屋根の上の聖は、踊りも詩も止めていた
体は正面、眼下の人間達が広げる松明の群れに向かい
視線は右、山の坂道を下る鬼火の群れを眺めていた
寅丸星は彼女の左、またしても屋根の反対側に降り立った
「…ひし、ぃ」
星は泣いていた
後悔か、恐怖か、悲哀かは分からないが
頬肉があった所に涙が流れ込み歯茎を濡らすのも構わず、ぼやけた視界に聖を捉え続けた
「私からの…さい後の、おれがい、です」
やはり頬肉が無いと喋りにくい、な
だが聞かなければ
決着をつけるには、これが最後の機会なのだから
「あの夜…ひじい、は…わたひィに、何をきこう…聞こうと、したんで っか?」
「……」
聖が、ゆっくりと振り返った
こんな聖の表情、知らない
微笑みとも、寝顔とも、威厳ある顔とも、踊り詠う時の顔とも違う
苛立ちとも、煩わしさとも、馴れ馴れしさとも、我儘とも、怠惰とも取れた
聖白蓮と言う人間からはおよそ印象が結びつかない、体臭が鼻につく様な雰囲気
「よくぞ聞いてくれた」、とでも言いたげな表情だった
そんな表情も体と顔がこちらに向ききり両手で髪を巻き上げた時には、すっかり例の笑顔になっていた
踊りと詩を飾る、あの柔らか過ぎる、芯の感じられ無い笑顔に
「Requiem…eternal…♪」
『手向けの詩を詠い続けましょう…』
質問への返答にもならない詩
だからこそ、示す処は一つしかない返答
しかし星もそれ以上追及しなかった
靴を脱ぎ捨て、装飾が邪魔で仰々しく固い上着を剥ぎ取り、両手を瓦について深く息を吸った
それが御望みとあらば
それが、御望みとあらば…!
「reaper…has…come,…sinner…!♪」
『死神は罪人のすぐ傍に…!』
両腕を広げた聖
その胸に飛び込む様に、寅丸星は瓦を蹴散らし手で叩き、空高く飛び上がって踊り掛かった
歯の隙間から獣の唸り声を漏らしながら
「Thigh high socks, and my absolute territory,Go on and drool…the Otaku can not resist You think that♪」
『法衣と足袋の間に私の聖域!! 信奉者のあなた達にはたまらないでしょうね!? ただあなた達は勘違いしてるみたいだけど!』
今だかつて無い悦びの絶頂の中で、聖は踊り、戦い、詠った
支離滅裂な歌詞と合わさり、傍目には気が触れている様にしか見えなかっただろう
大仰に振り回される手足や頭や髪の先から汗の飛沫が飛び散り、口から響き渡る歌声の大きさと高さは声帯を千切らんばかりの叫び声であった
そんな苛烈な高揚感に伴って繰り出される打撃の数々
もはや繰り出されるだけで離れた位置にいる人間達を地面や僧侶達の結界諸とも吹き飛ばさんばかりのもので、足元の命蓮寺が崩れないのは聖自身の法力があったから、と言われている
そんな命蓮寺ですら瓦を砕かれ屋根板をへし折られる攻撃を、寅丸星は全て受け止めていた
防いではいない
手刀が耳を削ぎ、拳が指をへし折り、蹴りが顎を砕いた
その度に星は惜しみ無く絶叫を上げた 獣の叫びを
それでも倒れない 挫けない しかし涙は流していた
耳を削がれたら頭から生やし、指がへし折れたら太く重く鋭い爪や骨に補強され、砕けた下顎からは分厚い牙を生やし、唸った
そうして星は避ける事も防ぐ事もせず、真正面から攻撃を受け止め、受けた分だけ反撃した
文字通り虫も殺せなかった寅丸星が、聖白蓮を全力で傷付けた
蹴りが腹部を潰し、爪がこめかみごと髪を引き裂き、頭突きが二人の額を切り裂き血が混じり合った
やはり常人ならば原形も残らない攻撃
聖もそれらを無防備に受け、むしろ一層詩と動きの激しさを増して笑い、殴り返した
いつしか二人は月を背に空中に浮かび、縦横無尽に荒々しく戦いを繰り広げていた
「fire in your eyes makes you a tiger in disguise!?♪」
『お勉強熱心なだけで虎の様に強くなれるとでも思っているのかしら!?』
(聖ぃぃぃ!!)
叫んだ筈の名前は血のあぶくと混ざり、うがいの音となって聞き取れなかった
お互いに口から鼻から全身から血を流し、血と涎の混合液を服や相手に飛び散らす有り様だ
聖は幸せそうだった
ご飯を食べていた時よりも、子供の相手をしていた時よりも、信仰を得た時よりも、皆に感謝された時よりも、私に笑い掛けてくれた時よりも
ひたすらに、無邪気に、惜し気無く、慎みも作法も恥じらいも遠慮も自律も無く、その歓びをを享受し、全身で表現していた
その姿はあまりに不作法で、汚く、意地汚く、強く、激しく、活力に満々ちていた
「Dream on, you goddamn, pussy!!」
『寝言は寝てからほざきなさい! 糞野郎共!!』
獲物を狩らんと野原を駆け抜ける、餓えた虎の様に!!
「ひじ りぃぃぃぃぃぃァァ!!」
「うぉぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
星の右手の爪が聖の左手首を貫き
聖の右手の貫手が星の左の掌を貫き
『グァラァァァアアアアア!!!!』
星の咆哮が人間達の鼓膜を喰い破り、その牙が聖白蓮の喉に喰らいついた
頬肉を失い限界以上に開いた顎は、過たず喉仏を…声帯と気道と、少なくない血肉を喰い千切った
途端に噴出する鮮血が二人に覆い被さり、その中で互いの片手を潰し合ったまま対峙していた
聖白蓮は口と喉から耳をざわつかせる様な空気の漏れる音を地肉と共に漏らし
寅丸星も頬の穴から覗く肉を噛み締めた歯茎から低い唸り声を地肉と共に滴らせていた