次の日。私たちは再び人間の里を訪れていた。
「大きい屋敷ですね」
「里でも有数の名家だからな」
私たちは、大きな日本屋敷の門前に立っていた。表札には「稗田」と書いてある。
「邪魔するぜー」
魔理沙さんは堂々と正門をくぐり抜ける。いいのかな。私もおっかなびっくりついていく。屋敷の中に入ると、使用人と思しき女性が出迎えてくれた。魔理沙さんが一言二言話すと、客間へと通された。魔理沙さんはあぐら、私は正座でしばらく待っていると、客間に少女がそっと入って来た。緑色の着物に、花柄の羽織を身に着けており、髪には大きな花飾りをつけている。年のころは十代前半から半ばに見えるが、それにしてはやけに泰然としていて、少しちぐはぐな印象を受ける。これが名家のお嬢様というものなのだろうか。
「いきなり訪れて、何の用ですか」
少女が魔理沙さんに尋ねる。
「いや、ちょっと。今珍しい本を探していてな。お前んちなら何かあるかと思ってな、阿求」
阿求と呼ばれた少女は、はあとため息をついた。
「確かに我が家には歴代御阿礼の子が著述・収集した書籍があるけれど、あなたに譲る気はないわよ。なんの目的で本を探しているかは知らないけれど、押し買いなら帰ってもらいます」
当然の反応だ。
「そこをなんとか…」
「駄目。そもそもなんで本を探しているの?」
魔理沙さんがレミリアさんとのゲームの話を伝える。阿求さんはますますあきれ返った様子だ。どうするつもりなんですか、魔理沙さん。
「なんか捨てる予定の本とかないのか?そういうのでいいからさぁ」
「無いわよ。…いや、そうね」
阿求さんが手を顎に当てて考え込む。
「あなた達、珍しい本を探しているのよね。だったら、打ち棄てられた本というのはどう?」
「打ち棄てられた本?」
「ええ。本来ならこの世にはもうない、逸書」
「もったいぶらずに早く言えよ」
「『帝紀』と『旧辞』」
「『帝紀』と『旧辞』!?」
思わず声を上げる。だって、それは――
「我が祖、いや祖というと語弊があるけれど。稗田阿礼が天武天皇に命じられて誦習した二つの書物。『古事記』編纂の根本となった史料。しかし、今日にそれらが伝わることはなかった…」
「んで、そいつはどこにあるんだよ?それともお前が阿礼の記憶を元に書いてくれるのか?」
「転生前のことは朧気にしか覚えていないから、私が書くことは出来ない。でも、それがどう処理されたかは推測できる」
「処理?」
「新たな歴史書を編むとなると、それ以前の歴史書が残るのは権力者にとっては都合が悪い。まして阿礼に暗誦させたのだから、『古事記』を編纂するころにはもう棄てられたと見るべきね」
「な、なるほど?」
「けれど、『帝紀』も『旧辞』も天皇の系譜や各氏族の伝承が記された、いと畏き書物。普通に焼き棄てることはできなかった。だから――神に返したのよ」
「神に、返した?」
「それじゃあ、幻想郷にいる神がそいつを持っているってことか?誰が持っているんだ?」
「…雷神。神のいかずちによって、二つの書物は焼き払われたのよ」
「なるほど、少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)…雷神は、捕らえることができる、ですか。」
「ちいさこべのすがる?誰だそりゃ」
「…あなた、よく知っているわね」
少子部蜾蠃。仏教説話集『日本霊異記』には、彼が雄略天皇に命じられて、雷神を捕らえたという説話が収められている。
「つまり、雷神をとっ捕まえてその二冊を分捕れってことだな。よし、行くぞかさね!」
すっくと魔理沙さんが立ちあがり、部屋を出て行く。私も慌てて立ちあがる。
「神の怒りに触れないように気をつけてね」
阿求さんが笑みを浮かべる。どう考えても怒りに触れることになりそうだが、それでもやるしかなさそうだ。私も部屋を後にした。
数時間後、私たちは妖怪の山近くの原っぱに立っていた。枯れ始めている草々に、自然に出来上がったのか、それともだれか妖怪が持ち込んだか、点々と岩が立っている。
「ほ、ほんとにやるんですか…?」
「何だよ、雷神を捕まえられるって言ったのはお前じゃないか」
「あれは阿求さんが考えている事を続けただけというか…。ともかく、勝算はあるんでしょうね」
「そいつはやってみなきゃ分からんな。ま、できることはやっただろう」
