Coolier - 新生・東方創想話

迷々々夢

2016/03/05 21:26:16
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○迷々々夢

 自分でもおかしな兆候があるとは思っていた。
 最近、超能力の制御がきかなくなってきている。
 彼女と出会ったときもそう。サイコキネシスを使ったとき、力加減を間違えたのか破片が勢いよく飛散した。
 お湯を沸かしたときもそうだ。台所から移動させたとき、なぜだか彼女にお湯を被らせてしまった。
 頭のスミに魚の小骨がひっかかっている感覚。かゆみがあって、いくらかいても全くとれない違和感だ。放っておくと偏頭痛を伴いそうな、そんないやな予感がした。
 制御できなくなったらどうなるのだろう。
 ──超能力が暴走したら。
 考えたくもないイメージが脳内に走る。
 辺り一帯を崩壊させていく。ビルもアスファルトも電柱も、地下も空も全て沈めてしまうような……そのあとに残るのは血だまりと誰かのうめき声だけ。
「どうしたの?」
 声をかけられたほうに顔をむける。
 目の前。暗闇のなかに光る彼女と目が合った。
「べつに。大したことじゃないわ、気にしないで」
 夕食、シャワー、それに着替えも済ませて、私たちは二人で布団のなかに入っていた。なぜ二人でなのかというと、彼女にせがまれたからだ。
 最初、彼女にベッドを譲り、私はソファーで横になっていたのだ。火傷を負わせてしまった落ち度があったからだけど、それだとおしゃべりができないからと、無理矢理ひきずりこまれたのである。
「どこまで話したかしら?」
「う~ん、小人をやっつけたところ?」
 おしゃべりとは、もっぱら私が幻想郷に関係して体験したことである。
 いまは、都内の上空で幻想郷の住人と決闘したことを話してあげている。幻想郷のことを口外してはいけないと化け狸に口止めされているが、彼女はおそらく誰にも喋らないだろうし、なにより過去を変えようとしているのだ。
 彼女との関係を終わらせる最後の置き土産。
 そのつもりで、全てを話してあげている。
「──そんなこんなで何度も戦ってたら、向こうの世界の住人にはめられちゃってね。この世界に帰れなくなってしまったのよ」
「そ、それでどうなったの? どうやって菫子ちゃんは無事に帰れたの?」
 真っ暗でも、生唾をのみこむ表情がありありと浮かんだ。
 深秘異変。私が幻想郷にオカルトボールをばらまいた異変のことだけど、あれは私自身も死を覚悟した。興奮冷めやらぬとはこのことだろう。私もあのときのことを思い出すと、いまだに背筋のあたりがピリピリと緊張するのだ。臨場感があって当然。
「無事じゃないわ。結局向こうの世界の管理者……博麗霊夢さんっていうんだけど、その人にコテンパンにされて、お縄になって、それで私の処遇をどうするか住人同士で話をしてたんだけど。結論として、私を見逃すっていう方向に落ち着いたのよ」
 のちに判明したことだけど、私は月の某に利用されたらしいのだ。そのことを話したほうが良いか……いや、いまは関係のないことだろう。霊夢さんたちに温情を着せられたのは、私も被害者だったからだ。
 月での騒動も、もう解決してるらしいけど。
「……そのあとは?」
「うん。あとは、向こうの住人とも仲良くさせてもらってるわ。私は眠ってるあいだだけ、向こうの世界にいけるようになってね、たくさん友達ができたの」
 夢幻病。
 その夢に漂いながら、私は楽園を満喫していた。
 紅白の巫女、黒白の魔法使いに蓬莱人。小人、片腕の仙人、化け狸、一風変わった古道具屋。それに、求聞持の少女に歴史喰いの半獣。
 みんなかけがえのない存在だ。私を受け入れてくれる大切な世界の住人。
 そんな彼女らと、いまは会えない状況にある。
 ──会いたい。
「じゃあ、菫子ちゃんは眠るたびに向こうに行ってるってことなのね。今夜も向こう側に行くの?」
「…………」
 私が幻想郷にいけなくなったのは彼女が原因だ。
 現実世界に引き止める存在。
 秘封倶楽部を結成した理由は、私自身の存在を希薄にするためだったのに、それを打ち消してきたのが彼女だ。
 目の前にいる少女との関係を終わらせなければ、霊夢さんたちとは会えない。
「そうよ。今夜も、向こう側に行ってくるつもり」
「いいなあ」
 彼女には話していない。
 別に知らせる理由もないからだ。過去を変えるのだから気にする必要はないかもしれないけど、だからといって、私を強く意識させる要素を与えるわけにもいかなかった。
「ねえねえ。良かったらさ、私も向こうの人たちに紹介してくれないかしら」
「え、それは……」
 無理、と言いかけたところで彼女は笑った。
「クスクス。そんなにイヤそうな顔しないでよ。言ってみたかっただけだから」
「……私、そんなに顔に出てた? ていうか暗いのによくわかったわね」
「見えなくてもわかるよ。菫子ちゃんのことなら大体ね」
 見透かされてる? 嘘をついてることを彼女は察しているのだろうか?
 そんな焦燥を覚えたと同時。
 彼女は私の頬に手を置きながら、こんなことをもらしてきた。
「菫子ちゃんがいれば、私はなにもいらない。前にも言ったでしょ? あなたがいることで、世の中には不思議なことがたくさん詰まってる証明になるんだから。超能力者もいれば神様もいるし、奇跡だってある。異世界もあれば妖怪もいる。ね、素晴らしいことだと思わない? 私はね、そんな菫子ちゃんのこと……」
 そのまま愛おしそうに髪をなでられて、胸のどこかがむずがゆくなった。
 振り払うようにして背を向ける。これ以上、彼女の顔をみたくなかった。
「バカ言ってないでさっさと寝るわよ。おやすみ」
 どうにも、今日はペースを乱されっぱなしだ。きっと、この気持ちは火傷を負わせてしまった罪悪感からきてるのだろう。そう言いきかせて目を閉じる。
 おかしな雰囲気になっていた。これではまるで──
「私、本気だよ。菫子ちゃんになら、なにされても構わない」
「…………」
 密着している。腰に手をまわされて、その柔らかい体が私に暖かさを分けてくれていた。
 どくん、と。背中に何かの鼓動が伝わってくる。
 早鐘をうつそれは、果たして誰のものなのか。私か、彼女か、その両方か。
 認めたくはない。認めたくは。
 そう考え込んでいると、腰に回されていた手が別の場所に伸びていった。
 そこは。
「どこさわろうとしてんのよ。あんたが構わなくても、私は構うんだけど」
「エヘヘ、いっかな~って」
「さすがに怒るわよ。手を汚したやつと一緒に寝たくないし、言っとくけど、私にそっちの気はないから、ほかあたってくれないかしら」
「ごめん。調子にのりすぎちゃった」
 多少は悪びれてるけど、反省の色はうかがえない。その声音は落ち着いている。
「でも、菫子ちゃんのここは汚くなんかないわ。私と違って」
「不幸自慢か僻みはよそでやってちょうだい」
「そんなつもりはないんだけどね。本心よ。でも、困らせちゃったなら私がソファに移動するけど」
「別に必要ないわ。何もしないんなら、一緒に寝てあげるくらい」
 これくらいの譲歩は許容範囲内。
 それにしても、誰かと一緒に寝るなんて一体いつ以来かしら。
「じゃあ、このままくっつきながら寝てもいい?」
「……好きになさい」
 舌打ちをしながら了承する。抱きつかれるくらいなら大したことはない。彼女の体温と重みを背中に感じながら、私は目を閉じた。
「おやすみなさい、菫子ちゃん。また明日」
「ええ、おやすみ。……また明日、ね」
 耳に響く心臓の鼓動は、少し早いままだった。
 身じろぎする。抱きつかれたままだと、足に不自由さを感じた。
 気づかれていないだろうか。
 彼女は、私の体に火を灯したのだ。
 太股が痒みを帯びていた。
 溶けた蜜は広がりを見せないが、その熱は太陽よりもあつい。
 触られようとしたそこは、情欲が蝋のように甘く溶け出していたのだ。
 燃えている。
 彼女の温もりか、それとも私自身の本質なのか。
 ゆっくりとマグマが地上を支配するような、そんな泥濘とした感覚を私は否定する。
 ひとたび油断してしまえば、そのどろどろに溶けた蜜蝋をめちゃくちゃにかき乱して、なりふり構わず我を忘れてしまいたくなった。
 寝よう。
 夢を見て、次に目を覚ましたら、きっと彼女はいなくなっている。
 過去を変えて、そしてまた幻想郷へ行くのだ。
 追い求めていた楽園へ。また。
 ……そう自分に言いきかせて、私はまぶたをきつく閉じた。
 だけど。
 それでもまだ、私の底にある火は、夜のあいだずっと燻り続けていた。


