Coolier - 新生・東方創想話

兎は如何様な夢を見る

2020/05/16 15:59:49
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 結 『巡る空の下、穢い土の上で』


 誰かの声が、聞こえてくる。
 何を話しているのだろう。声だけじゃなくって、何かを置く音や、動かす音。色々な音が聞こえてくる。
 どこだろう。私はどこにいるのだろう。まだ何処かに居るのだろうか。遅れてそんなような、自分についての感覚が蘇ってくる。
 何も見えない。だから、目を開けてみよう。そうするのがきっと、ちょうどいいことだ。
 目を開くと、見慣れない木の天井が、私の視界の先にあった。続けて、体を包む感触もやってくる。薄いタオルケットが熱を適度に逃がしながら私を覆っていた。背中にはふわふわとした布団の感触だ。
 どこかで介抱されていたのか。状況をやっと理解する。
 顔をころんと横に倒すと、敷居の向うの部屋に、見慣れた浅葱色の髪の毛が見えた。
 清蘭が、きちんと床に正座をして、茶碗に盛られたお米を食べている。
「いいなあ、自分だけご飯食べて……」
 面白がるかもしれない。そう思って、そんな下らないことを言ってみた。すると清蘭の顔がさっとこちらに向き、私のことを見た。清蘭は、私の言葉なんて聞こえていなかったのか、ぱあっと顔を明るくして、全然違う返事をした。
「鈴瑚ぉ! 鈴瑚、起きたんだねえ! よかったあ、良かったよお! ねえ、久侘歌さん、起きたよ、鈴瑚起きた!」
 そうやって清蘭は、私の方を見たり、また別の部屋の方へ向かって呼びかけたり、忙しなく動き出した。私はまだ体の輪郭がぼおっと曖昧な気持ちだった。けれど、清蘭は元気で満ち満ちているらしい。良かったあ、と清蘭の言葉を借りて、安心する。
 やがて足音がして、白く薄い黄色の髪に、真っ赤なメッシュという出で立ちをした女性が現れた。配色こそ奇抜だが、髪の毛はふわふわと穏やかにまとまっていて、服は落ち着いた印象のある淡い橙色の着物だった。
 その女性は清蘭と一緒に私が横になっている部屋に来ると、傍らに座って、にこりと笑った。
「ご気分はいかがですか? 何か、欲しいものでもあればお持ちしますよ」
 そうやって尋ねてくる。私は、少し体の感覚を味わってから、答えてみる。
「まずは、情報がほしいかな」
 こけこけ、と女性はやや独特な喉の鳴らし方をして、少し笑った。
「確かにそうですね。では、はじめまして。私は庭渡久侘歌と申します。妖怪の山に住み、地獄の関所で見張りとして働いています」
 庭渡久侘歌。知っている名前だった。と言っても、地上浄化作戦の資料で読んだから知っている程度の知識だ。
「ああ、地上に昔から住んでるニワタリ神の……」
 久侘歌は、目を丸くする。
「おや、ご存知でしたか」
「これでも情報兵だからね。作戦地周辺の目ぼしい情報は、一通り把握してるよ」
「久侘歌さんはねえ、私たちを助けてくれたんだよ」
 待ちきれなくなったのか、清蘭が話に割り込んできた。
「かれこれ、もう二週間くらいかな。鈴瑚、その間ずっと寝てたんだよ。私は三日目くらいで目が覚めたんだ」
 さすがは現役の前線兵と言ったところだろうか。清蘭の方が、やっぱり体力が有り余っているらしい。
「あの夜、天狗たちが騒がしくしていると思い、様子を見に出ていました。そうしたら案の定、傷ついたあなた方を見つけたので、私の家へ運ばせていただいたのです」
 久侘歌は話を続けていく。
「あの日以来、天狗は特に行動を起こしていません。おそらく、例の巨大兵器の破壊だけが目的だったのでしょう」
 久侘歌がキュリオシティに言及したことに驚き、思わず清蘭へ視線を移す。あの場に居なかった久侘歌が、どうして知っている?
