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疼くような痛みを感じて目を覚ますと、そこは窓の無い薄暗い部屋の中に敷かれた布団の上だった。
天井にはぼんやりとした心許ない光を放つ灯りがある。その灯りは油か何かを燃やしているのだろうか。少し焦げ臭いような臭いを辺りに放ちながら、ぼやっと部屋の中を照らしている。
その光の中に浮かび上がっている部屋の扉にはノブらしきものが見当たらない。もしかして内側からは開けられなくなっているとでもいうのだろうか。
それにしても自分はどうしてここにいるのか。それ以前に一体ここはどこなのか。
だめだ。まだ寝起きのせいか状況の処理に頭が追いついていない。
そう、こんな時は思い出せる事を落ち着いて一つずつ頭の中で挙げていけばいい。私は目を閉じてゆっくりと思考を働かさせた。
自分は確か、大紅葉の木の下で穣子を待っていた所を突然何者かに襲われたのだ。しかし、そこから先の記憶はまったくない。あるいは気を失ってしまっていたのかもしれない。
次に、ここがどこなのかを確かめるべく起きあがろうとすると、肩口辺りに激痛が走り、思わずうめき声を上げてしまう。
そうだった。この痛みで自分は目を覚ましたのだ。
よく見ると、赤黒くなった血が上着の肩から腕にかけてべったりと染み付いていた。通りで痛いはずだ。
自分の血を見るなんて如何ほど振りだろうか。
そもそも神様である私がここまでの傷を負うこと自体早々ない事なのだ。
そんな事もあって私の中では傷の痛さよりも自分の血を久々に見たという、ある意味感動に近い気持ちの方が強かった。
いや、やはり傷も痛かった。しかも肩の痛みだけじゃない。腕がしびれてほとんど動かなくなっている事に気づく。
これはもしかすると神経をやられたのだろうか。いずれにせよ相当深い傷には違いなさそうだ。一体どんな凶器でやられたというのか。
とにかく、今はっきりと言えるのは、犯人は神を殺傷出来るほどの強力な武器を持っているという事だ。
目覚めたばかりで混沌としていた意識の糸が少しずつ結びあがっていく。
そうだ。もう一つ思い出した。
厄介な事に、その犯人は私が知っている者だったのだ。だからこそ私は無警戒だった。それでその隙を突かれてしまったのだ。
そのとき部屋の扉が勢いよく開けられ、私を襲った張本人が目の前に姿を現した。
「ようやく起きたみたいね。目覚めはいかが? 八百万の神様さん」
その腰に届くまで伸ばした青い髪に触れながら挑発的な笑みを浮かべている彼女こそが私を襲った犯人である天人だ。
名前は忘れてしまったが、確かテンなんとかだった気がする。彼女とは以前、天界へ来る機会があった時に知り合った。そのとき名前も聞いた気がするが、何しろ当時彼女は相当酔っぱらっていたので、まともな会話はほとんど出来なかったと記憶している。
そんな彼女が何のためにこんな真似をしたというのか。よく見ると彼女の手には大層な刀が握られていた。あれで私に傷を負わせたのだろうか。
「ねえ、どうして自分がこんな目に遭っているか分かっていないでしょう?」
まるで私の心を読んだかのように彼女は問いかけてくる。
「ええ、皆目見当つかないわ。でもここまでの事をするくらいなんですもの、きっと相当の理由があるのでしょう?」
彼女は笑みを浮かべたままこちらに近づく。その目はまるで妖怪と見紛うほどらんらんと輝いている。以前は気づかなかったが、こんなに邪悪な気配の持ち主だったのか。彼女は私の側までやってくるとポツリとつぶやいた。
「復讐よ」
「復讐? 私あなたに何かした?」
「したわ!」
彼女が言い放つや否や、ひゅっと空気を切る音が響き刀が私の頬をかすめる。ちくりとした痛みに思わず指でなぞるとうっすらと血がついていた。間違いない、あの刀だ。あの刀に自分はやられたのだ。
「ふふん、驚いた? まさか神様に傷を負わせる武器があるなんて」
確かに驚いた。でも驚いたのは武器の存在ではなく、どうしてこの子がこんな危ないモノを持っているのかという事だ。
もしかして天界には神様を傷つけるような凶器が平気であふれているとでも言うのだろうか。
もしそうだとしたら下手に彼女を刺激なんかしたら、この刀以上の武器を取り出しかねない。ここはなるべく穏便にいかなければ。
