2.余波
「あれからもう一週間か……」
そう、人里と『妖怪の山』を隔てる森で拐かしをしていたと思われる天狗――偽天狗と遭遇してから一週間である。
『天狗の里』上層部は痕跡の発見と被害者の捜索を哨戒天狗たちに急がせたが、あれだけの戦闘があったにも係わらず、文のものだけで偽側の羽は一枚として見つからなかった。また、これにより足取りを追う手掛かりも失われてしまい、人間の捜索も困難となった。
文と椛は詳しい報告を求められ、知りうる全てを報告書に纏めたが、現場検証と捜索の結果とを鑑みても到底そのような凶悪な者がいたとは信じてもらえなかった。
が、それは文にとっては有利に働く。
摩多羅神の件は特ダネであったが、天狗にとってマイナスになってしまいかねない内容でもあったために、ついぞ記事に出来なかった。しかし今回は違う。
お偉方より眉唾と断じられたのならば一面に書き立てても何の不都合も無いだろう。しかも内容は天狗を――椛の功績は自分に置き換えた上で――讃えるに余りある異変解決譚である。
だがどうしたことか。
「ふーむ」
指先でペンをクルクルと弄びながら、唸る。
まったくもって、ペンが進まないのだ。
ネタはある。文言も頭にある。でも原稿は真っ白。
何かが引っ掛かる。そんな感覚がペンを運ぶのを塞き止めているようだ。
引っ掛かりに関しては、思い当たる節がいくつかあった。
まずは件の怪物について。
実際に遭遇し、より謎が深まってしまった。
第一に外見。やはり八百屋の女将の言ったような姿であったが、では明らかに違う目撃証言はどう解釈したらいい? 変装するにしてもあれにそのような知性があるとは思えなかった。
いや、もしかしたらあの"笑み"は――
また、この一週間"姿を変えられる"可能性を調べた。
まずは封獣ぬえだ。
彼女の持つ《正体不明の種》を付けられた物は、見たものの知識や認識により外見が千差万別となる。また、自身も姿を変えることが出来るだろう。
寺を避けるように行動していたことから、確実――と考えていたが、放った矢は横風に吹かれて的を射ることは無かった。
そもそもぬえは現在『命蓮寺』の預かりだ。つまり聖白蓮の目がある。そんな中で目立った悪さをすればどんなしっぺ返しがあるかわかったものではない。
さらに、仮に《正体不明の種》をつけて認知を歪めたとして、その本質が変わることはない。姿を変えただけで拐かしを図り、天狗に襲い掛かるような妖怪など、検討もつかない。
似たような理由から、二ツ岩の化け狸も除外。
あとは、紅い館の主による新たな遊びの可能性だが、まぁ無いだろう。
そんなこんなで、怪物の正体は掴めず仕舞い。これでは気持ちよくエンドマークが打てないというものだ。
続いてもう一つの引っ掛かり、それは――
「文さんご飯の用意出来たので休憩、どうですか?」
「ふぅ、そうですね。ありがと」
部屋に入ってきたのは、森で出会った二人の人間、その片割れだ。
彼女の名は○○○。二人は姉弟であり、弟の名は×××という。
引っ掛かりとはこの人間のことだ。文に邪魔をされても執拗に二人を狙い続けたのは何かしらの理由があるはず。それも、邪魔者が眼中に入らないぐらいの理由が。
進まぬペンを放り、○○○のあとをついていく。
台所に行くと、食欲をかきたてる芳香が鼻孔をくすぐり、そのラインナップを目で追っていくと、見知った白髪が視界に入った。
「何故いる、ここは私の家よ。断じて犬小屋ではない」
「なるほど通りで。悪趣味なヒカリモノがありそうな臭いがするわけだな」
一触即発、犬猿、混ぜるな危険。
一瞬にして場の空気が凍り付く罵声の早打ちに○○○は苦笑いし、×××は意にも介さず茶碗の白米を食べている。
合わさる視線が火花を散らすが、先に観念し頭を掻いたのは椛であった。
