Coolier - 新生・東方創想話

HOTELエイリアン

2019/05/04 01:04:41
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『十六夜咲夜』※

 僕は、見覚えのない場所に立っていた。
 目が覚めた時、僕は血でベタベタに汚れたナイフを握りしめていた。そして、傍には女性の死体。典型的な悪夢の序章のようだ。僕はすぐそばにナイフを放りたい気持ちを抑えた。このナイフには僕の指紋が付いている。誰かにこれを拾われるのはまずい。僕は、死んでいる女性の髪を指先でどかし、顔を確認した。とても綺麗な人だと思った。派手な化粧や服装から、彼女が娼婦である事に気付いた。僕は彼女の事をよく知らない。名前さえも分からない。怖くなり、僕はその場を離れた。そろそろお薬の時間だ。


 僕は、見覚えのない場所に立っていた。
 時刻は深夜、これと同じ体験を前にもした事がある気がした。目覚めた時、僕は刃物を手にしていた。誰かの血が付いている。そして、すぐ傍には小さな子供が冷たくなって倒れていた。とても無垢な表情をしている。首筋には鋭い傷痕があり、そこから真っ赤な血液が噴水のようにドロドロと流れていた。この子は、これからどんな人たちと出会い、どんな物を見て、どんな人生を歩んだんだろうか? 小さな子供の未来が失われたという事実の重みに、僕は恐怖した。ああ、そういやそろそろお薬の時間だ。


 ……まただ。僕は再び見覚えのない場所に立っていた。
 そこは小さな部屋であった。僕は、右手に鋸を持っていた。身体中が濡れている。部屋には錆びついた鉛のような香りが充満していた。僕の身体は、噎せ返るほどの血の匂いで染まっていた。目の前には、二つの死体。男と女の、首のない死体だ。二人共、椅子に座ったまま縄で縛り付けられていた。僕はその場で後退った。足に、何か大きな物が当たり、コトンと音を立てて転がった。それは、二人の首であった。気味が悪くなり、僕は部屋を出た。……またか、そろそろお薬の時間だ。


 また、僕は見知らぬ場所に立っていた。
 これは、僕の過去の記憶と酷似している。僕はまだ幼い少年であった。古井戸が近くにある。井戸の底を覗き込むと、そこには犬の死体が浮かんでいた。レンガで頭を思い切り殴りつけたら、その犬は途端に弱々しい鳴き声を上げて、動かなくなったのだ。僕は怖くなり、犬をその古井戸へと落とした。生き物の命を奪ってしまった。僕は心底怯えていた。ああ、待って、薬を飲む時間なんだ。


 ここは、僕の街だ。
 僕の仕事は劇場の清掃。この仕事は、ゴミを拾う以外の余計な事を考えなくていいから好きだった。得に、舞台袖からタダで芝居を見られるのが良い。今夜も幕が上がる。喜歌劇が始まる。役者達が歌い、踊り、とある一人の男の人生を描いていく。語り口はこうだ。「僕は、見覚えのない場所に立っていた」……。観客達が大声で笑っていた。僕は、少しだけその光景が気味悪く思えた。だって、これはそう、僕の知っている物語だからだ。役者が、調子のいい音楽と共に娼婦をナイフで殺した。拍手喝采であった。血で溢れかえる舞台上に、観客の笑い声が響き渡る。この芝居を、僕は知っている。これは、「僕」の物語……。芝居はクライマックスに入った。主人公の青年は警察に捕まり、死刑台へと送られる。……薬、そうだ、薬を飲まなくちゃ……。
死刑執行前の数日間、僕は、独房で本を読んでいた。それは、知らない誰かの日誌であった。「僕は、見覚えのない場所に立っていた」……。ああ、そうか、ここは牢獄だ。そういやそうだった。え? ああ、はいはい。分かってる。


 そろそろお薬の時間だ。


 十六夜咲夜は眠りについた。投薬により、彼女の精神の中に潜む殺人鬼の人格を、牢獄に閉じ込めたのだ。

 彼女の心には多数の見知らぬ記憶が存在している。無垢な少女、殺人鬼、ヴァンパイアハンター、それは、紅魔館の主であるレミリア・スカーレット嬢と出会ってしまった事による弊害である。レミリアの能力は「運命の操作」、能力の発動が本意なのか不本意なのかは分からないが、それにより、十六夜咲夜の精神には無数の「世界」が生まれてしまった。
 
 世界、それは、本来存在しない筈の咲夜の未来である。咲夜がレミリアと出会った当初、咲夜には様々な運命が用意されていた。その全てがレミリアの能力により、咲夜の精神の中で一つに収束されてしまったのだ。
 
 普段は精神を均等に保ち、何不自由なく紅魔館でメイドとして働いているが、時折、今日のように治療を施さないと、咲夜の中に収束している、「異なる世界」の咲夜、有体に言えば、別人格の咲夜が暴走を起こしてしまうのだ。特に、最も目覚めさせてはならない人格が、「殺人鬼の青年」である。本来ならば生まれてくる事さえ無かった人格だ。私は精神をコントロールし、咲夜の中に潜む「彼」を閉じ込める事に成功した。……もし、咲夜がレミリアに出会っていなければ、性別を偽り、惨たらしい殺人鬼へと変貌する可能性もあったのだ。咲夜は自身の中に潜む殺人鬼の事をこう呼んでいた。
 
 切り裂きジャックと。
 
 だが定期的に投薬を行い、咲夜の中にある「世界」の暴走を抑えれば、彼女はこれからも何不自由なく、この幻想郷で平和にその短い一生を謳歌する事が出来るだろう。……故に、この話はここで終いである。

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