 清蘭はあわてて手を振った。
「違うよ? 軍事機密だし、私の口から詳しいことは漏らしてないって!」
「天狗たちが趣味で作る新聞でございます。幻想郷を襲う巨大兵器を迎撃したというニュースは、天狗たちにとっても有益でしたから。いまではこのニュースを知らない者は妖精くらいですよ」
 そうやって、久侘歌が清蘭に助け船を出した。なんだ、そういうことか。そっと胸を撫で落ろす。それから、私はもう軍人ではないのだから、機密を気にする必要もないのかもしれない、と気が付いた。
 気分が少し、もやもやしてしまう。それで、気を取り直すように、私は質問を口にしていた。
「でも、どうして私たちを助けたの? 兵器がなくたって、私たちは外敵だ。違う?」
 清蘭が不安そうに私の顔を見て、それから久侘歌の顔を見る。ぴりぴりと、私の肌の表面の感覚が鋭敏になるのを感じる。
 でも久侘歌は反対に、口元をそっと緩ませて見せて、私に答えた。
「もちろん、あなた方玉兎の大暴れは一通り天狗たちから聞きました。多少、脚色はあるでしょうけれどね。でも、あなた方にいま、恐ろしい巨大な地上浄化兵器はありません。あなた方が無事でも、これ以上植物が枯れることはないでしょう」
 目を伏せて、久侘歌は静かに語った。
「……浄化兵器がないなら、私たちを受け入れるって言うの? まだ、私たちは何か企てているかもしれないよ?」
 咄嗟に偽悪的な言葉が口からついて出た。私は、臆病だ。そんな思いがふと浮かんだ。
「こけこけ。そういう企みがあるのなら、ぜひやってください。たとえ玉兎の軍団の大反乱があろうとも、この幻想郷はそう簡単に壊れません。むしろみんな、良い退屈しのぎだって、こぞって遊びに来てくれますよ」
 そうやって久侘歌は少しも揺るがない瞳で、私に笑い返してきた。そうまではっきりと言われると、急に私の取っていた態度が、馬鹿らしくなってしまった。何を一人で勝手に、肩ひじを張っていたのか。
 思わず口元が緩み、ふうっと息を吐いた。
「敵わないなあ……。こんなに気楽に過ごせるなんて、ここって本当に楽園なんだね」
 地上浄化作戦の資料で知っていた。幻想郷は大抵の外的存在を受け入れるって。でもいざ自分がその立場になるまで、本当の意味で信じきれないし、理解できていないものだった。
「おしおきは、天狗の方々が十分にやってくれたようですからね。私は安心して、自分なりの幻想郷らしいやり方で対応できるというものです」
 そう言うと、久侘歌は改まって、私と清蘭の二人を見回し、言葉をつづけた。
「きっともうしばらく、混乱する時期が続くでしょう。あなた方を取り巻く環境は、何もかも変わってしまいました。だからこそ、しばらくはここで傷を癒していってください。その間に、これからどうやって生きていくか。その方向性も考えられるはずです」
 その言葉に、私はこくりと頷いた。
「うん、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」
 清蘭もまた、久侘歌に笑い返した。
「本当にありがとうね、久侘歌さん。いろいろ助けてもらって」
 こけこけ。久侘歌はそうやって笑って、気分を取り直すように立ち上がった。そうして閉じられていた木の窓の前まで行くと、開け放った。光が、風と一緒に部屋の中へ差し込んでくる。静止していた部屋の空気が、巡り始める。
「さあ、今日は晴れの日でございますよ。一日はこれからです」
 そうやって久侘歌は、窓から見える山の景色へ視線を向けた。私もつられて、その景色を見る。
 窓の向うには、色とりどりの妖怪の山の自然が広がっていた。木々の葉っぱは、それぞれが自由に、緑に、赤に、茶色に、黄色に色づいている。岩だって何一つとして同じ色はない。川の流れが近くから聞こえてくる。とても豊かで賑やかな場所だった。
 これが、地上の生活か。ふとそんな思いが浮かんでくる。
 とてもとても、穢れたものなのだろう。そういう観念に結びつけずにはいられなかった。けれども、そんな観念さえ意に介さず、私は景色を見続けた。
「私たち、作戦中も含めてもうずいぶん地上で生活しちゃったからさ。きっともう月には戻れないくらい、穢れちゃったよねえ」
 清蘭がそう言って、私の横に来る。それから一緒に景色を眺めはじめた。言葉とは裏腹に、瞳に自然光がきらきらと反射している様子は、まるで瞳に光が灯っているようだった。
 私はこれから、この景色と生きていくのか。景色の中に切り取られて背景として広がる空は、朝の青い色を映していた。


 ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯


 太陽はもう高く昇り、空の天辺まで届きそうだった。朝起きてから、時間が経つにつれて、だんだんと体の感覚も戻ってきた。いまでは立って歩くこともできるようになった。