「△△△に呼ばれたんだ。この間助けてくれたお礼がしたいって。『天狗の里』を勝手に歩き回られるのはその、心臓に悪いから渋々……」
周りにいらぬ詮索をされる前に○○○を引っ込めるには、その誘いを承諾するに他なかった。
勿論、文の家に行くことになるのはわかっていたため、気は微塵も進まなかったはずだ。
「まぁこのワンちゃんは以前、人間による山への侵入をみすみす許した前例がありますから、そりゃ心臓に悪いですよね」
「あれはお前のせいだろう!!」
「私は知り合いのよしみでしたから、"多少"の手加減はビジネスマナーってやつですよ」
「……、負けた時のための言い訳か」
「あ?」
席に座ると、文の反対側には椛が座る形となった。つまり、睨みをお互いに全力で叩きつけながらの食事になるのだ。
そんな居心地の悪い状況を良しとしなかったのは、意外にも×××であった。
○○○に比べてまだ小さな彼だが、精一杯の声と気持ちで喚く二人に言った。
「ご飯の時は仲良くしなきゃ。これ美味しいよ?」
大人しい×××からそんな言葉を聞くとは想像だにしていなかった二人の天狗は面食らい、お互いバツの悪い顔でもくもくと昼食を平らげる。
それを見○○○は柔らかな笑みを浮かべ、とても嬉しげであった。
◇◇◇
昼食が終わり△△△が出してくれたお茶の入った湯飲みで両手を温めていると、眼前の文は切り出した。
「ご飯ご馳走されに来ただけじゃあ無いんでしょ? それだけなら○○○を家に送り届けるだけでいいものね」
椛は耳をピクリと動かす。意外だったのだ。
いつもなら顔を付き合わすだけで最初から最後まで喧嘩している組み合わせなのだから、無理もない。
「あ、あぁ……」
ぶっきらぼうに肯定した椛は、食器を洗っている△△△を一瞥すると、抑えた声で話す。
「あれから人間や人里に出入りしている妖怪に聞いて回ったが、あの二人を知っている者は一人もいなかった。服装の感じからひょっとしてとは思っていたけど……」
「やっぱり外来人。以前夢現病でこっちに来ていた宇佐見菫子と似たような服よね。関係がありそうだし、彼女も当たってみるべきね」
文は△△△と□□□が写った写真を取り出すと、椛に渡す。
「あった方がわかりいいでしょ。だからあの二人のことに関してはよろしく」
「は? お前はなにをするんだよ。私にお使いを頼んでおいて自分はなにもしないと?」
「どぅどぅ、落ち着きなさいな。そんなわけないじゃない。こちらはメインとなる怪物絡みで進展が無い以上、別側面からアプローチです」
「はぁ……」
「被害者の件です。今まで私は一切の共通点が無いと思っていたんです。同じ人里、そして人間であることを除けば老若男女歳は様々見た目も特に似てはいない」
文は文花帖を開き、椛に突き出す。
「ただそれは個人単位の話。全体から多くを聞き出せばあるものが見えてくる。それは――」
「不作に不漁、天候の不安定さが深刻」
「私のセリフですからそれ!」
「メモ帳見せてるんだから読むだろう」
鼻で笑う椛に多少苛立ちつつも、文は続けた。
「次に被害者が出るならば、間違いなくそこに関わる人物なんです! だから先に不作や不漁に悩む人達に話を聞き、それらを記事にして注意を促します!」
腰に手を当て、ふんぞり返る文を椛は半ば呆れた眼差しで見ていた。
確かに野菜の不作や河魚が捕れないのは人間からしたら死活問題だが、それがどう拐かしの怪物に繋がるのか甚だ疑問だったからである。
だが、この直感が案外馬鹿に出来ないのも事実。
深々と溜め息をつくと、二人の写真を懐に入れ立ち上がり言う。
「まったくもって不本意だが、今回は貸しにしておく。」
そんな嫌味にニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべる文に辟易しながらも、椛は聞き込みをするに当たりある程度場所の目星をつけていた。
