五章 最期の時
天魔様に最後のお礼参りをしてから季節は廻りました。
気がつけば私は夏の畑仕事中に左膝の骨を折ってしまい、歩くこともままならなくなりました。二ヶ月近く経っていますが私の膝は八意先生によるとくっ付いていると言われています。折った時に慧音先生に永遠亭に運ばれ、寝たきりになってしまっていますが。
気がつけばもう秋となっています。膝が治ればふされたいのですか」
……そうでした。私が骨を折って入院と決まった時は娘は泣きはしませんでしたが、孫たちに大泣きされてしまったのでした。
心配はされたくありません。しかし事実は変わりませんので、急いてしまうのを抑えなければなりません。
鈴仙さんに布団に戻されてから私は話し始める。
「八意先生。もう少し治ったら歩く練習をしたいのですが大丈夫でしょうか……」
「様子を見ながらしますので、焦らないでくださいね。ゆっくりと練習しますので」
八意先生はそう言って部屋を出ていきました。
「あっ、師匠……チヨさん、何かあったらうさぎたちに呼びかけてくださいね。師匠ー! 待ってくだいー!」
バタバタと鈴仙さんは出ていった。……早く治りませんかね。
~*~*~
秋も中頃になった頃に歩く練習を始めました。今年は米の収穫を手伝うことが出来ないので息子に誰かに手伝って貰えるようには言いましたが、とても不安です。娘は夫を信じて、と言われたのでぼやくのはやめましょうか。
秋は過ぎ、冬はひたすらに室内での練習をしていました。そうして冬が終わる頃に私は八意先生に退院を言われたのでした。
「ただいま、元気にしてたかい」
ガララと私は慧音先生に支えられながら土間に入った。
「おばあちゃん、おかえりなさい!」「おかえり!」「怪我しないでよ!」
玄関の前で孫たちに色々と言われてしまいます。
「こらこら、チヨさんが困っているだろう、少し落ち着きなさい」
「えー、なんで慧音先生いるのー」
一番上の寺子屋に通う孫は言う。
「チヨさんが怪我しないように送ってきたんだよ。それでは失礼しました。何かあったらまた呼んでくださいね」
私は床に座った所を見計らって慧音先生は帰って行きました。
「お義母さん、大丈夫ですか」「お母さん無理しないでね」
寝室の方からやってきた娘夫婦。
「ありがとう、私は大丈夫だよ。少し縁側で休むからお前たちはやることをしなさいな」
そう言って渋々孫たちはやることをしに行った。
「お母さん、お昼はなにかいりますか」
「自分で用意するから大丈夫よ、ほらあなた達はお仕事をしなさいな」
「お母さん……」
心配そうな娘の目はとても嬉しいとは思う。後が短いものよりお前たちが元気に過ごせるならそれで良いのです。
~*~*~
そうして、春の日。私は仕事をしている時に転んでしまい、骨をまた折ってしまったのです。
てんわやんわの大騒ぎ。私は痛みで気を失っていました。
病室のベッドの上で後から聞いた話でした。
「チヨさん。残念ですけれどもう歩けないと思ってくださいね」
八意先生の冷静な言葉。
「……そうですか。そんな気はしていました」
もう歩くことは出来ない、私の身体はそう言っている。いつかこうなると分かっていた。
「少し、席を外します。その間にお子さん達と話してくださいね」
「お母さん……」
娘は心配そうな顔でこちらを見る。
「あなた達は強く生きることができる。だからこんな老いぼれは気にとめなくていいのよ」
「お義母さん! 冗談にしては悪趣味過ぎる! まともに話してください!」
「ちょっとあなた……もう少し落ち着いて」
「だって……おまえの母さん……」
「まずは二人で話してきなさい。それから聞くからね。ほら出ていった出ていった」
揉めそうになる二人を病室から追い出す。私の答えは一つだから変わることは無い。あとはあの二人がどう納得するかを待つだけです。
***
寝たきりになってから今の時期の梅雨は辛いです。降り止まない雨。娘たちは仕事が忙しく、中々会うことは出来ません。時々診察に来る鈴仙さんが私の話し相手です。
「今日も雨ですね……」
ザアザアと振り続ける雨を窓から見る。
