白上衣に紅袴の子供巫女。それがわたし。
手を繋いでいた、誰かがこう言った。
「今日からお前は此処に住むのです」
――と。
「ふうん」
それだけ、返した
目の前にあるのは、自分よりずうっと大きな赤いいりぐち。とりい、とかいうものだった筈。
とことこと、それをくぐって中に入る。
自分一人で棲まうにはちょっと広すぎるな、なあんて思って振り向いて、
「ねえ、あんたはどうするの――」
そう問うてみたら、それはもう其処に居なかった。
それが、最初の記憶だった気がする。
実のところ、それ以前のことはまるきり憶えていないのだ。
どこでうまれ、どこでそだち、どこで――生きたのか。
もうどうでもいい記憶だ。思い出す必要も無い。意味もない。だから思い出さない。
それでいい、と、博麗の巫女は判断している。
とことこと歩き回った。
正面に社殿、隣に倉庫、傍に手水舎、向かいに井戸……それで施設の全部を見て回ることが出来た。
今なら数分もかからない散歩。
だけど、この時はゆっくりじっくり、四半時はかけたと思う。
「………」
とことこと社殿に入る。本殿の扉は閉まっていた。何か大きな二文字の書かれたこれまた大きなおさいせん箱があり、よいしょっとそれに座って神社を見据える。
灯籠に挟まれた石畳の道がさっきくぐった鳥居まですうっと伸びて、鳥居の周りに桜がうわっといっぱいに咲いていた。自分が来る長い階段を昇っていたときは、こんなの気付かなかったのに。
「綺麗」
小さな手を翳す。
掌と合わせると、まるで自分の手から桜の花びらが散っていくように見えて、とても儚げで、そこで始めて、自分がいま、寂しいのだと、気が付いた。
そんな切なさもいっときのもの。
きゅるる、とお腹の虫がなったのだ。
満ち足りなければ不満は起きないとはよくいったものだ。
そして、深刻さには度合いがある。
よっぽど此方の方が悩ましい。
「おなかすいたわ」
この建物の中に何か食べ物があるのか、道具はあるのか。
まぁいいや、ととにかく中に入ってから考えることにした。
今日から此処は自分の家で、
今日から私はこの神社の巫女。
今日から妖怪退治の仕事を始めるのだ――。
言われたからするってあたり、シュタイセイがないって言われそうだけど。
とことこ社殿の奥へと向かう。
社屋を囲う縁側を歩いてみれば、この社殿自体、一部が生活するための部屋になっていた。
……誰かの気配があった。
残り香とでもいうべきだろうか。微かな、ひとの気配。
もう薄れかかっていて、そういう鋭さには自信があるけれど、流石に何者かまでは解らない。
だがなんとなくはわかるし、理屈では知解している。
「しくじった」か、「去った」かのどちらかだ。逢うことは無いものだ。
そして、この気配はいずれ自分がとってかわるものだとも。
「仕事が雑ねえ」
先程まで手を繋いでいた妖怪に毒突く。
まあいい。
寝るための道具、喰うための道具、排泄する場所、禊をするとこ、きれいにするところ、
生活に必要なものは全て揃っている。
だが、土間の物入れには米粒一つ入っていないし野菜も薬もおさかなも、何も入っていなかった。
「ほんと、雑だわ。飢え死ねっていうのかしら」
愚痴を言ったところで飢えは凌げない。
さてどうしたものか、教えて貰った人里まで歩いてどの位掛かるのだろう。
でも其処に向かうくらいしか現状の危機回避が見つからない。
歩いて行くのは面倒だけど……まあしょうがないか、行こう。
たぶん、飢え死ぬのは苦しそうだ。
しかし、新居を知るなり暫し留守にする事になるとは。
そんな事を考えながら、社殿の正面に戻ってまたあの綺麗な桜を見つめて足を停めてしまう。
それ程に美しい雅景であった。ただぼうっと見ているだけで胸がきゅうっと切なくなる。
――お腹の虫がまた鳴った。
「あーあー、我ながら便利な身体だわ。心を盗まれるなと言いたいのね。なんだ、存外死にたくないんじゃない」
