Coolier - 新生・東方創想話

迷々々夢

2016/03/05 21:26:16
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○スクールデイ


 幻想郷の夢をみなくなって一ヶ月が経った。
 四月。東深見高校で進級して二年生となった私は、変わらず一人だった。
 春が訪れていても、心の中はずっと冷え切ったまま。
 もちろん、一人でいるのがつらいわけじゃない。そんなことはありえない。
 行きたい場所に行けず、会いたい人に会えないのが不自由でたまらないのである。
 以前は、学校でも授業中に居眠りをして休日も衰弱しきるギリギリまで寝て過ごしていたというのに、最近では健康そのものな生活になってしまっている。皮肉なことに、授業を真面目にうけるようになったせいか、教師たちの評価は徐々にあがり、あげく「お前はやればできるやつだ」なんてお褒めの言葉をもらう始末だった。
 ──進級して、やっと自意識や責任を持ち始めることができただの。
 ──自分が孤独であったことにようやく気づいただの。
 そんな教師や他生徒たちの憶測が耳にきこえてくる日々を、私は過ごしている。
 くだらない。
 授業を受けるようになったのは、幻想郷にいけなくなったことでやることがなくなってしまったから。私にとっては暇つぶし以外の何ものでもないのである。
 ペン回しをして遊んだり、ノートの端っこに落書きをするのと同じ。
 つまらない日常をどうやって時間を潰すか。勉強なんてその程度のものでしかなかった。
 目下、ずっと考え続けていることといえば、幻想郷への戻り方であった。
 ドレミー・スイートの言葉を思い出す。
「あなたを縛り付ける何かが、現実世界にあるんじゃないかしら」
 幻想郷に行けない理由を尋ねると、彼女からそう返事が返ってきたのである。
 ドレミー・スイートとはたまに会っている。幻想郷へ行けなくなった代わりに、彼女の世界に行くようになったというか。幻想郷を意識すると、必ずアポロ経絡へ飛ばされてしまうのだ。
 う~ん……飛ばされる、というと少し意味合いが違うわね。
 これもドレミーから聞かされて初めて知ったのだけど、私は幻想郷に行く際、必ずこのアポロ経絡を通っているらしいのだ。そこは、現実世界と幻想郷とを繋ぐ橋。幻想郷からはじかれたことで、つまるところ、私はその橋で足止めを喰らっているとのこと。
「私と出会うことができてるなら、まだ幻想郷に行ける可能性はあるわよ」
 それが唯一の救いか。幻想郷と完全に遮断されてしまったのなら、こんなフワフワとした世界にはたどり着けていないだろう。
「私に言えるのはここまでよ。戻りたいのなら、自分で原因を探して頑張ってみてね」
 ドレミー・スイートは協力的ではなかった。ただ、私の身に起こったことを淡々と教えてくれただけ。彼女は、仕事が忙しいので構っていられない、とその他の夢の管理に没頭してしまっているのである。
 状況を教えてくれただけでもよしとするべきか。
 だけど、私のほうも彼女を好きになれない予感のようなものがあった。
 相性というべきなのかしら。ドレミー自身、興味なさげにこんなことを言っていた。
「一応は幻想郷の一員ではあるのだけどね。でも、夢の世界にしかいられないからどうなのかしら。現実か幻想郷か、どちらの世界の住人なのか私にもわからないわ」
 存在自体がどちらの世界に対しても定義が曖昧だとのこと。
 曖昧だから、他者には何の感慨もわかない。感情が揺れ動かない。
 夢を管理する。仕事をする。ただそれだけの存在。
 なんとなく、私に似ている気がした。
 同族嫌悪とまではいかないけど、他者や物事に対して関心のないところが。
 似ているところが、彼女を正面に捉えたくないというか。
 私に声をかけてくれたのも、仕事の一環だったから。夢を管理する上で「仕事を増やさないでほしい」と告げるにとどまり、それ以降は放置されている状態だ。
