【その夜:命蓮寺】
異界
その一言しか思いつかない
冬の、それも深夜の冷たい外気に満ちた庭に集まった、魑魅魍魎
その縁側で、魑魅魍魎共に向けて語り掛ける女
そして、そんな女の背後に立って庭と魑魅魍魎を眺める、元雌の女
女の名は聖白蓮
命蓮寺の住職である
元雌の名は寅丸星
毘沙門天の代理人である
聖白蓮は尼僧であった
清楚で美しく敬虔、素行もよく人格者そのものであった
そんな住職が物事の善悪を考えれば、人成らざる異形共までも救おうと考えるものである
命蓮寺には連夜、共に仏の教えを学ぼうと妖怪達が集った
…とは運び難かった
仏 仏教 寺 僧侶
全て、妖怪達が信頼を寄せるには覚えが悪い事柄である
如何に聖が(力の弱い)妖怪達の救済を彼らに呼び掛けようと、それが寺の中から袈裟を掛けた尼の言葉では罠の餌にもならない説得力である
そんな妖望の薄い尼が、七福神が一人毘沙門天(の代理人)を招き入れたと言うのだから驚きだ
なんせその毘沙門天(の代理人)は、彼らと同じく世の理から外れた異形だったのだから
命蓮寺での信仰心は揺るがぬものとなった
(その代理人は、何も出来ないんですけどね…)
毘沙門天としての任を受けた星が聖から承った役目は、“それらしく振る舞わなくてもよい”である
知恵をつけ、人の姿を得て、聖から仏の道を学び、仏神のなんたるかをなんとか頭に入れた寅丸星 法力の類も多少は心得た
だが、聖からの提案でもあるのだが、私はただ、妖(あやかし)であろうと人間と共に居られる事を証明しさえすればいいとの事
結果、私は常に聖の傍に立ち、腹を空かせ人間を喰おうとする妖怪を諌め、彼女を不審に思い近寄れない弱者に手招きをしていると言う訳だ
早い話、神仏としての威厳それ自体は直接は重要ではなかった
それ程の威厳を持つ神仏が妖怪で、人間と仲良くしている事実を彼らに知らせる事が大切だった
あとはたまに宝塔の力で小さな奇跡を、しかし確実に起こしておけば、仕上げに聖の人柄で誰も疑わなくなる
聖の人柄が占める重要性の割合が多分に過ぎる気はするが、まぁいい
要するに、私は仲介役と言って差し支え無かった
「…今夜はここまでにしておきましょうか」
涼やかな、聞いただけで穏やかな気持ちになれる声が、無性に不気味な場の空気を解き解す
これでも教えを受ける前と比べたら穏やかになったものなのだが、何も知らない人間が迷い込んだら間違い無く失神するだろう
それが望ましい
聖が人間達から退けるべき妖怪に教えを説いている等、見られる事も記憶される事も許されない
妖怪達がぎこちなく頭を下げ、こちらに会釈をして微笑む聖に私もゆっくり頷き返す
よし 今のは威厳があった 筈だ
決して聖の微笑にニヤケたりしてない 筈だ
好奇心に満ちたおどろおどろしい歓声が広がり、あちこちから会話が始める
こうした地獄絵図にも臆さぬ豪胆な部分も聖の人気の一因であった
お喋りをする者達はその点を踏まえた上で大声で話す
極々僅かな四散する妖怪や、目をギョロつかせて聖な話し(叫び)掛ける者共も、場を騒がせる事が大好きなのだ
私に拝みに来る妖怪も中にはいるが、私は目を閉じ黙して受け止めるのみだ 仏神とはそう言うものだ
まさかこの偉そうな仏神が「妖怪マジ恐い」「ちょっと長生きしただけのなんちゃって妖虎とバレたら喰い殺されるかも」等々弱音を堪えているとは妖怪達も思うまい
「……」
そうして一向に妖怪達が帰らない中、法衣に袈裟を纏った聖が立ち上がった
「…御苦労だった 白蓮よ」
顎が重い
この人に対して上から目線になる(真似)事は、妖怪達に囲まれた恐怖を堪える事より難しい
しかし思うのだが、私との初対面に始まり、この人は恐れと言うものを知らないのか
「此度の冬も襲われる人間の数は秋より減り、お話を聞いて下さる方々も増えました…嬉しい事です 全ては毘沙門天様の御加護故…」
深々と頭を下げる聖 いやいやと静かに頭を横に振る私
首がギシギシ軋む音が聞かれてはいまいか 大汗をかいてはいまいか
と言うか聖、分かっててやってますよね
「私は只の象徴…仏像や札絵と変わらん 私は何もしてはおらんよ」
わざとですよね
未だ多くの妖怪がその場に残り、住職と毘沙門天の一挙一動を凝視し、聞き耳を立てている
「全ては妖怪達の本能を受け止めた貴女と己を律した妖怪達、その忍耐強い対話に成された事だ」
退治どころか忌避もせず、自分達を受け入れてくれた人間
その態度は偽りでも生半可でも無かった
妖怪達はそう感じていた
「ですが、それも話し合いに至るまでにお力添えを頂いたが故…」
聖白蓮は人格者である そこに疑いは無い
かと言って、お人好しや間抜けでは無かった
毘沙門天の加護があったのは事実
聖白蓮の献身的活動も事実
個々人の努力も事実
それらを公然と讃える事で妖怪を勇気付け、ついでに信頼も得られると言うのなら、これくらいのちょっぴりズルい手段は取れる人だった
現に、もう帰ってもいい筈の妖怪達は浮かぶも這いずるも厳粛な顔をして相槌を打っていた
…そうして聖が私だけに見える様に向けたのは、多少負い目を感じていないでもない苦笑いだった
「…白蓮」
聖の手を握る …つもりが自分の手と握り合い、掌の汗を磨り潰す
「尊敬に、値する」
噛み締める様に、あるいは緊張した様に言った
ただし、せめて視線だけは絶対に外さなかった
聖は一瞬だけ目を見開き、すぐに柔和な笑顔に戻り、そして頭を下げた
その一連のやり取りすらも星の頭や顔にくすぐったい灼熱をもたらすものであり、聖が顔を上げるのを待たずに庭へ向き直ってしまう
“Margaret is greek you geek,It means a pearl, I'm a pure girl…Boys♪”
…また、だ
私の後ろで、聖が詠っている
“cannot crack this oyster shell,So go on,♪”
誰に聞かせるでもない呟く様な声量で聖は詠っていた
夜空の太い三日月を見上げて詠う彼女から、妖怪達は目を離せなかった
“whip around that sword like you're the best,It's such a bore♪”
聖はいつも詠っていた
墓場で、暗がりで、(形ばかりの)見回りで、(退治するふりをして逃がす)戦いの中で
妖怪達はこぞって聖に尋ねた
『それはどんな意味の詩なのだ?』
と
少し前までの、聖に対する私の様に
そうして妖怪達は、やはり少し前までの私の様に、彼女の柔らかな笑顔でやんわりとはぐらかされてしまうのだ
毘沙門天と言う立場を気にせず、妖怪達は私に同じ質問をしたが、当然応えられない
妖怪達は誰一人として意味を知らず、本尊の私も知らず、唯聖だけが詠っていた
“Another hero? Oh please♪”
月明かりに照らされた黒と金の長髪が風になびき、併せて漂って来た女の匂いに、星は膝が大笑いしそうになるのを必死で堪えた
美しき理解者が詠う詩は、意味こそ分からずとも音だけは密かに記憶され、書き留められ、妖怪達の間で広まり、詠われた