 その夢には既視感があった。
 幻想郷から追い出される直前にみた風景。
 私によく似た誰かとカフェで談笑している。
 その相手をしている私は誰なのか。目の前にいるのは、白のブラウスに黒のネクタイ、そして、私と同じ帽子を被っている、私とよく似た人。眼鏡はしていない。
 私よりも少し大人びていて。私よりも不遜な雰囲気を醸し出している。
 場面が変わる。
 そんな彼女は、今日はもう疲れたと言ってスカートだけ脱ぎ、帽子を放り投げてシャワーも浴びずにベッドに横になってしまった。それをたしなめる私。
 私だけは体を洗って寝間着に着替え、そして彼女と同じベッドに入る。お風呂で何度も鏡をのぞいたはずなのだけど、なぜだか自分の顔がモザイクがかったように見えずにいた。私は一体誰なのか。
 一言二言しゃべったあと、私は彼女に抱きついて目を閉じた。
 汗のニオイと、ほんのりと残る香水の香り。
 私はそれが、嫌いではなかった。
 ──目をあける。
「おはようございます。それとも、おやすみなさいと言ったほうがいいかしら」
 アポロ経絡。
 そして、ドレミー・スイート。
「ここにくる訪問者なんて珍しいから、なんと挨拶したものか困るわね。こんにちはか、こんばんはが妥当だと思うのだけど」
 カラカラと冗談めかしてドレミーは笑った。
 私は笑わない。彼女の友好的な態度を、直感的に好きになれないでいたからだ。幻想郷への道標となる存在のため、関係を保ち続ければならないのだけど。
「ねえドレミー。聞きたいことがあるのだけど」
 獏の軽口をかわしたくて、逆にこちらからこんなことを尋ねてみた。
「なんだか最近、おかしな夢を見るのよ。なにか心当たりはない?」
「ほう。というと?」
「私が、私によく似た人とカフェに行くの。ほかにも一緒に生活してたり、どこかへでかけたりして。そんな覚えはないのに、どうしてそんな夢を見るのかなって」
「……ふむ」
 相槌をうち、ドレミーは顎に手をあてて思案しはじめた。
 加えて、超能力についても聞いておく。
「それと、力がうまく抑えられないこともあってさ。幻想郷に行けなくなったことと、変な夢をみるようになったこと……二つが関係あるかどうか知りたいのだけど」
「…………」
 超能力が過剰に発揮させられるのは、以前からあった違和感だ。
 兆候は、幻想郷に行けなくなってからだと思う。私を現実世界に縛り付けている少女と出会ったとき、あの四人組を振り払うために使った念力が、想定したより強く働いてしまったのだ。
 そのほかにも、ポットを超能力で運んだとき、勢いあまってこぼしてしまった。
 あの程度の操作、狂うはずがないのに。
 しばらくもせず、ドレミーは考え込みながらこう応えてくれた。
「夢についてはどうかしら。多分デジャヴの一種だと思うわ。記憶がいろいろと混同したのよ。夢は記憶の整理とも言うし」
「……へえ、意外。幻想の住人なのに科学的なこと言うのね。夢は全部あなたが管理してるものだと思ったけど」
「フフ、私だって完璧じゃないもの。見落とすことだってある。それが、人間達のデジャヴになるのよ。覚えておいてね」
 仕事のミスを適当にはぐらかされた気もするけど、彼女が言うならそうなのだろう。
「超能力については知らないわね。専門外だし。暴走しそうな兆候でもあるの?」
「暴走? どうして?」
「意思に反して力が使われたんでしょう? 破壊衝動とかあって、しだいに抑えられなくなるとか」
「なにそれ。脅かさないでよ」
「言ってみただけ。超能力のことはあなたが一番よくわかってるでしょ」
 わからないから聞いてみたのだけど、ドレミーにも心当たりがないのなら仕方がない。原因は自分で探すことにする。
 破壊衝動なんて、超能力がなくても誰もが持ってる感情だと思っている。
 ストレスが溜まれば何かに八つ当たりしたくなるのが人間だ。私の場合、その手段が超能力だとでも言いたいのか。
「準備はいいかしら?」
 促されて気持ちを引き締めなおす。
 無駄口が多すぎた。私はドレミーを正面に見据える。
「以前にも言ったけど、夢幻病を利用して過去に行けるのは一度きりよ。最初で最後のチャンス、大事に使いなさいね」
「ええ、わかってるわ」
 眼鏡を正してドレミーの指示に従う。
 大丈夫。一度だけでも充分。
「じゃあ、行ってらっしゃい。幸運を祈ってるわ」
 ドレミーが腕を振りかざす。
 それがゆっくりと降ろされると同時、目の前が闇に包まれていった。