 清蘭の提案を受けて久侘歌の家の周りを歩いてみたが、大きな不調もなかった。久侘歌の家は、滝の上で木々に囲まれるように建っていて、見晴らしがとても良かった。
「いやあ、やっぱり運動不足の鈴瑚でもちゃんと軍人だねえ。もうしっかり体は回復してるもん」
 ちょっとむっとする言い方だったが、清蘭はにこにこと嬉しそうなので、それに免じて言い返さないでおいてあげた。
 家の周りをぐるりと歩き終えたころには、私のお腹がぐうっと鳴るくらい、体の調子もいつも通りになっていた。
「……これは、あれだよ? ほら私、二週間ぶりに目が覚めて、何も食べてないから」
「あはは、もうすぐお昼だもんねえ」
 そうやって雑談しながら家の方に戻っていると、清蘭はふと思い出したように言った。
「あ、そういえば今日は文さんも来る日だ。きっと豪華なご飯が食べられるよー」
 文さん。誰だろう。急に、聴きなれない名前が出てきたぞ。どうやら私が眠っている間に、色々と知り合いが出来ていたらしい。
「文さんか。それって、どんな妖怪なの? それとも人?」
 尋ねてみると、清蘭はきょとんとした顔をしていた。
「ありゃ、知らないの?」
 そうやって清蘭は尋ね返してくる。
「え、どういうこと?」
「文さんは鈴瑚のこと、知り合いみたいに言っていたけど……」
 そう言われたが、私には文さんの心当りがなかった。一体、どういうことなんだろう。まるで状況がつかめなかった。
 疑問符が私の頭の上にも清蘭の頭の上にも浮かんだまま、久侘歌の家の前に到着した。するとちょうどその時、空を飛んでいた誰かが、久侘歌の家の前に降りてきた。
 真白いシャツに、黄色い椛の葉が映された黒いスカート。どこかかしこまった清潔感さえ覚える服装だった。けれどもその服に身を包んでいた誰かは、私たちの方を振り向くと、どこか俗っぽい調子で声をあげる。
「はーい! まいどお馴染み、文々。新聞でーす!」
 にこやかに笑い、その天狗は私たちに挨拶をした。その顔には見覚えがあった。前線基地の戦闘で天魔と一緒に居た、あの天狗だ。
「お前、天狗!」
「わー、文さんこんにちはー!」
 私は思わず素っとん狂な声を出す。清蘭は歓迎の声をあげる。そのてんで方向違いの反応に、私と清蘭は顔を見合わせた。
「文さん? この天狗のこと?」
「え、うん……。知り合い? だよね?」
「あややや! お目覚めなのは知っていましたが、いざ目の前にすると嬉しいものです!」
 きょとんとしている私たちを他所に、文さんというらしい天狗はにっと笑い、私に手を差し出してきた。なんとも強引なやつだ。
「改めまして。私、伝統の幻想ブン屋、射命丸文と申します。言ったでしょう? もしもあなたが生き延びていたなら、ぜひ記事を書かせていただきたいって」
 私は射命丸が差し出した手をまじまじと見やっていた。
 これはたぶん、握手を求めているのだろう。でもこの天狗との間に起きた出来事が頭に浮かんできて、とても握手をする気にはなれなかった。そして、そんなことは射命丸も承知していたのか、すぐに手を引っ込めた。それから、まるで悪びれた様子もなく言葉をつづける。
「まあ、あなたのお返事がどうであろうと、記事はそのうちこちらで書かせていただきますので、お気になさらず」
 この天狗。さらりと酷いことを言っている。
「とりあえず、今日は快復祝いに尋ねました! いやあ、良かった良かった」
 そうやって射命丸はにこやかに笑うが、胡散臭い雰囲気はちっとも隠れていなかった。裏側にある企みはまるで見えないが、企みがあることは何だか確信できてしまった。
「えーと……とりあえず、鈴瑚と文さん、知り合いなんだよね?」
 状況が呑み込めていないらしい清蘭が、目を点にしながら聞いてくる。
 私はどう答えたらいいものか分からず、言葉を探してしまった。
「……というか。どうしてここを知っているの?」
 結局、清蘭に返答することを諦めて、私は射命丸に問いかけた。
 久侘歌は言っていた。もう天狗に、私たちを追いかける動きはないらしい。ではなぜ、こいつはここに居る? そもそも、どうやってここを知った?
「あややや。そんなに警戒しないでください。この前は仕事、今日はプライベートです。別に何か危害を加えようってつもりはありませんよ」
 そうやって射命丸は笑う。それに応じて清蘭も声をあげた。
「うん、文さんは大丈夫な相手だよ?」
 どうやら清蘭は射命丸に同調をするようだ。随分と信頼しているらしい。
「あなたたちの所在を知っている理由も明かしますよ。別に隠すことじゃない」
 それから、射命丸が私の疑問に応えた。
「私たち鴉天狗には、他人の様子を覗き見ることには長けた部下がいるのですよ。あなた方玉兎のほとんどは、様子を見ようと思えばいつでも確認できる状態です」