「おや、人間が入院してるじゃないか。どんな人間かと思ったら……」
開け放たれていた部屋の戸から声が聞こえました。
「あなた様は……誰でしょう」
目に入るのは大きな垂れたうさぎの耳。十歳くらいの身長、首からかけたにんじんの首飾り。どこか活発そうで、何かを見続けている瞳。
「私は……」
「こらっ、てゐ! また落とし穴作ったでしょう!」
「あ、やべ。また夜に来るよ」
カカカと笑いながら鈴仙さんの手からひょいひょいと逃げていくのを見ていた。
「チヨさんごめんなさいね〜〜〜!」
鈴仙さんの叫び声が響いた。
***
一時の晴れ間。布団の中から満月が見えます。夜に来ると仰っていたので寝ないようにしながらもウトウトとしてしまいます。
「ふぁ……寝ましょうか……」
「来ると言ったじゃないか。もう少しだけ寝るのはやめとくれ」
諦めて寝ようとした所でうさぎ様はやって来ました。
「すみません、眠たくて眠たくて……」
「ああ、それはすまないね。けれどお前に興味が湧いてね……少しだけ話に付き合ってくれよ」
ベッドの隣の椅子に座ったうさぎ様。私は座ったのを見て頷いた。
「まずは自己紹介からか。私は因幡てゐ。気軽にてゐと呼んでくれればいい。お前の名前は?」
「チヨにございます」
「少しの間だけれどよろしく。しかし、天魔の妖気を纏う人間なんか長いこと生きてきて初めて見たよ。お前さんは変わっているな 」
カカカと少し笑う因幡様。
「……そうでしょうか? 私はそう言う風に歩んできたので分かりませんが……それと因幡……因幡の白兎、ですか?」
天魔様と交流を持ってから私は神話に興味を持ち、慧音先生や、その紹介してもらった本などで知りました。その中に因幡の白兎のお話があったのですが、それがとても印象的でよく読んだものです。
「おや……その神話を知っているなんてね。幻想郷の人間はそもそも知らないものだも思っていたよ。お前さん……そう言うのは失礼か。チヨさんでいいかな?」
目を丸くしている因幡様。名前を問われて頷く。
「チヨさん、お前は幸運だよ。いつか死にゆく時がきたら、大切な者と出会えるだろう」
「因幡様? それは……どう言うことです……」
大切な物。私にとってそれは……
「ふふ、チヨさんは生きてきて楽しかった?」
唐突な質問に私は目を丸くしました。
「ああ、身構えなくていい。チヨさんの人生について少しだけ興味を持っただけだから。気軽に答えてくれたらいい」
椅子に座りながら本当に軽そうに言う因幡様。そうやって死にゆくものに気を使ってもらえるなぞ私は幸せ者なのでしょう。
「ええ、私は幸せでした。一人の里人として出会うことの無い方たちと出会い、幾許かの愛を貰いました。それが幸せでなければなんと言うのでしょうか」
私は笑顔で答える。笑顔を作ることが出来たのかは分かりませんが……
「それならばよかった。幻想はこれからも続いていく。もしかしたら輪廻転生でまた天魔に会えるだろうさ。チヨさん、邪魔したね。さあ、おやすみ」
とても優しそうな、慈しむようなそんなお顔でした。
「おやすみなさい、因幡様。ありがとうございました」
「また、どこかで会おう。チヨさんは最後まで生を謳歌するといい。それが幸せに繋がるだろうから」
因幡様は戸を開けてこちらを振り返らずにそう仰って、部屋から出ていかれた。
いつか本当に、大切な方と出会うことが出来るのでしょうか。私には分からぬことです。
~*~*~
気がつけば夏が過ぎ、秋になっている。師匠が言うにはチヨさんはいつ死んでもおかしくない、と言っていた。寝たきりになってから少しずつ、できることが無くなっていって、ついには一日寝ている状態になってしまった。チヨさんの様子を見に行くと、 時々何かを思い出したかのように窓を見つめている時がある。その度に私はチヨさんに話しかけるのだけれど。
「チヨさんどうしましたか」
「あ……てん、ま……さま」
窓をぼうっと眺めているような状態で誰かを呼んでいる。それにつられて窓を見ると何が高速で飛んでくるのが見えた。身の危機を感じた私はダッと部屋の戸に向かった……が遅かった。
ガシャーン!