「ここは……」
 辺りを見回す。
 都内にある近所の図書館、白い壁で囲まれた空間──個人スペースに私は座っていた。
 休日の勉強に最適で、今でもたまにここを利用させてもらっている。もし眠りすぎたとしても、閉館時間になったら館員が起こしにきてくれる便利なところ。
 特に、幻想郷に遊びに行くときは重宝した。ずっと眠り続けていると、現実世界に戻れなくなるのでは、という恐怖があったので、休みの日はここで勉強がてらに使わせてもらっていた。霊体での幻想郷はなにかと不便なのだ。肉体をもった状態であの世界の住人になりたいと思っている。
 席を立つ。時間と日付を確認するために。
 そのとき、ちょうど館内のスピーカーから「蛍の光」が流れはじめた。つまり、閉館直前の夜九時になろうとしているところ。受付にも目を向ける。今日の日付と本の返却日が並ぶパネルを見て、私はちょうどあの日に戻ってきたのだと確信を得ることができた。
 深秘異変。初めて黒白の魔法使いと戦った夜。
 指示どおりにドレミーは私を過去に送ってくれたみたいだ。ここなら過去の自分と遭遇する心配はない。なぜなら、この図書館を利用するようになったのは、夢幻病で幻想郷に入り浸るようになってからだから。
 日付のパネルを凝視していると、受付の職員と目が合ってしまった。怪訝な表情をされている。十八歳未満の少女が夜遅くまでいることを忌避しているのだろう。だいぶ以前にここの職員に捕まり、青少年法がうんたらかんたらと説教されたことがある。説教されてからは、閉館時間になったらテレポーテーションで逃げるようになったけど。
 なにか言われる前にそそくさと外へ逃げる。
 図書館を出ると、ぬるま湯のような風が頬を撫でた。
 およそ一年前の都内の夜。こんな時間になっても、相変わらず人の波だけはたえず流れ続けていた。空を見上げれば、星の光は人間の築き上げられた英知によってさえぎられ、まばゆい黒が広がっている。地上に灯る光が、星を食い荒らしているのだ。
 私は今夜、その夜を駆け巡ることになっている。
 その私と出会わないようにしなければいけない。
 事件が起こる現場は把握している。彼女に場所を教えてもらっていたから。ここからは少し離れているため、交通機関を使って移動しなければならない。
 空を飛んだりテレポーテーションで移動するのは却下。空を飛べば、過去の私に見つかるかもしれないし、テレポーテーションも私と鉢合わせする可能性があった。
 バタフライエフェクト。同名の映画を見たことがあるけど、ドレミーが言うには、未来の私が過去に来ている時点で、なんらかの過去改変が起きるとのこと。それが巡り巡って瞬間移動した先に鉢合わせ、なんてことになったらせっかく過去にきた意味がなくなる。
 交通機関も可能性がないわけではないけど、当時の私のことを考えると、超能力を使って移動するより遭遇率はグッと低いはず。
 電車とバスを乗り継いで移動する。
 スマホは持ってきてるけど、なぜだか圏外で使えない。幻想郷と同じなのかも。過去とは言え、一応は夢の中だから。スマホに登録してある定期類は一切使えなかった。持ち合わせはあったので、とりあえずは現金で処理していく。
 そして徒歩。なにごともなく現場周辺に到着する。
 いまは彼女の気配もなく、男たちの姿も見えない。
 彼女が言うには、乱暴してきた輩は衝動的に襲ってきたのだそうだ。事前に準備をしていたわけではなく、たむろしていたところに慌てて走る少女を見つけ、そして暴行に及んだという。
 男たちが潜んでいる正確な位置を私は知らない。あらかじめそいつらの素性を知ることができたなら、夜にならずとも病院送りにさせられたのだけど、彼女に尋ねてみたところ、興味もなさげに「知らないわ」と答えるだけだった。
 ともあれ、今回の目的はただ一つ。
 ──男たちから少女を救えば、私たちは出会わなかったことになる。
 彼女が私を救いとすることもないし、私に興味をもつこともない。
 現実世界に引き止める存在でなくなればそれでいい。
 路地裏の物陰に隠れて待つ。
 …………。
 どれくらいの時間が経ったかわからない。
 光が漏れ出ては意味がないので、スマホは見ないでいた。それでなくても、頭上には過去の私がいるかもしれないのだ。緊張する心臓の鼓動だけが、時間の経過を計る秒針となっていた。
 彼女とは今夜で終わり、その関係も終わる。
 終わる。終わらせる。なかったことにする。
 そうすれば、私は幻想郷に戻ることができる。
 霊夢さんやたくさんの夢の住人たちと、また。
 彼女はどうなるだろうか。私と出会わなかったことで、どんな人生を歩むのか。