 さらりと告げる。プライバシーもへったくれもないのか、天狗たちには。
 これは、下手なことをするな、という警告だろうか。そういう風にも受け取れる。そんな私の考えを見透かしているのか、射命丸は気楽そうに笑って見せた。
「ま、でもよっぽどのことが起きない限り、四六時中あなた方を見張る暇もありません。普段は監視なんてしていませんよ」
 そう言って射命丸は目を細めた。
 嘘つけ。
 内心、私は思った。お前、私が今日目を覚ましているって、知っていたじゃないか。そうやって心の中で射命丸に応える。でもその推理は、口には出さないでおいた。
 きっと射命丸は、私が気づくはずだと理解した上で、全部の振る舞いをこちらに見せているのだろう。確信はないが、そんな気がした。そして、そういう振る舞いを見せる意味に納得ができるまで、私が疑いを口に出すのは、なんだか野暮な気がした。
 にこりと、射命丸が笑う。
「あ、これ、今日の昼食用の鶏肉です。どうぞどうぞ」
 そう言って射命丸は一つの包みを出してきた。
「わーい、ありがとねえ、文さん!」
 清蘭は呑気に包み紙を受け取る。
「鴉天狗なのに鶏肉って……」
 と思わず私が零す。
「いえ、兎肉も考えたのですが、さすがに快復祝いにはちょっとなーって思って。それに幻想郷では、肉に関しては色々と事情があるのです……」
 そう言うと射命丸は、なぜか遠い目をしていた。
 それから私たちは、射命丸も加えて久侘歌の家に戻った。それから台所で料理の準備を始める。
 射命丸が久侘歌に鶏肉を渡す際、「くけっ」と久侘歌が変な声を出し、表情が一瞬固まったように見えたが、とりあえず気づかなかったことにした。射命丸がどことなく申し訳なさそうなのも気のせい、だろう。
「こけこけ。今日は鈴瑚さんの快復祝いでございます!」
 今日は鍋料理を作るらしい。清蘭と久侘歌と射命丸はどこか慣れた様子で、台所で準備を始めた。もう何回かここで料理をしているのだろう。私はと言えば、まだ病み上がりということで、料理を作っている間に待たせてもらうことになった。
 少しの間、射命丸の姿を目で追う。色々と胡散臭いやつだ。でも思い返せば、あの天狗は前線基地で会った時から行動に少し変なところがあった。悪い意味ではない。妙にこちらに関心を寄せているという意味で、少し他の天狗とは違う動きをしていた気がする。
 それに、射命丸には清蘭が懐いている。清蘭の人を見抜く目は当たっていることが多い。案外、そんなに警戒しなくてもいいのかもしれない。そんな風に思った。
 料理をする清蘭たちの姿は楽しそうだった。そんな中でふと、前線基地で受けた天狗からの制裁で、射命丸が言っていた言葉を思い出す。『行いには、報いがある』。
 それから、月の都での生活を思い出した。失敗を許されない生活。任務はこなすべき生活。当然、仕事をこなせないのなら生きていく許しも、食事を食べる許しも得られない。
 もしいまでも私が玉兎の兵士なら、たとえ病み上がりでも、食事の準備をしなければ、きっと食事は分配されないだろう。
 ふと胸に渦が巻く。
 もしかしたら。いまからだって、清蘭たちは仕事をこなした三人だけで食事をはじめるのかもしれない。そんな思いが浮かんできた。
「鈴瑚さん、ちょっと味見をしてくれませんか? なかなかいい味付けだと思うのですが」
 ふと久侘歌のそんな言葉で、我に返った。気がつけば、久侘歌が私に料理の入った椀を差し出していた。その横に射命丸が並んでいる。
「……私も、食べていいんだ」
 咄嗟にそんな言葉が出た。
「え、それはまあ。あなたの快復祝いですし、みんなで食べた方が美味しいですもん。食べるのは生き物に与えられた平等の権利ですよ」
 そうやって射命丸が答える。
「平等の権利か……」
 なぜか私は、昔のことをいろいろと思い出した。失敗が許されない玉兎生活。幼いころ、強要されていた餅つき。
 それらを思い出しても、今はくすりと笑ってしまった。
「え、どうしたんですか?」
 射命丸が驚いたように聞いてくる。
「いやあ、我ながら馬鹿げた思い込みだったなって……」
 そう答えると、久侘歌と射命丸の頭上には、疑問符がたくさん浮かんでしまったようだった。私は申し訳なくなって「なんでもない、ちょっとぼーっとしちゃってた」と誤魔化すことにした。
 それから食事ができるのは早かった。三人が楽しそうに料理を作る姿を見ていると、こちらも楽しい気分になるようだった。
 そうして鍋料理と取り皿が並べられ、私たち四人は食卓を囲む。その時に、ふと想った。
 これは鶏肉が入っている鍋だ。ある個が生存するために、ある個を殺して、それを取り込む。わかりやすい生存競争の在り方だ。地上の穢れ。これを食べるということは、そういうことなのかもしれない。
