Coolier - 新生・東方創想話

天の狗と人の子

2021/06/04 16:01:40
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 案内人は魂に気が付く。

「……おや。お前さん死んだのかい。それは分かっているね。さあ、船は長い。お前さんが生きた人生を教えておくれ」

 ギィィ、と船は進み始めた。



~~~~~

一章 天魔様と人間の老婆の最後の逢瀬

 いつもの秋が来た。あの人に会いに行く準備は出来た。
 老体に鞭を打って最後のお参りに行きましょう。

 慧音先生に先に里から出るという事を言っておく。そうなると心配して妖怪の山までついて来てくれた。妖怪に襲われるかもしれないからだろう。
 慧音先生は荷物を持とうとしてくれているのですがこれは私の荷物ですよ。だから私が持つのでございます。
「妖怪の山まで来ましたが……」
「慧音先生や。ここから一人で大丈夫でございますよ」
「いや、しかし……」
 木々の中から白狼天狗様が出てくる。
「何者だ。これ以上の侵入は許さない」
 自分たちの所を守るのに必死なのだろう。やはりいつ来ても白狼天狗様は緊張していると思うのです。
「白狼天狗様。この山に会いたい方がいらっしゃるのですが入ってもよろしいでしょうか」
 私が毅然と話す様子に慧音先生は驚きを隠せていない。
「それは無理だ。人間なんぞ入れない。妖怪に食われるのがオチだろうよ」
「白狼天狗様の中の犬走椛様を呼んでいただけますでしょうか。あのお方なら事情を知っておいででございます」
「ハッ、何を言うかと思えば。そんなこと出来るわけ無いだろう」
 少し馬鹿にしたような口調で天狗様は話す。
「話は聞いているのだから通じて貰ってもいいだろう」
 慧音先生が割って入る。
「慧音先生。大丈夫でございます。怒ってはなりませぬ。それで敵と認められてしまうのですから」
 少し怪訝そうな顔をしながら黙った。
「天狗様お願いします。最後にお目にかかりたいのでございます……天魔様に……」
 私は折れた腰をさらにかがめて礼をする。
「いま……なんと……?」
 声が震えている天狗様。流石にお名前を出すのはまずかったのだろう。
 しかし、私は言い切るのである。
「天魔様にお会いしたいと申しました。これが最後の機会なのでございます。どうか……よろしくお願いします」
 礼をした状態で私は言い切る。
「わ、わかりました……犬走様を呼んで参ります。しばし……お待ちを……」
 声が震えたまま天狗様は去っていった。
 私は顔を上げ荷物を降ろす。老体に酒瓶は重たい。
「チヨさん……あなた、天魔様と繋がりが?」
 慧音先生は驚きながら話している。
「なに、若い頃に妖怪の山に迷い込んで川に溺れている所を助けて貰ったのでございます。確か……その時は大天狗様の時でしたが」
「それでお礼参り……と言うことですか」
 ふふっと私は笑ってしまう。
「何しろ助けて貰ったもので。それはそれは恐ろしいことにございましたが紳士にしてもらったからには私も返さなければなりませぬ。返すと言っても大体はお酒でしたが……今代の博麗の巫女様の前の時代でしたから。他の天狗様に見つかってしまって逃げ回ったりしておりましたよ」
 それはそれは恐ろしい時代であった。命名決闘法とやらが制定される前なので殺されるは当たり前。天狗様が人間を助けたこと自体が異例中の異例なのです。
「先代の巫女の時代で良く生きてこられましたね。素直に感服致します」
「慧音先生や、頭を下げなくてもよろしいよ。おや、天狗様が来てくださいましたね」
 さっきの天狗様と犬走様と射命丸様までいらっしゃいましたか。
「お久しぶりですチヨさん。いつぶりでしょうね」
「これはこれは犬走様。お久しゅうございます。お土産程度のものでございますが、大福をお持ちしました」
「いつも下っ端に持ってこなくてもよろしいと言っているのに……無下にも出来ませんので有難くちょうだい致します」
 持ってきた大福を渡す。
「椛、その大福後から下さいよ」
「文様。客人から頂いたものをあげる訳にはいかないでしょう。絶対にやりません」
 犬走様と射命丸様のやり取りを見て少し笑ってしまう。
「チヨさん?どうなさいました?」
犬走様はこちらに顔を向ける。
「ふふ、犬走様は射命丸様と随分と仲良くなられましたね。喜ばしいことです。それとその大福はいつもより多めに持ってきましたのでご友人とどうぞお分け下さい」
「ありがとうございます。ですが文様は違いますよ。仲の悪い上司ですよ」
「も〜み〜じ〜!」
 やはりこの光景は変わっていっていると確信できる。
「それで天魔様にお会いしたいと言うことでしたね。なぜに天魔様に?」
 射命丸様が記者の様な顔で話しかけてくる。
「最後のお礼参りと言うやつでございます。この老体はもう持ちませぬ。やり残したことを無くす為に最後のお礼参りです」
「ふーむ……分かりました。それではご案内しましょうか。私が持ち上げて空を飛びましょうか?」
 心苦しいが断らせて頂く。
「射命丸様の提案は嬉しいのでございますが、最後のお礼参りは歩いて行きたいのでございます。大天狗様と天魔様にご確認してから私は徒歩で参ります。射命丸様。お手数をお掛けしますが聞いて貰ってきてもよろしいでしょうか」
射命丸様に頭を下げる。
「分かりましたチヨさん。ですが次に里に行く時にチヨさんのお家に行っても良いでしょうか?それなら引き受けますよ」
「文様! 何を言っているのです!」
「黙りなさい椛。私はチヨさんと話しているのです」
 私は頭を下げたまま答える。
「それでよろしいです。よろしくお願いします」
「分かりました。契約成立です。それでは確認をしてきますね」
 ビュウと大きな風が吹くと射命丸様はいなくなっていた。
「あ、慧音殿。ここからはチヨさんのみが入っても良くなると思いますので一回里に帰ってもらった方がよろしいかと。おそらく明日の朝までチヨさんは帰れなくなると思いますので」
 犬走様は冷静にそう言った。その感はあっているだろう。私もそう思うのだから。
「いや、しかし……里の守護として……」
「大丈夫です。私の命を賭して守り通りますので」
「そこまで言われると帰らざるを得ないな。それなら朝に麓に迎えに来る。それでよろしいか?」
「それなら大丈夫と思いますので。よろしくお願いします」