顔が広く、情報が集まり、件の宇佐見菫子も度々現れるそんな都合のいいところだ。
◇◇◇
椛が出掛けるのを確認した文は、自分も出掛ける準備をはじめた。
予め遣いの鴉を飛ばしある天狗に打診を送っていたのだが、ジャケットを羽織り、帽子を被る頃には結果がやってきた。
「あやー……って、人間!? え? なんで?」
アンニュイなお昼過ぎに相応しくない騒がしさの玄関に向かうと、○○○が目を白黒させてある者と相対していた。
名を、姫海棠はたてという。
文からすれば目の上のたんこぶ、はたてからすれば好敵手。そんな珍妙な関わりである。
そして来て早々この喧騒。相も変わらず察しの悪い。同業者が聞いてあきれるというものだ。
○○○を下がらせ、一つ鼻を鳴らして切り出す。
「来ましたか。とりあえずあなた暇ですよね。暇よね。暇にしなさい。暇に決まってるし暇じゃなかったら暇にしてあげるから暇になれ」
「ちょ、え? なに? 説明を……」
「正直椛に説明するのすら面倒だったのに、あなた相手だと万倍嫌ですね」
「呼び出したのそっちなのに酷くない? 泣くわよ」
本当に泣き出し兼ねない勢いであったため、ある程度かいつまんで説明した。
と言ってもほとんどは周知のもので、強いて文独自のものと言えば、二人が怪物に狙われる可能性があるという懸念ぐらいのものだろう。
「それで留守番と人間のお守りをしろと。私関係無いじゃん」
「因果はあるんですよ。あなたにも」
具体的には新聞の売上。
はたてはふむと少し思案し、言った。
「こういうのって、博麗の巫女に任せる感じじゃないの? 大天狗様からの命でも無いわけだし、文が気張る意味がよくわからないんだけど」
腕を組み、壁にもたれながら文は真紅の瞳を細めた。
椛は口にこそ出さなかったが、おそらく同じことを思ったに違いない。そういう意味では彼女は従順かもしれない。
言ってしまえば、文にもここまで深く関わる意味は分からなかった。しかし何か見えざる手に背中を押されている感覚がある。その手は悪意のそれではなく、まるで助けを求めるようなものだ。
これは感情から来たもの。明確な説明は難しい。
だからはぐらかすように答えた。
「スクープと、天狗としてのプライドですかね」
真面目に言うにはなんと歯の浮く台詞か。
だがはたてはそれで納得したらしい。恥ずかしいやつと内心で独り言つ。
同時に、怪物を撃退した直後の自分も大概恥ずかしいやつだと、 先週のことを思い返して頭が痛くなった。
◇◇◇
一週間前。
椛の介入により事無きを得たが、文のダメージは放置していいものではなかったため、椛は一度戻り救護班を呼びに行った。
幸い二人の人間は擦り傷などはあったものの、大したケガも無かった。翼を擦りむいてでも守り通した甲斐があったというものだ。
木に背中を預け、へたり込む文は何か聞きたげな二人を見た。それもそうかと考え、切っ掛けとしてこちらから聞いてみることにした。
「私は天狗の新聞記者、射命丸文と言います。あなたたち二人のお名前を伺ってもよろしいですか?」
出来るだけ怖がらせず、出来るだけ聞きやすく、答えやすい言葉を選んだ。
すると、少しだけ固いが少女は口を開いた。
「えっと、その、分からない、です……」
預けていた野菜篭を抱き、定まらない視線と震える口。無理もない。
一方、少年は少女より幼い故か、逆に落ち着いていた。だが少年も名前は分からないと言う。
これでは事情は聞けなさそうだと一つ息を吐く。
「すいません……」
「何で謝るんですか?」
「だって、ちゃんと答えられなかったから……」
神妙な面持ちでそんなことを言うものだから、文は思わず吹き出した。
少女は少し怒ったようで、眉を吊り上げる。
「いやいや失敬。でもそんなシリアスな顔で言われたらそりゃあねぇ」
笑う文に呆気に取られた少女は、顔がほぐれる。