ぶちぶち言いながら、再び鳥居に向かって歩きだす。
鳥居を潜ろうとしたその時「待ちなさい」と背中に声がかかった。
ふりむくとそこに、妖狐が立っていた。そりゃまあけつねしっぽが生えているのですぐ解る。
巨大な妖力を持っているのも一目でわかる。しっぽが矢鱈に生えてて数えるのが面倒だから。さっきのアイツの縁者だろう、気配もあった。
……何の用だろうか。
ぼけえっと見ていると、向こうから近付いてきた。
……近付いて来るほどに首が痛くなってくる。
頭が高ェ。
妖狐は、酷く醒めた目で此方を見ている。
はて、私何かしたかしら。
「お前が新しい博麗か――」
「そうらしいわ」
「らしい、とは……自覚がないのか?」
「ないよ。告げられて、連れてこられただけだもの」
「…………紫様も何を考えておられるのか」
「まぁ仕事が雑なのは確かね」
「…………」
「…………」
なんか、居丈高に次々言われたのでついムッとして言い返してしまった。
しばしの睨み合いになってしまう。
またそれも身長差から見下ろされている結果となり、しかも口元に薄ら馬鹿にされた笑みまで浮かべられ、余計に苛立ってしまう。
……その腕に味噌樽やら野菜のささった風呂敷やら背中に米を担いでいる辺りから、兵站線を維持してくれるありがたいお使い妖怪だと理解はできるのだけれども。
「……まあいい、これからしばらくの間、私がお前の世話をする」
「そうなの?」
「……あのな、言っておくが、私は格の高い妖怪なのだ。お前に教えを説く以上、容赦なく扱くからそのつもりでいろよ」
「教え?」
「そうだ、炊事洗濯掃除、一人で生きるための術。そして博麗としての礼法、神事、憶えることは沢山あるのだ。粛々と受け、人としての節度も知るが良い。まぁ、まず教えるべきなのは礼法からのようだがな」
「いや要らないわよ、そんなの」
「……なんだと?」
「修業とか習い事とか言われてもねぇ。私は妖怪を斃し人を護れとしか言われてないし。それをする約束はしたけれど、面倒臭そうな事はしたくないわ」
「なんとまあ不遜な」
「なによりあんたのその言草が気に食わん。あんたは要らんから食材だけ置いて帰りなさい」
「……聞きしに勝る悪童だな。何もできないくせに口先だけは一丁前か」
居丈高な物言いを少しも変えやしない、この妖怪。
……少しばかりイライラしてきた。こっちはお腹が空いているというのに。
「私はただ、お腹が空いているだけなのよ。あんたにボロクソ言われる気も謂れもないの。その食材が私のためのものじゃないなら持って帰って良いわ。それで、二度と顔を見せないで」
「生意気な……そこまでこの私に大口を叩くからには、痛い目にあっても良いのだろうな」
「逆に聞くけど、殺しちゃっても良いの? 私、手加減とか苦手なのよね」
「解った。まずは互いの立場を解っておこうか」
九尾の身体から禍々しい妖気が溢れ出す。
対し、此方は少しの変化も見せずに佇んだまま。
一目見て、彼我の行く末が概ね解る。これも自分の特技、らしい。
まあ、今まで何を見ても結果が違ったことはないのだが。
「……お前、私が怖くないのか」
「ぜんぜん? 言っとくけど、ちょっと懲らしめてやろうとかって軽い気持ちなら辞めた方が良いからね。あんたの為に言ってるのよ」
「――小癪!」
……戦闘、いいや、一方的な蹂躙は、たったの一合で決着する。
「あ……ぅ……」
「――九尾の狐とか言われてもねえ。私、あんまり妖怪の知識ってないのよね。強い妖怪ってくらいは知っているけど……でも、良かったわ。アイツの使いを殺さずに済んだ。あんた、本当に強いのね。それに、優しいね。手加減してくれていたのでしょう?」
「ぐ、く……」
脅かす程度の妖力だったのだろう。撃ってきた妖力に対しちからを撃ち返した。
だがやはり相殺しきれるような威力ではなく、多少弱まったとはいえまともに当ててしまった。
身体の幾つかを灼いてしまったが、まあ妖怪ならその内治るだろう。