 そう言って慧音先生は山を降りていった。
 天魔様に会えるとなると喜びが増してくる。これが最後でもやり残したことなどこれのみなのだから。
 若い頃のような気力がみなぎってきたような気がした。
 ヒュウと風の音がした。射命丸様だ。
「椛、チヨさん。無事に許可が降りました。と、言っても天魔様の無理矢理の状態でしたので天狗の里の中で斬りかかれる可能性もあります。護衛を天魔様から申し付けられましたので同行致します。それと椛もですよ」
 報告口調が少し気だるそうだ。悪いことをしたとは思う。
「天魔様は変わっておりませんね。昔から無理難題に押し通って、意見を一致させる。そしてそれに後悔をしていつもお酒を煽っておりましたなあ」
 犬走様と、射命丸様は驚いた顔をする。やはり大天狗から天魔になってからは何も言っていなかったのだと確信する。
「あやややや、そんなこと初めて知りましたよ」
「天魔様にそんな一面が……」
 とまあ。やはり驚くものなのだろう。
「それでは参りましょうか。天狗の里を通り、天魔の城へ」
「確実に護衛を致します。よろしくお願いします」
「老いぼれですがよろしくお願いしますね。天狗様」
 酒瓶を持ち直して三人で歩き出した。

 ***

「人間だ」「なぜ里にいる」「殺してやろうか」
 様々な声が聞こえる。やはり人間が入るべき場所では無いのでしょう。
「なぜ射命丸様と犬走が付いているのだ」「護衛か?」
ヒソヒソと話す声ばかり聞こえる。
「あーもー嫌になりますね。そんなに愚痴を言わなくても良いじゃないですか」
「文様。それ以上は言ってはなりませぬよ」
「分かってますよ。そこまで落ちぶれてはいません。それとチヨさん。場所に着くまでは話さないで下さいね。穏便にしたいもので」
 私はそれに頷く。人間の里の掟のように天狗の里にだって掟はあるだろう。それに私が突っ込むのは野暮というものだ。今だって無理を押し通してここにいるのだから。
 黙々と歩いていく。人間の里のように商店や貸本屋など色々なものがある。生活を営むという事は社会を作るということなのだと実感をしています。
「おや、見えて参りましたね。あそこになりますよ」
 里の家よりも大きな屋敷と見受けられる。確かにこれは城と言ってもいいだろう。と言っても大きな平屋建てになるのだが。
「射命丸が客人を連れて参りました。入ってもよろしいでしょうか!」
 大きな門の前で少し声を張り上げ、話す射命丸様。
 それに答えるかのように門が開く。
「ささ、入ってくださいな。門が開くという事は認められたのですから」
「文様。私も入ってよろしいのでしょうか?」
「椛。それに関しては了承を得ています。入っても良いそうですよ」
「分かりました。下っ端で入れるなんて思わなかった……」
 最後はポロリと出てしまった本音なのだろう。犬走様も大変そうだと思ってしまう。
 そうして屋敷に入っていった。

 ***

「ようこそ」
 大天狗様がお見えになられた。
 三人は客間に案内され待っていたのです。
「初めまして大天狗様。人間の老いぼれが妖怪の山になど登った事をお許しください。やり残したことを終わればいかなる処罰を受けますので」
 犬走様はギョッとしたような気がした。
「確か──チヨ殿と言ったか。天狗の里は天狗のものだがそれは天魔様がおられるからこそのもの。チヨ殿に手を出そうなどとすれば天魔様からのお怒りが降り注ぎますゆえ。射命丸、犬走」
「「はっ」」
「天魔様とチヨ殿の面会に対面してもよろしいと仰っておった。選ぶのは好きにしろとのこと」
「「了承いたしました」」
 それだけを言って大天狗様は客間から去っていった。

「天魔様も物好きですね……私たちも一緒にいても良いと」
「畏れ多いですが……天魔様にはお会いしたことがないのですよね。会ってみたいと言う気持ちも……」
 大天狗様が去った後、射命丸様と犬走様は悩んでおられる。
 天狗社会の頂点となると畏れ多いものになってしまうのか。その距離がすこし寂しく感じた。
「射命丸様、犬走様。お二人がいたいと思うのであればどうぞいて下さいませ。天魔様はそこまで怒られる方ではございませんので」
「本当に天魔様の事を良く知っておられますね。中々侮れませんよ」
 訝しむような視線を送る射命丸様。犬走様は静かに聞いている。
「大天狗様のまだ自由に動ける範囲の時にお会いしましたから。今では知らない方が多いのかも知れませんね。確か天狗社会が大きく変わった時に天魔様になったとうかがいましたから」
「そこまで知っておられるとは……たかが五十年前くらい前のことなのに」
「私にとってはもう五十年前になりますが。時間とは残酷ですね」

 パンパンパン。
 襖の向こうから手の叩く音がする。これが私たちの合図であった。大天狗様が住んでいた洞穴は音が響く為これがいつの間に合図になっていたのだ。
「お久しゅうございます。天魔様」
 すっと襖を開けて入ってきたのは天魔様。
 女性であり、中性的な魅力を持った方。何より美しいのは天狗の象徴たる漆黒の翼だと思います。
「お久しぶりですチヨ。いつぶりでしょうか」
 少し高めの声。私が聞きたかった声でした。
「十年お会い出来ませんでしたね。今代の巫女に変わるまでが妖怪達にとっての遍歴だと思いますので」
 よっこらしょと私の席の前に座る天魔様。
「大天狗ーお茶を四つ頼む」
「了承しました」
 いつの間にか襖の向こうにいた大天狗様がお茶を注ぎに行ったみたいです。
 両隣の射命丸様と犬走様は緊張でガチガチになっているみたいです。上司、という立場から大変なのでしょう。
「射命丸様、犬走様。大丈夫でございますよ。そこまで緊張しなくても……」
 そう言うと少しだけ収まったような気がします。
「あーチヨ、それは仕方ないことだよ……天魔と言う立場な以上畏れられる事は必然だからね」
「あら、やはりそうなのですね……大天狗時代の自由な性格はどうしたのですか?やはり中々厳しいのでしょうか?」
苦虫を噛み潰したような顔をする天魔様。
「それがねぇ……中々無理な話なのだよ。立場の問題だからね……まあ時々脱走して大天狗達に怒られるのだが」
「ふふふ、やはりお変わり無いのですね」
 私は笑みを漏らしてしまう。
「天魔様、お茶をお持ちしました」
「入れ」
「失礼致します」
 大天狗様は四人分のお茶を置いて下がろうとした。