それを機に、文は逆にこちらに聞きたいことはないかと尋ねた。
すると、あれよあれよと積み重なる質問の山。
天狗としての文のこと、椛のこと、妖怪のこと、『幻想郷』のこと、ここに住む人々のこと。
「お姉ちゃんはお姉ちゃんなのにお婆ちゃんなの?」
少年は容赦がない。
確かに千年とは人間からすれば途方もない時間である。
「千歳なんて結構ゴロゴロいるものなんですー。妖怪となれば特にいっぱいいるんですー」
そっぽを向き、半ば拗ねた感じを出して答える。ツンと閉じた片目だけを開き二人の様子を窺えば、随分と歳相応の表情である。
ほっとする。
天狗すら知らない人間が相対した妖怪――妖怪とは言いたくないが――があれなのだ。同じく妖怪である文に対して恐怖心を抱いても無理はなかったのだが、杞憂だったらしい。仮に恐がられてしまったなら、そこそこショックを受けていた。
多少こちらを紹介したところで、改めて名前を聞いた。
少女は今度は落ち着き、一度呼吸を入れてから――
「私の名前は○○○。こっちは弟の×××と言います」
姉に追従し、弟も「×××!」と名前を口にした。
名前は出た、が、二の句は継がれなかった。○○○も必死だったが、どうやら記憶が曖昧なようだ。自分が何者で、どこから来て、何をしていたのかまるでわからない。
襲われたショックからだろうか。
文は頷き、言う。
「あなたたちはこれから『天狗の里』に連れていかれることになります。そこで私の部下の椛について、私の家まで行って下さい」
救護班を呼びにいく前に、椛にはその旨を話してある。秘密裏に匿うという部分にずっと難色を示していたが、渋々承諾してくれた。どの道怪物の件が解決しなければ二人が再び危険に晒されるだろうことは、あの執拗な追跡から見ても容易に想像出来るからだ。
下手に人間に肩入れすれば面倒なことになるのは以前守矢が来た際のことで分かりきっていたが、記憶喪失が判明した以上、やはり保護は必要だ。
上層部に報告などしようものなら突っぱねられるのがオチである。だからこそ、個人的に動かねば。
「先程のお話を聞いていたら、文さんの住んでる里は人間が入れないんですよね? 大丈夫なんですか……?」
「大丈夫です、任せてください。あなたたち二人は"私が守ります"から」
何かに背中を押されるように、文は二人を守る。
はっきりとそう言った。
◇◇◇
翼を負傷し、いつもの速度が出せない文は歩いて人里へ赴いていた。普段は通らない急流の滝の飛沫を肌に感じながら、山を降っていく。
山が終わると河があり、そして妖怪しか通らない長い道を行けばあの森だ。
足を踏み入れてもあの日のような胸騒ぎはしない。が、確かなことがある。
あの時、怪物と対峙したまさにあの瞬間。文は言い知れぬ恐怖に苛まれていたのだ。
何度も思考し、自分に限ってあり得ないと一蹴していた。しかし蛇に睨まれた蛙のように、体は怪物に立ち向かうことを拒絶した。
確信を持ったのは、仕込みカメラのフィルムを現像した時だ。
当たり前のようにブれた写真。紅い眼光だけははっきりと写し出されており、総毛立ったのだ。
思い出しただけで嫌な汗が流れてきた。
文は『幻想郷』を作り上げた賢者の一人に立ち向かえるだけの実力を兼ね備えている。さらにバトルマニアな一面もある。そんな彼女を恐れさせた怪物とは、一体何なのか。
顔を振り、思考を改める。
今は兎にも角、不漁不作に関して調べるのが先決だ。
誰から取材をはじめようかと思案し、一人思い至った。
笑顔で野菜をくれた、八百屋の女将だ。今にして思えば、あれは貴重なものだったはず。霊夢の「知らなくても無理もない」という言葉も、今になって理解出来た。
知らなくても当たり前だ。人間の事情は記事にはなりにくい。地味であるからだ。必要なのは目を引く記事。つまり妖怪や一部の人間が起こす事件以外は視界に入れていなかった。
