真夏の人里も紫紺の夕闇に暮れ、神霊たちが目覚め始める刻限。
軽やかに響き渡る、囃子の音。大路に朱の光を落とした提灯の様は、まるで妖しく熟した鬼灯のよう。
行き交う人々の言霊でひしめいた祝祭の衢(ちまた)に、からりからり、下駄を鳴らす少女の姿があった。
ゆぅらり、蔓を巻いて咲く朝顔をあしらった、臙脂色の浴衣。
黒髪をまとめた深紅のリボンは、花園を訪れた蝶々のように楽しげに舞い上がっている。
靡く袖口からは、柑橘の爽やかな香りがふわりと漂って、横ぎろうとする人々の視線を釘付けにして。
「ごめん。待たせちゃったわね」
待ち合わせ場所である貸本屋まで辿り着くと、少女は声を張り上げる。先に待っていた魔法使いたちは少女――博麗霊夢の姿を認めると、目を細めながら彼女を手招きする。
「よっ。お疲れさん」
「ごきげんよう、霊夢」
笑顔で迎えてくれた友人たち――霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイドに安堵の息を吐きながら、霊夢は二人のもとへ駆け寄っていく。
今日は、稗田家を初めとする有志を主催に開かれることとなった、人間の里の夏祭。
祭の初めに「博麗の巫女」として神楽を奉納した霊夢は、その後、魔理沙やアリスと一緒にお祭りを回る約束をしていたのだ。
「さっきの神楽、見ていたわよ。貴方もちゃんと『巫女』することがあるのね」
「ちょっと。どういう意味よ、それ」
「ふふ、冗談よ冗談――でも、良かったじゃない」
茶化されたことで頬を膨らませる霊夢に、アリスは藍玉(アクアマリン)の瞳を揺らめかせる。
「こうして一緒にお祭りを回るって、霊夢、なかなか出来なかったでしょう?」
「えっ」
思いがけず優しい笑みを向けられたことで、霊夢は目を丸く見開かせる。
「そう…かな」
…そういえば、神楽の奉納を終えて、二人のもとに向かおうと、挨拶していた時。『今日は、私たちに任せてください!』なんて、声をかけてきた子がいたっけ。ちょうど此処、待ち合わせ場所にした貸本屋に暮らしている、鈴の髪飾りが特徴の少女。
直後『なんであんたが代表面してるのよ』なんて、親友である阿礼乙女に突っ込まれたりしていたけど。てきぱき、気合十分に汗を流しながらかけてくれた言葉に、なんだか救われたような気がしたのも、事実だった。
「そういうアリスだって、珍しいよな」
頭の後ろで手を組みながら、魔理沙は間延びした声でアリスに話しかける。
「いつも私が誘いに行っても、人形劇を出すからって断るか、引き籠ってるだけだったのによ」
「今日は霊夢も一緒に来るって言うから、面白そうだなって思ったの。魔理沙だけだったら来なかったわ」
「なんだよそれー。私と行くことのどこが不満なんだよー」
つーん、とそっけないアリスの動きはなかなか大げさで、霊夢はつい笑ってしまう。
魔理沙ももはや「慣れているように」アリスにだる絡みをして、すっかり茶番を始めちゃって。
「はいはい、喧嘩は後。回る時間がなくなっちゃうでしょうが」
ぱん、ぱん、と手を叩きながら、霊夢は魔法使いたちを宥める――あっ、ほら。離れるタイミングまでばっちり。
……あれっ。もしかしてこれ、私の方がお邪魔だったんじゃないかなぁ。
「はーぁ、急いで来たからお腹空いちゃった。何かつまむものが欲しいわ」
ぷぃっと目を逸らした霊夢に、魔理沙とアリスは思わず顔を見合わせる。そして、また息ぴったりに笑みをこぼしてから、霊夢のもとまで近付いて。
「ふふっ、そうね。まずは食べ物から調達しましょうか」
「だったら、美宵ちゃんとこの屋台行くか?なんでも、今日の祭のために肉まんを仕込んできたらしいぜ」
「ふぅん。夏祭に肉まんって、また珍しい趣向ねぇ」
人々でにぎわう大路へと、三人は繰り出していく。何となく、魔理沙とアリスの半歩後ろにつくような形で歩きながら、霊夢はきょろきょろと辺りを見回す。
立ち並ぶ提灯の光は屋台から立ち昇る熱気と融合して、夜の人里を煌びやかに照らしている。
囃子の旋律に耳を傾けてみれば、太鼓の轟音が、己の心音と共鳴する。どぉん、どぉん、染み通るように。