 けれどもこれは同時に、射命丸と久侘歌と清蘭が、病み上がりの私に栄養をつけてもらおうと作ってくれた料理でもあるのだろう。そう考えると、この料理っていうのは……。穢れ。きっと穢れにも、いろいろなものがあるのだろう。
「いただきまーっす!」
 清蘭の挨拶を合図に、私たちは昼食をはじめた。地上の生活で、はじめての食事だ。
 鶏肉と、人参の細切りとを、箸で摘まむ。そうして口の中へ入れる。味と匂いが、ゆっくり広がってくる。
「うん、美味しい」
 私の頬は綻んでいた。気持ちにつられて、清蘭と久侘歌と射命丸の顔を見やる。
「そうでしょう。丹精込めて作りました」
 久侘歌が目を細めた。「本当、料理上手だよねえ」と清蘭も笑う。
 そんな風に四人で食卓を囲んでいると、私は言いたくてたまらない言葉が出てきた。
「今日はありがとう。明日からは私もできることをやるよ」
 みんなは、どんな料理が好きなんだろう。そんなことに思いを馳せた。
 それから、昼食を食べ終わって少し休憩をしている時に、清蘭が私たちに提案をした。
「ねえ、良かったらおやつに、お団子を食べない? 私、つくのが大好きなんだ!」
 杵と臼は少し前に清蘭がどこからか調達してきていたらしい。そして提案で私たちに尋ねてきたものの、清蘭は餅をはじめからつくつもりだったらしく、糯米もちゃんと用意されていた。
 あれよこれよという間に、餅つきの準備は整っていった。そして清蘭と久侘歌は庭で餅つきをはじめた。
 私はといえば、これまた病み上がりということで縁側に座り、その様子を見ていることにした。
「もうちょっと休憩してから、私も参加させてもらいます」
 射命丸もそういう風に言って、私の横で座っていた。
 清蘭が、餅をつき始める。その様子を見るのは随分と久しぶりな気がした。本当に楽しそうに笑っている。そして清蘭は餅をつくのに合わせて、玉兎の間では有名な歌を歌っていく。
「月の月のうさぎが♪ やいのやいのと歌うのは♪ ……♪ ……♪」
 その歌声を聴き、射命丸が微笑む。
「上手いもんですねえ。あの歌は、餅をつくときの文化なんですか?」
 そうやって私の方へ視線を送る。
「うん。月じゃみんな、何か歌いながら餅をつくんだ。あの歌も一般的なもので、昔話をモチーフにした歌なんだよ」
「ほうほう。昔話というと?」
 気がつけば、射命丸はどこからか手帳とペンを取り出していて、私の話に熱心に耳を傾けていた。新聞記者って言っていたけど、その姿を見ると確かに納得してしまった。
 射命丸は聴き手に徹する様子だったので、私はさらに言葉を続けた。
「地上でも、そこそこ知られてる話じゃないかな? ある山中で、兎と猿と狐が、倒れていた老人を助けようとするんだけどね――」
 そうやって、私は玉兎の昔話を話していった。玉兎の世界では有名な、兎が老人を助けるために火の中へ飛び込む話だ。
 全部話し終えた後、射命丸はまだ手帳にペンを走らせながら、口を開いた。
「火の中に飛び込む兎、ですか」
「うん。変な昔話でしょ。なんでわざわざ火の中に飛び込むのか、私には全然わからないんだ。月の兎って昔から変なやつなのかも」
 私は何気なく答える。でも射命丸は、なぜかぽかんとした顔をして、私を見返してきた。ペンを動かす手も止めてしまっていた。
「あやややや。炎の中に自分から飛び込んだ兎の言葉とは思えませんねえ」
 え、と私の口から言葉が漏れた。それから気づいた。あの前線基地の出来事の最中、私も炎の中に飛び込んでいたじゃないか。
「自分が気づいていないだけで、案外あなたも真っ当な玉兎なのかもしれませんね。良くも悪くも」
 そう言うと、射命丸はもう一息とばかりに手帳でペンを走らせ始めた。私は少しの間、ぼうっとしていた。
 庭では清蘭と久侘歌が相変わらず賑やかに餅をついている。空の色は、陽の光が広がっていて白く、何処までも続いているようだった。


 ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯


 射命丸が「もうそろそろお暇します」と言って久侘歌の家の外に出た時、陽はすっかり沈みかけていた。清蘭と久侘歌は夕食の片づけをしていて、私だけが見送りのために一緒に表へ出た。
 射命丸は外へ出た途端、腕を上に向けて、大きく伸びをした。
「あー、楽しかったあ……」
 そんな風に気の抜けた声を出す。
「やっぱり、休日はこうありたいものですねえ。嫌でもこなさなくっちゃいけない仕事だらけの日々だけでは、疲れてしまいます」
 そんなことを言って口元を笑わせていた。
「たとえば、監視活動とか?」
 私は何だか、そうやって尋ねてみたくなった。射命丸は陰のでき方が少し違う笑みを浮かべる。
「ええ、一番やりたくない仕事です」
 そうして、それだけ答えた。これは本音かな。なんとなくそう思う。
