断章 大天狗の苦悩
大天狗こと、この私、すみれは悩む。
少し前に迷い込んできた人間を匿ったのかを。それと天魔の野郎の危篤。なぜ妖怪なのに死にかけているのだ。まあ……反感を買って忘れ去られようとしているからなのか。それは後から考えることにしよう。
まずはあの人間の女のことだ。確か、チヨと言ったな。
川で気絶している所を保護したが……何故だ、なぜ私は人間なんかを匿った!
天狗は人間に対しては殺すのではなかったのか。何故それを破ってまであの女を生かした!
くそ、考えが纏まらない。あの人間を思い出す度に頭が痛い。
今、悩むくらいならあの人間を襲えば良かったのか?しかし、そんなことは出来ないな。怪我人に乱暴したってつまらん。元気なものをいたぶるから面白いのだ。
気まぐれの一言でとりあえずは済ませよう。
モヤモヤするので洞窟から出て、空を飛ぶ。
ぼーっと飛んでいると同僚の大天狗が飛んできた。
「おい!天魔様が死にそうだ! 死ぬかは分からんけどな!」
ガハハと笑う同僚。
「死にかけって時点で笑うなよ。まあ行くか」
天魔様の所に向かった。
***
天魔様が床に伏せってから、数年が経っている。この天魔はやることなす事反感を買うようなことをしたせいでトップとして致命的にまとめることが出来ていない。実際社会をまとめているのは私を含む五、六人の大天狗だ。
私は個人的に今の天魔様には世話になったので面倒を見ているがほかの奴は何も見ない。むしろ早く死ねみたいなことを小耳に挟んだりする。流石に酷いとは思うが。
「天魔様、すみれがここに参りましたよ」
布団から出ている手を握りながらお話する。
「お、おお……すみれか……」
もう、床から動くことの出来ない天魔様は弱々しい声で答えた。全盛期とは比べ物にならないほどに弱りきった身体。握る手はしわくちゃとなり、人間の老人みたいになっている。何よりそのお顔が見ていることも出来ないほどに憔悴しきっているのだ。
「天魔様、どうなさいました」
「私は……もう長くない……次の天魔は……すみれ……お前だ……」
……は?
理解できないぞ。頭が訳分からなくなっていところに同僚が私の肩に手を置いて話し出す。
「そう言うことだ。他の大天狗も納得している。それと白狼天狗からの指名がお前が多かったんだ。なんだかんだで慕われているな」
「いや……私には天魔なぞ務まりませんよ」
「そんなのやってみなきゃ分かんないだろうよ」
なぜこの同僚はそんなに推すのだ。
「わたしは……失敗したが、すみれなら大丈夫だろう……もうすぐで死ぬだろうが……その時はうろたえないでくれ……」
それだけ言って天魔様は眠ってしまわれた。
***
天魔様の所で同僚と別れたあと私は空を高速で飛ぶ。こんなことでもしなければ頭がおかしくなりそうだったから。
この私が? いやふざけているのか。自由気ままにしてきたのにそれで選ばれるのも、納得いかない。
気が付いたら白狼天狗達が哨戒している所まで戻ってきていた。
考えながら飛んでいたので目の前にいる妖怪に気が付かなかった。ぶつかりそうになった所でその妖怪が避けた。
「うわっ……大天狗様?」
犬走椛だった。
「……あっ、すまない。大丈夫か?」
考えすぎていたせいか、犬走がそこにいることにも反応が遅れた。
「少し前から高速で飛ぶのを見ていたので。大丈夫です。それにしても何か悩んでいるみたいですね」
うんうん悩んでいたところを見られていたのだろう。恥ずかしいこと極まりない。
「あーっと……見られていたか。犬走には隠せないな。いつもなんだかんだ見られている」
よっこいしょ、と座りながら私は言う。
「私はな……上手いこと部下と接することが出来ているんだろうか。そう思うんだ。犬走は私の先輩のような天狗だよ。天魔になれと言われても私はそれをすることが出来るのか不安なんだ」
すらすらと話してしまう。本当に情けないことだ。
「大天狗様。あなたはとても良い上司ですよ。他の天狗が考えないようなことを考えたりもしますよね。それは白狼天狗に人気なところです。個人的には大天狗様はもう少し自分を誇ってもいいんじゃないですか?」
立っていた犬走はガサッと空を跳んだ。私はそれを見つつ犬走に言われた言葉を反芻していた。
“とても良い上司です”
本当にそうなのだろうか……
ああ、私の悩みは収まらない。