 アポロ経絡に行ってもあまり相手にしてもらえないため、最近は夜に就寝する以外睡眠をとっていない。その結果が教師への高評価なのだけど。
 別段、ドレミー・スイートのことを恨めしく思ってるわけじゃない。彼女の仕事の範疇にならないのなら、助けを乞うのもまたお門違いなのだろう。
 ならば、自分自身の力だけで問題を解決しなければならない。
 まずは「私を現実世界に縛りつける何か」を探し当てることを最優先としている。
 それを見つけて縛りを解き放つ。そうすれば、私は再び幻想郷に行くことができる。
 そのために、私はこうやって普通の学生生活を送っているのだけど。


 日に日に苛立ちはつのっていった。
 縛りつける何かどころか、その手がかりも見つからないでいるからだ。
 あらためて整理してみる。
 私が以前まで幻想郷に行けていたのは、自分で自分の存在を希薄にさせたからだ。
 幻想郷は忘却されたモノ達の楽園。私は周囲から擬似的に忘却されることで、幻想郷へいく鍵としていた。
 方法は単純。他者に私を意識させなければ良い。
 秘封倶楽部というオカルトサークルを作り、奇人変人を装い、他人に「関わらないほうが良い人間」と思い込ますのである。他の生徒たちから孤立し、教師からも疎まれ、親族にも相手にされないという状況を作った結果、幻想郷への道を作ることができていた。
 ……以前までは、の話だけど。
 この方法には欠点があった。
 完全に忘却されたわけではないため、寝てる間──夢幻病を発症しているときでしか、幻想郷には行けない。
 夢幻病。
 片腕の仙人からの受け売りだ。霊体だけが夢の世界に飛んでしまう症状のこと。幻想郷という世界を知ったこと、私のオカルト──ドッペルゲンガー現象の働きがそれぞれ起因しているのだとか。
 注意されたこともあった。
 夢魂。私が本来見るべきだった夢がシャボン玉の形状になって幻想郷に漂っていること。これに他人が触れると意識を失い、その夢を見てしまうのだとか。
 他人が私の夢をみるのだ。
 ただし、私が私の夢魂にふれるとそうではなくなる。ドッペルゲンガーの結末と同じく、現実と夢の区別がつかなくなり、消える。注意されたのはそのことだ。
 はじめ、気づかないうちに夢魂に触れてしまったのかと思ったけど、私は消えてない。その可能性は度外視している。
 消えてないのなら、夢魂に触れるという事故ではなく、私に原因があると考えられる。
 つまり、現実世界側の問題。
 他者から意識されないとはいっても、忘れられたわけじゃない。視界に入れば私は認識されるし、出欠確認で教師に呼ばれたりすることだってある。
 だから、完全に忘却されるための手段を幻想郷で探していたのだけど。
「私を強く意識してる人がいる……って線が疑わしいのよね」
 お昼休みの教室。
 味気のない購買のパンをたいらげるも、満腹感は私の苛立ちをなくしてはくれない。
 縛り付ける何か、とは。
 私──宇佐見菫子を特別視してる誰か、なのではないか。
 そう見当をつけているのだけど、その某はみつからない。
 私を意識しているなら、それらしい接触があってもいいようなものなのだけど、普段から他人を避けた生活をしていたためか、そういった変化を感じられないのは痛手だった。
 現実世界に興味を持たなかった弊害。
 このまま、二度と幻想郷に行けなくなってしまうのかしら。
 それは、イヤだ。
「ったく、一体何なのよもう……」
 私は授業前に手洗いをすまそうと席を立っていた。教室から一番近いところはよく混むので、少し離れた別棟へと足を向けている。
 霊夢さんはどうしてるだろうか。心配させてないだろうか。
 歩きながら、興奮に満ちた世界を思い出していく。
 竹林に住むあの人は? よくわからない雑貨屋の店主は? 仙人とか狸とか小人は?