 それでも、この天狗は仕事をこなしていくんだろうな。私は射命丸の様子を見てそんなことを思った。きっと、私もそうやってこれまで暮して来たんだろう。そんな考えも浮かんできた。
 だからこそ、言ってみよう。ぶつけてみよう。この天狗に。そんな風に考えて、私は射命丸に尋ねかけてみる。
「そんなに嫌なら、やめちゃえば? この幻想郷は自由なんでしょう?」
 すると射命丸は私を見つめ返して、くすりと笑った。なぜだか少し寂しそうで、その笑みは何に向けたものなのか、私には分からなかった。
「ええ、もちろん。その自由もありますよ。ただ私は、私なりの想いがあって、この山で生きていくことを選択しています。だから、いやな仕事でも耐えていこうって思うんです」
 そうやって射命丸は夕日を見やる。私は、赤く照らされる彼女の横顔を見ていた。一体彼女は、どんな想いを抱えて、この山に居るんだろう。
 選択したからこそ、耐えられる。そうやって生き方を選択する。射命丸の言葉を胸の中で確認してみる。いままで考えたこともない言葉だった。
「あなただって、きっとそうでしょう? 自分で選択したから、どんなにつらい状況だって耐えていこうとする」
 しかし、射命丸はそうやって私に言葉をかけた。彼女はちらりと、清蘭の声が聞こえる、家の中へ視線を送る。
 清蘭。そうだ。私もまた、選択した。これから清蘭がどういう風になっても、清蘭と一緒に居るって決めた。清蘭が、鈴仙を殺してしまうことを防ぐために。私を殺してしまうことを防いでいくために。清蘭と、鈴仙と、私とが、一緒に生きていけるようにするために。
「どれだけ現実の出来事が私たちの望みを阻んでも、私たちはそれぞれの真実に手を伸ばさずにはいられないものです」
 射命丸はまた静かに言葉をつづけた。
「もちろん、現実に耐えかねて、何度も何度も真実を見失うこともあるでしょう。もう嫌だと、手放そうとすることもあるでしょう」
 射命丸の瞳は、遠くへ目を凝らすように細くなっていく。
 これまでも射命丸だって、求めた真実を手放したくなった時があったのだろうか。それでも何かを選択して、ここに居ることを選んだのだろうか。そんな想像が浮かぶ。
 もしかすると私も、これからまた、清蘭と離れたいと思う時がくるのだろうか。もはや清蘭と一緒に居られないと思う時がくるのだろうか。そんな想いが浮かんでくる。
「それでも、私たちは選択をしたのです。私たちが望む道をね」
 そうやって静かに、見つめたものを確かめるように、射命丸は言う。
 私は少しの間、彼女の言葉を反芻した。
 射命丸は何かの選択をした。きっと、その選択を貫いていくために、あの前線基地の時のように忌むべき穢れが渦巻く場所にさえ、向かわないといけない時もあるのだろう。何かに手を伸ばして求めるために。
 もしかすると、求める想いというのは、穢れを集めて凝縮したものなのかもしれない。
 私はそこまで考えてから、誤魔化すように声を出した。
「さすがは、新聞記者。いつだって記事の文面を考えてるんだね」
 そんな風にお道化て笑いかけた。
 射命丸もまた、くすりと笑い返した
「ええ。時々、無性にね」
 どことなく照れくさそうな顔だった。
 それ以上、私と射命丸が言葉を交わすことはなかった。
「では、また会いましょう」
 射命丸はそう言い残して、空へ飛び去っていった。私はその後ろ姿を見つめて、追いかけるように言った。
「うん、また会おう」
 その言葉が空に溶け込んでいくことを感じながら、私は思いを馳せていた。これから私はどうやって生きていくのか。
 けれども、ちょっと考えに沈む間もなく、家の中から清蘭の声が聞こえてきた。
「ねえ、鈴瑚! 明日は鈴瑚も餅つきをしようよ!」
 そうやって姿を見せた清蘭は満面の笑みを向けてきた。
 それで、私には十分だった。
 ああ、そうだ。きっと私は、こうやって生きていきたいのだ。そう思った。
「うん、そうしよう。約束だ」
 そうやって私は清蘭に答える。
 最後に私は、射命丸が飛んで行った空を見て、家の中に戻っていった。空の色は赤くて、消えかける焚火を惜しむ気持ちがした。


 ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯ ●◯● ◯●◯


 もう日はすっかり落ちて、妖怪の山も真暗くなった。でも私たち玉兎は波長を感じられるから、暗い中での行動もある程度ならお手の物だ。
 私と清蘭は一緒に水浴びをすることになった。場所は久侘歌の家の横にある小川だ。私は二週間眠りっぱなしだったし、清蘭は方々で食料を探し回っていて、体が汚れているらしい。久侘歌にそう言われてもいまいちピンとこなかったけれど、地上での生活で水浴びは大切なものなのだとか。
 素肌に触れる空気はひんやりしていて、川の水はちょっと冷たかった。でもさらさらと水が肌を伝っていく感覚はくすぐったくって面白かった。
