食事の後は、レミリアさんのご厚意で紅魔館に泊まらせてもらった。翌日、私たちは人間の里を訪れていた。
「しかし、どうしましょう。思わず勢いで返事しちゃいましたけれど、珍しい本のあてなんてありませんよ」
「まあまあ、焦ることはないぜ。まずは情報収集だ。心配するな、私の方にちょっとしたあてがある」
そういって魔理沙さんに連れられてきたのは、「鈴奈庵」という暖簾のかかった店だった。
「ここは貸本屋でな。ここの娘と知り合いなんだが、そいつがちょっと面白い奴なんだ」
魔理沙さんが暖簾をくぐる。私も慌ててそれについていく。
「いらっしゃいませー…って、魔理沙さんじゃないですか」
店の中で私たちを出迎えてくれたのは、市松模様の着物に、エプロンをつけた可愛らしい少女だった。
「よっ、小鈴。店番か?」
小鈴と呼ばれた少女は、こくりと頷く。
「店番でちょうどよかった。実は今、珍しい本を探していてな。なんか心当たりはないか?」
「なんかって…ざっくりしてますね」
「ま、なんてったってここには普通じゃない本があるからな…妖魔本」
「ヨウマ本?」
「簡単に言えば、妖怪が書いた本です。人間宛てのものや、妖怪の存在が書かれたものなど、色々ありますよ。…ところであなたは?」
「あ、かさねといいます。最近幻想郷に来たんですよ」
「ああ、あの天狗倒し事件の…」
驚いた。人間の里にもあの新聞がばらまかれているのか。有名人扱いされるのが、なんだか気恥ずかしい。
「なんか一冊くらいいいのはないのか?妖魔本といやあ稀覯本中の稀覯本だぜ」
「確かにうちは本を貸すだけじゃなくて売ることもありますが、仮に売ると言っても、魔理沙さんには払えないと思います…」
「ちなみにいくら?」
ごにょごにょと小鈴さんが魔理沙さんに耳打ちをする。魔理沙さんのびっくりした表情を見る限り、購入は難しそうだ。
「それに殆どが私のコレクションですからね。あんまり渡す気もないというか」
「…ま、そうだよな。ちぇっ。一冊くらい手に入るかと思ったんだが。いっそこっそり抜いちまうか」
魔理沙さんがまじまじと本棚を見ながら呟く。
「「駄目ですよ!」」
小鈴さんと口を揃えて魔理沙さんを注意する。全く、たちの悪い冗談だ。というか、魔理沙さんにはやりかねない節があるので怖いのだ。
「…それにしても、妖魔本ですか」
小鈴さんが顎に手を当て考え込む。
「珍しけりゃなんでもいいんだがな」
「そういえば、先週くらいに本を持ち込んだ妙なお客さんが来ました」
「お?」
「なんでもなんて書いてあるのか読めないから私に読んで欲しいって。今思い返せばあれは妖魔本だったのかもしれません」
「なんだって!?」
「海外の本だったのであの時はあまり疑問に思いませんでしたが…よく考えれば内容が妙でした」
「どんな内容だったんだ?」
魔理沙さんが目を輝かせながら小鈴さんに迫る。
「なんか、自然科学っぽい内容が多かったんですが。その中にいくつか不気味な生物が書かれていたんです。キメラみたいな人面ライオンに、二つの頭を持つ蛇、頭が無くて体に顔がある怪物…」
「…なるほどなるほど」
こくこくと魔理沙さんが頷く。
「タイトルはなんだったかな…ヒストリーなんたらみたいな」
「…もうちょっと覚えておいてくれよ」
「仕方ないじゃないですか!外国の本だったから固有名詞が全然覚えられなかったんですよ!」
「そこも含めて理解できるのがお前の能力じゃないのかよ。まあいいや。で、その本を持ち込んだ客はどんな奴だったんだ?」
その客を特定して、本を譲ってもらう交渉でもするのだろうか。なるべく穏便に済めばよいが。
「うーん。実はそれもよく覚えていないんですよね。思い出せないというか」
「なんじゃそりゃ」
「でも、雰囲気は覚えていますよ。女性の方で、マミゾウさんと似た感じでした」
