言って件はぴょんと飛び上がって素早く樹上に昇った。
「ずいぶんとやる気のない妖怪だな」
魔理沙さんがやれやれというように言う。その声をかき消すように、前方からどすんと大きな音が響いた。姿を現したそれは、爛々と目を光らせていた。その巨大な体は濃い体毛に包まれており、口からは鋭い牙がのぞいている。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「あれは…熊?」
「みたいだな。ただ、どうも様子が普通じゃ――」
突然、魔理沙さんの声が聞こえなくなった。慌てて隣を見る。すると、そこに魔理沙さんの姿は無く、代わりに巨体が爪を振り下ろしている姿があった。熊は、間髪入れず私に爪を突き立てようとする。早い!すんでのところで刀を振るい、爪を受け止める。しかし、圧倒的な力の前に、刀は弾かれる。丸腰になった私に、熊は牙を突き立てようとする。死の予感が頭を掠める。牙が私の喉元に迫る。
「彗星『ブレイジングスター』ッ!」
そこで、一筋の閃光が熊に突き刺さった。熊が吹き飛ばされる。
「大丈夫か!かさね」
魔理沙さんだ。
「なんとか!魔理沙さんは!」
「不意を打たれて吹っ飛ばされちまったが、問題ないぜ」
そういう魔理沙さんだが、手首から肘の間が朱く染まっている。痛々しい傷跡に、思わず顔をしかめる。
「へっ。これくらい幻想郷に住んでりゃ日常茶飯事だぜ。それよりも、来るぞ!」
前方から突進してくる熊。慌てて刀を拾い直す。
「熊如きに遅れを取るかよ!恋符『ノンディレクショナルレーザー』!」
「合わせます!水剣『ポロロッカスウィング』!」
鋭いレーザー光と水流を思わせる弾幕が熊に襲い掛かる。しかし、それらは怪物熊の体を貫くことは無く、すべて弾かれてしまった。
「おいおいおい!弾幕を弾く熊がこの世に存在するのかよ!」
魔理沙さんが驚きの声を上げる。熊が腕を振り上げた。
「夢剣『封魔陣剣』!」
地面に剣を突き立て、防護壁のように私と魔理沙さんの周りに青白い光を展開させ、熊の攻撃を受け止める。激突する熊の爪と私の光が、バリバリと激しい音を立てる。そのせめぎ合いの中で、頭の上から件の声が響く。
「かさね!霧雨魔理沙!そいつはただの熊じゃない。外の世界の蝦夷ヶ島で数多の家畜を喰らい、人間をも手にかけた怪物熊だ!そのあまりの残忍さ、恐ろしさによって、外の世界の人間たちから『熊ではないナニカ』としてその存在を否定され、幻想郷にやって来たのだ!」
「さしずめ新たに生まれた妖怪熊ってことか!――どうする、かさね。弾幕が効かないんじゃ私たちに勝ち目はないぞ」
魔理沙さんが問いかける。確かに、このままでは駄目だ。賭けにでなければ。
「魔理沙さん。少し離れていてくれませんか。私に考えがあります」
怪物熊の攻撃をなんとか受け止めながら、魔理沙さんをちらりと見る。
「…ああ、いいぜ。無理すんなよ。いざとなりゃマスタースパークもあるからな。それでもだめなら撤退だ」
そう言って魔理沙さんはゆっくりと後ろに下がる。魔理沙さんが安全なところまで下がったのを確認してから、私は突き立てていた剣を抜き、そのまま地面に放り棄てた。
「おい、かさね!?」
怪物熊が大きな口を開けて私を喰らおうとする。私は左腕を前方に突き出して防御の構え。痛みが全身を襲う。牙が左腕に突き刺さった。どくどくと流れる血。それでも。
「…おなかがすいていたのでしょう。それで、どうしようもなくなって家畜を食べた」
更に牙が深く突き刺さる。
「それで、人間たちに追われた。やらなきゃ、やられる。だから反撃した。」
怪物熊が、鋭く私を睨む。
「怖かったでしょう。自分が自分でなくなるのは。人間たちに幻想扱いされ、体が変質していって。そうして、見知らぬ世界に来て」
怪物熊は牙を突き立てながら、更に前足を振り上げる。眼前に迫る鋭い爪。
「…私も同じようなものです!記憶を失い、見知らぬ世界にただ一人!けれど、受け入れてもらえた。あなたもきっと、そうなれる!この世界なら、幻想郷なら、あなたの居場所がきっとある!もう、戦う必要も、怯える必要もないんです!」
――眼前で爪がピタリと止まる。そうして、怪物熊はゆっくりと私の腕から牙を抜いた。
「――大丈夫か、かさね!?」
魔理沙さんが駆け寄ってくる。
「はい、大丈夫です。もうこの子に敵意はありません」
「まさか、妖怪熊を説得するとは…さすがに考えつかなかったぜ」
「なんというか、うまく行く気がしたんです。それに、この子にも事情があるのに、有無を言わさず退治するのは違うかもって思えてきて…」
「大物だな、お前。しかし、どうするんだ?いくら私でもさすがに熊は飼えないぜ」
「それについては、既に手配してある」
「うぉっ!」
いつの間にか、私たちの後ろに件が立っていた。
「こうなる事は知っていた。だから、こいつを受け入れることが出来る者に声をかけた」
そして、もう一人。
「――なるほど、私が呼ばれたのはそういう訳ね」
その少女は、桃色のショートヘアで、頭にシニョンを二つ付けていた。片方の腕には包帯がぐるぐる巻きにされており、胸元には花飾り。落ち着いた佇まいで、見るものに安心感をあたえてくれる。
「華扇じゃないか!」
「この子が、外の世界から来たという熊ね。大丈夫よ。この子は責任をもって私が預かります」
そういって華扇と呼ばれた少女は私の目を見ながら口を開いた。
「あ、ありがとうございます。」
「こいつ、他にも動物をたくさん飼ってるからな。さすが仙人サマといったところかな」
「ちょっと、私は動物たちを正しい方向に導こうとしているの。ただの愛玩趣味じゃないわ」
何が違うんだか、と魔理沙さんがぼそりと呟く。いたずらに人を怒らせるような言葉は慎んだほうがいいと思うのだけれど。
「ところで、名前はどうするんですか?」
「うーん、この子は外で恐れられていたみたいだし…『恐嚇』とかどうかしら」
「なんかかたいなぁ。かさねの方がいい名前つけられるんじゃないか?」
「それなら、あなたの意見も聞きましょう」
「うーん、キョウカク…恐れ…。あ!『オソ太』とかどうでしょう!」
何とも言えない顔をする一同。結構いい名前だと思うのに。ほら、本人は唸り声を上げてよろこんでいますよ。
「ともかく、これで一件落着だな。約束の本だ、ほら」
件が本を差し出す。ぺらぺらめくってみると、吉兆・凶兆・災害、その他もろもろこれから発生するであろう出来事がつらつらと並びたてられていた。
「…結局、退治できませんでしたが、いいのですか」
「さっきも言っただろう。こうなる事は知っていたと。これが、私が見た未来の中で一番よい解決方法だったのだ。感謝するぞ、かさね。あとついでに霧雨魔理沙」
「おい、私はおまけ扱いか?」
「だって、お前特に何もしてないだろう」
「ブレイジングスターでかさねを救っただろ!未来を見るのはいいが、今現在が見えないんじゃ意味ないぜ!」
「…先に帰えろ」
件と魔理沙さんがわーわーぎゃーぎゃー言い争っているのを背中で聞きながら、私は魔法の森の出口へと向かっていった。