 膝まで届くくらいの小川の水を、ばしゃばしゃと、肩や胸、頭にかけて、体を洗っていく。こうやって自分の体のあちこちに触れるっていうのも、珍しい体験だ。
「いやあ、なんだかさっぱりしたねえ。水浴びって結構楽しいねえ」
 そうやって清蘭はけらけらと笑う。
「んー、でもなんだか変なもんだね。どんどん体に汚れやらが溜まっちゃうっていうのは」
 私は率直な疑問を返してみた。月の都では、どのように過ごしても体が汚れることなんてなかった。指先にみたらし団子のタレがついても、気がつけばそのうちに綺麗になっていた。けれども、どうやら地上の勝手は違うらしい。
 夕食の準備で食材を運ぶとき手に着いた野菜の臭いとか、肉の臭いとか、そういう臭いが全然取れなかった。何度も水で洗ったが、もう一度、くんくんと自分の手を嗅いでみる。まだ少し泥の臭いや肉の生臭さが残っている気がした。
「それだけ、みんな必死に生きていたいってことなんだろうねえ。消えたくない! 何か、残したい! ってさー。まさに生存競争、穢れの世界だねえ」
 清蘭の言葉に、私は思わず自分の体をまじまじと見やった。
「体に触れるもの、なにもかも、みんな生きていたくって、私たちに、ここに居た証を残していくってことか。なんだか、変な感じだね」
 ぜんぶ体に残していくのには、きっと私たち個の体っていうのは、少し器として脆すぎるのだろう。だからこうやって、水浴びをして、汚れを落としていくことも大切になるのかもしれない。そうやって、本当に体の中に残しておきたい大切なものを、残しておけるように。そういう風に考えると、なんだか不思議な心地がした。
 そうやって空想にふけっていると、ふと冷たい指が、私の背中に触れた。私は思わず、ひやっ、と声をあげてしまう。
「えっへっへっへぇ! じゃあこれで、鈴瑚の背中にも私がいた証が残ったってことだねえ!」
 私の後ろから、清蘭のそんな笑い声が聞こえた。私はあわてて振り返り、「ちょっと、もーっ」と清蘭を睨んだ。それから急に鼻の辺りがむずむずしてきた。あ、まずい。そう思ったが、それ以上何かが間に合うことはなく、ぶえっくしゅ! とくしゃみが出た。
「うえあっ!」
 なんて清蘭の声が聞こえてきた。すぐに目を開くと、清蘭が顔を覆っていた。
「あー、ごめんごめん……」
 そうやって鼻をすすって清蘭に謝る。清蘭は自分の顔をぬぐって、手を川で洗いながら、うへえ、と声を出す。
「これが、鈴瑚の生きた証かあ。もう少し清く生きた方がいいんじゃなーい」
 などと言う。
「てーい」
 むっとしたので、川の冷水をばしゃばしゃかけてやった。
「うっぎゃあ! 冷たい、つめたいって鈴瑚ぉ!」
 清蘭は悲鳴をあげたが、ちょうど手の届くところに、久侘歌が貸してくれたタライがあったので、私はそれで川の水をすくう。
「もっとくらえーい」
 たくさんの水を、清蘭の頭から降り注がせてやった。
「うああああん、鈴瑚がいじめるぅうー!」
 そうやって清蘭は大声をあげるが、すぐに私の隙をついて、タライを素早く奪い取ってきた。反撃体勢は十分のようだった。
「清蘭のくせになまいきなー!」
「うるさーい、ここから反撃だよー!」
 それからぎゃあぎゃあと、私たちは夜なのに賑やかに過ごした。
 ふとした瞬間に目に入った空の色は黒く、まるでどんな色であっても受け止めてくれるようだった。
 それからしばらく、私と清蘭は小川ではしゃいだ。小一時間も経った頃、久侘歌がやってきて「あなた方は何をやっているんですか」と呆れられてしまった。なので、私と清蘭は互いに顔を見合わせて、笑いながら久侘歌の家に戻っていった。
 家の中で久侘歌から寝間着を貸してもらう。それから今朝眠っていた部屋にもう一度、私と清蘭の布団を並べて敷いて、寝仕度をしていった。
「これだけ賑やかだったら、明日も楽しい日になりそうですね。それでは、おやすみなさい」
 久侘歌はそう笑って、私たちとは別の部屋に入っていった。
 明日はちゃんと朝起きて、久侘歌の家事を手伝おう。そう話し合って、私と清蘭も、早々と部屋の隅で灯る蝋燭の火を吹き消した。
 二人とも布団の中に入っていく。そうして天井を見つめるばかりになった。けれどもやはり、まだ物足りない気持ちがした。
「いやあ、鈴瑚もすっかり本調子だよねえ」
 そしてそれは、清蘭も同じだったらしい。もう少し、あと少しだけだ。
「素っ裸であれだけ暴れられるんなら、もう何やったって大丈夫だよお」
 そんな風に先ほどの水浴びを話題に挙げて、清蘭は笑った。ちなみにあの後、清蘭ははしゃぎすぎて岩で足を滑らせ二度ほど頭を強打していた。
「まあね。もう結構回復したし、明日からは食糧調達を手伝うよ」
 なんて私は涼しい顔をして答えるが、こちらはあの後、はしゃぎ過ぎて四度ほど頭を川に突っ込んでいる。正直馬鹿だった。