「あ、大天狗様。ありがとうございます」
「あ、ああええ……」
 どうにも困惑されてしまったようだ。そのまま大天狗様は出て行ってしまった。
「天狗にお礼を言う人間なんて中々いないもんだよ。それに困惑したんだろうさ」
「そうなのですか……私は天魔様がおりましたのでてっきり言うものかと……」
「それが珍しいんだよ」
 二人の話は続く。

 他愛もない里の話。天狗の話。色々なことを聞けた。
「天魔様。今回のお礼でございます。手製ですが日本酒と小刀を」
 私は持ってきたものを広げ、机の上に置く。
「おお、酒は有難い。はて、小刀とな?」
「夫が作ったものでございます。天魔様の話をしたらぜひとも作りたいと申しまして……」
 天魔様は小刀を持って確認している。
「少し年季が入っているな。最近作ったものじゃないだろう」
「ええ、そうですとも。五年前に作ったものですから。夫は三年前に亡くなりました。幸せそうで、その小刀は私に託すと言い残しました。素人作りの小刀ですがお持ち頂ければ嬉しいかと」
「夫か。嬉しい事をしてくれるじゃないか。有難く頂こう。輪廻の際にはお礼を言いたいよ」
「これは嬉しいことを。ありがとうございます」
 私は頭を下げる。本当に光栄だと思える。
「チヨや。身体はもう長くないだろう?これが最後のお礼かの?」
私は頷きながら言う。
「そうでございます。もう限界が来ておりますので……今こうやって一目出来、話すことが出来ることが嬉しいでございます」
「ふむ……そうか。やはり人とは流れる時間が違いすぎるな」
「これも自然の摂理でございます。あなた様は天狗、私は人間に生まれ、長寿を真っ当出来ることが最大の幸せでございますよ。天魔様」
「チヨや。こちらの席に来てくれないかの?」
「良いのですか?」
 隣の天狗様達が震えた。
「最後のお礼参りなのだから良いだろう。こっちへ来ておくれ」
「分かりました。失礼致します」
 私は立ち上がり射命丸様の後ろを通り天魔様のお隣へ。
「あぁ、懐かしいのう……こうやって隣で話したことを」
「そうですね……懐かしいです」
 洞窟で、二人で横に座りながら話したことを思い出す。
「なあ、チヨや。私の事を名前で呼んでくれるかの?」
「良いのですか?射命丸様と犬走様がいらっしゃいますけど」
「この二人は信頼出来る。犬走はきちんと業務をしてくれているし、真面目だ。射命丸は新聞はともかく仕事に関してはちゃんとしているから大丈夫だよ」
「天魔様……ありがとうございます」
 犬走様は泣きそうになっている。
「そういう風に思われていたのですね。天魔様、ありがとうございます」
 礼をした射命丸様。
「よいよいそんなに畏まらなくても。これは個人的な意見であり総意ではないのだから、気をつけるんだぞ」
「「了承しました」」
 声が揃っている。天魔様への忠誠はやはり大きいのだろうか。
「さ、チヨ。名前を呼んでおくれ。天魔になってから誰も私の名前を呼ばん。もう忘れかけておる。最後に思い出さておくれ」
 そうやって言われるのは本当にずるいと思います。
「すみれ様。こうやって呼ぶのはいつぶりでしょうね」
「ああ、そうか、すみれだったか。本当に忘れておった。天魔としか呼ばれないものだからな……」
「すみれ様、最後の告白を聞いてもらってよろしいでしょうか?」
「良いぞ。なんでも申せ」
 私はゆっくりと息を吸い……

「すみれ様、出会った時からお慕いしておりました。人間と天狗と言う境界線を超えてまで……好きでございました」

 言い切ってしまった。最初からずっと好きだったのです……

「そうか……それは嬉しいなあ。初めに言ってくれれば攫って行ったのに」

「あの状態の人間と妖怪の状況下で言えるわけないじゃないですか。最悪言ってしまえばすみれ様が退治されてしまうのですから。それだけは避けたかったのでございます」

「ははは、ここでチヨに気遣われてしまうとはなあ……今は老婆になってしまったがそれでも私はチヨが好きでいたぞ。仲良くしてくれた上に楽しかったのだからとても嬉しい」

「それを夫に申しましたら嫉妬されてしまいました。夫も慕っておりましたが心にはすみれ様がいらっしゃったもので……えぇえぇ。それはもうしこたま怒られました」

 すみれ様は私を抱き寄せた。翼を私の体に覆いかぶせる。
「あぁ……今ここで攫ってしまいたいのう……だがチヨには家族がおる。それを無下には出来んしそれこそチヨにとって不本意だろうよ」
 麗しき翼のなかで私は話す。
「すみれ様。大変嬉しゅうございます。そうやって思って頂けるだけでも最大の喜びにございますよ……私を二度も救って下さったお方……」
「はて、二度とは?一度目は分からんでもないが……」
「一度目は命を救って下さったこと。二度目は私に恋と言うものを教えて下さったことにございます。あの時私は自殺を試みておりました。家に嫌気がさし、死ぬことで逃げようとしていたのでございます。それを救ってくださいました。そうして私は恋に落ちてしまったのでございます。それが二度目にございます。今まで言うことは叶いませんでしたが……」
 私の自己中心的な行動の中で人間と分かった時に迷わず助けて下さった……少し怨みはしましたがそれでもあなた様の美しさに惚れてしまったのでございますよ。
「本当にチヨは嬉しいことを言ってくれるな。襲いたくなるではないか。それも叶わぬ願いであるが」
「すみれ様のお傍にいることが出来る今こそ至福のときでございます。あなた様はお変わりなく美しい」
「そう言うチヨは老けてはしまったが心は美しいままだよ。変わっておらぬ。あの時のままだ」
 もう私には言い残すことは無い。言い切ってしまったから。

「御二方、雰囲気を壊すようですみません。夕餉の時刻に近づいております。どうなさいますか」
 射命丸様が声をかけて下さった。それに伴いすみれ様の翼が離れる。
「そうだな……そんなに時間が経っていたのか。チヨ、お前さんはどうする?」
「これ以上お傍にいると振り切れなくなってしまうのでおいとまさせていただきたいのですが」
 その言葉に反応したのか犬走様が立ち上がった。
「お言葉ですがチヨさん。それはいけません。夜は妖怪の時間です。今は安定したとは言え襲われるとは限りません。どうか考え直しを」
 必死に諭す犬走様。夜は妖怪の時間。夕方からは里を出てはいけない。そんなことも浮かれて忘れてしまっていたのかと思う。