「お、妖怪タヌキの親玉に似た感じってことは…」
「ええ、もしかしたら妖怪かもしれません。あんまり姿を覚えていないのも、なんらかの能力かも」
「よーし、とりあえずはそいつを見つけ出さないとな。妖怪ってのは都合がいいぜ」
「なんで妖怪だと都合がいいんですか…?」
「何ってかさね、そりゃお前」
魔理沙さんがいたずらっぽく笑う。
「悪い奴なら遠慮なくぶっ飛ばして奪い取れるからな!」
それから私たちは鈴奈庵を出て、里で鈴奈庵を訪れた人(?)の目撃証言を手分けして聞き込みした。小鈴さんの証言が曖昧なこともあり、有益な目撃証言は得られなかった。しかしそのかわり、里の間である噂が広まっていることを知った。なんでも里の外れに「バケモノ」が出るということらしい。その中のいくつかはちょうど小鈴さんが語った怪物の姿と一致していた。そんなわけで、私たちは里の外れに来ていた。日が沈みかかっており、夜のとばりが下りてくるような、そんな時刻だった。
「さて、狙い通り現れてくれるかね?」
魔理沙さんが辺りを見回しながら言う。その手にはミニ八卦路――魔理沙さんの用いるマジックアイテム――が握られている。臨戦態勢だ。私も刀を抜き、神経を研ぎ澄まして周囲を警戒する。静寂の時。得も言われぬ緊張感がこの場を支配する。その時だった。がさり、と足元で何が蠢いた。それは蛇だった。しかし、ただの蛇ではない。尾が無い。いや、尾のあるべき位置に頭がある。上も下も頭。二頭を持つ蛇だ。
「魔理沙さん!」
その奇妙な蛇は私の足元をするりと抜け出し、魔理沙さんの方に向かっていく。
「出てきたか!」
魔理沙さんがミニ八卦路を構える。ぞおっ。突然、背中のあたりに寒気を感じた。そして、反射的に叫ぶ。
「避けてください!魔理沙さん!よくない流れが、その蛇の中に…!」
私の言葉に反応して、魔理沙さんはばっと飛びのく。その次の瞬間。
「シュー!」
ヘビが何かを吐き出した。かろうじてその液を避ける魔理沙さん。液は魔理沙さんを捕らえることなく、地面に落ちる。すると、その液のかかった雑草が、じゅっという音を立てて溶け始めた。
「毒持ちか!」
毒を吐き終わった後の一瞬のスキを見逃さず、魔理沙さんが鋭いレーザーで蛇を貫く。蛇はピクリとも動かなくなった。
しかし、これで終わりではない。足元にまだ気配がある。見ると、そこには先ほどの蛇が4体、5体…。こちらに向かってするりと接近してくる。
「このっ…!」
毒を浴びないように注意しながら、足元の蛇を切り払う。
「双頭の毒ヘビ――アンフィスバエナか!」
ミニ八卦路で迎撃しながら、魔理沙さんが叫ぶ。アンフィスバエナというのがこの蛇の名前らしい。なんとかそのアンフィスバエナを倒していく。ちょうど第二陣を倒し終えたところで、魔理沙さんが再び叫ぶ。
「かさね!後ろだ!」
反射的に刀を構えながら後ろを振り返る。すると、刀にドンと重い衝撃が走った。刀で受け止めたそれは、獣の前足だった。鋭い爪に真っ赤な体毛。刀を押し返しながら相手を見ると、その顔はあの彭侯を思い出させる、人の顔のようであった。押し返された怪物が飛びのく。すると今度は背を向けた。かと思うと、尻尾を振り上げて私を差し貫こうとする。その尻尾は獣の尾ではなく、サソリを思わせる鋭さがあった。
「どいてろかさね!魔廃『ディープエコロジカルボム』ッ!」
ふわりと私と尻尾の間に割って入るナニカ。尻尾がそれを差し貫いた瞬間、大きな爆発音とともに辺りが閃光に包まれた。
「きゃああああああ!」
爆風で吹っ飛ばされ、地面にたたきつけられる。なんとかむくりと起き上がると、謎の獣は地面に倒れ、動かなくなっていた。
「危ないじゃないですか!」
魔理沙さんを睨みつける。
「わ、悪い悪い」
