5.5.天罰
「ところで、皆は覚えているだろうか?
天狗は見て見ぬ振りをしていたけれど、ただ一つだけ、未解決の謎が放られているのを。
結界を抵抗なくすり抜けられた人間が二人。それは問題ない。多少力があるようだが、目には留まらない。
しかして異能を孕みし悪しき肉体では、それは叶わない。確実に賢者に察知され、隠れ蓑を被る前に排除されただろうね。
何故賢者の目を盗み、怪物は楽園でのうのうと餌を貪れたのか。
天狗は一度、その答えに触れていたのさ。
奴が存在し、利を得た者がいるのだよ。
賢者には巫女がいる。なればこそ、そんな存在が、手足となる存在が私にも必要だと考えたんだ。
弟子二人は便利だが、少々ぬるい。
だから目をつけた。一度は私を降し、その仮面に隠し通せぬ身勝手な正義を振りかざす、遣いの英雄を。
結果として英雄は成った。
しかし想定外だったのは、英雄化の礎になるべく招いた怪物が余計な者を連れ込んだこと。
そして、その二人の境遇が、存外私の腹わたを煮え繰り返らせたこと。
自己しか鑑みぬ愚者には、似合いの様をくれてやろうじゃないか。それが私に出来る、憐れな姉弟への送り火でもあるのだからね。
何? 自己しか鑑みていないのは私じゃないかって? いいのだよ、私はこう見えても神なのだからな」
◇◇◇
閑静な高級住宅街にはおよそ似つかわしくない物々しい喧騒の朝。
野次馬と報道、そして鑑識や先に元着していた所轄の刑事がざわついていた。
多くの事件に係わった。死体は見慣れているし、その千差万別の状況も大体は体感してきた。
が、こんなヒリついた空気は珍しい。以前連続猟奇殺人犯によるものを発見した時でもここまでではなかったのだが。
「お疲れ様です。とりあえずえっと……写真からにした方がいいかと……」
青い顔をした所轄の刑事は開口一番そう言ったが、何をバカなことをとその提案を断って亡骸の元へ。
うつ伏せに倒れた女性。かなりの血が出ているのが掛けられたブルーシート越しでもわかる。背中を鋭利なもので切りつけられたか。
何の躊躇いもなく、ブルーシートをめくる。が、実のところ、心底後悔した。
およそ人のやったこととは思えない、ガイシャの初見はまさにその一言に尽きる。
まるで背中を力任せに、背骨を中心に左右に開いたようだった。
刃を入れ皮を剥いだなんて生易しいものではない。内側から左右に引っ張られたとしか思えない。
これを表現するならば――"背中の扉を開かれた"と言ったところ。
あまりの光景に顔の確認をしていなかったが、見れば、かなりの有名人であるとわかる。
名を、横瀬金子。
近年貿易産業で急成長を遂げた『横瀬グループ』のナンバー2。しかし実際はお飾りの社長を仕立てあげ、内外を好きに操っているのはこの女だったという。
数年前、『横瀬グループ』の社長と、その妻であり副社長を務める夫婦の突然の事故死があった。さらにその後社長夫妻の一人娘と、後に引き取った弟が一人行方不明となり、社長の親戚筋という形で秘書をしていた金子はなし崩し的に今の地位を手に入れた。
泣き崩れながら会見をする金子の姿は、長らくお茶の間に悲劇のヒロインとしての彼女のイメージを作り上げていったが、あまりのタイミングの良さから黒い噂も絶えることはなかった。
実際、捜査線上にこの女の名前が何度も浮上していたのは事実である。
しかし結局裏が取れず、社員の一人が社長の車に細工をしたと自首してきたことで事件は解決。姉弟の方も山道の崩落に巻き込まれたらしい死体が発見され、検死の結果事件性も薄いと判断されることとなる。
それを見計らったように金子は政界への進出を発表。税制の見直しや事実上の一党独占体制への批判から民主制度支持派層からのパイプを確立。次回の選挙では圧勝であろうと言われていた。
「まったく、なんて顔してやがる」
手繰り寄せた先、巨額の財を手に入れた金子の糸は命の方が先に途切れた。それが余程悔しかったのか、はたまた他に理由があったかは定かでないが、死んだ彼女は苦悶、そして悔しさが入り交じった――絶望の形相だった。