 幻想郷での記憶は鮮明に保たれている。それがゆえに、現実世界は醜く汚い場所だと思い知らされてしまい、焦燥にかられていく。
 そんな気分のなか、手洗い場の扉をあける。
 すると。
「…………」
 思いのほか生徒がたくさんいた。五人くらい。みんな私の方を見ている。
 さすがに嫌気がさしてしまった。
 順番待ちに辟易したのではなく、誰も用を足していなかったこと……つまり、そこにいる者が、手洗い場として使用していないことに対して、だ。
「誰よあんた」
 そんな質問が私に浴びせられる。
 これはあれだ。いわゆるイジメとかカツアゲとか、その現場に出くわしてしまったのだろう。囲まれてるのが一人、囲んでるのが四人。人があまりこない場所だから、こういうことをするにはうってつけ。
 ネクタイの色をみて一人は同級生で四人は上級生だと把握。
 が。
 頭が悪い。見張りくらい立てときなさいよ。
 そんなバカさ加減に呆れながら、私は返事をせず無言で踵をかえす。
 見てしまったからといって、私は誰にも言うつもりはない。奥の方で小さく縮こまってる女の子を助ける義理だってないし、教師に伝えて問題を大きくすることだってしない。
 だから見なかったことにする。
 そのはずだったのに。
「なに舌打ちしてんのよ」
 舌打ち? どうだろう? やってしまったかもしれない。あまりにも低俗すぎる状況に言葉もでなかったから。
 誰かが私の肩を掴んで動きをとめ、その隙に出入り口を封じられる。
「生徒手帳だして」
 面倒なことになった。私をどこのクラスの誰かを確認するためだろうけど、把握してどうするつもりなのか。一人、不安げに見つめてくるそこの生徒と同じ目に合わせる?
 だったら、それこそ失敗だと彼女らに思い知らさなければならない。
「その手をはなしてくれないかしら。別に誰かにいうつもりもないからさ、私に関わらないでくれる?」
「はあ?」
 怪訝な表情をかえされ、場の雰囲気が変わる。
 四人が四人とも私のほうを向き、苛立ちあらわな視線をぶつけてきた。
「見逃してあげれるほど、あたしら甘くはないんだけど」
 一人がそんなことをいう。
 見逃す? 甘くはない? ハハッ、笑わさないでくれるかしら。

 ──見逃してあげようと思ったのはこっちだっての。

 サイコプロージョン。
 周囲に衝撃波を起こし、四人が四人とも壁に体を打ちつけていく。
 瞬時に混乱が渦巻いた。手もなにもふれずに吹き飛ばされたことが理解できず、彼女らは私と自分の体を交互にみやる。
「わかったでしょう。それより酷い目にあいたくなかったら、もう関わらないで」
 もう肩は掴まれていないので、悠々と扉に手をかける。手加減もしておいたので、大したケガにもなっていないはず。
 しかし。
「ま、待ちなさいよ!」
 素早く起き上がった一人が掴みかかろうとしてくる。
 しつこい。
 サイコキネシス。
 空間に圧力をかけ、手洗い場にある鏡を割る。派手な音とその衝撃で脅す。
 それだけのつもりだった。
 ザクッ。
 肉の削げる音がした。途端、甲高い悲鳴があたりに響き渡る。
 割れた鏡の破片が、その生徒の眼球へと飛びこんでいったのだ。
 ここまでするつもりはなかったのに。今度は自分でもわかる舌打ちをして、どうすべきか考えた。
 そして。
「来なさい!」
 奥でびくついている女の子に手を差し出す。
 彼女はおそるおそるながらも、私の手をとり困惑した表情で見つめてくる。
 手洗い場から出て周囲を見渡す。誰もいないことを確認して、うめき声をあげる彼女たちから少し離れ、私は地面を蹴った。
「しっかりつかまってて!」
 テレポーテーション。
 騒ぎが大きくなるまえに転移する。
 そして、次に目に飛びこんできた先は体育館裏の土手である。誰もいなくて助かった。この時間なら人はいないと睨んでいたので、予想どおりで少しホッとする。
 本棟と別棟をつなぐ渡り廊下はひとつしかない。体育館は本棟を挟んだ別棟の反対側にあるし、これでひとまずは騒ぎがおきても無関係を装えるだろう。