だからこそ、被害者に共通した部分にも気付けなかった。なんと愚かな話だろう。
何かしらで酬いるためにも彼女から話を聞くべきだと結論づけた文は、真っ先に八百屋へ向かう。
気が弱くなっているのか、少しだけ己の記者としてのスタンスに反吐が出た。
◇◇◇
鬱蒼とした『魔法の森』の入り口、人里から程近い場所にそれはある。
乱雑に並んだガラクタと、無造作に置かれた貴重品、外からの物や冥界、妖怪、魔法の物が混ざりあい、建築自体も和洋が雑に組み合わさった混沌である。そんなある種偏執的な店主が巣食う魔窟。
店の名を、『香霖堂』という。
人里での聞き込みを終えた椛は、この奇妙奇天烈な雰囲気を持つ道具屋を怪訝な表情で眺めていた。
噂には聞いていたが、『魔法の森』なんて場所にあるだけあり入り難い。巫女や人間の魔法使いも入り浸る場所であるから、危険は無いはずだが。
意を決して入店する。
と、椅子に腰掛け何やら本を読んでいる店主――森近霖之助はこちらを一瞥したが、興味を持たなかったのか「いらっしゃい」と一言だけ発して視線を本に落とす。
何か言葉を発する前にこれである。噂に違わぬ変人であるらしい。
懐から写真を取り出すと、霖之助は少しだけ視線を椛に戻して呆れ気味に言った。
「ここは寄合所でも迷子あずかりでもなければ自警団でもないんだがね」
一挙手一投足、台詞の一語に至るまで腹の立つ人間――半妖だ。鴉天狗とは別のベクトルではあるが。
が、椛が外套のフードを脱ぐと、途端に目の色を変えた。
「君はいつも来る天狗とは違うんだね。白狼天狗が山から降りてくるとは珍しい」
ムスッとした表情が一変し、口許を嫌味に吊り上げ何かを話したくてウズウズしている様子だ。
そういえば、以前文から「あそこの店主は話が長い」と聞かされたことがある。興味の薄い話を延々聞かされることほどゾッとしない事柄もあるまい。
何にせよ、早々に本題に入るのが望ましいだろう。
「店主、この二人に関して何か知らないだろうか」
皮肉の材料にされた写真を見せる。
本に栞を挟みパタンと閉じた霖之助は、写真を覗く。ふむと鼻を鳴らし、顎に指を添えた。
「これは僕より詳しい人物がいる。君もそれを期待してここに来たんじゃないかい?」
いちいち癪に触る。が、事実であるし反論も非難も出来ないのがなんとも歯痒い。
「目当ての彼女は今はいないよ。だから、天狗である君には少し僕の話に付き合っていただきたいね。彼女が店に来るまで」
捕まった。
嘆息し、肩をすくめる。覚悟を決めよう。
「さて、ここ最近ある記事を読んでね。あ、勿論君たち天狗が出している新聞の記事だ」
霖之助は一刷の新聞を卓上に放った。見れば、〈花果子念報〉と銘打たれている。
「ある時から人里で大々的に出回り始めたものだ。以前読んだ〈文々。新聞〉とはまるで毛色が違うから、正直驚いたよ」
確かに姫海棠はたてによる〈花果子念報〉は射命丸文の〈文々。新聞〉に比べて随分大人しい内容である。端的に、地味と言い換えることも出来るだろうか。
が、ここ最近人里では好まれているという話だ。以前ならば〈文々。新聞〉を扱っていたカフェなどでも今は〈花果子念報〉に切り替えているという。
「新聞とはゴシップ、エンターテイメント性の強いものがもっとも好まれると思っていたが、こういう趣向も悪くは無いものだ」
ガサガサと新聞を開き、あるコーナーを霖之助は指差した。
〈姫海棠的名所探訪〉と書かれている欄だ。
「基本的には新たな名所足り得る場所の紹介が主だ。空から見下ろすのが日常の天狗というアドバンテージを最大限に生かせる企画だとは思う。しかしこの記者、恐らくその場に行っていないんだよ」
首をかしげ、記事を読んでみる。
そして驚愕した。場所やそれが見える時間などの情報が曖昧で具体性が無く、ただ「すごく綺麗だった」や「すごく大きかった」などの陳腐な感想がぶら下がっているのみだったのだ。
