兎は如何様な夢を見る
明日は、どうやって生きていこう。そう考えたときに答えを出すのは簡単だった。
月に住まう高貴な月人の下で、奴隷のように暮らす私たち玉兎にとって、生きる目的など単純だ。
生き延びるために、生きていく。使い捨ての命として扱われる私たち玉兎にとって、命を続けられること以上に幸福なことなんて、ないはずだった。
終業時間が過ぎてから、どれくらい経っただろうか。調査部隊イーグルラヴィの情報部門室に点く明かりは、私のデスク周りくらいだった。
情報端末のモニターの片隅で時計が、就寝規定時刻をとうに過ぎていることを告げていた。窓の外はすっかり真黒い。そのことを多少気に留めながらも、私は情報端末の操作盤の上で指を動かし続ける。この作業を終えなければ生きていけないのだから。
友人からテレパシー補助機構である玉兎遠隔群体電波通信網を通して、メッセージが入る。しかし無視して作業を進める。
私たちが住む月の都では、徒な物事は不要とされていた。
月の住民たちはそれぞれの目的をもっていて、それを達成するために、寸分の違いない行動を求められる。
だから私も、もし目的のために不必要なものを抱えているのだとしたら、それは捨てなければいけないのだろう。
――たとえば現実から目を背けるばかりの、夢。たとえば親しいが故に私の心を苦しませる、友人。
生き続ける、という至上目的を達成するためには、徒なものは捨てていくしかない。
しかしこういうことを考えているときに、いつもふと思い出す昔話がある。どこで誰からはじめに聞いたのか思い出せないほど、玉兎の世界ではありふれた昔話だ。
『猿、狐、兎の三匹がおったとさ。
三匹は山中で倒れていた老人を助けようと思った。猿は木の実を集め、狐は魚を捕ってきた。
けれども兎は何も採ることができなかった。
どうしても老人の助けになりたかった兎は、ついにその身を食料として捧げようと、火の中へ飛び込んだ。
兎は寂しいと死んでしまう。他者を失っては死んでしまうのだ。
だから兎は夢を見る。
他者を助けるための行いに、幼子が母に抱かれるような幸せを、夢として重ね見る。
我が身を焼いて他者に捧げたとき、兎は比類なき生の喜びを感じたのだろう。
老人は、兎たちの信心を試そうとした帝釈天だった。帝釈天は、兎の身を焼く慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月まで昇らせた。
だから月には兎がいる。
月の兎たちは、きっと今も大切な誰かを失わないために、我が身を焼いて、その先に幸福な夢を見ているのだろう。』
――他人のために火へ飛び込むことなんて、あるのだろうか? 少なくとも私は、私が生き続けることを目的にしている。そして生き延びるために、いろいろなものを捨て置いてきたと思っている。
それなのに、他人のために火へ飛び込むことなんて、あるのだろうか?
おかしな話だ。私は自分がひとり生き延び続けることを想うとき、決まってこの昔話を思い出す。
まるで、何かを探しているかのように……。
玉兎遠隔群体電波通信網から、先ほど友人から届いたメッセージが聞こえてくる。
『ねえ、鈴瑚ー。寝る時間だしもう寝ちゃったー? 今度の休暇、また遊びに行こうよー。返事待ってるね!』
友人、清蘭の声は、夢を見がちな玉兎らしく、呑気なものだった。
私は思わず下唇を噛んでいた。そして指で、情報端末の操作盤を強くはじいた。
私は、生き延びていたいのだ。たとえ何を捨て置くことになっても。
明日は、どうやって生きていこう。そう考えたときに答えを出すのは簡単だった。
月に住まう高貴な月人の下で、奴隷のように暮らす私たち玉兎にとって、生きる目的など単純だ。
生き延びるために、生きていく。使い捨ての命として扱われる私たち玉兎にとって、命を続けられること以上に幸福なことなんて、ないはずだった。
終業時間が過ぎてから、どれくらい経っただろうか。調査部隊イーグルラヴィの情報部門室に点く明かりは、私のデスク周りくらいだった。
情報端末のモニターの片隅で時計が、就寝規定時刻をとうに過ぎていることを告げていた。窓の外はすっかり真黒い。そのことを多少気に留めながらも、私は情報端末の操作盤の上で指を動かし続ける。この作業を終えなければ生きていけないのだから。
友人からテレパシー補助機構である玉兎遠隔群体電波通信網を通して、メッセージが入る。しかし無視して作業を進める。
私たちが住む月の都では、徒な物事は不要とされていた。
月の住民たちはそれぞれの目的をもっていて、それを達成するために、寸分の違いない行動を求められる。
だから私も、もし目的のために不必要なものを抱えているのだとしたら、それは捨てなければいけないのだろう。
――たとえば現実から目を背けるばかりの、夢。たとえば親しいが故に私の心を苦しませる、友人。
生き続ける、という至上目的を達成するためには、徒なものは捨てていくしかない。
しかしこういうことを考えているときに、いつもふと思い出す昔話がある。どこで誰からはじめに聞いたのか思い出せないほど、玉兎の世界ではありふれた昔話だ。
『猿、狐、兎の三匹がおったとさ。
三匹は山中で倒れていた老人を助けようと思った。猿は木の実を集め、狐は魚を捕ってきた。
けれども兎は何も採ることができなかった。
どうしても老人の助けになりたかった兎は、ついにその身を食料として捧げようと、火の中へ飛び込んだ。
兎は寂しいと死んでしまう。他者を失っては死んでしまうのだ。
だから兎は夢を見る。
他者を助けるための行いに、幼子が母に抱かれるような幸せを、夢として重ね見る。
我が身を焼いて他者に捧げたとき、兎は比類なき生の喜びを感じたのだろう。
老人は、兎たちの信心を試そうとした帝釈天だった。帝釈天は、兎の身を焼く慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月まで昇らせた。
だから月には兎がいる。
月の兎たちは、きっと今も大切な誰かを失わないために、我が身を焼いて、その先に幸福な夢を見ているのだろう。』
――他人のために火へ飛び込むことなんて、あるのだろうか? 少なくとも私は、私が生き続けることを目的にしている。そして生き延びるために、いろいろなものを捨て置いてきたと思っている。
それなのに、他人のために火へ飛び込むことなんて、あるのだろうか?
おかしな話だ。私は自分がひとり生き延び続けることを想うとき、決まってこの昔話を思い出す。
まるで、何かを探しているかのように……。
玉兎遠隔群体電波通信網から、先ほど友人から届いたメッセージが聞こえてくる。
『ねえ、鈴瑚ー。寝る時間だしもう寝ちゃったー? 今度の休暇、また遊びに行こうよー。返事待ってるね!』
友人、清蘭の声は、夢を見がちな玉兎らしく、呑気なものだった。
私は思わず下唇を噛んでいた。そして指で、情報端末の操作盤を強くはじいた。
私は、生き延びていたいのだ。たとえ何を捨て置くことになっても。