身体を揺すられる感覚で私の意識は戻ってきた。
「ううん……?」
「起きたか。少しは落ち着いたか?」
上から覗き込んできたのは大きい方の神様だった。起き上がって私は周りを見た。
「あれ、私……」
大きい方の神様と小さい方の神様、それに緑の巫女さんが私を見ている。
「ごめんなさいね、お空さん。無理矢理気絶させちゃって」
困ったような顔で巫女さんは言っている。気絶させられて少しは頭は冷えた。私はこれからの事を考える。
温度が上がった赤い水。ゴポゴポと溢れそうな赤い水。みんなが死んだあの水……
「……神様。私はどうすればいいんでしょうか。溢れてきそうなあの水をどうしたらいいんでしょうか……」
もう、私は何をすればいいのか思いつかない。抑えることが出来るのか、それとも諦めろということなのだろうか。
「恐らくだが、まだあれは溢れて来ない。だからそれまでにどうにかするかは他のものに聞いたりするから今は、日常を過ごすといい。さとりには一応、話しなさい。いいね?」
念を押されるように私は言い聞かされて、帰るように言われた。
「送りましょうか?」
「うにゅ……大丈夫……一人で帰る」
緑の巫女さんの好意を断って私は神社の鳥居を潜り抜け、紅葉舞う、妖怪の山を羽ばたいて地底の穴に向かい空を駆けた。
~*~*~
気がつけば一週間、経っていた。
赤い水は徐々に地霊殿の方に上がってきて、ゴポゴポと煮え滾る音が酷くなっていた。私はひたすら温度を下げることをしてきたけれども、やっぱり下がらなかった。
ついにさとり様に聞かれた。
「お空、あなたは何を隠しているのです」
「お仕事のこと……大丈夫です」
言うことはしなかったけれども、さとり様はすべてお見通しなんだろう。けれども口には出さなかった。出したくなかった。悟られていたとしても絶対に、さとり様だけには……
灼熱地獄の中で考えてしまっていた。私は頭を振る。何故かもうむしゃくしゃして、旧都を飛び回ろうと思った。人化の術を解いて、ただの地獄鴉になった。
かァ、かァ……
バササ、と私は旧都の空を飛ぶ。
いつもの呑んだくれの街。もしくは鬼の街。あるいは嫌われ者たちの街。
旧都の空は安心する。生まれ育ったこの地底は私の故郷で、人間達がどれだけ嫌おうともここが良いところだと思うから。
カァ、カァ……
飛んでいる最中に見つけたのは勇儀だった。一人で屋台のご飯を食べてお酒を飲んでいるみたい。そこの近くに降りると勇儀は気がついた。
「おや、お空じゃないか。珍しいな、今日はそっちの姿なんて。話は聞かんが、とりあえず食うか?」
おつまみのきんぴらごぼうのお皿を勇儀が座っている椅子に置いている。私はぴょんぴょんと近づいて、軽く飛んで勇儀の隣に立った。
「好きなだけ食べな。私は酒飲んでるから」
置かれたきんぴらごぼうをつつく。味は濃いけど美味しい。そういえば、ずっと考えてばかりでご飯を食べていなかったな。それを自覚したらいきなりお腹が減ったような感覚がして私はがつがつと流し込むように食べた。
「とと、おいおい、そんなにがっついて大丈夫か?」
空になったお皿を見つつ私はコテりと座る。お腹いっぱいで幸せ。
「大丈夫ならいいけど。しかしお空、嬉しそうで何より」
さとり様より大きな手が私の身体を撫で回した。くすぐったようで嬉しくて。
カァ! カァ!
