器用で不器用な少女と人間で妖怪らしき存在の話
ある日、ある夕刻、ある店の光景。
「またあなたですか……」
「ええ、自分ですよ」
「もう何回目になるかわかりませんのに」
「九十九回目です」
「先週も全力を出しましたのに」
「ええ、自分も全力を出し、その上で負けました」
「……それでもなお、今日も挑戦なさるのですね」
「ご迷惑でなければ」
「ん、いや、そういうのではないのですが……」
「良かった。いい加減、食傷気味かなあと思っていたので」
「私は他の相手とも指してますから、別段そんなことはないのですが、何と申しますか……」
「何ですか?」
「いえ、そちらこそ飽きないのかなあと……」
「貴女に毎回負けることに、ですか?」
「そこまでは申してません!」
「でも事実ですよ」
「ですけど。そうじゃなくて、あなたは私とばかり指しているのでは?」
「そうですね。他に相手はいませんから」
「よく飽きないですね、本当に」
「飽きる?何故?」
「何故って……」
「確かに毎度負かされてはいますけど、だからこそ次はって気になるんですよ」
「その心掛けは殊勝だと思いますが」
「そんなわけで、よろしくお願いします」
「はあ……それじゃあまあ、やるとなれば全力ですよ」
「望むところです」
「では……参りましょう」
「王手です」
「う」
「こう言ってはなんですが、がら空きでしたよ」
「もしかして、何手か見逃してもらいました?」
「まさか。そんな失礼なことはしません。
……そういう戦法なのかと警戒はしていましたが」
「いえ、全くそんなことはないですよ」
「胸を張って肯定するとこじゃありませんよ、そこは」
「でも、事実ですから」
「はぁ……ともあれ、これで本日も防衛です」
「九十九連勝ですね」
「それは私の台詞です。とにかく、あの将棋盤はまだ、この店に置いておいていただきますからね」
「はい、約定どおり。自分が貴女に勝つまでは、それで結構です……
と、言いたいところですが」
「なんです?まさか、今になって条件の変更でも?」
「いえ、本日はもう一局お付き合いいただきたいなと」
「……珍しいですね。いつもは一局きりですのに」
「ええ、まあ。同じ日に勝つまで勝負を重ねることは無意味かな、とは思いますので」
「では、なぜ?」
「次で百戦目でしょう?日も落ちて来ましたから、どうせなら月でも見ながらそれをと」
「月?……それはまた、風流なことですね」
「お時間とか、大丈夫で?」
「私は休みですから問題ありませんが……ご店主?」
「了承」
「一秒で了承されてしまいましたよ……」
「よかった」
「いいんですかね。まあ、それではもう一局ということで……」
「ああ、僕はちょっと私用で配達に行くところがあるから、戻るまでやっててくれると助かるかなー」
「ちょっ、了承ってそういう意味ですか!」
「よろしく頼むよー」
「行ってしまわれましたね」
「不覚でした……」
「何も、一本取られたようにならなくても。さあほら、お願いしますよ」
「ええ……はい。気を取り直して……参りましょう」
「……粘りますね」
「そうですかね」
「前局までが嘘のように隙が見つかりません」
「またまた」
「あなたの言葉を借りるなら、事実ですよ?それとも御自覚がないとか」
「ないですね」
「ですから、そういうのは胸を張って肯定するものではないです」
「ええ、ですけど、事実ですから」
「はぁ」
「……ん、ああほら、もうそろそろですよ、月が見えてきました」
「そうですね……今日は満月なんでしょうか?やけに大きく見えるような」
「ああ、そういえば今年で一番大きな満月だそうですよ……」
「そうなんですか…………………ッ!?」
「いかがなさいましたか」
「……あなた、は」
「自分の顔に、何かついています?……なんて、ね」
「その、姿は」
「珍しくないでしょう……といえば言い過ぎでしょうかね。
ここの店主や、人里にもこういう方がいらっしゃるのを一名存じておりますが、
自分は、半妖の身なのですよ」
「半妖……」
「もっとも、店主のものは先天的、彼女のそれは後天的なものと聞いていますがね。
自分は生まれつき、『こう』ですから」
「生まれつき……ということは」
「ええ、生まれたその日から、人ではなかった、ということです」
「それはつまり、子供の頃から」
「そう……それで、自分は子供の頃、この姿で山に入ったことがあるんです。
そしてその時に『モミジ』と呼ばれた少女とその御父上にお会いした」
「……待ってください。では、あなたは、もしや」
「思い出していただけましたか?ついこの前、山の中で貴女に見つけられたあの洞穴で、
自分と貴女は、ずっと昔に出会っていたことを」
「ええ……思いだしました。ずっと忘れていた、数十年も前のことですが……でも」
「……でも、あの時の子供と自分とでは名前が違う、と、そうおっしゃりたいのでしょう」
「はい。確かあの時探していた少年のは……高天家の人間であったはず」
「高天家。それが自分の生まれた家でした。
ただ、高天の家は別の人間が継いだので、