私と魔理沙さんは頭に赤く塗って輪状にしたつる草を巻き、手には赤色の小さな旗のついた鉾を握っている。少子部蜾蠃が雷神を捕らえた時の恰好である。どちらもここに来る前、魔理沙さんの家で魔法の力を使いながら、急ピッチで仕上げたものである。本当にこんな格好で雷神を捕まえられるのだろうか。
「そもそも、どうやって雷神を呼び出すつもりなんですか。今日は快晴ですよ」
空を見上げても雲一つない。そもそも雷が鳴ってくれなければ、捕まえるも何もない。
「心配するな。私たちにはこいつがある」
そう言って魔理沙さんは懐から一冊の本を取り出した。
「それは、『博物誌』…?」
「博物誌に書いてあるのは何も怪物だけじゃない。いわば当時の百科事典なんだ。自然現象だって当然記述がある。…こんな風に!」
魔理沙さんが本を開き、上空に向かって高く突きあげる。すると、本の先から閃光が立ち昇った。すると、快晴だったはずの空がたちまち黒く染まる。
「ま、まさか…」
一瞬、視界が点滅する。
「そう!この雷を呼び水に、雷神様を呼び出そうってことだ!」
魔理沙さんの言葉が終わらないうちにどしゃんという音。雷が、落ちた。
「さあ、大捕物の始まりだ!そらそらそら!」
魔理沙さんが魔力を込めて、『博物誌』から雷を呼び出していく。それに反応するように、どしゃん、どしゃんと次々雷が落ちてくる。
「ははははは!雷神よ、霧雨魔理沙様のお呼びだぜ!」
魔理沙さんが鉾を振り回しながら叫ぶ。怒れる雷神は、その呼びかけに応じることなく、雷を降り注がせる。
「おいかさね!お前も雷神に呼びかけろよ」
魔理沙さんが雷に負けないように叫ぶ
「そんな無茶な!」
「ここで捕まえられなけりゃ本が手に入らんどころか最悪お陀仏だぜ。腹くくれよ!」
「ああもう!」
こんな無茶に付き合っていては命がいくつあっても足りない。まあでも、これが幻想郷で生きるということなのかもしれない。覚悟を決めろ、かさね。
「…私たちは、さる高貴なお方の命令を受け、あなたの持つ『帝紀』と『旧辞』を頂戴するためにここにいます!たとえ雷神であっても、どうして高貴なお方の命を拒否できるでしょうか!」
一瞬、雷が鳴り止む。
「お、おいおい。レミリアを帝に准えようってか。そいつはちょっとまずいんじゃ」
少子部蜾蠃が雷神に呼びかけた時、雄略天皇の命であることを強調したという。これで納得してくれればよいが、そうもいかないだろう。現に魔理沙さんが「高貴なお方」の正体をレミリアさんだと口走ってしまった。堰を切ったように再び雷が降り注ぐ。帝を騙る不届き者とでも言わんばかりに雷の勢いが強くなる。だが、これでいい。鉾を天に掲げる。私はここだと雷神に伝えるように。
「おい、かさね――」
即座に鉾を投げ捨て、走り出す。私を打ち抜こうと、強い光の流れが迫ってくるのが分かる。私は地を強く蹴り、前方に飛び込んだ――
ゆっくりと目を開ける。私の体は焼け焦げていない。そして、私の横にある大きな岩が光輝いていた。ばちばちと点滅を繰り返す。光は岩に入った亀裂から発せられている。少子部蜾蠃は二回、雷神を捕えている。二度目は彼が死んだ後。彼の墓の碑文を打ち抜こうとした雷神は、かえってその碑文の柱の裂け目に捕らわれてしまったのだ。
「よくやったぞ、かさね!」
魔理沙さんが駆け寄ってくる。魔理沙さんの顔を見て、全身から力が抜けていく。なんとか賭けに勝った。後は雷神から『帝紀』と『旧辞』を貰うだけだ。
「よーし、そこから解き放って欲しければここに『帝紀』と『旧辞』を写すんだ」
魔理沙さんは二冊の本を岩のそばに置く。その本の頁には何も書かれていない。魔理沙さんが持ち込んでいた、『帝紀』と『旧辞』を転記させるためのものだ。再びの点滅。思わず目をつむる。目を開けると、岩の裂け目に光はもう無かった。慌てて駆け寄る私と魔理沙さん。岩そばの本を手に取る。
「魔理沙さん…これ『旧辞』だけですよ!」
「な、なんだと!?」
二冊の本の内、一冊は確かに記述があったが、二冊目は全くの白紙だった。
「ちくしょう。一冊だけで逃げられたか」
「まあまあ、手に入っただけよしとしましょうよ。これ以上雷神の怒りを買うのもあれですし」
「そうだな…これで終わりにしたかったぜ」
後一冊。今日はもう別の本を探すのは無理だ。明日が最後の日。ここまで来たら、何としてでも三冊目の稀覯本を手に入れてやる。