バササ、と私は勇儀の手の中から飛んだ。
「おーい! お空、またみんなで一杯やろうなー!」
かァ、カァ……
地底の縦穴の橋の前まで飛んできた。縦穴の側の橋に立つのはパルスィ。今日も嫉妬の緑に溢れていてとても元気そうだな。わたしから見てパルスィの反対側、左側の欄干に止まった。
「あら、お空じゃない。今日もその黒くて美しい羽根が妬ましいわね」
かぁ。
「仕事はどうしたのよ。しかもその姿になって」
嫉妬に渦巻く中でもパルスィはなんだかんだで心配してくれる。とても優しいと思う。人間を襲う時は容赦ないけど。
かぁ、かぁ。
翼を大きく広げる。パルスィ側の欄干に行こうと飛んだ……はずだった。いきなり身体を鷲掴みにされるような感覚がして驚く。かァ!? ガァ!? ジタバタと暴れる。
「こいしじゃないの。お空、いきなり掴まれて驚いてるから離してあげなさいな」
「ちぇー面白いのに」
ぱっと解放されて、体制を整えて飛んだ。少し橋の上の方に飛んだら、私が止まっていたところの近くにこいし様がいた。
それを確認出来たので、私はこいし様の近くの欄干にとまった。
「これから地上にいくのかしら?」
「行かないよ。お空に着いてきただけだし。鳥モードになって飛んでいくのが窓から見えたから面白そうだと思って見てただけだよ」
さとり様とはまた違う手で私の身体を撫でながら答えているこいし様。着いてきた? どうしてだろう。
「お空、お前は何をするのかな?」
こちらをギョロリと目が飛び出るような視線で私を見回すこいし様。撫でていた手は私の首に掛かる。
怖い。怖い。怖い! 時折、豹変するこいし様はとても怖くなる。
かぁ……かぁ……かぁ……
弱々しい声しか出せなくて情けない。
私の身体を隅々まで見た後、首に掛かった手は離された。
「お空が望むこと、出来たらいいね」
ふら、と身体が揺れて歩いていくこいし様の気配は消えていった。橋の途中からもう意識が出来なくて捕られられなかった。
「あんたも災難ね、とだけ言っておくわ」
パルスィは苦味のあるような笑いをしていた。
***
橋で少し休んだ後、パルスィとお別れして私は地底の縦穴を上がる。個人的に灼熱地獄の穴を彷彿とさせる。上に見えるのは青空だけれど。
「あー、お空だ。どしたの?」
声をかけられて縦穴の飛び出ている木に止まる。するすると下から上へと上がってきたのはキスメだった。
「あれー今日はそっちなんだね。骨投げして遊ばない?」
かぁ。私はバササとキスメの桶の縁に飛び移って止まる。桶はぐらぐら揺れる。軽くつんつんと髪留めをつついた。
「あはは。わかったよ、遊ぼっか。骨投げるから取ってきてね!」
桶の中から骨を出したキスメは小さめの骨をヒラヒラと私の前に掲げた。
「そーれっ!」
びゅん。私の横を通る骨。バササ、と落ちるように私は骨を追いかける。投げた速度と落ちていく速度が合わさって早そう……だが、それを捕まえてやる!
落ちて風を切るのが気持ちいい。少しだけ灼熱地獄のことを忘れることが出来たような気がした。
永遠に風を切れるような気がしたけれど、目の前に近づいた骨をくちばしで咥えた。加速された重さに身体ごと引き摺られるような感覚がしたが、それを引き上げる。やった! 取れた!
上の方にいるキスメに渡すため、縦穴の横に当たらないように戻る。桶の隅に乗って、骨を返した。
「凄かったよお空! あんなに早く飛べるなんて!」
パチパチと拍手をしてくれるキスメ。えっへんと私は胸を貼った。
「えへへ、お空は凄いなぁ」
ニコニコと笑いながらキスメは身体を撫でてくれる。さとり様より小さな手が私の身体を触ってくれた。
かあ! かあ!