「明日から、何していこうねえ」
 そんな風に言い、清蘭は言葉を続けていく。
「久侘歌さんは、ゆっくり探せばいいって言っていたけど。はやくなにか、見つけたいねえ」
 明日から、何をして生きていこう。そんな清蘭からの話題に、私の口元はふと緩んだ。そうして、胸に隠していた想いを少しだけ出してみることにした。
「まあ、私は清蘭とずっと一緒に居られれば良いよ。そうやって、これから生きていければ……」
 そんな言葉が私の口から出てきた。
 けれども。
「ほえっ? ……あっはっは、そんなあ。ずっと一緒に居るなんて、無理だよお」
 清蘭はそうやって笑った。
「え……」
 咄嗟のことで私は返す言葉を失ってしまう。
「だって、ずっと一緒って。お風呂とか、お手洗いなんかも? ……いや、お風呂は今日一緒だったねえ。あれは水浴び? それはとにかく、一人で出かけたい時だってあるし、そこまでは難しいって! あははー!」
 清蘭の言葉に、私はすぐに口を開きかけた。
「いや、そういう意味じゃ……」
 でも、出かかって、言葉を止める。清蘭は無邪気に笑っていた。
 清蘭の言うことを必死に否定するのも馬鹿馬鹿しい。そんな気持ちがした。それに、清蘭が笑っている。それだけで少し安心する気持ちもあった。だから、今はこのまま笑っていてほしい。そう思って黙っていることにした。
「もー、鈴瑚ったら甘えん坊なんだから。ほら鈴瑚、がっかりしないでよ。仕方ないから、だいたいの時は清蘭ちゃんが一緒に居てあげるってー!」
 そうやって清蘭はさらに笑う。
「はあ!? なんだよ、それー。私ぜんぜんそんなこと言ってないって!」
 今度こそ違うと思って反論する。しかしそんな私の言葉なんて清蘭はどこ吹く風だった。
「もー、照れない照れない。甘えん坊でもいいんだよ? 誤魔化さなくたっていいんだからー!」
 いろいろ言いたいことが思い浮かんだが、やっぱり言わないことにした。清蘭がこういう風に調子に乗った時は、反論するほど調子に乗るのだ。よく知っている展開だ。
 それからしばらく、他愛のない話が続いた。
 清蘭はよく笑っていた。私も清蘭ほどではないが、たくさん笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。本当に。いまだけじゃない。今日は久侘歌とも、射命丸とも、たくさん笑った気がする。
 それでも気がつけば、清蘭は眠ってしまっていた。しんと鎮まった部屋の中、私は一人、天井を見上げていた。先ほどの清蘭の言葉がふと浮かんでくる。
 甘えん坊。さっきは違うと言ったけど、もしかすると、確かにそうなのかもしれない。
 私はずっと一人で生きていければいいと思っていた。けれども、どうやら違うらしい。私はどうしても清蘭を捨て置けなかった。だとしたら私は、清蘭と一緒に居たいのかもしれない。だとしたらそれは、甘えん坊だ。
 射命丸も言っていた。案外私は、玉兎らしい玉兎なのかもしれない。そうかもしれない。私は、一人では寂しくて生きていけない、なんとも玉兎らしい玉兎だ。
 清蘭は色々なことを知っているし、教えてくれる。月白色の団子が好物だと教えてくれた。私が甘えん坊だと教えてくれた。それに、私の好きそうなものを見つけたら決まって教えてくれる。
 私は清蘭に何を教えてあげられるのだろう?
 清蘭の好きなものは何だったか。私が甘えん坊の兎なら、清蘭はどんな兎と言えばいいのか。私は清蘭のためにどんなことが言えて、何ができるのか。
 いまはどれだけ考えても何も思い浮かばない。
 でも、何か一つでいい。私も清蘭からもらったような言葉を清蘭に返してみたい。
 清蘭が隣で、ぐうぐうと呑気にいびきをかいている。
 だからきっと、これからは。私も清蘭の好きなものを一つずつ、少しずつ、覚えていってみよう。そうしたらいつか清蘭みたいに、私も言葉をかけられるはずだ。
 そんなに急がなくてもいいのかもしれない。しばらくは清蘭も私と一緒に居てくれる。だから少しずつ、清蘭の好きなものを知っていこう。清蘭という兎を知っていこう。
 いまはそんな風に思えた。
 もしかしたら射命丸の言うように、いつかどうしようもない現実に阻まれて、清蘭と一緒に居られなくなることも起こるかもしれない。
 だけど、それでも。いま私は、清蘭と一緒に居たいのだ。
 とりあえず明日は、約束した通り餅をつこう。清蘭が私に月白色の団子を作ってくれたように、私も清蘭の好きな団子を作るのだ。
 そう思って私は目を閉じた。それから安心して、私は向かっていく。いつも見ている夢の方へ……。
 私がずっと求めている、夢の方へ……。


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