「そうおっしゃるなら、私は夕餉を頂きましょう。お気遣いありがとうございます」
「どうせなら泊まっていくといい。今日だけは天魔自ら、掟を破るようになるが後でどうとでもなる。チヨといさせておくれ」
すみれ様はニヤリと笑ったように話す。私を泊まらしていくことも計算に入れていたような気がします。
「あとで大天狗様に怒られても知りませんよ天魔様。私は庇護しませんからね」
 呆れたように射命丸様はやれやれと言っている。
「すみれ様……あの、本当に大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫さ。どうにかなる」
「天魔様……職権乱用って言葉知ってますか……?」
 射命丸様は本当に呆れてしまったようだ。
「射命丸。お前には言われたくないな。どれだけの乱用をしているかは大天狗から全て聞いているぞ」
「あやややや、すみませんでした!聞かなかったことにしてくださいませ!」
 天狗社会も色々あるみたいですね。
「文様……はあ……」
 犬走様に関しては全てに呆れたようだった。

 ~*~*~

 館を椛と出ては話し始める。
「いやしかし、チヨさんは凄い人ですね」
 射命丸文は思う。
「チヨさんはいつも天狗に対しては物凄く尊敬しているそうです。下っ端の私にすら丁寧な対応ですから。しかし天魔様のことになるとお顔が変わるのですよ」
 隣の椛が話す。
「チヨさんとは繋がりが?」
「私が案内人を務めて来ましたよ。大体は千里眼で他の白狼天狗達と揉めているところを見て入って、そこから案内していただけですよ。それにも感謝されたのか来る度にお土産を持ってくださったようになったのですが」
 ふむ。そうだったのか。
「あ、椛」
「何でしょう」
 瞬足で大福の箱を奪う。
「ほらほら、いただきますよ」
「文様!それは返してください!にとりと食べようと思っていたんですから!」
「付き合った上司にお礼もなしですか〜?」
 大福の箱をヒラヒラとしながら言った。
「こんの……ニヤニヤして……!」
「さあどうしますか?」
 椛はハアとため息をついた。
「分かりましたよ……にとりと分ける時に呼びますからその時に食べてください。今食べるのは駄目ですよ」
「分かってよろしい。さ、夕餉に行きましょうか」
 大福の箱を返しながらサラリと誘う。
「一人飯ですか?私は家に帰りますので」
 この石頭が。
「椛も一緒に来るんですよ!」
「安月給なもので。そもそも仲の悪い上司と行く理由が無いでしょう」
「そこまで言わなくても良いじゃないですか!」
「なんでそんなに必死なんですか……それなら、にとりを誘って良いですか? もちろんあなたの奢りで」
 くっ……こいつ……
「分かりましたよ! にとりさんも一緒に奢りましょう! そうと決まれば早く行きますよ!」
 射命丸文は心が半泣きになりながら椛の前を飛んだ。

 ~*~*~

 夕餉は本当は大天狗様達と一緒に食べるとのことらしいのだけど、私を配慮してかすみれ様と二人で一緒に食べることになりました。天魔様なので遠慮してしまったのだろうか。それとも私が原因なのか。分かりませんが二人で頂けることは幸せにございます。
「いただきます」
 運ばれてきた食事に驚く。里のものはあまり食べる事の無い焼き魚から、元気に育ったのだろうと予想出来る小松菜のおひたし。そうして白銀に輝くような白米。これをご馳走と呼ばずになんと呼ぶのか。
「私が作りたかったのだが大天狗に止められてな。渋々戻ってきた始末だ」
 しょんぼりと少し縮こまるすみれ様。
「良いんですよ。人間の里のものにとってはこれはご馳走にございます。天狗様が作ってくださったことがよろしいのですよ。だからそこまで落ち込まないでくださいな」
 大袈裟にパッと明るくなるすみれ様。
「そう言ってくれるか。閉鎖的な天狗社会をそう言ってくれるのはチヨ、お前さんだけだよ。天魔に就いたとしても変えられることは些細な事ばかり。私はこのまま閉鎖的でいることが良くないと思うのだ。新しい一陣の風が吹いてくれれば良いのだが……天狗は自尊心が高いそれゆえに人間を低く見る。河童はとても臆病だが人間に関わろうとしている。守矢の者達は……さすがに大きな問題を起こさなけれはいいのだが」
 お仕事の頭になってしまったしまったようです。
「すみれ様。お言葉ですが……良いですか?」
 私は箸を置いて話す意思を示す。
「良い。チヨとしての人間の意見を聞きたい」
「分かりました。お話致します。確かに天狗様たちは自尊心がお高いです。それでも誰かを助けようとする意思はございますか?」
 すみれ様は頷く。
「そう、それなら良いのです。昔からの意見を変えられぬものはどうしようもないのですよ。だから変えることが出来ないとそう思いでしょう?」
「うむ、そうだ。そう思ってしまうのだ」
「すみれ様、それはもう変えることの出来ないことなのでございます。人間も同じなのです。一つの意見に執着してそればかり見る人々もおられるのです。ですがそれでも柔軟に考えようと、里をより良くしようと考える若者たちもいるのでございます。それの衝突は避けることは出来ませぬ。二つの意見を取り入れながらそれこそ温故知新にてゆっくりと変えていくのです」
 ふむ。と顎に手を当てるすみれ様。少し考えているようだ。
「温故知新か……天狗は長生きをする。人間の変わってゆく姿をこれからも見ていく。それ故に頭が固くなってしまうのだ。変わることを拒否してしまう」
 確かにすみれ様の言う通りだ。天狗様は人の何倍もの時を生きる。たかが六十過ぎた人間の意見など役には立たないと思いますが、それでも変えることはできるのでございますよ。
「お言葉ですが。それ程に長生きをするのであれば人間ように早急にとは行きませぬが、それでもゆっくりと社会を変えることは出来るのではないでしょうか。徐々に、ゆっくりと気が付かないうちに習慣となりそれが常識となる。そういうものだと私は思うのです」
 私はすみれ様を直視しながら言いました。
 困ったようなお顔になっております。
「ふむ……そうか。そう言うものなのか。やはり人間には脱帽するよ。短い生の中で答えを見つけてしまうのだから」
 そう。それで良いのでございます。ゆっくりと変えてゆけば良いのですから。