褒められたこと、撫でてくれたことが嬉しくて、バサバサと大きく羽ばたく。
「あっ、お空、そんなに羽ばたいたら……うわぁ!?」
キスメの桶がひっくり返って私達は落ちる。咄嗟のことに私は反応出来なくて羽ばたけなかった。隣でキスメはうわーー!と叫んでいる。助けようにも助けられない。
「おいおい、何してるのさ! キスメ、お空!」
上から声がした。落ちながら見ると高速で降りてくるヤマメがいた。蜘蛛の糸を出したかと思えば、ぼふんとキスメと私は蜘蛛の巣に引っかかった。柔らかな受け止めでとても優しかった。羽に糸がくっついて取れないけれど。
「ヤマメ! ありがとーそれと糸、取ってくれない?」
「はいはい……それでなんで二人は落ちてたんだい……」
呆れたような声でヤマメは話す。私の身体についていた糸を取り、キスメの糸を取り始めている。
「お空と骨投げしてたら落ちちゃったの」
「次から気をつけなよ。それとお空、ちょっといいかい?」
かぁ。
なんだろうと思いつつ、私は返事をする。
「地上に守矢の巫女がいる。なんだか分からないけれどお空を呼んでこいって言われたんだ」
……緑の巫女さん? ああ、そういえば……なんだっけ?
「丁寧な言い方だったけど腹立って襲いかかろうとしたらボコボコにされたよ。本当に腹立つな」
ヤマメはニコニコと笑っている。けど顔だけで笑ってなかった。怖い怖い。ヤマメが怒って勇儀をボコボコにしたこともあったから怒らせちゃダメだ。
「とりあえず呼んでくるって言ったから行く気があるなら地上に行きなよ」
カァ、カァ。
ヤマメの周りを一周して、私は地上に向けて上がって行った。
***
バサバサと目が眩むような太陽の下に飛び出る。いつもいつも、眩しくなって、空を飛べなくて、地上に降りてから目的地に行く。
「あら……お空さん? 神奈子様がお呼びですから早く来てください!」
地面に降りて目を慣らしていたら緑の巫女さんは私を抱えた。へっ?なに?
「少し飛ばしますよ」
それを聞いたと思ったら、身体中に風が吹き付ける。
カァ!カァ!
抗議するように私は大きな声で鳴く。流石に暴れることはしなかったけど、せめて自分で飛ばせて欲しかった。
「早く着きますから待ってください」
緑の巫女さんは離す気はないらしい。不服だが従うことにした。巫女さんの風の流れを感じていると、自分に当たる風を全て脇に逸らして、その風をまた前に進むのに使っているらしい。合理的だな、と他人事のように思った。
巫女さんに抱えられて境内に連れられていると大きな神様が迎えてくれた。隣に小さな神様と髪の毛が空のような色で長くて、頭に四角の帽子を被っている人がいた。
「集まったから話したいが。服を渡すからお前は着替えてこい。その姿じゃあ、覚りでも無い限り話し合いは出来ないからな」
そう言うと大きい方の神様は本殿の奥に行ったみたいだった。
「その妖怪が八咫烏を取り込んだ霊烏路さんでいいのかな」
空の髪の人が話しかけてきた。
「ええ、そうですよ。今回の地獄が溢れてくると言っていた妖怪です」
巫女さんの言い方がなんか信じてないように聞こえる。
「ふむ……とりあえず霊烏路さんが着替えてから話そうか」
そう言うとその人は本殿に上がった。私も巫女さんに抱えられて上がらせられた。
「お空、服持ってきたからそこの奥で着替えなさい。見えないようにしているから」
大きな神様は私の服一式を持ってきて置いた場所を指さしながら言った。巫女さん手元からヒョイと降りて人化の術を使う。
バキ、バキバキと身体の変わる音がする。昔より痛くはないけれども、まだまだ下手なのかお燐みたいにスマートに変化出来ない。一度だけこいし様に「変化中のお空、おぞましいものに変わってる」って言われたことあったな。私はこれしか変化が出来ないから良いんだけども……
「いててて……着替えてきます」
巫女さんと空の髪の人の目線がよく飛んできていた。そんなに変なのかな。