向こうから吹っ掛けてきたこととはいえ、こっちもお腹が空いていたのでついついちからを振ってしまった。
だけど本当に、力を絞るのは苦手なのだ。
自分にとっての壱が、相手の千では調整のしようもないではないか。
それでも、流石はたくさんしっぽの妖狐だ。ちゃんと、生き残っている
「あー……私、手加減は苦手って言ったでしょ。どうしても殺しちゃうのよ。死ななかったのはあんたで五本の指のいくつか目よ……うわ、もう治ってるし」
「い……いやはや……怖ろしいちからだな。確かに懲らしめてやる気でいたが、なるほど、お前をこういう手段で解らせるのは難しいのか」
「そうね」
「わかったわかった、じゃあもう勝手にしろ。これは置いていく」
「ありがとう」
少しだけ、驚いた。この妖狐はまだまだ実力を隠しているのかな。
……あの再生能力は羨ましいなと思う。さっきまで顔も酷かったのに、もう綺麗になっている。
それに私のちからを受けてすら態度を変えず、むしろなんだか感心している。
こちらも感心。それから素直に礼を言うと、妖狐は何故だか変な顔を作る。
「何その顔」
「お前は変な奴だな……闘いに勝ったのだから、これは当然自分のモノだ、くらい言いそうなものだと思ったが」
「やめてよ。私は盗人でも追い剥ぎでもないわ。なんであれ、人からなにかを奪うのは大嫌いなの」
だから、本当はこのちからも嫌い。
多分一生誰にも云わないけどね。
「……おかしな奴だ」
「あんたこそおかしな奴よ。今ボロボロにされた癖に、よくまあその態度を崩さないわねえ」
「妖怪とは、そういうものだ」
「…………ふーん」
少しばかり悩んでから、立ち去る気配を見せた妖狐の導師服の裾を掴んで止める。
「お願いがあるのだけれど、良いかしら」
「なんだ」
「ご飯の炊き方教えて」
「……………………は?」
「は? じゃないわよ、教えてください。知らないの」
妖狐は眼を丸くして此方を見下ろしてくる。
こっちも見上げて視線を返す。
暫し――妖狐が笑い出した。
「く、くふふふふっ、なんなのだ、お前は……食材を置けばありがとうと言うものだから、飯くらい作れるのかと思ったのに」
「じ、自分でできる……と思うけど、習った方が早いでしょう?」
「ふうん? 足の早い魚なんかも持ってきた。それに、青物だってある。食べきれないのは干物か塩漬けにするべきだが、やり方は解るか?」
「……わかんない」
「米の保管の仕方は? 下手すると虫が湧くぞ」
「あーもうっ! 教えてって言っているでしょう!? 言い方がやらしいわよ!」
「く、ふ、くははは……わかった、わかった。どうやら私もやり方を間違ったようだ。普通のややこを相手にするつもりであった。そうだな、お前は博麗だ。それなりの扱いをせねばな」
「ご飯の作り方だけで良いわよ」
口を尖らせぶーたれる。
すると、妖狐はニヤリと口角を上げ、勝ち誇ったように言ってくる。
「そういうわけにはいかんな。メシの作り方を教えてやるから、他のことも習いなさい。これはそうだな、交換条件だ」
なんか、してやられた風になってはいるが……自分から折れたのは本当だし、なんとなくこの妖狐は嫌いになれない。
そもそもお腹が空いて、限界だ。
「…………解ったわよ。その代わり……」
「その代わり?」
「あんたの名前を教えなさいよ。やりづらいったらないわ。それから、首が痛いからもっと近寄って」
妖狐は、眼を丸くしてから微笑み、片膝をついた。
それでもなお、こっちより存外視線が高い。
まあ、それでもさっきよりは全然マシだ。
すっかり傷の癒えた美しい妖狐は、微笑みのままに此方の手をとる。
「私の名は八雲藍。お前の先生になるものだ」
「……よろしく、藍。はやいとこ、ご飯作ってくれる?」
暖かく大きな手に自分の手が包まれる。
その温もりに、悔しいが、酷く安心できて嬉しくなってしまうのが悔しく、視線を逸らしつつ毒突いてやった。