「すみれ様。お食事を済ませてしまいましょうか。長話になってしまいましたし、何よりお食事が可哀想にございます」
「おお、そうだったな。それではいただきます」
 そこからは二人は無言でいただいていた。この空気も懐かしい。洞穴でいつも仲良く食べていたのだから。場所も食事も変わっていますが変わらないものもございますね、すみれ様。

 ***

 縁側にて私は月を見ておりました。今日は満月にございます。
「チヨそのままでいると冷えるぞ」
 すみれ様が羽織りを持ってきてくださいました。私はそれを受け取りはおります。
「ありがとうございます。ところで今日は綺麗ですね」
 私の隣に座ったすみれ様は月を見上げている。
「道理で妖力が上がるわけだ。いつが満月とかなど気にしていなかったな……」
「妖力が上がっているのでございます?満月は人間の里から絶対に出てはならぬと言われております。それには妖怪たちが活発になるからなのですね」
 私は驚く。すみれ様に会いに行く時は絶対満月を避けて会いに行っていたため知らなかった。
「ああ。浮かれて暴れるやつもいてな。だから大天狗の時は絶対満月の日に来るなと言っていたのだよ。チヨを殺されてはかなわんからな」
 そうだったのですね……私のためにと考えると少し嬉しゅうございます。
「ああ、そうだチヨ、流石に酒は駄目だろうから団子でも……」
 そう言いかけたところで私たちの前の空間がポカリと開く。スキマと言われていたものでしたか。
「はぁい。天魔様、お久しゅう」
 スキマから出てこられたのは妖怪の賢者様の八雲紫様。扇子で口を押さえながら出てこられた。
「八雲殿か。一体何の御用で?」
 あ、少し不機嫌な声になったすみれ様。
「天魔とあろうものが人間と会っていると藍から聞きましてね。様子見ですよ」
「わざわざ来なくとも良いものを……覗き見しておったのだろう?」
 イライラしていらっしゃる……
「ええ。少しだけですがね。来た理由はチヨさんにありますよ」
 名指しで呼ばれ驚く。
「チヨか? 何もしておらぬぞ。ただここに来て会いにきただけだろう」
「人間と言うもので天魔が簡単になびいてもらうと困るのですよ。あなたは天狗のトップということを理解していますか?」
「ああ。理解しておるとも。だがチヨだけは特別だ。亡くなる前に最後くらい会わせてもらっても良いだろうよ」
ふんと腕を組みイライラを抑えないすみれ様。
「その特別がどれだけの影響を及ぼすのかを理解していませんね」
「おぬしにだけは言われたくないな。毎度のこと巫女を特別と見ておろうに? 誰しも特別はおるだろう。私の場合はただ人間だったということよ」
 口喧嘩のように熱くなって行くお二人。これは止めなければ。
「賢者様。すみませんが、申しても良いですか」
「なんですかチヨさん? 何を私に言いたいと?」
 ピリピリと威圧感が私に押し寄せる。敵と見なし攻撃をしようとする威嚇。私は賢者様を見たまま話す。
「天魔様に天狗の掟を破らせてしまったのは私の失態にございます。それを責めないであげてくださいませ。断罪ならいくらでも受けます故に、チヨと言う人間の全てにおいてお誓い申します。だから……」
「そこまで」
 賢者様に言葉を止められる。
「それ以上言わなくても良いわ。チヨさん。あなたは何故天狗に関わったのですか」
 予想外の質問が飛んでくる。
「わ、私は……妖怪の山に迷い込んだ時に自殺を試みておりました。そこで私は死ねなかっただけのことにございます。大天狗様……いや、天魔様に助けられて。救われた命だからこそ懸命に生きること、そうして天魔様に恩返しをすることで生きようとしただけにございます。そうしているうちに天狗様と関わりを持つようになりました」
 私は事実を述べる。これしか私には言えることは残っていないのです。
「そう……よかったわね天魔。こんなにも慕われていて。嫉妬しちゃうわ。チヨさん、これが最後のお礼参りですか?」
「はい。そうでございます」
 私は頭をたれる。敵意がないことを示すため。これ以上関わらないために。
「ならよろしい。お二人は最後の逢瀬をお楽しみなさいな」
 そう言った賢者様の気配が消えた。頭を上げると賢者様はいなくなっていた。
「あやつ……好き勝手言いおって。何度殴りかろうとしようかと思ったことか」
 怒りを示しながら腕を組んでいるすみれ様。
「駄目ですよ。殴ってしまったらそれこそ賢者様の敵となりますよ。消されても文句は言えないのですから」
 それに反応したのかふっと怒りを消していた。
「そうだな……邪魔されたが、暖かいお茶と団子を少し食べようじゃないか」
「お月見でございますね。語ろいはいつも良いものです」
 すみれ様は立ち上がり、取りに行った。
 ……賢者様の意図は良く分からなかったとは思います。それでも最後を認めて下さったことがとても嬉しゅうございます。里で式様に出会いましたらお礼を言いましょうか。それこそ要らぬ世話と言うものでしょうね。

 ***

 語ろい、そうして夜が深まる。話の間はすみれ様の翼の中にずっとおりました。すみれ様が放してくれなかったもので。とても嬉しいですし、何よりすみれ様の高めの体温を感じることが出来ることが良いのです。
「暖かいです……すみれ様の翼は美しゅうございますね」
 私を囲む翼を撫でながら話す。
「ふふ、擽ったいぞチヨ。翼は鴉天狗の誇りだからな。みんな綺麗にしたいと思うんだよ」
 他の天狗様を見てもやはり翼は美しいと思う。
「そのすみれ様の誇りの中にいることが出来る私はとても幸せものですね」
「っ……そうだな。手篭めにしたいほどだよ」
 少し言葉が詰まったすみれ様。
「どうなさいましたか……?私が何か不味いことでも申しましたか……」
 抱きしめられる。暖かい熱を持った声で。
「……翼の中に入れることは求愛を示すんだよ……それ以上言われてしまうと抑えられなくなるよ……流石に襲いはしないが」
 あら……それは情熱的なことでございますね。私はすみれ様を抱きしめ返す。そうして耳に囁く。
「体力は持ちはしませぬが……印のみなら大丈夫ですよ」
「チヨ……卑怯すぎやしないか。告白されてから本当に愛おしくなっているというのに」
 老婆の最後の暴露でございますよ。
「すみれ様になら良いですよ……こんな古い体ですが」
「時間など関係ない。チヨということが重要なのだから」
 ばさりと翼を広げ、私を抱えたすみれ様。