駆ける足音に気付いてみれば、色とりどりの狐面をつけた子供たちが、皆笑顔に霊夢たちとすれ違う。次はどこ行く、とか、花火はまだかなぁ、なんて無邪気な声に、思わず霊夢も頬を綻ばせる。
そういえば――確かこの後、花火が始まるのよね。里の花火師たちが、自分たちの技術を全て尽くして作り上げたという、打上花火。
霊夢(わたし)たちの、「自我」を全て懸けてぶつかり合った弾幕に奮い立って。能力を持たない人間(じぶんたち)でも「弾幕」で表現出来ることを証明したいんだって、意気込んでいるんだっけ。
『うふふー。実は私、今度の祭りで披露される花火について、取材させていただけることになったんですよ』
あぁ、やっぱり。花火のことを思い出すと、再生されてしまう。
彼らの懸命な生き様を記録するためにと羽ばたいていった「アイツ」の背中が。
とにかく嬉しそうに、使命の炎を瞳に燃やして。
祭に誘うため、なんとか声をかけようと試みた霊夢を置いていった「アイツ」の顔が。
『そういう訳で、私はもう向かわなければ――次の記事、楽しみに待っててくださいね!』
前で歩く友人たちを、またちらりと見る。大輪の百合や向日葵をあしらった浴衣を纏い、なおも軽口を叩き合っている姿を見ていると、諦めの吐息がこぼれ出る。
きっと今ごろ、取材で向き合って来た花火師たちと共に、その時を待っているのだろう。
人間たちの「弾幕」が打ち上がる瞬間を、愛用の写真機(カメラ)を構えながら。
それでこそ「アイツ」だと、分かっているけど。そんな「アイツ」を見ていると、誇らしい気持ちさえ、湧いてしまうけど。
出来れば「アイツ」にも、この浴衣を着た私、見て欲しかったな…
「あれ」
ふと、一つの屋台に目を向けた霊夢が、反射的に声をあげる。前を歩いていた二人も足を止めて、霊夢の視線の先を辿る。
「射的」とだけ筆で書かれた、良くも悪くもシンプルな屋台。ずらりと景品が並べられた棚の前に、男性が一人、暇を持て余している。白髪に角縁の眼鏡をかけた彼は、霊夢たちにとって馴染みのある相手で。
「霖之助さん?」
「うん?…あぁ、君たちか」
古道具屋「香霖堂(こうりんどう)」の店主、森近霖之助は、ひらひらと片手を振りながら霊夢たちを出迎えた。
軽やかに響き渡る、囃子の音。大路に朱の光を落とした提灯の様は、まるで妖しく熟した鬼灯のよう。
行き交う人々の言霊でひしめいた祝祭の衢(ちまた)に、からりからり、下駄を鳴らす少女の姿があった。
ゆぅらり、蔓を巻いて咲く朝顔をあしらった、臙脂色の浴衣。
黒髪をまとめた深紅のリボンは、花園を訪れた蝶々のように楽しげに舞い上がっている。
靡く袖口からは、柑橘の爽やかな香りがふわりと漂って、横ぎろうとする人々の視線を釘付けにして。
「ごめん。待たせちゃったわね」
待ち合わせ場所である貸本屋まで辿り着くと、少女は声を張り上げる。先に待っていた魔法使いたちは少女――博麗霊夢の姿を認めると、目を細めながら彼女を手招きする。
「よっ。お疲れさん」
「ごきげんよう、霊夢」
笑顔で迎えてくれた友人たち――霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイドに安堵の息を吐きながら、霊夢は二人のもとへ駆け寄っていく。
今日は、稗田家を初めとする有志を主催に開かれることとなった、人間の里の夏祭。
祭の初めに「博麗の巫女」として神楽を奉納した霊夢は、その後、魔理沙やアリスと一緒にお祭りを回る約束をしていたのだ。
「さっきの神楽、見ていたわよ。貴方もちゃんと『巫女』することがあるのね」
「ちょっと。どういう意味よ、それ」
「ふふ、冗談よ冗談――でも、良かったじゃない」
茶化されたことで頬を膨らませる霊夢に、アリスは藍玉(アクアマリン)の瞳を揺らめかせる。
「こうして一緒にお祭りを回るって、霊夢、なかなか出来なかったでしょう?」
「えっ」
思いがけず優しい笑みを向けられたことで、霊夢は目を丸く見開かせる。
「そう…かな」
…そういえば、神楽の奉納を終えて、二人のもとに向かおうと、挨拶していた時。『今日は、私たちに任せてください!』なんて、声をかけてきた子がいたっけ。ちょうど此処、待ち合わせ場所にした貸本屋に暮らしている、鈴の髪飾りが特徴の少女。
