1 レトロスペクティブ東京
私は宇佐見蓮子という名前を与えられた。分娩室で血と羊水に塗れた私を渡された父は、ただただ生まれ出ては泣き叫ぶ姿を見て、不思議に思ったそうだ。
『何故、新しく生命は産まれるのだろう?』 と。
父と母は元々、子供を欲していなかったそうで、私がこの世に産まれることが出来たのは、祖母が両親に孫の懇願をしたおかげであった。祖母は著名な生物学者であったそうで、彼女の語る不思議な生き物の話は、幼い私の狭い世界を、虹の掛かる理想郷へと変えてくれた。この世界は素晴らしい。
私は旧東京都出身で、物心つくまでは旧都郊外の田舎町で過ごした。閑静な住宅地で娯楽少なく過ごした私にとって、廃墟と化していた旧都心は、巨大な遊び場だった。東京都心は、波立つ廃ビルと植物が芽を出しヒビ割れたアスファルト道路の、まるで管理されていない墓地のような場所で、幼い私は冒険と称してそこに自転車で赴いては、よく危険だから近寄るな、と両親に叱られていた。
昔、と言っても何十年、何百年前かはわからないが、旧都心は、今の新都心京都と同じくらいに賑わっていたそうだ。旧都心地下にはその名残か、迷宮と化した地下街が存在しているらしい。そこには金色の髪の少女の幽霊が、未だに亡くした友達を探して彷徨っているという。
60年ほど前に酷い伝染病が世界中で猛威を振るったらしく、その時、世界中で目撃された“救世主”も金色の髪をした少女であったそうだ。人類史的な関連性があったら面白い。彼女は今ではほぼ伝説化しているけれど、『ドウメキノオトメ』なんて呼んで妄信的に崇める終末思想の新興宗教が出てきているあたり、本当にあった出来事なんだと思う。
祖母が、幼い私に良く言っていた魔法の言葉を思い出す。
『ヤクモタツ イズモヤエガキ ツマゴミニ ヤエガキツクル ソノヤエガキヲ』
これが、日本神話でスサノオが詠んだ和歌だと知ったのは、祖母を置いて両親とともに大都会京都に越した後の話であった。当時はとんでもなく不思議な呪文で、これを唱えたら、転んだ傷の痛みや、引っ越しの時の寂しさも嫌なことは全部なくなってしまう便利なものだと勘違いしていた。あとあと、この和歌が縁結びと平和を願うものだと教えられて、言葉に詰まり苦笑したのを覚えている。
引っ越しの後はあまり良い記憶はなく、廃都東京出身の私に対する風当たりは冷たかった。それこそ、今の私の親友、マエリベリー・ハーンに出会わなければ、旧都心のよう荒んだ心になっていただろう。中高と同じ学校に進学して、そして大学も同じものを選んだ。私は現在最大の学派である超統一物理学、マエリベリー――通称メリーは新興の、相対性精神学へと進んだ。両親が仕事の都合や祖母の介護のため東京に戻ったあとも、私が京都で学業を続けることが出来たのは、ひとえにメリーが居たからである。
私とメリーは、学業とは別に、秘封倶楽部というオカルトサークルをやっていて、その活動として地域伝承やら都市伝説の調査を行っている。“不思議”に惹かれて勉学に励んだおかげか、私には星の位置と月を見るだけで、自分が地球の何処にいて、今が何時か解るようになり、探索の時、この能力は大いに活躍している。しかし、もっとすごいのはメリーで、俗にいう霊能者や超能力者に近いものを、生まれながらにして持っている。メリー曰く、
『結界の境い目、つまり物事の境界ね。それが私には見えるの』
とのことで、砕けた言い方をすれば、異世界的なものを感知できるらしい。そのおかげで、私は彼女と同じ夢を見て、その中で謎の遺跡を回ったり、怪物に追いかけられたり出来た。たまに、夢ではなくて、現実でメリーの周りにおかしな現象が起こるのだが、物理的に何が起きているのだろう? 学問は、私に力を与えてくれてる裏で、大いなる秘密を抱えている。
秘密と云えば、私には子供の頃から大事にしている宝物が1つあって、それは東京を離れる私に、祖母が託した古い“秘密箱”だった。多分、私が寂しくないように渡してくれたのだろう。秘密箱はその名前の通り、貴重品を隠すために考案された箱で、木造りの表面を特定の順番でスライドさせたり、押しこんだりしなければ開けられないようになっている。未だに私はコレを開けられず、もしかしたら下面にある穴が鍵穴で全部フェイクなのでは? と疑ってすらいる。ともかく、その秘密箱は何か硬いものが入っているようで、振ってみるとカラカラと音がした。不思議なのはその材質で、明らかに木材で拵えられているのにも関わらず、子供の私が癇癪を起こして、引っ掻いても、ぶつけても、傷ひとつ無かった事だ。昨日も、私とメリーは自室に集まって、その箱に様々なアプローチをしたが、結局開けられずじまいだった。
世界は不思議に溢れていた。
今の私が、オカルトに興味を持ち、それを大学生活と並行しながら研究しているのも、子供の頃に体験した“不思議”が影響しているのかもしれない。世界を開闢してくれた祖母には頭が上がらない。
――――その祖母が、もうすぐ死ぬらしい。
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