もう少しで私もああなるところだった。まったく、普通の弾幕でいいところを何故爆弾なんか使うのか。ちょっとはこちらのことも考えて欲しい。
「しかし、アンフィスバエナの次はマンティコアと来たか。こいつはもう…」
その時だった。ずしん、と鈍い音が響き渡った。私と魔理沙さんの後ろからだ。二人してばっと振り返る。そこにいたのは、3メートルは優に越している巨人だった。その胴体には目、鼻、口、人間の顔のパーツが付着していた。しかし代わりに、人間にあるべきはずのもの――頭部がない。まさに異形の巨人だった。
「ブレムミュアエ――!」
「刑天――!」
「「え?」」
「いや、ブレムミュアエだろ。今までの流れ的に」
「あんな無頭の怪物、刑天以外にいるんですか!?」
刑天は古代中国で天帝と覇を競ったとされる怪物だ。首を斬られても自分の乳を目とし,臍を自分の口として,盾と斧を持ってなおも戦い続けたという。
「っと、そんなことで言い争っている場合じゃないな」
ブレムミュアエ(とりあえず魔理沙さんに合わせる)がこちらに突進してくる。そのまま私に向かって大きな拳を振り上げる。
「水剣『ポロロッカスウィング』!」
その拳が私に届く前に、思い切り剣を振り抜く。振り抜いた先から、激流を思わせる弾幕がブレムミュアエに向かって突き刺さる。たまらず後退するブレムミュアエ。
「星符『メテオニックシャワー』!」
間髪入れずに魔理沙さんが星型の弾幕を撃ちこむ。ブレムミュアエは苦し気な声を挙げながら、ばたりとその場に倒れた。
「よしっ」
ぐっとガッツポーズをする魔理沙さん。とりあえず怪物たちを退けられたようだ。しかし。
「まだです魔理沙さん。親玉が残っています。先ほどの怪物たちと同じ妖力の流れが、上空に…」
「『流れ』、か。お前、彭侯の時もそんなこと言ってたらしいじゃないか。もしかしてそいつがお前の能力なのか?」
流れを読む程度の能力と言えばいいのだろうか。確かに私には、うまく言語化出来ないが、何となくものの「流れ」というものが分かるのだ。特にそれが「変化」したとき。つまりその場にそぐわない不自然な存在や魔力といったものを探知できるのだ。そしてその不自然な「流れ」を生み出している者が、私たちを見下ろしている。
「ついてきてください、魔理沙さん!」
「お、おい!」
そう言って私は飛び上がる。全速力で上へ上へ。
「星剣『ホライズンスウィング』!」
そして、その流れの根本に弾幕を思い切り放った。
打ち出される星型の弾幕。しかし、それらはある一点で無散する。
「おっと…もう見つかったか」
そこに浮かびあがっていたのは、黒い髪の少女だった。その手には一冊の本が握られている。背中からは奇妙な形の羽が左右非対称にそれぞれ三本ずつ生えており、膝上までの丈の短いワンピースを纏っている。
「こいつはなかなかの大物が出てきたな…封獣ぬえ!」
後ろから魔理沙さんの声。ぬえと呼ばれた少女は、妖しげな笑みを浮かべる。
「無縁塚で拾ったこの本だけど、里の人間どもをおどかすのにちょうどよかったわ。正体不明の怪物たちに怯える人の様が、私の力となる」
「おとなしくその本、『博物誌』をこっちに渡しな!」
「へえ、この本を知ってるんだ。私はあの鈴奈庵の娘に読んでもらうまで何も分からなかったけど」
「魔理沙さん、『博物誌』っていうのは――?」
「古代ローマのプリニウスが書いた、当時の百科事典だ。当時のあらゆる知識が詰め込まれている。だが、問題なのはそこに異形の怪物の存在も記されていることだ。当時は科学と幻想は未分化だったんだ。アンフィスバエナ、マンティコア、ブレムミュアエ。こいつらはみんな『博物誌』に載っている」
「この本は大方どこぞの西洋妖怪が書いた写本なんだろうさ。そのおかげで私がこうやって利用できるんだがな!」