 頭の出来は良い方ではないので、きっと進学で苦労するだろう。
 というか、進級も危ういかもしれない。そうやって慌てふためく彼女を想像すると、なぜだか笑みがこぼれてしまう。
 そう。それが普通の学生なのだ。
 私は普通じゃない。
 そして今夜、彼女も普通でなくなり、大切なものを壊されてしまう運命にある。
 それもなかったことにする。
 来た。
 男たちだ。
 まずはあいつらを彼女が来る前に超能力で……と思い立って冷静になってみた。
 本当に彼らが暴挙に及んだのだのかしら? 人違いだったら?
 そう考えると躊躇われた。雰囲気的にも彼女の言っていた特徴とあってるし……でも。迷うくらいなら動画をみておけば良かったか。そんな後悔が胸を走る。
「…………」
 いや、見なくても良い。知り合いが無理矢理体をなぶられて泣き叫ぶ記録なんか、進んでみるものでもない。
 彼女には申し訳ないけど、襲われてから割り込むことにする。
 なんらかの要因で彼女がこなければ結果オーライ。幻想的な風景を発見されず、それで私との関係はなかったことになるし、誰も傷つかずに済む。
 しかし、そんな楽観は早くも打ち消されることになる。
 来た。
 小走りで時計を何度も気にしている少女が一人。暗闇でもわかる。艶やかに輝く髪がその目印。彼女はとても髪がキレイだった。街灯の届かない真っ暗な裏道だ。スマホの明かりを頼りにしながら進んでいる。
 男たちは通りすがりの少女に手を出すのかどうか。
 だが、二者を観察していたらそんな疑問はすぐに消え失せた。
 影が動く。欲望と衝動にまみれているのは、離れて見ていてもわかった。
 少女に手が伸びる。一人は手を。もう一人が口元を抑えるようにして。
「……っ」
 その瞬間に、私は闇に対して超能力を使った。汚れた手が彼女に触れる前に、サイコキネシスで男たちをまとめて路地の壁に叩きつける。ボールが地面にぶつかって跳ねるように、肉の弾む音が各々打ち鳴らしていく。
 その衝撃に男たちは咳き込み、何が起きたのか理解できず痛みに呻いていた。
 彼女には、突然飛び出してきた輩が勢い余って壁に激突したようにしか見えていないだろう。でも、それだけでは済まさない。
 私は、とある部分に圧力をかけた。一人の男がそこを抑えてしきりに悶絶。
 可哀想だとは思わない。それを、ひと思いに、ツブす。
 嘔吐物を踏んでしまったかのような気持ち悪さがあった。そしてしばらくもせず、小さくも、下卑た音が確かに聞こえた。
 一人が大きな悲鳴を上げて体を縮こませる。いい気味だと思いつつ、その隣にいた一人にも容赦なく超能力を使っていく。
 はい終わり。これで二人目。
 残ったやつらも……と思ったら、他の男たちは仲間を置いてさっさと逃げてしまった。仲間意識のない集まりだったようだ。それはそれで手間が省けて助かった。
 あとは彼女がこの場から立ち去れば目的は達成される。今ごろこの上空では、私と黒白の魔法使いが対峙しているころだろうから、早く退散してほしかった。
 超能力が使われたなんて誰も思わないだろう。勢いよく飛び出してきた男たちが壁にぶつかり、二人がうちどころ悪く悶絶してるようにしか見えていないはず。
 そう。誰がどうみても、そんな風にしか感じない。そのように超能力を使ったのだ。
 ……だからさっさとその場から動きなさいってば。
 私の意図するところと反して、彼女は一向にそこから動かなかった。
 男たちのことなんて気にせず、さっさと逃げてしまえば良いのに。終電が間近にせまっていたという話のはず。どうして。
 気づくのが遅れる。彼女はスマホを耳にあて、どこかに連絡をとっているようだった。
「──もしもし、救急車をお願いしたいんですが」
「……っ!」
 あのバカ! なに他人の心配なんかしてんのよ!
 あんたがここに留まっちゃ意味がないじゃない!
 なんのために過去にきたのか。それは彼女に私を発見させないためだ。
 なのに、これでは同じことの繰り返しになる。私はまた彼女のせいで現実世界にとらわれて、幻想郷へ行けなくなってしまう。
 どうする?
 電話しているスマホを破壊する?
 いや、もうこの場所を伝えてしまっている。今さら通話できなくしても、彼女は現場に残り続けるだろう。
 なんとかしてあの子をここから引っ張り出さないと。
 私が誘導する?
 却下。彼女との関係をなくしたいのに、そんなことをすれば関係を作ってしまう可能性がある。
 どうする。
 どうする。
 どうする。
 どうすれば彼女を。
 どうすれば彼女に。
 どうすれば彼女との関係を。
「くっ!」
 ここはイチかバチが、彼女を気絶させてテレポーテーションで移動する。
 それが一番望みのある──