手を繋いでいた、誰かがこう言った。
「今日からお前は此処に住むのです」
――と。
「ふうん」
それだけ、返した
目の前にあるのは、自分よりずうっと大きな赤いいりぐち。とりい、とかいうものだった筈。
とことこと、それをくぐって中に入る。
自分一人で棲まうにはちょっと広すぎるな、なあんて思って振り向いて、
「ねえ、あんたはどうするの――」
そう問うてみたら、それはもう其処に居なかった。
それが、最初の記憶だった気がする。
実のところ、それ以前のことはまるきり憶えていないのだ。
どこでうまれ、どこでそだち、どこで――生きたのか。
もうどうでもいい記憶だ。思い出す必要も無い。意味もない。だから思い出さない。
それでいい、と、博麗の巫女は判断している。
とことこと歩き回った。
正面に社殿、隣に倉庫、傍に手水舎、向かいに井戸……それで施設の全部を見て回ることが出来た。
今なら数分もかからない散歩。
だけど、この時はゆっくりじっくり、四半時はかけたと思う。
「………」
とことこと社殿に入る。本殿の扉は閉まっていた。何か大きな二文字の書かれたこれまた大きなおさいせん箱があり、よいしょっとそれに座って神社を見据える。
灯籠に挟まれた石畳の道がさっきくぐった鳥居まですうっと伸びて、鳥居の周りに桜がうわっといっぱいに咲いていた。自分が来る長い階段を昇っていたときは、こんなの気付かなかったのに。
「綺麗」
小さな手を翳す。
掌と合わせると、まるで自分の手から桜の花びらが散っていくように見えて、とても儚げで、そこで始めて、自分がいま、寂しいのだと、気が付いた。
そんな切なさもいっときのもの。
きゅるる、とお腹の虫がなったのだ。
満ち足りなければ不満は起きないとはよくいったものだ。
そして、深刻さには度合いがある。
よっぽど此方の方が悩ましい。
「おなかすいたわ」
この建物の中に何か食べ物があるのか、道具はあるのか。
まぁいいや、ととにかく中に入ってから考えることにした。
今日から此処は自分の家で、
今日から私はこの神社の巫女。
今日から妖怪退治の仕事を始めるのだ――。
言われたからするってあたり、シュタイセイがないって言われそうだけど。
とことこ社殿の奥へと向かう。
社屋を囲う縁側を歩いてみれば、この社殿自体、一部が生活するための部屋になっていた。
……誰かの気配があった。
残り香とでもいうべきだろうか。微かな、ひとの気配。
もう薄れかかっていて、そういう鋭さには自信があるけれど、流石に何者かまでは解らない。
だがなんとなくはわかるし、理屈では知解している。
「しくじった」か、「去った」かのどちらかだ。逢うことは無いものだ。
そして、この気配はいずれ自分がとってかわるものだとも。
「仕事が雑ねえ」
先程まで手を繋いでいた妖怪に毒突く。
まあいい。
寝るための道具、喰うための道具、排泄する場所、禊をするとこ、きれいにするところ、
生活に必要なものは全て揃っている。
だが、土間の物入れには米粒一つ入っていないし野菜も薬もおさかなも、何も入っていなかった。
「ほんと、雑だわ。飢え死ねっていうのかしら」
愚痴を言ったところで飢えは凌げない。
さてどうしたものか、教えて貰った人里まで歩いてどの位掛かるのだろう。
でも其処に向かうくらいしか現状の危機回避が見つからない。
歩いて行くのは面倒だけど……まあしょうがないか、行こう。
たぶん、飢え死ぬのは苦しそうだ。
しかし、新居を知るなり暫し留守にする事になるとは。
そんな事を考えながら、社殿の正面に戻ってまたあの綺麗な桜を見つめて足を停めてしまう。
それ程に美しい雅景であった。ただぼうっと見ているだけで胸がきゅうっと切なくなる。
――お腹の虫がまた鳴った。
「あーあー、我ながら便利な身体だわ。心を盗まれるなと言いたいのね。なんだ、存外死にたくないんじゃない」