***
「さて仕切り直しだが。早苗に里で妖怪の山の起源を知っている人を探してもらった。知ってる人に当たったからこうしてお空にも来てもらったわけだ」
座敷の机に五人で顔を合わせる。原因がわかったのだろうか? それなら早く聞いて私が出来ることをしたい。
「ここからは私が話そう。改めまして霊烏路空さん。私は上白沢慧音だ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
ぺこりと礼をし合う。
「さて、妖怪の山の起源についてだったな。どこから話せばいいのやら……」
「この山の起源だけでいい。簡潔に教えてくれ」
大きい神様は早く話を進めたいのだろうか。急かすように言っている。
「では。妖怪の山は時々、煙を上げているのはご存知ですか」
「……ああ! 時々出てますね。あれって河童の工場の煙じゃないんですか?」
巫女さんが理解したのか答えている。私は地底にずっといるのでそもそも知らない。
「あれは工場の煙じゃないんです。岩長姫の不尽の煙なのです」
いわ……?なんだそれ。
「イワナガ……それは木花咲耶姫の姉で合っているな?」
「もちろんです。この妖怪の山は八ヶ岳の本来の姿と言われています」
もう話を聞くだけでちんぷんかんぷんで分からない。ワタワタと話を聞くだけになってしまっている。
「おい、神奈子。一番聞かなきゃいけないやつが分からなくて白黒してるぞ」
小さな神様がほおずえを着きながら大きな神様に言う。
「ああ、お空大丈夫か?」
「もう分かんないです……」
考えることを放棄しそうになる。
「それならばまずは富士山と八ヶ岳のお話をしましょうか」
昔の話です。富士山と八ヶ岳は同じくらいの山でした。ある時、富士山の神と八ヶ岳の神は背比べをはじめました。それは喧嘩になってしまい、阿弥陀如来に仲裁を求めたのです。すると阿弥陀如来はこう言いました。「山の山頂にといをかけよう。真ん中から水を流せば低い方に流れる。それで決着をつけよう」と。
そうして、といに水を流すと富士山の方へ流れたのです。富士山の神は怒って八ヶ岳を砕いてしまいました。
「……これが富士山と八ヶ岳のお話です」
上白沢さんはそう締めくくりました。
「これが何に繋がるんですか……」
大まかな流れしか分からなかったけれども喧嘩して怒って壊したという所だけは分かった。
「この富士山の神はさっき言った木花咲耶姫のことなのです。岩長姫と姉妹揃って富士山に住んでいましたが、この喧嘩を見た岩長姫は妹に嫌気が差して八ヶ岳へと移り住んでしまいました。そこから富士山は噴火をしなくなったのです……」
「……ふんかってなんですか」
そもそも言っている言葉の意味すら分からない。こればっかりはどうしようも無かった。
「ああ……そうですね。簡単に言えば霊烏路さんが言っていた赤い水、マグマと言うんですが、それが山から溢れ出る事です」
……!?あの水が溢れてくること……仲間を、皆を殺した水が……
「あの水の温度を下げる方法を教えてください、私は、私は……!」
机に頭をぶつける。痛みはあったけれど今はそんなことはどうでもいいのだ。ただただ、水の温度を下げることだけが先にしなければ行けないことなのだ……
「ごめんなさい、霊烏路さん。私に懇願されてもそれをどうするとかは出来ません」
「どうしてですか! 知っているなら何か出来るはずなのに!」
「それを知っているからこそ私は何も出来ないのですよ。噴火が起きたとしてもただの獣人や人間に何か出来る訳でもないのですから」
くそ、くそっ! 何で!
私は立ち上がり、部屋から出ていく。とても悔しかった。私に何も出来ないと言われているようで。
「おい! お空! 戻ってこい!」
大きな神様の声が聞こえたが私は空を飛んだ。
地霊殿に着いたけれど私は話しかけてくる皆を無視して部屋に行った。本当はさとり様に挨拶をしなければいけないのだけれどこの心で会えるわけが無い。もう何も考えたくなくて、部屋の布団に潜り込んだ。
私は一体何をすればいいのだろう……