 問題は。
「あなた、夢見は良いほうかしら?」
「…………」
 後悔先に立たず。我ながら短絡的すぎたと思う。幻想郷に行けない苛立ちが募っていたとはいえ、超能力の乱発は自分の首を絞めかねない。
 超能力を見ず知らずの人間に見せてしまったこと。ならば、いま起こした超常現象を忘れてもらう。彼女を眠らせて、超能力を使えた人間がいたことを夢だと思い込ませる。
 やることは単に意識を失わせるだけ。彼女が目を覚ましたあと、どこかで顔を合わせても知らぬ存ぜぬを貫き通しておけば、案外ばれないはず。
 今までもそうやって誤魔化してきた。
 そのはずなのに。
「……宇佐見さん?」
 超能力を使いかけてやめる。
 私の名前を呼んだのは、目の前にいる彼女。
「宇佐見菫子さん、だよね?」
「…………」
 間違えてはいない。そして、否定するにはもう手遅れだった。
 沈黙が肯定と取れるくらいに、私が驚いてしまっているから。
「私のこと知ってるの?」
 こうなってしまえば眠らせることに意味はなくなる。顔見知りであるなら、記憶の混濁を狙った誤魔化しは通用しないだろう。
 でも、私は彼女を知らない。だから逆に質問する羽目になってしまう。
「知ってるもなにも、私たち去年まで同じクラスだったじゃない」
「ああ、ゴメン。全然記憶にないわ」
 しまった。元クラスメイトか。
 東深見高校は一学年に十のクラスがある。全校生徒は千二百人余り。
 学年があがりクラス替えが行われたのだけど、まさか一年間同じ授業を受けていた生徒だったなんて。クラスメイトに興味を持たなかった一年間のしっぺ返し。
 でも、この反応はなんなのかしら?
 彼女はどこか落ち着き払っているようにも見えた。超能力を間近でみて、そして瞬間移動まで体験したというのに、あまり驚いていないような気がする。
 代わりに興奮を覚えている、といったほうが正しいかもしれない。
 なぜかというと。
「宇佐見さん、安心して」
 彼女は、希望に満ちあふれた顔で笑っていたから。
「私、口は硬いほうだからさ」


 彼女と一緒に瞬間移動したのは、間違いではなかったと今でも自負している。
 あの場から私だけ離れるのは容易だったけれど、あそこには私以外の二種類の人間がいたのがまずかったのだ。
 略取する側とされる側の人間。
 彼女とあの四人が私の存在を教師に伝えれば、その説得力は増すだろう。
 しかし、あの四人のみが証言したとしても、恐喝なんてくだらないことするやつらだ。後ろ暗い噂の一つや二つあるだろう。そんな人間の話を、大人たちがまともに聞くはずはない。
 だから、あの場には四人だけ残して離れたのである。
 私の予測は、その思惑どおりに働いてくれた。あのあとすぐに救急車がやってきて、騒ぎは地方の新聞にまで載った。記事の内容はこうだ。女子生徒らがトイレで悪ふざけをしていたら、鏡を割ってしまい破片で眼球を傷つけ、失明する事故を起こしたとのこと。
 彼女らはしばらくのあいだ停学処分。学校も保護者説明会や全校集会を開くなど、しばらく対応に追われ続ける日々となっていた。都内で指折りの進学校として名を馳せていた東深見高校は、その火消しに躍起だ。学校の体質も利用させてもらっている。
 あとは。
「宇佐見さんってお金持ちなんだね」
 目の前にいる女の子。彼女をどうするか考えあぐねていた。
 学校から少し離れた1DKのアパート。私はそこを借りて一人で暮らしている。
 今は客を招いていた。あのとき連れ出した生徒である。
「私が稼いだお金じゃないわ。反社会的活動をしてるいくつかの団体さんからちょろまかしただけ。方法はご想像にお任せするけど」
「ふ~ん」
 驚かない。私が用意したコーヒーに口をつけながら彼女は返事をした。その平然とした態度に、私は焦りを隠せているか不安にもなる。
「にしても、二千万はやりすぎじゃないかな。失明だったらもっと安くすむと思うけど」
「そのへんの基準は法律に詳しくないから適当だけど、私の落ち度もあったから盛らせてもらったわ。何か問題でも?」
