●夢の世界の科学世紀3
「あれ、おかしいわね」
「ん? なにか忘れ物?」
喫茶店を出てしばらく。
宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンは学生寮への帰る途中であった。
マエリベリーがショルダーバッグをあさり、なにか探し物をしている。
「さっき夢診断で話したでしょ。竹林で兎の耳を生やした何かに襲われたって。そのときにメモした紙がどこにも見つからないのよ。ポケットに入れたつもりになってて、でもなにも入ってなかったからカバンのなかを探してるんだけど」
「どんなやつ?」
「大学の創立記念でもらったメモ用紙。確かあれに書いたはずなんだけど」
「ふむ」
言われて、蓮子も念のため自分のカバンをまさぐり始める。
が、マエリベリーのいうメモ用紙はどこにも見当たらず、ごちゃごちゃとカバンの中が乱れただけに終わった。
「夢に落としてきちゃったんじゃないの?」
「その可能性が高いわね。ハア……こんなことなら、さっさと携帯で写真だけでも撮っておくんだったわ」
「GPSは使ってるのにカメラは使わないなんて、メリーらしいよね」
蓮子は小馬鹿にしたように相棒へ笑顔を向ける。
それをみて、マエリベリーは少しムスッとするも、これは自分の落ち度だと反省して反論は諦めることにした。
「にしても、大昔の日本かあ。今じゃ時代劇とか資料館とかでしか確認できなくなってるけど……どんなところなのかしらね」
「夜は月と星がたくさん見えるところよ。怖くはあったけど、素敵な場所だったわ」
京都の空を見上げる。
暗くなってはいるが、あたりは文明の利器たちが光を伴い、無数の自己主張がそこかしこを照らし続けている。今夜も、この国の首都は一睡もしないのだろう。
「ていうか、メリーはホーキングの矢がどうとか言ってたけどさあ」
街道を歩きながら、蓮子は腕を組んで相棒にこう指摘をする。
「そこって本当に過去の日本だったの?」
「さ、さあ? 確かなことは言えないわね。あくまで雰囲気的にそう思っただけだし。夢のなかで年号を調べたわけでもないから」
「並行世界っていう線もありえるわよね。日本語が通じたってことも加味すれば、今現在の時間軸っていうのも否定はできない。もしくは、遥か未来だったりするのかも」
「言いたい放題ねえ」
可能性の列挙にマエリベリーはため息をついた。
こうなると、彼女の話はどんどん突飛になっていく。
「そりゃ、手がかりがないんだからこういう考え方になっちゃうわよ。だいたい、時間だって何をもって進んでいるのか定義が曖昧なんだから、確認のしようがないじゃない」
「そうだけどさあ」
「いまだってそう。時間の概念なんて、悪魔の証明でしかないわ。私たち人間が管理のしやすいように作った考え方なのよ」
時間の不可逆性の問題は、科学世紀においても未だに解決されていない。
マエリベリーの夢も、同じく過去に戻ったのか現在を移動したのか、はたまた未来に飛んだのかは観測のしようがないのである。
「時間だけじゃないわ。いまこのとき、私たちが話している瞬間だってそう。現実なの?それとも夢? そんな感じで確認のしようがない。観測っていうのは主観的にしかできないものだから、私たちの意識だって怪しいモノよ」
「私が昨日までのマエリベリーでもなく、あなたが蓮子でない可能性もあるってこと?」
「そのとおり! 考えれば考えるほど何が本当で何が嘘かわからなくなる、まさに、迷夢へとつながっているということよ。時間や夢、現実なんてのは、所詮、人間が迷いを振り払うために作られた防衛策でしかないの」
つまり、と蓮子は唇を濡らしてこう結論づけた。
「メリーの言ってることは何一つ信用ならない!」
「…………」
ならどうしていつも夢診断をしつこくしてくるのか。
マエリベリーは眉間にシワを寄せて相方をにらんだ。
「あ、ゴメン。言葉のアヤだから。別にメリーが虚言癖を持ってるなんてこれっぽっちも思ってないわよ」
「あなたの説明をアテにするなら、その言い訳も信用できないことになるけど?」
「ぐ……そ、そこは誠意で信用してもらわなきゃね。学食のチーズケーキ一つおごりでどうかしら?」
「コーヒーを追加でお願い」
「い、いいわよ。それでチャラってことで」
「オーケー。明日のお昼は食堂で待ち合わせね」
鼻歌まじりにマエリベリーは頬をゆるませる。
相方の機嫌にホッと胸をなでおろし、蓮子は光の薄い夜空を見上げた。
「私の場合はこの眼があるし、ほら、今なら時間も場所もわかる。でも、把握できるのは知識があるからなのよね。もし、この星でもないどこかだったり、別世界だったりすれば能力が発揮できるかどうかわからないわ」
「能力が使えなくなったら、はれて普通の大学生になれるってわけね」
「それはイヤよ。秘封倶楽部を作った意味が薄れるじゃない」
夢を現にする。それが大学非公認のオカルトサークルを結成した理由だ。
二人は互いの力を駆使し、世界の秘密を曝くことを目的としている。それには彼女らの眼は必要不可欠なのだ。
「ていうかメリーの言い分だと、まるで私たちが違う世界から生まれてきたみたいね。確かに、力の使えない場所だったら、私たちは普通の大学生にすぎないけど」
「普通じゃないことを普通と受け入れてる蓮子が異常なのよ」
「変な夢を見てるメリーもそこそこおかしいけどね」
その発言に唇を尖らせるマエリベリー。
そして、ころころと笑う蓮子。
そこからは軽口の応酬になるが、それは彼女らの日常にすぎなかった。
いつもの会話。いつものやりとり。
彼女らの夜は、またいつもどおりに更けていく。