「そう言ったからには付き合ってもらうぞ?だが無理はさせぬ。限界なら言っておくれ」
 目が猛獣のそれになっていらっしゃる。齢六十にもなってこうやって求められるとは思ってはいなかったけれども、これが最後の機会なのですから良いと思ってしまう自分がいます。
「お手柔らかにお願いしますね……すみれ様……」
 やはり少し恥ずかしい。手で顔を隠しながら言った。
「美しい顔を隠さないでおくれ。それじゃあ行こうか……」
 囁かれながら私たちは寝室に向かって行った。

 ここから朝までは多くは語りませぬ……

 ~*~*~

「おはようチヨ」
 私は早く起き、帰る準備をしていると後ろから声がかかった。
「おはようございます、すみれ様」
 そう言って振り向くとすみれ様が抱き着いて来た。
「昨日は良かったのう……」
「あまり恥ずかしいので言わないでください……それに水浴びをしてもよろしいですか?」
 匂いを極力消すためということもあるが少しだけ浴びたいと言うのが本音だった。
「水浴び?朝からは寒すぎるから湯浴みをしようか。山は寒いから体を壊してしまうぞ。それならば私は着替えて風呂を沸かしに行こう」
「そ、そんな……お任せるのは……」
「大丈夫だ。そのくらいのものなど誰にでも出来る。チヨが体を壊すことの方が心配だ。だから待っておれ」
 有無を言わさない返事。私は素直に頷いた。
 満足そうなお顔ですみれ様は離れ、羽織りを私に着せてからお風呂のあろう場所に歩いていった。
 さて。どうしましょうか。帰る準備という荷物整理は終わったのですることも無い。
 昨日の縁側に行った。窓は開けない。天狗様たち、妖怪などは匂いに敏感と聞くので今の状態で開けてしまうと色々と不味いことになるだろうと予想した。
 天狗様の生活の営みが始まっている。
 朝起きて伸びをしている天狗様。
 家から煙が登っているので朝食を作っている天狗様。
 朝帰りでぐでんぐでんに酔ってふらつきながら帰る天狗様まで。
 人間の生活と変わらないものがそこにはある。
 本当に妖怪だと言うことを忘れてしまう程に社会性があり、生活を営む。
 今はもう本当に時代が変わったと思える。命名決闘法から始まり色々な異変があったらしい。私は伝え聞きしかしないものだから分かりませんが。人間の里にも妖怪たちはゆっくりと溶け込み始めている。それこそ時代の変わり目だと思います。
「ああ。時代は変わりましたね……とても良いと思えるものになっています」
 一人でそう呟く。
「そう思えてもらえて何よりですわ。と、匂いが凄いですね……」
「ひゃあっ!?」
 背後からの声に驚かざるをえない。ゆっくりと私は後ろを向く。
「け、賢者様……いつの間に」
「さっき声をかけた時にですわ。昨日は凄かったのですね」
「あの……恥ずかしいので……どうか言わないでくださいまし」
 クスクスと笑っている賢者様。
「妖怪と人間が交わることはどうなるのでしょうね。私は反対はしませんが」
「もう死にゆく老いぼれにございますのでこれが最後にございます」
 私は笑顔で賢者様に返事をする。
「ふふふ、そうですか。積年の相手との逢瀬はどうでしたか?」
「これはもう思い残すことなどございません。あとは孫たちの成長を見て過ごすのみでございますよ」
 賢者様は細目で私を見ている。
「そうですか良かったです。チヨさん、あなたの愛おしい方が来られますゆえ失礼致しますよ」
「ええ、賢者様。ありがとうございます。賢者様にも良き道がありますように」
 私は笑って。賢者様は扇子を畳んで。そうして賢者様はスキマへと消えた。
ドタドタと大きな音をして走ってきた。
「チヨ! チヨ? さっき悲鳴が聞こえたと思ったのだが……大丈夫か?」
 心配そうなお顔になっていらっしゃる。
「大丈夫でございますよ。妖怪の賢者様が後ろから声をかけて下さったことに対して驚いただけにございますから」
 少々不機嫌そうなお顔へ変化する。
「何故八雲殿が……まあいい次に話すだけだ。チヨ、風呂がわけたから入ろうか」
「ん? 二人で入るのでございますか?」
「ん? ダメか?」
 何故ここになってすみれ様のおとぼけが入るのでしょう。
「温度とかは大丈夫ですか?」
「二人で入る分には大丈夫だ。温度も少し熱めにして冷めても大丈夫なようにした」
 あ、駄目なものでございますね。これは連れいていかれる状況ですね。小言も虚しく私はすみれ様にお風呂に連れていかれた。

 ***

「おはようございます、チヨさんをお迎えにあがりました」
 二人でお風呂に入って髪の毛が乾く頃に射命丸様と犬走様がいらっしゃった。
「おお、入れ」
「失礼致します」
 すっと襖を開け入ってくる御二方。
 射命丸様は様子は変わりありませんが犬走様は慌てたようなお顔ですみれ様と私を交互に見ている。
「て、天魔様……いや、まさか……」
「言わんでも良い。やはり白狼天狗には匂いは隠せぬか。とりあえず座れ」
 言われた通りに座るお二人。
「まあ、犬走が慌てるのは分かるが匂いのままだぞ。その意味と受け取れ」
「すみれ様、流石にそれは言い過ぎでは……」
 獣の嗅覚ほど侮れないものは無い。それに狼となると余計に侮れませんね……
「は、はい……わ、分かりました……口外致しません」
「あの、そのやり取りから見るに……ですよね」
 射命丸様も流石に匂いは分からなくとも犬走様の慌てようで分かったようだ。
「うむ、そうだ。射命丸。分かっておろうな?新聞に書いた日などは当分の罰を与えるぞ」
 ひぃいいいと縮こまる射命丸様。
「すみれ様。それは脅しすぎにございますよ。天魔様で人間とと言うのは不味いのは分かりますが脅す口実にはなりませぬよ」
 流石に射命丸様が不憫に思えたので口添えをしておく。
「むう……チヨがいうなら罰は弱くしておこう。だが、大天狗にバレるまでは口外を禁止する」
「「了解致しました」」
 すみれ様……本当に職権乱用をなさっていますよ……と、少々呆れました。
「さて……チヨよ、これでお別れだな。最後に私からはこれをやろう」
 いきなり翼を広げたすみれ様。そうして左の羽から何枚かを毟った。
「え、すみれ様!?」
「大丈夫だ。少々待っておれ」
 そう言って毟った羽を持って寝室の方へと向かっていった。
「天魔様もやりますねぇ……誇りとも言える羽を人間に与えるなど」