咄嗟に顔を覆う。
大きな音がして窓が、壁が壊れる。壊れた壁から紅葉がひらひらと入る。もうもうと上がる土煙の中から黒の大きな羽根を持った天狗が現れた。
「天狗!? ちょっ、侵入者よ!」
「黙れ、兎」
チヨさんを抱えた天狗に風の塊を受けた。ここからの記憶は無い。
~*~*~
「チヨや……少し寒いが許しておくれ」
横に抱えた大切な人は私の記憶よりもやせ細っていて、いつ死んでもおかしくない顔色で。壊れないように強く、強く抱える。誰にも邪魔されないようにと、風の結界を張った。
首飾りからチヨの呼び声が聞こえて、私は飛び出してきた。大天狗に制止されようと怪我させない程度に吹っ飛ばして飛び出したのだ。
首飾りの妖力を辿ると着いたのは永遠亭。射命丸から入院をしたと聞いていたのは本当の事だったのか。
「……すみれ、さま、お手をわずらわせて……」
弱々しい手つきで私の頬をゆっくりと触っている。
「よい、よいのだ……チヨが私を呼んだから、来たまで……最後を、見るという約束を」
チヨの体温が、意識が、生気が、薄くなっている。
「わがまま……ゆるしてください……かぞくのもとに……」
「待っておれ、すぐに着く」
結界の向こうから数人の人たちが動く気配がする。あとから何を言われようとそれで良いのだ。
ふっと結界を解き、チヨを傷付けないようにゆっくりと降りていく。地面に降ろすことは出来ないので私の腕の中だ。
「お母さん!」「お義母さん!」「「「おばあちゃんー!」」」
チヨの子供たちが私が地上に降りたと同時に囲む。
「おまえたち……きてくれたんだねえ……うれしいよ……」
「おばあちゃん、やだよ死んだらやだよぉ……!」
子供たちが大きな声で泣いている。
「こらこら……そんなこといわないのよ……じんせい、たのしかったよ。おまえたちも……ひとさまにほこれるみちを、あゆんでくれ」
「お母さん……ありがとう。私、あなたの子どもで本当によかった」
娘なのだろうか。ぐす、と泣きながら話している。チヨはすっと女性の頭を撫でようとしているのに気がついて私は少しだけ触りやすいように動く。
「まごたちを……げんきに……」
「うん、うん……お母さん……おかあさん……」
チヨは天を仰ぐ。虚ろなような目で、晴れた秋空を凝視している。
「ああ……ありがとう、ございます……すみれさま……やくそく、を」
「良いのだ……チヨが、望んだこと。安らかに逝くがよい……」
生気が、薄まる。いよいよチヨの魂が抜けそうになるのが分かる。
空に向けた手はゆっくりと上がっていく。
「あ、あなた……いま、ゆきます……おはな、し、したい、こと、……」
力を無くした腕は地面に落ちる。それを見て私の感情は破裂したのだ。
腕の中のチヨだったものを抱えて、哭慟した。
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チヨは生前の願いから土葬されたそうだ。私は一人、閉じこもっていた。全ての顛末を射命丸から聞いた。
分かっていたことなのだ。死ぬことは、分かっていたのだ。けれども大切なものが亡くなるのとはどれほど耐え難いものなのだろう。
まだ引きずるだろうが、私はチヨに生きると言った、輪廻転生を待つとも言った。くよくよはしていられない。
どうか、どうか。安らかでありますように。
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「それはそれは。里の人間じゃない生き方だね。面白かったよ」
船に乗る魂はゆらゆら揺れる。
「彼岸に着いたよ。お前さんが四季様の裁きをどう受けるのかは分からない。良き審判を。まぁ、お前さんは大丈夫だろうさ」
三途の水先案内人は、にこりと笑っていた。