「いいえ。宇佐見さんがそれで良いなら特になにも」
 あのとき傷つけてしまった生徒の家には、大金をキャッシュでテレポートさせた。
 今ごろその家では大騒ぎになっているだろう。彼女が失ったものはお金で解決できるわけではないけれど、私個人としてはそれくらいしないと罪悪感が薄れなかったのだ。
「どこまで知ってるの?」
 本題に入る。
 彼女の落ち着きようはどう考えても異常だった。
 私だって、幻想郷に初めて足を運んだときは、その異形たちにずっと驚かされっぱなしだったのに。
 だから思ったのだ。彼女は私のことを事前に知っていたのではないか、と。
 昨年のクラスメイトとしてではなく、超能力を使う者として。
 そんな意図をすぐに感じ取ってくれたのか、彼女はあっさりとこう認めてくれた。
「去年の五月ごろにね、あなたを見たの」
 目の色が変わる。私は、高鳴る鼓動が外に漏れ出ていないか心配になった。
 少女の語る夢。
 白馬の王子様が迎えに来てくれることを信じて止まない、乙女の眼差しだった。
「夜にね、ビルの隙間から上を覗いてたら、あなたと黒い魔法使いのような人が戦ってる様子が見えて……いえ、魔法使いだけじゃないわ。赤い翼を生やした白い人とか、お椀を被った小人とか、尻尾の映えた狸みたいな人、巫女さんみたいな人も見かけたの」
 私がオカルトボールで呼び寄せた者達のことだ。
 あれを毎夜見ていた人がいたなんて。
「最初はあなただってわからなかった。どこかで見たことあるなとは思ってたんだけど。だからずっと考えていたの。私の身近にいる人に違いないって。そう毎日を過ごしてたら半年以上が過ぎちゃって」
「…………」
「でも、一ヶ月近く前に少し気づくことがあったの。いつも居眠りしていて、夜に何してるのかわからない生徒がいるなあって。確認もとれないままクラス替えになってしまったけれど」
 それが私、というわけか。
 時期的には正しい。
 幻想郷との関わり合いを持ったのも。
 私が、幻想郷に行けなくなったのも。
「宇佐見さんには感謝してるんだよ」
 彼女は蕩けたように言う。
「この世界はくだらないものだと思ってた。でも、あなたの超能力を直に見て希望を持てたの。小説とか漫画とかアニメにあるような、奇跡だって夢だって異世界だって現実にあるんじゃないか、ってさ。そう考えたら、こんな世の中も悪くはないなって、希望も持つことができて……」
「そう」
 人を勝手に希望扱いしていることに対して、私は特に感慨も湧かない。
 それよりも気になることがあった。
「だから、あいつらが酷い目に合うのは当然なのよ。あいつらは悪い事をしていた。だからバチが当たったの。宇佐見さんは気にしないで良いと思うわ……フフ」
 彼女に対する見識を改めなければならないこと。
 目の前にいる少女は、狂っている。
 いや、濁っている、と言ったほうが良い。
 彼女を初めて見たとき、奥で縮こまっていたのは怯えていたからではなく。
 脱力していたのだ。なぜなら、自分から略奪する者達を見下し、彼女らにはいつか天罰が下ることをカケラも疑っていなかったから。
 希望と絶望をない交ぜにした感情が、事実、彼女を救ってしまっている。
 だから、濁っている。
「繰り返すけど、宇佐見さんの超能力のことは誰にも喋らないから安心して。他人に知られると不都合があるんでしょ? SFみたいにさ」
「まあ、そうね」
 その言葉は信用できるだろう。
 メディアによって広がっている異能やフィクションを信じているあたり、そのように扱うのが合理的だからだと、彼女のなかで完結しているだろうから。
「もう一つきいて良いかしら?」
 この質問にあまり意味はない。
 しいていうなら、私の憤りをはき出す場所をハッキリさせておきたかっただけ。
「私をビルの隙間から見たって言ってたけど、どうしてそのとき、あなたがそこにいたのか教えてくれるかしら?」
 幻想郷の夢を見なくなった発端。どんな偶然が私をここまで貶めたのか。
 彼女はなんでもない風に言う。