「いや、流石に驚きですよ……そこまで惚れ込んでるんですね……」
 天狗のお二人のお話について行けない。
「羽を与えることに何か意味があるのでしょうか?」
 つい聞いてしまった。
「意味はありますが……私からは言えませんね。天魔様に直接聞いてくださいませ」
 射命丸様にすげなく断られました。大きな意味を持つことなのでしょうか。
 少しの沈黙。すみれ様は何をしようとなされているのでしょう。
「待たせたなチヨ。これを受け取っておくれ」
 三枚の羽を根元を紐でまとめ、首飾りのようになっている。
「すみれ様……これにはどんな意味が……」
 声が震えてしまう。
「あなたを永遠に愛すと言うことだ。私には人間だが力をくれた大切な人がいた。それを渡すには遅すぎたのかもしれないが……それでも受け取ってくれるか?」
 思わず涙がポロリと出てしまった。
「チヨ? チヨ? どうしたのだ」
「先の、短いこんな老婆ですがよろしい、のですか……?」
 ひくっ、と泣いてしまうではないですか。
「良いとも。思いを伝えることが出来たのだから。私はチヨだけを愛しているとも。だからそれを渡すのだ」
 すみれ様の本当の言葉。
「すみれ様……いや、天魔様……ありがとうございます。大変な幸せにございます。死ぬ最後まで私はそれを身に着けます。彼岸にも持って行ってよろしいでしょうか?」
「ああ、ああ。良いとも。むしろチヨがずっと持っていておくれ。生まれ変わっても私はチヨを探しに行こう」
 私はすみれ様から羽の首飾りを受け取った。
「最後のわがままですが……すみれ様が着けてくださいませんか」
 ニコリと笑ったすみれ様。
「大丈夫だ。ほら後ろを向いて」
 私は着けてもらうために後ろを向く。カサリ、とわたしの首に着けることが出来たのだ。
 私は思わずすみれ様の、方に振り向いて抱きしめた。
 カシャリ。カメラの音がした。
「……射命丸?今何を撮った?」
 すみれ様の声が暗くなる。
「天魔様とチヨさんの最後の写真にございますよ。口外は致しませんとも。現像したら持っていきますので」
「それならばちゃんとしたものを撮れ。私とチヨが並ぶからそれを撮ってくれ。その後チヨにも写真を送ってやっておくれ。これは天魔としての命令では無い。個人としてのお願いだ」
「そこまで言われたら断れないじゃないですか。それでは御二方、並んでー」
 写真を撮ったことの無い私は慌ててしまう。
「ほらチヨ、隣に座っておくれ」
「こ、こうでよろしいのでしょうか?」
「大丈夫だ。ほらカメラに向かって笑顔だ」
 言われた通りに私はカメラに目線を向けた。
 カシャリ。
「おおっ、最高の一枚ですよ! 現像出来ましたら持っていきますので」
「よろしく頼むぞ、射命丸」
 私は射命丸様にお礼をする。
「射命丸様、本当にありがとうございます。そして家に来てくださったらおもてなしを致しますのでよろしくお願いします」
「分かりましたチヨさん。出来ましたら取材と兼ねて行きますので」
 隣のすみれ様は少しだけ悔しそうだった。
 チヨのおもてなしだと……くぅぅ……大天狗の時なら……などボソボソと聞こえる。
「天魔様、未練がましいですよ。どこにでも動ける下っ端だからこその権利でございます」
「じゃかあしい! 堪えてるのに煽るな! ゆきたいに決まっておろう!」
「天魔様、射命丸様、落ち着いてください! ここで戦闘はしないでください!」
 犬走様が止める。それでも止まりそうな気配では無かった。
ので私が実力行使に出る。
「ほら、すみれ様こちらを向いて──」
 ん? と私に言われたままに向いた。
 頬に手を当てしっかりと口付けをした。こんなの柄ではないのですけれど……
 離すとすみれ様は落ち着いた。
「いや……大人げなかったな。すまない」
「分かれば良いのですよ。またお会い出来るのですから。すみれ様自ら探してくれるのでしょう?私はそれを待っておりますよ」
「そうだったな……待っててくれチヨ。そして今世はさようならだ。また会おう」
「ええ、またお会いいたしましょう」
 そう言ってわたしはすみれ様から離れる。名残惜しいですがお別れの時間です。
「それでは天魔様。チヨさんを人里まで送り届けます」
「射命丸、犬走。任せた」
「「了解致しました」」
 そうやって私は荷物を持ってすみれ様に手を振りながら屋敷から出たのでした。

 ***

 天狗の里に入る。
「あ、言い忘れてましたがその羽の中に天魔様の妖気が詰められていますので余程の輩でもない限りは妖怪避けに使えるとは思います」
 射命丸様がおっしゃる。
「そうなのですね。分かりました……と言っても人間の里からはあまり出ませんよ」
「まあ、保険と言うものです。それは覚えて置いてください」
「そして周りの天狗が怯えている状況ですか……妖気を入れすぎなのですよ」
 犬走様はため息をつく。
「確かにこれは妖怪からすると怖いですしね……」
 射命丸様は苦笑いで歩いている。
「そうなのですね……嬉しゅうございます」
「本当に変わった人間ですねあなたは……」
 呆れているのか、褒めているのか。その真意は射命丸様の中にあるのみ。
「それでは里を抜けますゆえ山道を歩きましょう。足場気をつけてくださいね」
 犬走様は私に気遣いながら話してくれた。

 ***

 山を下る。最後のお礼参りが終わる。もう妖怪の山に来ることはないのだろう。
 私は立ち止まり、山の頂上の方を見た。
 簡易なものですが二礼二拍手一礼。この山の、いいや全ての八百万の神への感謝をこめて。
「チヨさん、どうなさいました?」
 犬走様が声をかけて下さる。
「八百万の神への感謝をしていました。この山に登ることはもうありませぬゆえに」
「そうでしたか……そろそろ麓に着きますので行きましょう」
 犬走様を先頭に私、射命丸様が後ろについた。
 歩いていると麓に着く直前に弾幕が飛んできた。
「ふっ!」
 犬走様が盾にて吹き飛ばす。
「慧音殿、警戒しなくても大丈夫ですよ。この妖気はチヨさんの首飾りからのものでありますので」
 そうして三人は慧音先生のところへと着く。
「いきなり山から降りてくると思ったら大きな妖気だぞ!? 警戒するなという方が無理だ! 大きすぎるから、妖怪は敏感になるぞこれは!」
 流石に荒ぶっておられる慧音先生。
 妖気は分かりませんが……慧音先生が慌てるということは里にとっては少し不味い状態になるのでは……?