新名所とは、と疑問を投げ掛けたくなること受け合いである。
「子供の日記もかくやと言ったところだろうか。ただこの感じが世間に受けているという側面は否定出来ない。ある種の見世物としてだけど……」
本人には到底言えぬ評価だ。
「ところがだ、ある日の記事だけが明らかな異彩を放っていたんだよ。僕はその理由を、天狗である君に訪ねたいと思ったんだ」
今までの半ば小馬鹿にした、演説めいた口振りが途端に真面目なものになる。
霖之助は、別の〈花果子念報〉を取り出し広げた。
「そのある日、とは?」
「四季の変動が収まり、人里では不漁不作が叫ばれ始めた日頃さ」
◇◇◇
「願い石、ですか?」
カランと皿に団子の串を投げ入れ、お茶で喉を潤すのは八百屋の女将。店先ではゆっくり話も出来ないだろうと、茶屋に連れてきたのだ。
文は団子を一つ口に運び、咀嚼、飲み込んでから返した。
女将は答える。
「ちょうど季節外れの天気のせいでどこもてんやわんやなぐらいかね。いつもなら調子の外れた文章が書いてある新名所のコーナーに、いやにしっかりとその石のことが書かれていたんだよ。その石に願いを込めて祈れば、それが叶う……って。馬鹿みたいな話だけれど、それを信じなきゃいけないぐらい酷い有り様でね……」
そんな荒唐無稽な。
以前、紙面の〈姫海棠的名所探訪〉を読んだことがあるが、あれほど信憑性皆無の文体も無いだろう。
しかし事実として彼らはその文字群を信じ、神頼みならぬ石頼みになってしまった。
摩多羅隠岐奈による四季の異変。本人曰く、季節がおかしく見えていたのは幻覚のようなものだったらしいが、結果として自然の化身でもある妖精が大きく影響を受けてしまっていた以上、その余波がこのような形で現れても不思議ではなかった。
人間側からすれば、とんだ異常気象であり、理不尽であっただろうが。
「ただ願いはやはり……」
文が叶わなかったみたいですね、という言葉を飲み込みつつ聞く。それはそうだ。相手は最早神ですらない。妙な信心を得たただの石だ。
が、返ってきたのは予想外の答えだった。
「うちは旦那の育てている野菜がちゃんと実りますようにって頼んだんだけど、多少形は悪いけどちゃんと育つようになったのよ。いやはや願い石様々だわねぇって喜んだわ」
まさか。
目を細め、口許に手を当てて考える。
唸る文に、苦笑混じりに女将は続ける。
「最初はよかった。あの石は本物だよって言い触らした。ご覧の通りのお喋りだからね私ゃ。でもね、そんな都合のいい話は続かなかったのさ」
苦笑は、自嘲に変わった。
「旦那はある日、帰ってこなかった。一日、二日、一週間、旦那がいなくなって一ヶ月経った頃には、顔見知りの人も結構いなくなってて堪えたよ」
決壊した。感情のたがが外れる。
我慢して、我慢して、我慢を重ねてヒビの入りきった堤防は限界だったのだろう。
女将の肩は小刻みに震えている。見るのは憚られたため、文の真紅の瞳は空を映した。
貰った野菜は傷んでいた。○○○も、まるで冷凍庫――氷室みたいなものと聞いた――に長く入れていたような傷み方だと。きっと旦那が生きている時と同じように店を開け、なるべく思い出さぬよう努めていたのだろう。
「天狗拐いがあったのはきっと誰かがそんなことを頼んだからよ……。私があんなものに頼らなければ、皆に勧めなければ……」
ふと、文は疑問に思った。
最初は願いが叶い、里の問題は解決しつつあった。しかし同時に発生した天狗拐いにより事態は別側面から悪化している。
それはわかる。人間とはかく愚かな行動を取りがちな生き物であるから、何かしら悪用を企てた者がいてもおかしくない。が、拐かしを頼む理由がまず分からないのだ。
拐かしはあった。間違いない。でもそのあとは?