「違うでしょ?」

 突然、背後から肩を掴まれて口から悲鳴が漏れそうになった。
 違う? なにが? 誰? どうして私がここにいることを知ってる?
 いろんな疑問がわきたつなか、おそるおそる背中のそれに目を向けていく。
 そこにいたのは。
「あの子との関係を終わらせたいなら、あの子をここで××せば良い。そうでしょ?」
 ──私だった。
「な、え……?」
 もう一人の私がいるのも、私が私に言っていることも、なにもかもが理解できなかった。
 かろうじて思考が追いついたのは、言葉の意味。
 彼女を、どうするって?
「殺すのよ。ここで跡形もなく、声も出させず、一瞬にして粉々にするのよ。私ならできることでしょう?」
 できる。
 できる、けど。
 人を殺すなんて、そんな。
「現実世界とは繋がりたくないんでしょう? だから、私は幻想郷を追い求めた。超能力者がいても普通に受け入れてくれるあの世界が、恋しくて恋しくてたまらない。なら、どうせいつかは捨ててしまう世界なのよ。この世界の誰がどうなったって、別に構わないんじゃないの?」
「…………」
 いつも思っていることだ。間違いない。
 それを私の代わりに私が代弁してくれている。この世界にいるつもりもないのなら、いっそのこと壊してしまっても。
「ここであの子が死んでしまえば、上空で戦ってる私を見つけることなんてないし、私とあの子は出会わなかったことになる。そうやって過去を変えられるのよ?」
 そう、その通りよ。
「幻想郷に行きたいんでしょ?」
 行きたい。行って、霊夢さんにまた会いたい。
「だったら、あの子はここで殺さないと」
 …………。
「あなたができないなら、私が」
「……っ! それはダメっ!」
 もう一人の私が彼女に向けてかざそうとした腕を、私は必死に取り押さえた。
 反射的な行動だった。
 他になにか手段があるはず。そう思って私は私を抑止する。
「手遅れよ」
「え……」
 返事後に間もなく。
 びちゃ、と。大きな水風船が割れたかのような音が背後で鳴った。
 頬に張り付く何かの液体。粘りけのあるそれは、鉄錆びたニオイがして。
 振り向くと。
 そこには暗闇でも浮かびあがる、赤々とした血だまりが花火のように広がっていた。
 それが何なのか、かろうじてわかるモノが一つだけポツンと転がっている。
 ──首。
 はじけた体から逆流する血を、目や口、耳や鼻から大量に吹き出していた。
「あ……ああ……」
 あまりの惨劇に後ずさる。
 彼女の首だった。
 あのキレイな髪や顔は、ペンキをかぶせられたように汚されていて。
「どうしたの? 喜びなさいよ。あなたが望んでいたことが叶うのだから」
「こんな……こんなのは望んでない……私は、こんな……」
「なぜ? 幻想郷に戻りたくないの?」
「戻りたい……戻りたい、けど……」
 ここまでする必要はなかったんじゃないか。
 私は彼女を……彼女を?
「彼女を憐れんだ? それも違う。あなたは……いえ、私は希望を見出したのよ。彼女を助ければ、あり得たかもしれないもしもの世界を夢見てしまったから」
「…………」
「幻想郷ではない現実にある夢。無邪気に向けられた好意は心地よかった。だから、ほんの一握りでも、彼女の暖かさを残しておきたくて『助ける』という選択肢をとった」
「ち、ちが……」
 恐怖があった。
 否定したいのに、私から告げられる言葉は真実味があって、その場から動けなくする拘束力も多分に含んでいる。
 私自身の本心。気づきたくないもの。
 胸を抉るように無理矢理つきつけてくるそれは、確かに私の心を響かせて。
「…………」
 事実を逃避するなか、思考する別の部分で疑問に思うこともあった。
 目の前にいるのは私なのか。未来からやってきた私というなら、ドレミーの言っていたことと矛盾する。過去に行けるのは一度きり。そう話していたはずなのに。
 しかし、その疑問はすぐに氷解することになる。
「現実を現実としか見れなかったあなたが……夢を夢として見ていたはずのあなたが、現実に夢を見るようになった。なら、その末路はもう決まってしまっているのよ」
 もう一人の私がモザイクのように化けていく。
 ついで、すぐにそのモザイクは鮮明に解けた。
 赤い帽子。気怠げに下がった目じり。ぬるりと動く尻尾。
 そして。その口元は、三日月を描くように歪んでいる。