直後『なんであんたが代表面してるのよ』なんて、親友である阿礼乙女に突っ込まれたりしていたけど。てきぱき、気合十分に汗を流しながらかけてくれた言葉に、なんだか救われたような気がしたのも、事実だった。
「そういうアリスだって、珍しいよな」
頭の後ろで手を組みながら、魔理沙は間延びした声でアリスに話しかける。
「いつも私が誘いに行っても、人形劇を出すからって断るか、引き籠ってるだけだったのによ」
「今日は霊夢も一緒に来るって言うから、面白そうだなって思ったの。魔理沙だけだったら来なかったわ」
「なんだよそれー。私と行くことのどこが不満なんだよー」
つーん、とそっけないアリスの動きはなかなか大げさで、霊夢はつい笑ってしまう。
魔理沙ももはや「慣れているように」アリスにだる絡みをして、すっかり茶番を始めちゃって。
「はいはい、喧嘩は後。回る時間がなくなっちゃうでしょうが」
ぱん、ぱん、と手を叩きながら、霊夢は魔法使いたちを宥める――あっ、ほら。離れるタイミングまでばっちり。
……あれっ。もしかしてこれ、私の方がお邪魔だったんじゃないかなぁ。
「はーぁ、急いで来たからお腹空いちゃった。何かつまむものが欲しいわ」
ぷぃっと目を逸らした霊夢に、魔理沙とアリスは思わず顔を見合わせる。そして、また息ぴったりに笑みをこぼしてから、霊夢のもとまで近付いて。
「ふふっ、そうね。まずは食べ物から調達しましょうか」
「だったら、美宵ちゃんとこの屋台行くか?なんでも、今日の祭のために肉まんを仕込んできたらしいぜ」
「ふぅん。夏祭に肉まんって、また珍しい趣向ねぇ」
人々でにぎわう大路へと、三人は繰り出していく。何となく、魔理沙とアリスの半歩後ろにつくような形で歩きながら、霊夢はきょろきょろと辺りを見回す。
立ち並ぶ提灯の光は屋台から立ち昇る熱気と融合して、夜の人里を煌びやかに照らしている。
囃子の旋律に耳を傾けてみれば、太鼓の轟音が、己の心音と共鳴する。どぉん、どぉん、染み通るように。
駆ける足音に気付いてみれば、色とりどりの狐面をつけた子供たちが、皆笑顔に霊夢たちとすれ違う。次はどこ行く、とか、花火はまだかなぁ、なんて無邪気な声に、思わず霊夢も頬を綻ばせる。
そういえば――確かこの後、花火が始まるのよね。里の花火師たちが、自分たちの技術を全て尽くして作り上げたという、打上花火。
霊夢(わたし)たちの、「自我」を全て懸けてぶつかり合った弾幕に奮い立って。能力を持たない人間(じぶんたち)でも「弾幕」で表現出来ることを証明したいんだって、意気込んでいるんだっけ。
『うふふー。実は私、今度の祭りで披露される花火について、取材させていただけることになったんですよ』
あぁ、やっぱり。花火のことを思い出すと、再生されてしまう。
彼らの懸命な生き様を記録するためにと羽ばたいていった「アイツ」の背中が。
とにかく嬉しそうに、使命の炎を瞳に燃やして。
祭に誘うため、なんとか声をかけようと試みた霊夢を置いていった「アイツ」の顔が。
『そういう訳で、私はもう向かわなければ――次の記事、楽しみに待っててくださいね!』
前で歩く友人たちを、またちらりと見る。大輪の百合や向日葵をあしらった浴衣を纏い、なおも軽口を叩き合っている姿を見ていると、諦めの吐息がこぼれ出る。
きっと今ごろ、取材で向き合って来た花火師たちと共に、その時を待っているのだろう。
人間たちの「弾幕」が打ち上がる瞬間を、愛用の写真機(カメラ)を構えながら。
それでこそ「アイツ」だと、分かっているけど。そんな「アイツ」を見ていると、誇らしい気持ちさえ、湧いてしまうけど。
出来れば「アイツ」にも、この浴衣を着た私、見て欲しかったな…
「あれ」
ふと、一つの屋台に目を向けた霊夢が、反射的に声をあげる。前を歩いていた二人も足を止めて、霊夢の視線の先を辿る。
「射的」とだけ筆で書かれた、良くも悪くもシンプルな屋台。ずらりと景品が並べられた棚の前に、男性が一人、暇を持て余している。白髪に角縁の眼鏡をかけた彼は、霊夢たちにとって馴染みのある相手で。
「霖之助さん?」
「うん?…あぁ、君たちか」
古道具屋「香霖堂(こうりんどう)」の店主、森近霖之助は、ひらひらと片手を振りながら霊夢たちを出迎えた。