Coolier - 新生・東方創想話

恋人と家族の境界

2020/08/21 21:44:09
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なるほど、そういうことか。
それを口で伝えるのは簡単だ。でも今の霊夢はそれを信じてくれるとは思えない。
少し、過去のことを思い返してみる。泡沫のように浮かんでは弾ける小さな日々、その中にあるコマを一つ、一つ切り取った。
──嗚呼。霊夢が憂いの顔を浮かべていたのは、一度や二度ではなかった。梅雨のじとじとした時期にはもう、こんな感じだった。
紫は四つん這いで霊夢へとにじり寄って、ヒザ立ちになった。
そして首から腕を回して抱きしめる。ついでに胸を霊夢の頭に載せた。
「重いんですけど」
「それだけ人生を積み重ねたってことですわ」
「やっぱアンタ少女じゃないわ」
「あら、いけずさんねぇ? あなたにだからやるのよ?」

こんなことは、藍にも橙にも絶対にやらない。もちろん他の誰であっても、だ。霖之助には冗談で迫ることもあるが、実は身体に触れさせたことは一度もない。
抱き着いたまま、霊夢の耳元で小さく囁きかける。世界でただ一人、霊夢にだけ聞こえるような声にまで落とす。
「ごめんなさいね、不安がらせてしまって」
「ごめんじゃないわよ。早くその重しどけなさいよ」
「あらあら、口が悪いわね。おしおきしなきゃいけないかしら?」

くすくすと笑いながら、もう一歩ヒザを詰めると、さっきより強くぎゅっと抱いた。むにゅりと胸が潰れるが、気にしない。
ようやく霊夢は──一つ、長い長いため息を吐いて、その後──声に少しだけハリが戻ってきた。
「アンタの『おしおき』ってのは、どれだけ怖いのかしら?」
「あら、気持ちいいだけよ? きっと」

霊夢は一体ナニをするつもりだと訝しがりながらも、髪を弄くり始めた。
金色のサラサラなそれが、霊夢の手のひらに乗ってはさらりと流れ、乗ってははらりと流れていく。
「不思議なものよね。先代の『博麗の巫女』なんて、私にはどうでもいい存在だったはずなのに。先々代、そしてもっと前に至っては、もう顔も名前も思い出せない」
「アンタでも憶えてないこと、あるのね? そろそろ昨日のご飯も思い出せなくなるわよ」
「昨日は藍が作ってくれた、油揚げと人参の炒めものよ。大丈夫」

まだ霊夢の心からトゲは抜けきれていないようだ。彼女の頬に指先を当てて、小さく滑らせる。
目を細めて霊夢を見つめた。濡羽色の髪に、赤いリボンがとても似合う。
はて、先代はこんなリボンを付けていただろうか?
そんなことも思い出せないくらい、薄い印象しか持っていなかった。でも霊夢は──霊夢だけは違う。
どうして? そこを聞くことすら野暮になるくらい、気が向いてはこの博麗神社に来ることを、ここしばらくずっと繰り返していた。
冬場に耐え難く眠くなることが、分かっていても悔しい。
春になって霊夢へ会いに行く時も、こっちは一日ぶりにちょっと暖かい日を選んで遊びに行く感覚だ。
けど、霊夢にとってはそうじゃない。
切なさと嬉しさの混じった顔で迎えてくれたあの日は、今まで過ごしてきたどの春よりも嬉しかった。
腕の力を少しだけ強める。
「安心して。私には『霊夢』だけよ。例え百年経っても、千年経っても、私が死ぬ時にはあなたの顔を思い出しながら死ぬわ」
「やっぱアンタ重いわ」

今度こそハッキリした声色へと変った。身体を離す。霊夢は気だるげな目をしゃきっと直してこちらへ顔を向けた。
今日何度目か分からないため息と共に、隣を指差す。同じように縁側へ座ると、ギラギラした夏の陽射しが二人を照らしてきた。
「私のところにいない時、あなたいつもどこにいるの?」
「どこって……自宅ですわ? 散歩に出かけたり、人里で人目を忍びつつ遊んでみたりってこともあるけれど、多分橙より霊夢の方が会っている回数は多いんじゃないかしら?」
「その見た目でどう忍ぶってのよ? まぁいいわ。橙には私より頻繁に会ってあげなさいよ、家族でしょ」
「まぁね? でもあの子も遊び盛りなんだから、私より友達と会って遊ぶ方がきっと楽しいでしょう?」

二人で空を見上げる。どこかでトンビがぴーひょろ鳴いて、夕方でもないのにカラスがカァと鳴いた。
何も聞こえなくて、却って耳が痛い。遠くの景色が熱気で歪んでいる。
さりさりという音が聞こえた。霊夢が手を動かしているようだ。彼女の少し日焼けした手は、やがて紫の手に重なった。
ぎゅっと指先を握られる。
「家の場所も分からない、いつも来るのはあなたの方からだけ。私がどれだけ思っても考えても、あなたの気分に振り回されるだけ。分かる? 私も『かけら』なのよ」

霊夢の爪が指に食い込んでくる。血が出ない程度に甘く、柔らかく。
ちょっぴり痛いが、そこに込められた想いを考えれば、それもまた気持ちのいい一瞬と言えた。
そして、その小さな手が震えているのに気付くまで、そう時間はかからなかった。
「あなたの記憶に残ってる『私』は、割れた窓硝子の破片程度でしかないでしょう? 本当に千年後、私の名前を憶えてるかどうか、怪しいもんだわ」
「それは違うわね? 硝子は硝子でも、極限まで磨いた水晶硝子よ」

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