「あなたはもう、幻想郷に戻れない」

 私の正体は、ドレミー・スイートだった。




「……ハア、ハア、ハア」
 肩で息をしながら体を起こす。
 悪夢だった。私が私に否定される夢。
 信じられないほどの汗が体にまとわりつき、その不快感が拍車をかけていく。手で額を拭っても、それはあとからあとから吹き出してくる。
 いまは何時だろう? あたりは暗いままだ。手元に置いてあったスマホを見ると、深夜の三時すぎを示していた。
「ドレミー……どういうことなのよ」
 目頭をおさえて呼吸を落ち着ける。
 私がもう幻想郷に行けないですって?
 だったら、どうしていろいろと助けてくれたのか。
 そうだ。あの子はどうなったのかしら? 過去が変わったのなら、彼女はここに存在しないはず。遅れて、隣に寝ているはずの姿を探す。
 いない。
 ということは、私は未来を変えてしまったことになる。彼女はあの日に死んでしまい、私を発見することも私と知り合うことも全てがなかったことに。
「あ、良かった。目が覚めたんだね菫子ちゃん」
 声にビクつく。ふり返ると、台所から鍋を持って寝室に入ってきた彼女の姿を捉えることができた。よく見ると、台所は薄明かりに包まれている。何か料理をしていたのか。
「ごめん、いろいろと勝手に使わせてもらっちゃった。なんだか菫子ちゃんうなされてるみたいだったし、何度体をゆすっても起きなかったから」
 具合が悪いのだと思い、私を少しのあいだ看病してくれていたのだという。そうしているうちに小腹が空いたらしく、台所を物色。メニューは、料理最中に私が起きるかもしれないと思い、二人で食べられるであろうおかゆを作っていたのだそうだ。
「自炊はできないって言ったけどさあ、これくらい簡単な料理ならね、私でも──」
 やっぱり、過去に飛んだあれは夢だったということになる。
 なら、ドレミーが出てきたのは一体。
「種明かしをしましょうか」
「……っ」
 彼女の背後。台所からいるはずのないもう一人が寝室に入ってくる。
 ドレミー・スイート。
 彼女には見えていないのか、ドレミーが間近にいることも構わず、自分でも作れる料理を自慢げに語っている。
 それに構わず、ドレミーは私が抱いている疑問に勝手に答えてくれた。
「夢の世界にしかいないはずの私がどうしてここにいるのか。まあ、これは少し考えればすぐにわかることよね」
「目玉焼きとか卵焼きくらいはできるのよ。あ、あとお米を炊くのもできるわよ……ってこれは料理って言わないかな」
 ステレオで話されているせいか、理解が追いつかない。ドレミーにだけ耳を傾ける。
「ここは現実世界ではなく、夢の世界ということよ」
 無遠慮に机のイスに座り、足を組んでドレミーは私を見据えた。
 夢の世界、ですって? こんな現実味のあるところが?
「現実味あるのが夢なのよ。あなたはそれを今現在も過去にも体験してるはず」
 そう言われては納得せざるを得なかった。幻想郷へ行ったことも、夢幻病で過去へ戻ったのも、全て現実味のある光景で。
「じゃ、じゃあ現実ではまだ眠ってるってことなのよね。目が覚めたつもりなのにまだ夢の中ってことはさ。ど、どうやったら目を覚ませるのよ」
「菫子ちゃん?」
 彼女は近くに腰をおろして、焦燥する私を訝しんでいる。
 だけど、それに構っている余裕はなかった。
 ドレミーは首を横にふって、こちらの質問に答えてくれなかった。その意味するところを考えたくなくて、私は続けて問いかける。
 これがどうか、悪い夢であるようにと願いながら。
「冗談やめてよ。過去に戻ったときもさ、あなた私に化けて脅かしてきたじゃない。わ、悪ふざけがすぎるのよ。私は真剣なんだからさ。真剣に、幻想郷に戻り、たくて」
 震えそうな声を必死に抑えながら抗議する。彼女と話すたび、真実が浮き彫りになっていくのを止められないのはわかっているけど、なにか口を動かしていないと気が狂いそうでイヤになっていた。
「そりゃあ、悪ふざけくらいするわ。あなたにはもっともっと怯えてもらわないと、私が楽しめないんだからさ」
「ど、どういう意味よ……それじゃあまるで」
「初めからですよ。あなたと接したのは、最初からあなたを脅かすため」
「さい、しょ……?」
 言葉の意味がわからない。
 いや、わかってはいるのだけど、脳が理解することを拒んでいるかのようで思考ができないのだ。
「あなたと初めて出会ったときからずっと、という意味よ。アポロ経絡から目を覚ましたと思ってるこの世界そのものと今までが、全て夢なの。おわかり?」
 ドレミーの告白に、世界は音をなくした。進む時計も、色をなす景色も、活き活きと動く他人も、全てが凍りついて冷たい灰のように風化していく。
「どうして、そんなこと」
 やまない独り言を続けているせいだろう。彼女が体を揺さぶってくるが、私は脱力したまま返事をすることもできない。
「どうして、って……あらあら、博麗の巫女から聞いていなかったのかしら」
 ドレミーの声だけが、主音声のようにハッキリと聞こえていた。
 死の宣告。
 それは、私の警戒心のなさが招いた、当然の結果。
「妖怪は、信用しちゃいけないってさ」
 くふふ、と。
 小さく吹き出したかと思いきや、ドレミーはその直後、肩を震わせて大きく口をあけ、邪悪に笑いはじめるのだった。
 世界中に響き渡る嘲笑。
 それは、恥辱を喧伝する、悪魔の警笛だった。
「……ウソよ」
 事実を否定したくて呟く。無駄だとわかっていても、そうするほか手段がなくて。
「ど、どうしてこんなことになったのよ! 私は確かに幻想郷にいた! 稗田家に案内してもらって、歴史を教えてもらって……珍しい資料があるってそれを手にしてから」
「そうよ。その手にしたモノが夢魂となっていたのよ」
「…………え?」
 夢魂。片腕の仙人からの受け売りによると、それは本来私が見るべきだった夢が、シャボン玉のような形となって浮遊しているものだったはず。その夢魂に触れたものは、私の夢を代わりに見てしまい、そしてその者が見るはずだった夢は、また夢魂として押し出されるのだという話。
 そして、仙人はこんなことも言っていた。
 夢幻病を発症している最中、つまり、幻想郷に来ているときに自分の夢魂に触れてはいけないことを。私のオカルトはドッペルゲンガー。自身の夢魂に触れれば、どちらが夢か現実かわからなくなり、最終的には──
「本来、夢魂とは道具に宿る魂のことなのよ。思い入れのある写真や本を枕の下に入れて眠り、その夢をみたいという願掛け──それが夢魂の本来の意味」
「そ、それも仙人から聞いたけど、私は私自身の夢魂に触ってないわ」
「ええ、それは間違いない。だけど触れたでしょう? あのメモ用紙に」
「メモ用紙、って」
 あの未解決資料のこと? 私の住む時代の百年くらい未来からやってきたと予想されるメモ用紙。あれが夢魂だった?
「そうだとしても、私が眠り続ける理由になってないわ!」
「いいえ。キチンとした理由になってるわ。あなたの世界にとっての未来。そこをあなたは見たはずよ。その証拠に、あなたはメモ用紙の持ち主である人物の夢を何度か見てる。幻想郷なみに気に入ってしまったのよ。そこにいる彼女を想う気持ちと同じようにね」
「……っ!」
 突きつけられ、曝かれる本心に戸惑いを隠せない。彼女に視線を合わせると、心配そうに私の顔をのぞき込んでいた。
 そうだ。私はさっき目が覚めたとき、彼女がいるかどうか心配したのだ。
 無事かどうかが気になって。
 そして、未来の夢を確かに見た。断片的にしか思い出せないけど。とある大学。二人だけの非公認オカルトサークル。科学世紀と呼ばれる時代。結界の向こう側。夢を現に。
 誰かになりきっていた私は、いつも相棒に軽口を叩いているけど、本音のところでは楽しくて楽しくて仕方がなく思っていること。その関係が心地よくて、ずっと一緒にいたいと思ってしまっている。
 それに似た感情を、彼女に写した。
 だから。
「私はこの世界についてあなたにウソをついたけど、あなたの心に対してだけはウソを言ってないわよ。現実世界に引き止める存在がいること、その存在とはそこにいる彼女だということ、それは間違ってない。でもね、彼女を過去から追放したとしても、結局あなたは幻想郷には戻れないわ。だって……」
 私に化けていたときの続きだ。
 幻想郷には戻れないと宣告された、その原因。