身代金の要求、慰み者に殺人。いくつかピックアップしてみてもどれもピンと来ないものばかりだ。金品絡みを考えるなら狙う人物があまりにミスチョイス。後者二つにしてもわざわざ浚う手間を考えずとも、と。
そも願いが叶うのであれば下準備のようなプロセスなど不要だろう。
胸ポケットから文花帖を取り出し、開いた状態で女将に見せる。被害者の名前や職業が書かれており、少しだけ見せるには気が引けたが。
「見ていただいたらわかるのですが、被害者は漁師や農家でむしろ願う側。この状況下でこれらの人達を恨み、善からぬことを叶えたいと考える人はいないのでは?」
「そうね……。お天道様を恨むことはあるだろうけれどね」
一つ、仮説を立てた。
どうにも話が噛み合わなかったのだ。タイミングを考えれば怪物と願い石の関与は疑うまでも無いが、そこに明確な動機付けが出来なかった。
だがこう考えれば合点は――思うところはあるにせよ――いく。
願い石と怪物は同一の意思の基、動いていたのではないのかと。
願いが叶う石という餌をまき、どうやったかは分からないが願いを叶えることで人を呼び寄せ、次々と捕らえる。
それであれば被害者の傾向に筋が通る。同時に、唯一不漁不作に関与しない二人が襲われていたのも納得出来る。
文はその仮説を女将に順序立てて説明した。
証拠は無いし、憶測としても穴が多いが、今彼女に対してかける言葉として見れば上等だろう。
「〈花果子念報〉に載っていたのですから、広まるのは時間の問題でした。しかも里は飢饉一歩手前でそこにすがるしかなかったとなれば、あなた一人の話ではない」
女将は黙っていたが、構わず続ける。
「逆に考えましょう。あなたが里のために石を使ったから、最悪の事態を避けようという動きが高まったのだと。あなたが里のためにと触れ回ったから、悪用されなかったのだと」
嘘だ。中には私利私欲のために使った者もいただろう。
しかしそれはあくまで妄想だ。ここにいない者の人となりなどわかろうはずがない。ならば悲しみにくれる者のために聖人になってもらおう。
女将の表情が緩んでいく。息を吐き、肩をすくめた。
「あんたはその、口が上手いね」
「それが仕事ですから」
上手い嘘とはその本質を隠すために覆うのでなく、本質を一滴で激変させる猛毒を仕込むことである。
悪用されなかったなどという性善説はありえぬ話だが、以前取材に人間の里を訪れた際、一番聞こえたのは不漁不作にまつわる話だった。
眼前に何でも叶う切っ掛けがあろうとも同じ屋根の下、共に住まう者のためにと彼らは秘めた願望を漏らしたのだ。そこに悪意などあろうはずない。
勘定を置き、文は席を立つ。
「いつも通り、お客さんとお話していてください。今度は願い石を使うとどうなるかを。諸々の面倒は我々が受け持ちますから」
「我々?」
「おっと」
わざとらしく口を隠し、 ひらひらと手を振りながら茶屋を後にした。
文の仮説を用いた警告が踊る号外を配れば人間らの被害は多少減るかもしれない。顔が広いらしい女将の言が効果促進に繋がるだろう。
あと必要なのは願い石に関する裏取り諸々と、一つの事柄に関する天狗上層部への上申、そしてある神とのお話の時間だ。
◇◇◇
「つまり、はたてさんが書いたその文中に出てくる願い石が、拐かし事件の発端ではないかと?」
椛は腕を組み、怪訝な表情で霖之助に尋ねた。
確かに見る限り願い石を最初に取り上げた記事だけが異様なまでに洗練されており、以前、以降の酷さが浮き彫りになった感は否めない。明らかに何かしらの手が入ったと考えるのが自然だ。