◇◇◇
息を吐く。
目の前が白く煙る。
息を吸う。
冷気が喉に流れ込む。
長く尖った耳も萎れる寒さ。今年は例年以上に豪雪だ。聞けば外の世界では深刻な雪不足なのだとか。雪かきや屋根の雪降ろしの手間が省けて羨ましい限りである。
雪は身の丈より高く降り積もり、人妖問わず遭難者が毎日のように報告された。その回収や救助で白狼天狗は大忙しだ。椛も「三日に一度しか休めない」と不満を漏らしていた。
顔をマフラーに埋め、冷えに耐えながら、天狗は見ている。
小高い山から、世界を見ている。
白銀に輝く『幻想郷』。生きとし生ける者を魅了し、生を喰らう白き世界。
白い葉をつけたようにすら見える樹上より、文は独り不敵に笑う。
絶景かな、絶景かな。
――「『幻想郷』の冬は雪がすごいですよ。雪かき、手伝ってくださいね」
――「秋も紅葉が綺麗ですけど、雪化粧もいいですね。その頃には翼も全快してるでしょうし、重いあなたでも運べるようになってるはず!」
時折、最期の一方的な別離の言葉を思い出す。
知らず知られず異変は終息し、それは天狗の戯言になっていようとも、今となっては間違いではなかったと言い切れる。
ふと、誰かに背中を押された気がした。
永きに渡り世界を見聞した身、所詮は一瞬のごっこ遊びなれど、残した想いは違えずある。
そう、彼女は天狗である。
力を持ち、時に力を身勝手に振るう鴉天狗、射命丸 文にとっての最大の武器はペン。ペン先から紡ぐ情報という力は昨今、外の世界と同じく『幻想郷』でも重要視されはじめていた。
今日という日ですらまた取材日和。
文はいとしい想いに押されるがまま樹上より身を投げ、翼を力強く羽ばたくと、多くが集う人里へと体を向けたのだった。
天狗社会、幻想郷の世界観を全て使って、後書きで書かれている「カッコいい文ちゃんと椛」をこれでもかと表現しているのがひしひしと伝わってきました。
裏でひっそり暗躍しながら謎に挑み、姉弟に翻弄され、怪物相手に大立ち回りを決める二人。どこか人間臭くもハードボイルドに活躍する二人が、本当に魅力的でした。
物語も、幻想郷と外の世界を目一杯に舞台にし、要素が複雑に絡み合っていながらもとても快活で、読んでいて大変気持ち良かったです。文字を送る手が止まりませんでした。
本当に素晴らしい作品でした! あやもみカッコよくて可愛いよ!
まさに王道と言った感じの展開で、読了感もよく良い作品だなと感じました。
シリアス作品なのでスペカは原作準拠のほうが良かったと感じたのと、個人的にはたてにやや違和感を感じましたが、全体的に面白かったです。
有難う御座いました。
一方でこの作品はその憐れな2人を見ることでカタルシスを呼び起こしながら同時に2人がどう救われていくかという物語であったと思うのです。2人の姉と弟の境遇は誰がどう見ても人間の醜悪さを体現した悲劇であったのと同時に怪物による悪意をも持ち合わせたものでありました。故に文が主観的に姉の記憶を体験していく場面には人間達また人間とは異なる怪異による2つの悪意に苛まれる姉の姿を垣間見ることになります。肥えた負の感情を一身にさらに主観的に受けるあの描写は読み手も同様に追体験をしているかの様に思われる程。そうして溜め込まれた負の感情が文と椛との日々の生活によって少しずつ溶かされていく。2度目の最期には姉と弟、2人の蟠りが救われていく様が本当に素晴らしく感じられました。
2人の魂の行方、怪物が幻想郷に辿り着いた謎、それらが全て明かされた後にせめてもの慰めにでもと全ての悪意の始まりが惨めな死を迎えたのを最後とするのは些か後味の悪さが拭えないとは思いましたが、全ての悪意の始まりであり、悪意の終焉を意味するのであればこの結末は正しかったのかなと思います。
とても面白かったです。ありがとうございました。
物語とキャラ、設定を細微まで組み立てられた
とても読み応えのある作品でした。
テーマの深堀りと、表現の試行錯誤も併せて、傑作だと思います。