「あなた自身が現実に囚われてしまったんだもの。たった一人の存在を想うあまりにね」

 一人、とは。どちらのことか。夢にあらわれた黒髪か、ここにいる彼女か。
 私はもう、霊夢さんたちに会えない。
「ここが夢の世界っていうのなら、現実はどうなってるの?」
 そう尋ねると、ドレミーは指を鳴らした。途端、なにも触れていないのに、室内のテレビがつき何かの映像が流される。
「なにこれ? 映画?」
 彼女がテレビに向かって呟く。
 崩壊していく学校。潰されていく生徒。いたるところで巻き起こる火災と混乱。
 何もかもが弾けては砕けていく。鉄塔もアスファルトも、土も草も水も、人間も。
 地獄絵図だった。慌てふためく人々が、押し寄せるなんらかの力に対し、絶叫とともに血しぶきをあげている。
「うわ、グロいわね。でも、深夜だったらわりとこういうの放送して良いんだ」
 彼女は身勝手な感想を口にしているが、私にはその映像の意味をすぐに理解した。
 空間が弾けていく現象。あれは、私のサイコプロージョンだ。それだけじゃない。人体が自然と発火しているのはパイロキネシス、水が大蛇のようにうねり人を溺れさせているのはハイドロキネシス。全て、私の超能力。
 どうして自分の仕業だとわかるのか。答えは簡単。
 ──身に覚えがあるからだ。
「この件に関しては感謝してほしいわね。なにせ、あなたは超能力を暴走させて外の世界を全て滅ぼそうとしてたんだから。外の世界がなくなっちゃったら、幻想郷もなくなるし私だって存在できるか危うくなる。緊急事態だったのよ」
 暴走する私をドレミーは眠らせたのだという。私が夢幻病で幻想郷に訪れるたび、本来みるはずだった夢の夢魂──回収していたそれを大量に浴びせて。
「あなた、現実世界には行き来できないんじゃ」
「ちょっとしたツテがあってね。とあるお方にオカルトボールを集めてもらって、アポロ経絡と外の世界とを一時的に繋いだの。そのスキにあなたを眠らせた。といっても、もう二度と目覚めない眠りだけどね」
「どうして。幻想郷で触れれば危険があるのはわかるけど、現実世界だったんでしょ。だったら、私は普通に眠るだけのはずじゃ」
「あなたはあのとき、どちらが夢でどちらが現か判断がつかない状態だった。精神が半分だけ夢にあって、半分だけ現実にあったの。そこに夢魂をぶつけた結果、あなたの存在は半分消失し、半分維持された。だから──」
 だから、私は目を覚まさないし、幻想郷にもいけなくなった。
 今も夢の中。現実世界にいるけど、いない。
「半消失状態のあなたをアポロ経絡に連れ込んだのよ。そのまま放置しててもよかったのだけど、ちょうど小腹が空いててね。あなたの夢をいろいろといじくって調理させてもらったわ。あなたから恐怖や怯え、畏れをもらうために。あとは、あなた自身を……」
 舌なめずり。その先は、言われずとも理解できた。
 食物連鎖。弱肉強食。単純なこと。
「…………」
 死。意識するだけで、歯がカチカチと震えてくる。
 あのメモ用紙に触れて意識を失い、次に目を覚ましたのはアポロ経絡だったけど、そのあいだに私は現実世界に災厄を振りまいたのだ。そして記憶を消された。あたかも稗田家にいたところから目を覚ましたかのように。
 ドレミーはこんなことも言っていた。
 ──適当な夢を見繕ってそれをいただいてる。
 ──趣向をこらした料理もする。
 思い起こせば、どこかひっかかることもあったような気がする。ドレミーは最初、協力的ではなかった。仕事が忙しいからと言って……それが、とある少女と出会ってからやけに親身になってくれたのだ。
 その理由は、この状況を作り出すための誘導。
 おかしな夢をみるのだと、ドレミーに相談したこともあった。しかし、あれは夢ではなく現実であり、真実だった。ただ、ドレミーはデジャブ……記憶の整理だとはぐらかしていたのだ。私に勘づかれないように。超能力が軽く暴発したのも同様。
 いや。仮に途中で真実に気づけたとしても、それは意味がない。結局は絶望し、いまみたいに崩れ落ちているだろう。
 どうして今の今まで気づかなかったのか。それはドレミーの策謀があったから。
 策謀とは、妖怪にとっての畏れの調理。言葉どおり、私という存在は料理されてしまったのだ。調理中につまみぐいすることもドレミーはできた。そうしなかったのは、出来上がりを楽しみにしていたから。
 逃れられない。
 逃げられない。
 もう手遅れなのだ。私という存在が「夢」という調理場にやってきてしまった時点で。
 痛いだろうか。
 もちろん。痛いどころの騒ぎじゃないだろう。
 抵抗もできない。
 というより、もうしている。先ほどからサイコキネシスを試しているのだけど、ドレミーは微動だにしない。夢の中では超能力が通じないのだ。
 私が死を恐れるだなんて、深秘異変で自爆を覚悟したことがウソのよう。大切なものができてしまったから。生への執着。死にたくない。
 大切なもの。幻想郷だったり、霊夢さんだったり、心配してくれている彼女だったり。
 パチン、と。ドレミーは再び指を鳴らした。同時、テレビも消える。
「菫子さん、取引しないかしら」
「とり、ひき?」
「随分と楽しませてくれたお礼よ。うまくいけば、幻想郷に戻れるかもしれないわ」
「え……」
 幻想郷に戻れる?
 その提案は、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようで。
「魂を別の肉体に移すのよ。そうすれば、現実と幻想郷で肉体が消失したことを誤魔化せる。移すのは魂だけだから、脳の記憶と不一致を起こして記憶障害を起こす可能性があるけれど……どうする?」
「それって、私が誰かに成り代わるってこと?」
 確認をとると、ドレミーは楽しげにウンウンと頷くのであった。
「以前にも言ったけど、アポロ経絡と夢、幻想郷は繋がってる。記憶がないままでも、もしかしたらあなたは幻想郷に行けるかもしれないわ」
 私が別の誰かになれば、幻想郷へいける。しかし、それは私自身が幻想郷に訪れることになるのか。記憶もなくしてしまえば、魂は私でも、私ではないんじゃ。
 魂を別の肉体に移すことは、ドレミーなら可能だろう。だって、ここは夢なのだから。夢を操作できるのが、彼女の力。
 そこまで考えて、ハッと気がつくことがあった。私は誰に成り代わる?
「ドレミー……まさか」
「察しが良いわね。そう。そこにいる彼女の体を乗っ取るのよ」
 宣言すると同時、ドレミーは彼女の髪を掴みあげ、私の前に晒してくるのだった。
「イッタタ。え、なに? 菫子ちゃんなの?」
 彼女は状況を把握できていない。ドレミーが見えていないのだ。さながら、私が超能力でつるしあげてるようにしか。
「選んで」
「な、なにを」
「私に喰われるか、彼女を犠牲にして生き延びるか」
「……!」
「ま、私はどっちでも良いんだけど。ただ、時間稼ぎされるのは癪だから、三十秒以内に決めてくれないかしら」
 蜘蛛の糸どころの話ではない。それを掴むには、覚悟と犠牲が必要な茨つきのもの。
「ちょ、待ってよ!」
「待たない。五秒ごとに五感を一つずつ奪っていくわ。三十秒目でこの子を殺す。その場合はなにも選ばなかったということで、次にあなたを殺す。どちらかを選べばどちらかが助かる。ほら、簡単な取引でしょ? ハイ、スタート」
 悪夢による終焉のカウント。
 こんなのは取引でもなんでもない。ただの脅しだ。
 そして、そんなことをする理由は、ドレミー・スイート……妖怪にはある。
 恐怖と畏れを、限界まで私から搾り取るため。
 躊躇いは、容易に惨劇を生んだ。
「五秒経過。まずは眼をいただくわ」
 パキリと、卵の殻が割れるような音がした。二本の指が彼女の眼窩を串刺しにしたのだ。
「ああああああああああっ!」
 絶叫とともに赤黒い穴が顔面にできあがる。
 それを見て、私は今まで呼ばなかった彼女の名前を叫ばすにはいられなかった。