だからといってそんな突飛な話があるだろうか。
そも願いが叶う石が実在するかすら怪しい話だと言うのに、眼前の怪しい男はあの怪物がそれに関与しているのだと言う。
「まぁ僕の妄想に他ならないが、しかし自然と転がり込んでくる情報というのは案外信憑性があるんだ。勿論、外面は嘘まみれの可能性が高いが、その実には真実が書いてあったりする」
霖之助の口がまるで潤滑剤を噛ませたようにくるくると回り始めた。
この口と胡散臭い感じがどうにも誰かを彷彿とさせてしまって大変よろしくない。
「うちによく来る霊夢という巫女がいるわけだが、彼女の耳には怪異の話が舞い込む。妖怪について相談を受けるということも少なからずあるから、それを僕も聞くことがある。内容は様々だが、今回に関して言えば拐かしの話だった。
一方で、こちらもよく来る魔法使いの魔理沙という娘がいるのだが、こちらは人里の噂話を仕入れて来るタイプだ。こちらの話は願いが叶う石のことだった」
「?」
「わかり辛いかい? 拐かしよりも石の話を何故魔理沙が選んだと思う?」
軽いニヤニヤ笑いで質問してくる霖之助。腹が立つ。
椛は半ば溜め息を吐き出すように、
「そっちしか耳に入らなかったんだろう。あの人間はそういうタイプに見えるから」
と答えた。
すると霖之助は一瞬面食らい、苦笑しながら言った。
「確かにそうなんだがね、彼女は異変解決を何度もしてきたんだからそれなりに怪しい気配には敏いよ」
「では何故、石の方の話を?」
「簡単なことだ。人里では"石の噂話しかされてなかった"のさ」
馬鹿にされてる気がした。しかし合点もいく部分はあった。文に聞いた話によれば、拐かされた被害者家族に行き着くまで聞けた話の大半にはその事件の片鱗すら無かったという。人間が直接被害を受けているにも拘わらず、それは奇妙だろう。
思考する椛を捨て置き霖之助は持論を展開する。
「天狗である君なら既知の話だと思うが、以前にも人里で情報操作されていたことはあった。それに近い話でね、何者かの意図が働き上手く拐かしが隠されていた可能性はある。いや、正確には拐かしと願い石の関与がかな。それによって得をするのは誰かと考えたら、自ずと候補は絞られる」
願い石と怪物の関与を知られて困る存在。
候補を選別して、回答する。
「まず真っ先に思い付いたのは願い石を使って善からぬことを考えた人間だな」
「ふむ、まぁ妥当だが、先程君が話した被害者の傾向からはちょっと納得しがたい部分があるな」
少々カチンと来たが、確かに。
拐かしを行うなら金品の要求など見返りがあって然るべしだ。しかし願いが叶うのであればそれはいらぬリスクであるし、回りくどい。
そもそも現状、漁や農作で生計を立てている彼らに怪物を差し向ける意味は無いように思えた。
「……あと、怪物と石を使って利を得ている何者か」
何故拐うのかまるで分からないが、それを円滑に行うのであれば下手な噂は立たないに越したことはない。逆に石の噂が広まれば、獲物は増える。
「まぁその辺りだろうね。ただ――おや、どうやら君の待ち人が来たらしい」
結論を煙に巻かれてしまったようだが、暇潰しにはなったかと内心ささくれた心を慰める。こういう手合いはどうにも苦手である。
椛は霖之助に軽く会釈、『香霖堂』に新たにやってきた人物に向き直った。そこには眼鏡をかけ、栗色の髪を野暮ったく結んだ少女が最近よく見る出で立ちで、唐突の指名にキョトンとしていた。