五
主の間で退治したその女の子は、驚くくらいに愛らしく小さくか弱く見えたのに、驚くくらいに傲慢で不遜で小生意気だった。
なるほど吸血鬼異変の首謀者なのも頷けるわ。
紅魔館の主の第一印象は、とにかくかわいい、だった。
大きな窓硝子から入り込む月明かりを背に受け、最後の相手となった少女は未だ玉座から立ち上がりもしないままに言を吐く。
「ふうん……それがスペルカードルールってわけ? 面白そうね」
「……一応、此処までの連中には理解を貰って付き合わせたわ。なんだかんだ楽しんでくれたみたい」
銀の髪を指で揺らし、紅い目を薄暗闇のなかで朧に滲ませる少女は薄笑んだ。
なるほど、威徳とはまさにこういうものかと学習する。
わたしにもあんなふいんき、出せるものかしら?
「でもさァ、殺し合ってこそ戦いは楽しいのではないかしら。それに何度も何度も挑まれるのだって、そりゃあ挑む方はいいかもしれないけれど、挑まれる方はウンザリじゃない?」
「……確かにそれはそうかもね。でも、貴女はその一回だけで、相手のすべてを推し量れるの? 次があったらもっと新しい発見があるかもしれない。次があったらもっと新しい気付きがあるかもしれない」
吸血王女は爪を研ぐ。
その眼の朧は薄ぼんやりとした光を消さない。
今、彼女がしているのだろう計算のように、胡乱な気配を漂わせている。
「……なるほど、それは確かにこっきり勝負じゃ視えない事ね。でも……だからこそ命は美しい。生命に対して真摯になれる。たったひとつを燃やし尽くすから美しい……違う?」
「うーん……確かに私は……経験が無いけれど、知り合ったヤツにこんなのがいるわ。踏まれても、殺されかけても、腹に穴が空いても、笑って、運命を受け入れないヤツ。口では死ぬぅ死ぬぅ言いながら、しぶとく生き延びてまた悪巧む奴。それは生き汚いけど、綺麗だったわ」
「――繰り返すこと、諦めないことに美しさがあると? 人間らしい発想だわ」
「そいつは妖怪だけど?」
「おやおや。ふうん、無様を美しいと思える、か……汚いは綺麗、綺麗は汚い…ふうん……」
眼を細め、口を緩やかに上げ、私の言葉を反芻しているらしい吸血鬼。その歯には牙が覗き、その薄笑いは肉食獣のそれだと気付く。
捕食者には、王の定めを持つものには解らない理屈だろうか?
だが……彼女は何か楽しそうに、くつくつ思い出し笑いを始める。
「いいよ。元々その遊びに付き合うつもりはあるさ。ただ……一つだけ条件がある。その遊びをする前に、私はお前が識りたい。お前の提言を受け入れるために、お前が何者であるか見極めたい――意味はわかるだろう?」
「あー? それって、必要なことなの?」
「ああ必要だね。だけど、お前の持ってきたルールを否定しているんじゃないよ。面白そうだと思うし、素敵な考えだとも、全力で支持しようとも決めたよ。ただね、それとは別に、私はお前を識りたいのさ。馬鹿騒ぎの時に聞いた、大妖怪たちをも畏れさせる博麗の巫女をね」
「……どいつもこいつも私を買い被りすぎだわ。私はただ穏やかに過ごしたいだけ」
「たった一人で? それは違うだろう?」
チクリと胸が貫かれた。
一人の何が悪いってのよ。
言おうとしたら――
「だって、一人じゃその遊びはできないよ。私がしたいことだって、そう。一回で良い、殺り合いたい。それで始まることがあるのだよ」
「……何を言っているのだか、こっきり勝負だって自分で言った癖に」
「そうだよ、魂を焦がすような戦いをしたいのさ――わかりあうために」
にこにこと微笑む少女。
初対面の相手によくもまあ、ここまで言えたものね。
まるで、愛の告白のようだわ。
それすらも、愉しんでいるのか。楽しめるのか。人間には、解らない理屈かもしれないな。
どうするべきなのか。どうあるべきなのか。
だけど、交渉の場にあって彼女が手を差し伸べてきたのは確か。
……充分に悩み、考慮した上で、応えた。
「いいよ。だけど……今は嫌。折角こうやっていこうって決めたことなの。私が私のこころで決めたこと……大切にしたい。だから、貴女と約束する、というのでは駄目かしら」
「どんな約束?」
「――その時が来たら、あんたを殺してあげるわ」
黒瞳と紅瞳が絡み合った。
「ふふっ……あははははっ」
「おかしいかしら?」
「ああ、おかしいよ。そうか、私を殺すか……まったくおかしい。さらりと良くも言えたものだ。お前は本当に自分を揺らがさないのだねえ。まるで妖怪のようだよ」