 まるで、知り合いにオススメのカフェを紹介するみたいに。

「ああ。あのときは、ちょっと悪い男の人たちに路地裏へ連れ込まれちゃってたのよ」

「…………」
「乱暴されて、写真とか動画もたくさん撮られちゃって、それをネタに脅されて、また同じ場所に連れ込まれてさ。何回も、何度も、何日も、ね」
「……そう」
 さすがに表情が険しくなってしまった。
 現実味がない。
 超能力という非科学的な力を持つ私がそんなことを思うのは、表現として正しいのかどうかは知らない。だけど、心が震えてしまったことだけは確かだった。
 同姓として一生つきまとう万が一の「もしも」。その「もしも」から、彼女はもう癒えない傷を負ってしまっている。
「宇佐見さん、気にしなくて良いわよ。あのときのことがなかったら、私、あなたの存在に気づきさえしなかったんだから。私はとても救われてるのよ。あなたがいたから、私はこの世界に希望をもてた」
 相槌しか返せないでいることを気にしてくれたのか、彼女は遠慮がちに言う。
 しかし、下腹部に手を置きながら語る少女の目は、やはり濁っていた。
 ふう、と息をつく。
 せっかく用意した自分のコーヒーは、すっかり冷め切ってしまっていた。心を落ち着ける香りも消え失せ、今さらミルクと砂糖を入れても混ざりが悪いだろう。
 一口含んでみる。
 ぬるくなったそれは、案の定、決して私の口に合うものではなかった。


「間違いなく、その子があなたを現実に縛り付けているわね」
 夢の世界。アポロ経絡。
 学校で助け出した生徒のことをドレミーに話すと、彼女はそう答えてくれた。
 相変わらず夢の処理に追われているようで、私への態度はそっけない。
 だけど、夢の支配者である獏がそう教えてくれるのは何よりもありがたかった。
 幻想郷は忘れ去られた者達が行き着く最後の楽園。
 私はそこに、擬似的ではあるものの、とある手段を施して訪れることに成功していた。
 とある手段とは、他者から私を忘れてもらうこと、興味をなくしてもらうことにある。秘封倶楽部を作ったのは人よけのため。なのに、私に興味を持つ人間が現れてしまったら、忘却を条件とする幻想郷への扉はふさがれて当然だろう。
「どうすればいいの?」
 続けて聞いてみる。幻想郷への戻り方。
「それは、あなた自身が一番よくわかってるんじゃないかしら」
 含みを持たせた返事に、私は言葉をだすことができない。
「その子を消してしまえばいい。方法は……言わなくてもわかるわよねえ?」
 ニタリ、と。口角を目一杯に歪ませて、ドレミーは狡猾に笑った。
 今までにない珍しい反応だ。
 彼女にとっては面白い話なのか、作業の手を止めて私と向き合ってくれている。
 が、趣味が悪いことこのうえない。
 さらにドレミーは私に這い寄ってきた。なぜか体を密着させ、私の肩を抱きながらこんなことを囁いてくる。
「なにを迷う必要があるの? あなたは幻想郷に行きたい、それが叶えば他はどうだって良いんじゃなかったの?」
 耳に吐息がかかる。
 怖気が走った。
「それは、そうだけど」
「現実世界に未練がないのなら、その子がどうなったって構いはしないじゃない。原因をこんなに早く見つけられたのは僥倖よ。だから、早めに──」
「……っ、私に指図しないで!」
 周囲に衝撃波を放つ。さすがにひっつかれるのは気持ちが悪かったので、無理矢理にでもドレミーを引きはがしてやる。
 そう超能力を使ったはずだ。
「え……」
「ムダよ。ここは夢の中。私は夢にしか出入りできないけど、夢は私のおもうがままに操れるの。だから、あなたが私に危害を加えようとしても全てかき消されるわ」
 気分を悪くした様子も見せず、ドレミーは私の頭を撫でてきた。
 まるで、ペットの児戯を可愛がるような、そんな視線も一緒に添えて。
「ま、私の言いたいことは言ったし、あとは好きにしなさい。決めるのはあなた自身よ」
 それからは私から離れて、ドレミーは作業にもどった。
 満月に照らされる世界でフワフワと浮きながら、彼女はピンク色の物体をグネグネと動かし、何かの本を開いてそれを目で追っている。