「ええ、驚いたわ。でもどうして私をこんな目に遭わせる必要があったの?」
「あなたは、この私を無視した。復讐するには十分過ぎる理由でしょ? でも大丈夫、殺しはしないわ。それだけは約束してあげる」
この子は何を言っているのだろうか。
確かにあの時、私は話の途中で帰ってしまったが、それというのも私には時間が無かったし、そもそもこいつがへべれけになっていてまともに会話も成立させられない状態だったからなのだ。
それなのにたかが無視したくらいで腕が動かなくなるほどの重傷を負わされたというのか私は。
「何か言いたそうね。発言権を与えるわ」
偉そうに言いながら、ない胸を張る天人。あの絶壁具合は私といい勝負かもしれない。ま、そんな不毛な争いする気なんて毛頭ないが。
「ほら、せっかく発言権を与えてるんだから何か言ったらどうなのよ!?」
「それじゃ、一つ質問があるわ。あなたは私をどうしたいのかしら?」
単刀直入に疑問を投げかけてみる。すると天人は小馬鹿にするように鼻で笑い返す。
「私は質問していいとまでは言ってないわよ。言いたい事はそれだけ?」
まったく、この子にはコミュニケーション能力というのが根本的に欠けているのではないか。
何か腹が立つのを通り越して彼女が哀れにさえ思えてきた。自然と彼女を見る目が冷たいものになってしまう。
「な、なによ!? その顔は! なんで私をそんな目で見るのよ!」
彼女は私の醒めた視線に、今までの強気そうな態度から一転して実に分かりやすいくらい怯えの色を見せる。
忙しい子だ。と暢気な事を思っていたそのときだ。
「お前のその目が生意気なのよっ!!」
突然の怒号とともに、それまでおびえを見せていた天人は目を見開き、刀をこちらに振りかざしてきた。慌てて横に飛ぶように転がって避ける。肩に尋常じゃない激痛が走り思わず蹲りそうになるが今はそれどころじゃない。すぐに立ち上がって、次の攻撃に備え彼女と間合いをとる。しかし彼女は刀を振り下ろしたままの状態で動こうとしない。どうしたというのか。そっと近づいてみると理由はすぐ分かった。
刀だ。彼女の持つ刀が禍々しいほどの気を放ち彼女を蝕んでいたのだ。そうか、あの刀はおそらく妖刀の類なのだろう。それならあの恐るべき殺傷力も合点つく。
彼女は苦しそうに肩で大きく息をしている。その顔には玉のような汗が噴出していた。
やがて我に返ったように立ち上がると、こちらが言葉をかけるまもなく、おぼつかない足取りでそのまま部屋から出て行ってしまった。
いまいち何が何だか良くわからなかったが、とりあえずこの場は何とかやり過ごせたようだ。
だが、ほっとしたのもつかの間で、安堵して緊張が途切れたせいか今まで忘れていた肩の痛みが再び襲い始めた。思わず傷口をおさえてその場に蹲る。あまりの痛さに叫び声も出せずただ蹲って震えている事しか出来ない。
もしかするとこれはただの傷じゃないのか。何しろ妖刀による傷だ。呪いの一つくらいかけられていても不思議ではない。
それからしばらくして痛みが治まって、ようやく布団へ座り込む。さて、これからどうした事か。
とりあえず、まずはこの傷の回復を念頭に置いた方が良さそうだ。そうでもしないと今のままじゃまともに身動きすらとれない。
あの天人に関しても気がかりはたくさんあるが、少なくとも殺しはしないと言っていたので身の安全に関しては当分は大丈夫だろう。そう信じたい。
私はそのまま布団に横になると、天井のふらふらとした灯りをぼんやりと見つめる。
全く、とんだ厄介事に巻き込まれてしまった。先がまったく見えない状況だが、せめてもの救いは思考が正常な事か。
自分の頭さえあればこの苦境は絶対乗り越えられる。今まで災難に巻き込まれた時もそうやって乗り越えてきたんだ。気だけはしっかり持たないと。そう強く自分に言い聞かせる。すると肩の傷の痛みも和らいできた気がするから不思議なものだ。
そう言えば穣子の奴は何をしているんだろうか。今頃きっとさぞかし心配している事だろう。
ふと目を閉じて穣子の顔を浮かべる。案の定、私の名前を呼びながら泣きじゃくる妹の顔が瞼の裏に現れる。
……もう、穣子たら泣かないの。大丈夫よ。姉さん必ず無事に帰るから。だから、もう少しだけ待ってなさい。
慰めるように妹の幻影へつぶやき、私は眠りについた。