「妖怪巫女ってよく言われるわ」
「あははははっ……はー、おっかしい」
私を馬鹿にした笑いではないのは解る。
慈愛をもったもの
知啓を背負うもの
諦念を放棄するもの
色んな妖怪たちがいた
この吸血鬼は……今まで出逢ってきたどんな妖怪ともまた違う気がする。
色んな感情を抱えているのだろう。話せば話すほどに幼さを隠さなくなっていく吸血王女。
最後に彼女はこういった。
「約束だぞ、博麗の巫女。必ず私を殺せよ」
「いいわ、約束ね」
「よし、それでは始めよう……あー、ごめん。ルールをもうちょっと聞かせておくれでないかい? なんせ手加減なんて初めてだ」
「格好つかないわねえ……私は結構コツを掴めてきたわよ。まずはね、楽しむことが大事なの」
「私はナンだって楽しんでいるよ」
玉座から降り立った少女が此方に寄ってきて、隣にくっついてくる。
調子狂うな。
まあいいか。この子には特に念入りに教えるべきなのも決めていたことだ。
良き理解者を得る為に。
だけど、当初の目的以上の何かを得る事ができた気がする。
そうね、確かにそれは一人ではできないことだわ。
「……だいたい解った、それじゃあ始めようか」
「野暮だけど、言っとくわ。やるからには本気でね」
「勿論――さあてと……」
とことこと玉座に戻ってから……紅い目を強く輝かせて浮かび上がる。
巨大な妖気が部屋を覆っていく。
私を見て、私を識ってと叫んでいるかのような紅い嵐だ。
それを見て、わたしは自分の決めたことがきっと正しかったと確信できた。
そうだね、一人ではできないことだ。
追うようにしてふわりと空に浮かび上がる。
いつのまにか、自然に飛べるようになっていた。
私はいつでも、気がついたときに事を終えている。
だけど今回は過程を楽しんでいきたい。
そう、米の一粒を噛み締めるようにこの出逢いを愉しもう。
「さあ……こんなにも月が紅いから、本気で殺すわよ」
「……こんなに月も紅いのに」
「「楽しい永い夜になりそうね」」
楽しい戦いが始まった。
互いの主張を押し付けあい、
その抜け道を探り、攻略法を見つけだす。
たった一筋の勝機を見つけるために、蟻の一穴を全速力で駆け抜け続ける。
吸血鬼は笑っていた。
私も応えていた。
惜しむらくは、このルールには必ず終わりが来ることだ。
決着しなきゃゲームにならないしね。
「……ねえ、なんでこんなルール思いついたの?」
「あー? んー……なんでだろう。殺したくない……は、違うな。一番近いのは、あんたの言っていた……解り合いたい。ってとこかしら」
お互いあちこち衣服を破れさせ、あちこち薄い怪我をこさえての終わり。
吸血鬼は紅い目をきらきらと瞬かせながら囁きかけてくる。
「で、私はどの位強かった?」
「んー、今までで最強よ」
「やった」
「まだ五人目だけどね」
「……ウチの連中だけじゃん、それ」
「だって始めたばっかのルールだし」
「なあんだそれ……ふむ、それじゃあジャンジャン拡めないとねえ。私がチョロいと思われるのは沽券に関わる」
腕を組み鼻息を荒くする様が可愛い。
そうね、この子に理解を求めたのは正解だった。
だってこの子からも理解を頼んできたのだから。
解り合えるのはともかく、解り合おうとするのはもっと大事よ。
「それじゃあ帰るわ……あっと、当初の目的忘れてた。あんた、負けたんだからちゃんと霧を晴らしなさいよ」
「ねえ、次はいつ逢える?」
「あー? あんた人の話聞いてんの?」
「そっちはもうどうでも良いのよ。でで、次はいつ逢える?」
「どうでもいいって……まあ、気が向いたらまた来るわ」
「ねね、逢いに行っても良い?」
「グイグイくるなぁ……別に良いわよ。普段は概ね神社にいるし」
「そう……」
レミリアの紅い目が細まる。
至近距離でその顔をされるのは少し困るな。
私が露骨に目を逸らすと、吸血鬼はにこりと笑って腕を組んできた。
「霊夢」
「なによ」
「じきに騒がしくなるわよ。あんたはそういう道を選んだのだから」
「あー? なんの話よ」
耳元で甘ったるく囁いてから、身体を離すレミリア。
その顔にはとても優しげな感情がみえた。
この子の瞳は何を見ているのだろうか? 少しだけ興味が湧く。
――まあ、聞かないけれど。野暮ってものだわ。
そしてその予言はすぐに的中することになるわけだが。
自分が望んだものだったのかどうか、それはヒミツ。
だって、言葉にしたら野暮ってものだわ。
おわり