「うーん、どうしましょうかね? 流石にこの件は私たちにはどうにもなりませんし」
 射命丸様が慧音先生に言う。
「しかし……もう少し妖気を減らしてくれないと里に入る妖怪たちが誤解をする。それでチヨさんが襲われたら元も子もないだろう?」
 私は首からかかった羽の首飾りを手で覆う。
「すみれ様、すみれ様。聞こえているのでしょう?」
『なんでチヨは分かるのだ? 何も言ってないのに』
 天魔様の声が首飾りから聞こえる。
「それは昔似たようなことをしたじゃありませんか。妖気の込めた石を通じて少しお話したではありませんか」
『あぁ……チヨが結婚することが決まってからの話か。こうも覚えられているとか恥ずかしいものだな』
 普段通りに話す私たちには私以外の三人は驚く。
「妖力の媒体か! 何故それを兼ねているんですか……」
『ん? その声は上白沢慧音殿か。最後に聞いたのはいつだったかな……まあそんなことはいい。妖気を減らせとのことだな。純粋に言おう。無理だ。込めた分は消費しないと減ってはいかない』
「天魔様……里に影響しますのでもうしないでくださいね……」
 慧音先生はぐったりとしている。厄介事を増やしてしまったかな。申し訳なく感じる。
「すみれ様? これが最後のお話でごさいましょう?」
『いいや、後一回分だけ残っておるから、またチヨから話しかけておくれ。最後までは会えぬのは分かっておるからな』
「分かりましたすみれ様。最後の時によろしくお願いしますね」
そう言った途端ふっと声が途切れた気がした。
「あ、妖気が減りましたね」
「本当だ」
「あと一回分は残ってますけれどこれなら大丈夫でしょう」
 天狗様と慧音先生のお話は分からない。妖力というものを分からない私にはどうしようもないことですね。
「これなら大丈夫そうだ。二人ともチヨさんの護衛をありがとう。またお礼をしに来るよ」
 慧音先生はお礼を言っている。
「まあ、哨戒しているのでその中に入ってもらわなければ大丈夫ですので」
「私は里にて行きますので」
 お二人も変わらずお帰りになられる。
「射命丸様、犬走様、ありがとうございました」
 射命丸様は後ろを向いて手をヒラヒラとさせ、空を飛んだ。
 犬走様様は礼をして空に向かって跳んだ。
 私はその後ろ姿を見てお礼をしていた。
「チヨさん、里に帰りましょうか」
「そうですね。慧音先生、付き合わせてすみませんね。そしてありがとうございます」
「なに、私の仕事ですから」
 そう言って里の方へと向かっていった。

 ~*~*~

 後日。
 私は里へと帰り、家と帰ったのですが家の前に巫女様が待ち構えておりました。
 いわく、
「その羽の妖気は収まっているとはいえ、監視をします。どうなるか分からないので」
 とのことでした。すみれ様の妖気とはどのようなものなのでしょうか? 力が強いとかそんな感じなのですかね。
 そうして娘や孫たちに妖怪の山へ行ってきたことを報告した。行く前にも言ってはいましたが好奇心旺盛な孫たちにどのようなところだったのか、天魔様はどんなお方だったのかを沢山聞かれました。しかし妖怪に対する畏怖を忘れてはならぬので少し待ってもらい、慧音先生や稗田阿求殿にどのくらい話しても良いかを聞きに行ってから、お話をしたのでした。

 帰ってきたその日からすみれ様の羽のお手入れが日課となりました。妖気があり、朽ちないとは言えども大切なお方の美しい羽なのでございますから。
 それを見た娘と息子には笑われてしまいました。お父さんはどうなのかって。
 夫も愛しておりますとも。すみれ様も愛しております。
 どちらも愛していると伝えると、欲深いお母様だと、婿入りの息子に言われてしまいました。確かに欲深いかもしれませぬがどちらも同じくらい愛すべき方々なのですから。
 娘にはお母さんはもう……と少し呆れられました。小さい時から天魔様のことを少しづつ話していたので思慕があるということを見抜かれていたのでしょう。
 それを許してくれていた夫にはとても嬉しいですし、本当に感謝ですね。

 そうそう、射命丸様が家に来てくださったのです。すみれ様のお手紙を添えて。
「あやや、これを渡せとの事でした。お手紙と写真が入っています」
 渡された時にはつい涙が零れてしまいましたが、射命丸様は何も言わないでいてくれました。
 お手紙を返すために二日経ったらまた来ますとのことでした。
 すみれ様のお手紙にはこれからのこと、ずっと愛しているということが書かれていました。そうして文通は私の文で最後にするということも。
 私のお手紙は先人のお言葉を借りて一句のみ。

『忘らるる 身をば思はず ちかひてし人の命の 惜しくもあるかな』

 とても心配ですので。神に近し天魔様であろうと罰を貰うかもしれませぬ。どうかご無事で。
 その手紙は射命丸様に渡すことができました。これで私の心残りはありませぬ。
 すみれ様、また来世で。私を見つけてくださいまし。
 首飾りの羽を触りながら私はそう思うのです。

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