ぶちぶち言いながら、再び鳥居に向かって歩きだす。
鳥居を潜ろうとしたその時「待ちなさい」と背中に声がかかった。
ふりむくとそこに、妖狐が立っていた。そりゃまあけつねしっぽが生えているのですぐ解る。
巨大な妖力を持っているのも一目でわかる。しっぽが矢鱈に生えてて数えるのが面倒だから。さっきのアイツの縁者だろう、気配もあった。
……何の用だろうか。
ぼけえっと見ていると、向こうから近付いてきた。
……近付いて来るほどに首が痛くなってくる。
頭が高ェ。
妖狐は、酷く醒めた目で此方を見ている。
はて、私何かしたかしら。
「お前が新しい博麗か――」
「そうらしいわ」
「らしい、とは……自覚がないのか?」
「ないよ。告げられて、連れてこられただけだもの」
「…………紫様も何を考えておられるのか」
「まぁ仕事が雑なのは確かね」
「…………」
「…………」
なんか、居丈高に次々言われたのでついムッとして言い返してしまった。
しばしの睨み合いになってしまう。
またそれも身長差から見下ろされている結果となり、しかも口元に薄ら馬鹿にされた笑みまで浮かべられ、余計に苛立ってしまう。
……その腕に味噌樽やら野菜のささった風呂敷やら背中に米を担いでいる辺りから、兵站線を維持してくれるありがたいお使い妖怪だと理解はできるのだけれども。
「……まあいい、これからしばらくの間、私がお前の世話をする」
「そうなの?」
「……あのな、言っておくが、私は格の高い妖怪なのだ。お前に教えを説く以上、容赦なく扱くからそのつもりでいろよ」
「教え?」
「そうだ、炊事洗濯掃除、一人で生きるための術。そして博麗としての礼法、神事、憶えることは沢山あるのだ。粛々と受け、人としての節度も知るが良い。まぁ、まず教えるべきなのは礼法からのようだがな」
「いや要らないわよ、そんなの」
「……なんだと?」
「修業とか習い事とか言われてもねぇ。私は妖怪を斃し人を護れとしか言われてないし。それをする約束はしたけれど、面倒臭そうな事はしたくないわ」
「なんとまあ不遜な」
「なによりあんたのその言草が気に食わん。あんたは要らんから食材だけ置いて帰りなさい」
「……聞きしに勝る悪童だな。何もできないくせに口先だけは一丁前か」
居丈高な物言いを少しも変えやしない、この妖怪。
……少しばかりイライラしてきた。こっちはお腹が空いているというのに。
「私はただ、お腹が空いているだけなのよ。あんたにボロクソ言われる気も謂れもないの。その食材が私のためのものじゃないなら持って帰って良いわ。それで、二度と顔を見せないで」
「生意気な……そこまでこの私に大口を叩くからには、痛い目にあっても良いのだろうな」
「逆に聞くけど、殺しちゃっても良いの? 私、手加減とか苦手なのよね」
「解った。まずは互いの立場を解っておこうか」
九尾の身体から禍々しい妖気が溢れ出す。
対し、此方は少しの変化も見せずに佇んだまま。
一目見て、彼我の行く末が概ね解る。これも自分の特技、らしい。
まあ、今まで何を見ても結果が違ったことはないのだが。
「……お前、私が怖くないのか」
「ぜんぜん? 言っとくけど、ちょっと懲らしめてやろうとかって軽い気持ちなら辞めた方が良いからね。あんたの為に言ってるのよ」
「――小癪!」
……戦闘、いいや、一方的な蹂躙は、たったの一合で決着する。
「あ……ぅ……」
「――九尾の狐とか言われてもねえ。私、あんまり妖怪の知識ってないのよね。強い妖怪ってくらいは知っているけど……でも、良かったわ。アイツの使いを殺さずに済んだ。あんた、本当に強いのね。それに、優しいね。手加減してくれていたのでしょう?」
「ぐ、く……」
脅かす程度の妖力だったのだろう。撃ってきた妖力に対しちからを撃ち返した。
だがやはり相殺しきれるような威力ではなく、多少弱まったとはいえまともに当ててしまった。
身体の幾つかを灼いてしまったが、まあ妖怪ならその内治るだろう。