「──マエリベリー!」

 マエリベリー。そう、マエリベリー・ハーンだ。アイルランド人の父とギリシャ人の母を持つ、ギリシャ系の日本人。両親は海外で働いていて、流れる金髪がキレイな少女。
 私を慕ってくれた友達。大切なトモダチ。
 幻想郷の面影を彼女に重ねてしまい、心を囚われてしまった存在。
 そんな人が酷い目にあっていくのを、ただ見てるしか──
「十秒経過。次は耳よ」
 抜き取った目玉を舌へ転がしながら、ドレミーは宴を続ける。
 ビリリと、紙が破けるような音。
「ギャアアアッ!」
 鼓膜ごと耳をそぎ落としたのだ。頬の皮ごと捲れたため、びちゃびちゃと血が滝のように床へ落ちていく。
「十五秒。鼻をもらうわ」
 ちぎった耳をコリコリと咀嚼しながら、マエリベリーの形良い鼻をむしりとる。
 血がノドに流れたのだろう。今度は悲鳴はあげられず、彼女は咳き込んで部屋に赤い霧の花を咲かせた。
「あと十秒よ……舌」
 再び床に血の池ができあがる。地獄は終わりを告げようとしているが。
 選ばないと。
 彼女を助けてほしいと告げて、私が犠牲になることを選ばないと。
 でも。
 決断ができない。
「五感の最後は神経。二人とも心中がお望みかしら?」
 突然、少女の体中から血が噴き出した。残り五秒。
 マエリベリーの顔は、もう美しさのカケラもなかった。ただただ赤いあぶくが不気味に提灯をつくり、私の恐怖心を照らし鮮明にしていくのみ。
 死にたくない。
 死にたくない。
 死にたくない!
 私はこんな目にあいたくない。
 あんな風に食べられたくない。
 恐怖で氷のように冷たくなった胸は、心臓の鼓動がかろうじて生を演奏していた。
 しかし、地獄の宴に添えられるそれは、強制的に指揮をとられていて。
 肴は、獏による人間の活け締め。
 宴を続けるか否か。選択権を与えられているのは、私。
 迷う。惑う。
 終わらない迷夢。
 私は。
 私は。
 私は。
 死ぬ。
 死ぬ。
 死ぬ。
 死。
 ……

「    」

「オーケー、わかったわ」
 ドレミーは口を裂いて笑う。
 脱力したマエリベリーの体をゴミのように放り投げると、真っ赤に染まった手を私に差し向けてくるのだった。

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