自分は高天の姓を捨て、もう片親の姓を継ぎました。
下の名前も……まあ、元服と共に変わりましたが、それはさておき」
「何故、家を継がれなかったのですか」
「高天の家は仮にも、人間が主に人間相手に営む道具屋です。
妖のまじっている自分がそれを継いでは、
商いの上で、良くないものまで呼び寄せてしまう可能性がある」
「……。」
「……などというのは建前で。
ほんとのところ、単に自分に商才などないと思っていたからですけどね」
「……え?」
「実際問題、同じ人間の商家である霧雨家などは、こちらの御店主とも御懇意のようですし、
人里の貸本屋には妖魔の記した本を扱う少女もいます。
そんな例があるにもかかわらず継がなかったのは、やはり、家業を継ぐには向いていないと思ったから……ですよ。
あと、家督とかそういうのはめんどくさい」
「……そうは思えませんけどね」
「何故?」
「だってあなたはこのお店に辿り着き、その上でこの将棋盤を欲しいと言ったじゃないですか。
であるならば、品を見る目は確かなのでは?」
「それは単に……個人的興味からですよ」
「個人的興味で、天狗ゆかりの品ばかりを集められるのですか?」
「何故それを?」
「御店主から伺っていますよ。
あなたは決まって、天狗にまつわるものに興味を示すと」
「事実ですけどね。だって、それは気にもなりますよ。
こんな体を持って生まれてくれば、自分のルーツが」
「というと」
「自分は何の半妖か。調べたところ特徴的には白狼天狗のそれと推測されます。
西洋のような言い方をするなら取り換えっ子のようなものですか」
「取り替えっ子……」
「時折ある話でしょう?鴉天狗が子供をさらってきて剣を教えるとか。
自分の場合は本当にさらわれたり交換されたわけではないですが、とにかく自分はそういうモノだったらしいのですよ」
「ご両親は……人間ですよね」
「ええ。何代か前のじいさんだか誰かに似たような例があったのかもしれませんし、
もしかしたら自分が初めてなのかもしれません。
とにかく、自分にはそういう因子があり、妖の側面を色濃く持った状態で生み落とされたらしいです」
「それでは、あなたの周りは……」
「ええ、親はもちろん、人間の知人も他界しております。
皮肉なもんですよね、自分の方は姿が変わってしまう体なのに、
肉体が変わってゆくのは皆の方が圧倒的に早いなんて」
「……お察しします」
「だから余計、自分は妖としての生を選んだ。
今更天狗社会に入ることはかなわないかもしれないけれど、そちらの知り合いが欲しかったのです。
なにより、妖であろうとした時、かつて出会った貴女達のことを忘れられようはずがなかった」
「……」
「そして自分は貴女に続く道を追いかけ、ここにいる……
数か月前のあの日、山で出会ったのが貴女だったことと、
この将棋からあなたに行き着いたということは、予想外の偶然でしたがね。
……昔話はこれで終わりですよ」
「……ですか」
「ほら、せっかく良い月なのですから貴女も何かお話でも」
「では……月と言えば、こんな話はご存知ですか?」
「月にまつわる話、ですか」
「以前、あなたは月が綺麗だったから山に入った、とおっしゃったことがありましたね」
「ええ、事実ですから」
「では、『月が綺麗ですね』という言葉が、
雅語として好意、さらに言えば愛情を伝える言葉だ、ということはご存知でしたか?」
「え……。ええ!?」
「そうでしたか。まあ、その反応、そうでしょうね」
「そんな意味が……あったんですね」
「ええ。ですから理由を答えられた時は面食らったものですよ」
「すみません、でも」
「事実、だったのでしょう?わかっていますよ。
……それにしても、何故そんな言いまわしが、好意を伝える言葉なんでしょうね」
「……思うんですが」
「伺いましょうか」
「好きな人と見る月なら、いえ、月に限ったことではないですが、
好きな人と過ごす時間、景色などは素敵になるから、なのでは」
「ほう。それはまた……言いえて妙ですね。
さもありなんという印象です」
「……あの、それで。それが正しい推測だとして、伺いたいんですけど」
「?」
「自分と将棋をして過ごす時間は、いかがですか」
「……男性のあなたからそれを問うのですか?」
「はい。是非とも聞きたいので」
「ずるいですね」
「事実ですから」
「そうですね……一言で言えば、退屈ですね」
「う……確かに自分は弱いですが、これはまた、手厳しい」
「でも」
「でも?」
「決して不愉快な時間ではありませんよ」
「……あの、それは」
「それより。私からも一つ質問があります」
「え?は、はい」
「心して答えて下さい。あいまいな回答は許しません」
「……承知しました」
「今、ここから見える、あの空の丸い月。
あなたの目には、どのように見えていますか」
「それって……?」
「質問に質問では返さないように。さあ、お答えください」
「……ええ。では……」
「はい」
「綺麗ですね、とても」
「そうですか。月並みな意見ですね」
「事実ですから」
「私と、全く同じ意見だなんて……」
「え……」