向こうから吹っ掛けてきたこととはいえ、こっちもお腹が空いていたのでついついちからを振ってしまった。
だけど本当に、力を絞るのは苦手なのだ。
自分にとっての壱が、相手の千では調整のしようもないではないか。
それでも、流石はたくさんしっぽの妖狐だ。ちゃんと、生き残っている
「あー……私、手加減は苦手って言ったでしょ。どうしても殺しちゃうのよ。死ななかったのはあんたで五本の指のいくつか目よ……うわ、もう治ってるし」
「い……いやはや……怖ろしいちからだな。確かに懲らしめてやる気でいたが、なるほど、お前をこういう手段で解らせるのは難しいのか」
「そうね」
「わかったわかった、じゃあもう勝手にしろ。これは置いていく」
「ありがとう」
少しだけ、驚いた。この妖狐はまだまだ実力を隠しているのかな。
……あの再生能力は羨ましいなと思う。さっきまで顔も酷かったのに、もう綺麗になっている。
それに私のちからを受けてすら態度を変えず、むしろなんだか感心している。
こちらも感心。それから素直に礼を言うと、妖狐は何故だか変な顔を作る。
「何その顔」
「お前は変な奴だな……闘いに勝ったのだから、これは当然自分のモノだ、くらい言いそうなものだと思ったが」
「やめてよ。私は盗人でも追い剥ぎでもないわ。なんであれ、人からなにかを奪うのは大嫌いなの」
だから、本当はこのちからも嫌い。
多分一生誰にも云わないけどね。
「……おかしな奴だ」
「あんたこそおかしな奴よ。今ボロボロにされた癖に、よくまあその態度を崩さないわねえ」
「妖怪とは、そういうものだ」
「…………ふーん」
少しばかり悩んでから、立ち去る気配を見せた妖狐の導師服の裾を掴んで止める。
「お願いがあるのだけれど、良いかしら」
「なんだ」
「ご飯の炊き方教えて」
「……………………は?」
「は? じゃないわよ、教えてください。知らないの」
妖狐は眼を丸くして此方を見下ろしてくる。
こっちも見上げて視線を返す。
暫し――妖狐が笑い出した。
「く、くふふふふっ、なんなのだ、お前は……食材を置けばありがとうと言うものだから、飯くらい作れるのかと思ったのに」
「じ、自分でできる……と思うけど、習った方が早いでしょう?」
「ふうん? 足の早い魚なんかも持ってきた。それに、青物だってある。食べきれないのは干物か塩漬けにするべきだが、やり方は解るか?」
「……わかんない」
「米の保管の仕方は? 下手すると虫が湧くぞ」
「あーもうっ! 教えてって言っているでしょう!? 言い方がやらしいわよ!」
「く、ふ、くははは……わかった、わかった。どうやら私もやり方を間違ったようだ。普通のややこを相手にするつもりであった。そうだな、お前は博麗だ。それなりの扱いをせねばな」
「ご飯の作り方だけで良いわよ」
口を尖らせぶーたれる。
すると、妖狐はニヤリと口角を上げ、勝ち誇ったように言ってくる。
「そういうわけにはいかんな。メシの作り方を教えてやるから、他のことも習いなさい。これはそうだな、交換条件だ」
なんか、してやられた風になってはいるが……自分から折れたのは本当だし、なんとなくこの妖狐は嫌いになれない。
そもそもお腹が空いて、限界だ。
「…………解ったわよ。その代わり……」
「その代わり?」
「あんたの名前を教えなさいよ。やりづらいったらないわ。それから、首が痛いからもっと近寄って」
妖狐は、眼を丸くしてから微笑み、片膝をついた。
それでもなお、こっちより存外視線が高い。
まあ、それでもさっきよりは全然マシだ。
すっかり傷の癒えた美しい妖狐は、微笑みのままに此方の手をとる。
「私の名は八雲藍。お前の先生になるものだ」
「……よろしく、藍。はやいとこ、ご飯作ってくれる?」
暖かく大きな手に自分の手が包まれる。
その温もりに、悔しいが、酷く安心できて嬉しくなってしまうのが悔しく、視線を逸らしつつ毒突いてやった。