 ドレミーの意見は正しいと思う。幻想郷に戻る……いや、最終的に幻想郷の住人になりたいのなら、現実世界がどうなっても構いやしないのだ。
 なら、私を慕ってきた彼女がどうなろうが関係ない。
 そのはずなのに。
 答えにできたささくれが、私を躊躇わせる。
 幻想郷に戻りたい。その願いは確かなはずなのに、どうして決断できないのか。
 迷いと戸惑い。
 霊夢さんと、幻想郷の住人たちに想いを馳せる。今はそうすることでしか、この気持ちを誤魔化せそうになかったから。
 私が最後に見た幻想郷の風景。
 大きなお屋敷で、妖怪は人間の敵だと釘を刺されたこと。こうやってドレミーのもとに何度も訪れていることを霊夢さんが知ったら、きっと怒られるだろうな、なんて考える。
「ねえドレミー」
「なにかしら?」
 さっきまでこいつのことを不気味がっていたのに、自分は現金だなと思った。
 今は少しでも、幻想に触れておきたい。
「大したことじゃないんだけどさ、あなたいつ休憩とか食事とかとってるの?」
「…………」
 その質問に対し、彼女は作業の手をとめ、目を丸くして私を見つめてきた。
 沈黙が世界を止める。
 おかしなことを聞いたかしら。アポロ経絡を訪れると、ドレミーはいつも作業をしていて、休憩もなにもしていないような気がするのだ。私と彼女以外誰も見かけないし、そのほかと言ったら彼女の所有物しか見当たらない。
「霊夢さんに聞いたのよ。妖怪は人間とは別の空腹があるって。人間を襲ってるか、別の手段で空腹を満たしてるとか。なのに、あなたはいつも作業してるから……」
「ああ、そんなこと」
 肩を上下させて、当然のようにこう語り出した。
「私は獏。夢を食べて生きてるのよ。あなたのいうとおり、ずっと動きまわってたらお腹は減るし、食事だってとるわ。だから、適当な夢を見繕ってそれをいただいてるのよ」
「夢を見繕う? それってどういう意味なの?」
「ここは、忘れられて捨てられた夢がたくさん折り重なった世界なの。私にとっては食糧の尽きない宝庫ってこと。ときおり、その中からつまみ食いしてるのよ。趣向をこらして料理したりもするけど」
 妖怪だから、人間のように一日何食もとらなくていいとのこと。なので、食事をとっていないように見えても、私のいないところで口をモゴモゴとさせているらしい。
 ただ、夢を食事にすると聞いてイヤな予感が走った。
「ドレミー。まさか……私の幻想郷を」
「安心して。あなたが見る幻想郷の夢は食べてないわよ。というより、幻想郷は夢ではないから食べられないし。夢幻病は聞いているでしょ?」
「ええ」
「あなたはまだ夢幻病を発症しているわ。アポロ経絡にいるのが何よりの証」
「じゃあ、私は本当に、現実の何かに縛られてるだけなのね」
「ええ。それとあなたの夢魂だけれど、私が管理させてもらってるから安心して。あなたがここに来るたびに発生してるものよ」
 そういって、ドレミーは手のひらに複数の球体を浮かせた。球体というより、無重力に浮かぶ水のような物体。それがあるということは、今も夢幻病を患っている証拠。
 つまり、私はかろうじて幻想郷に行ける状態を確立している。だからこそ悔しい。あの少女に知られてさえいなければ、こんなことになりはしなかった。
 過去を変えることができるのなら……なんて不可逆的なことを考えてしまう。
「……ん? あれ?」
 不可逆、だって? 本当にそうなのかしら? 私は一ヶ月ほどまえ、不可能な事象を目の当たりにしていたはず。
 確か、稗田の屋敷で見せてもらった未解決資料に。
「ドレミー。あなた、夢を自由に操れるって言ってたわよね」
「……それがどうかしたのかしら?」
 眉をひそめて、彼女は私の次の言葉を待つ。
「お願いがあるの」
 時間旅行。
 人類が夢見た技術のうちの一つ。

「私を、夢幻病で過去に飛ばすことってできないかしら?」

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