そういってぬえは本を開き、魔力を込める。すると、空中に突然アンフィスバエナ、マンティコア、ブレムミュアエなど、様々な怪物が現れ、魔理沙さんに突進していった。
「うわっ!」
不意を突かれ、それらと共に落下していく魔理沙さん。
「悪いが、まだまだ恐怖は足りないんでね。この本を奪われる訳にはいかない」
そういってぬえは飛び去ろうとする。
「ま、待て!」
たまらず呼び止める。
「へぇ…お前、私とやる気なのか。新参者のくせに、平安京を恐怖に陥れた大妖怪たるこの私と」
「平安京を…?」
「ぴんと来ていないようだな。まさか私のことを、鵺を知らないのか?」
「鵺というのは、鳥の名前のはず…」
「…私もなめられたもんだ。まあいいさ。これからお前にたっぷりと正体不明の恐怖を思い知らせてやるッ!」
そうして彼女は、私に向かって弾幕を放った。
「っ!」
かろうじて身をかわす。弾幕が多い。これまで戦ったどの相手よりも密度が濃い。これでスペルカードを使っていないなんて。
「くっ、『半跏趺斬』!」
何とか隙を見つけて斬撃を繰り出す。
「は、ぬるいぬるい!」
しかし弾かれる。見ると、彼女の手には三叉が握られていた。
「鵺符『弾幕キメラ』!」
スペルカード!神経を研ぎ澄まして回避に専念する。この弾幕は光球?じっくりと球筋を見極めようとしたその時、腹部に熱を感じた。
「え…?」
見ると、光の線が、私の腹に突き刺さっている。
「この弾幕は形を変えるのさ。さながら語られる私の姿のように」
いつの間にか、光球がレーザーに変わっている。
「あぐっ…」
たまらず空中での制御を失い、落下していく私。
「正体不明『義心のグリーンUFO襲来』!」
ぬえの追撃のスペルカードだ。数体のUFO。それらが、一斉に私に向かって弾幕を降り注がせる。
「まだだ…不可智剣『鬼女返し』!」
空中でぐっと力を入れ、落下を止める。そして、渾身の力を振り絞って二連の剣閃を放つ。剣閃が弾幕をかき消し、UFOを撃墜する。
「はぁ…はぁ…」
「息が上がっているな。もう一つおまけにくれてやる。『平安京の悪夢』!」
ぬえが姿を暗ませる。そして、弾幕が規則的な形で縦横に変化する。弾幕に囲まれ、動きを制限される私。
「これは…平安京の条坊…!」
ずきり、と頭が痛む。ああもう、こんな時に!
一瞬、目をつむって頭を押さえる。頭痛が止み、目を開く。すると、目の前に迫る、特大の弾幕。もう避けられない――!
「うわああああ!」
衝撃を体全体に。再び急速に落下していく。意識が薄れゆく。その中で、最後に剣を振るった。
「星剣『ホライズンスウィング』!」
星型の弾幕がぬえにむかって発射される。ぬえはこともなくそれを受け止める。
「ふん、最後のあがきも私には届かなかったようだな!」
勝ち誇るぬえ。
「…そうでもないぜ」
その背後に、ミニ八卦路を構えた魔理沙さん。
「なっ…」
「もう遅い!恋符『マスタースパーク』!」
ゼロ距離から放たれる七色の極光。その極光の中にぬえが消えていくのを見たのを最後に、私の意識は闇へと落ちた。
「う、うーん」
目が覚めると、私は地面に横たわっていた。
「目が覚めたか。よく粘ったな」
魔理沙さんが私の顔を覗き込む。
「お前がぬえ相手に戦ってくれたおかげで、なんとか化け物どもを倒して戻ってくることができた。いやー、危なかったな。私が助けなければ、今頃地面に思いっきり衝突して複雑骨折間違いなしだったぜ」
「魔理沙さん、ぬえは…?」
「ああ、逃げちまったよ。ただ、お目当てのものはしっかり回収させてもらったぜ」
見ると、魔理沙さんの手には、『博物誌』がしっかりと握られている。
「後二冊、だな」
にししと魔理沙さんが笑う。
こんな大変な思いをしてまだ一冊なのか、あと二冊もあるのか。そんなことを考えながら、私は再び目を閉じた。